渡辺 隆雄  trumpet

'67.1.21 出現


'74.4 千葉県柏市立旭小学校入学
5年から器楽部に所属。初めてトランペットを手にする。

'80.4 柏市立柏中学校入学   
吹奏楽部に所属。けっこうバリバリのブラバン小僧だった。
2,3年時には県代表として関東大会に出た程の筋金入りだった。
1年の夏休みにFMから流れて来たG.Mahlerの交響曲第1番に
背中を電気が流れる程感動。
Mahler,Stravinsky,Bartok,Brucknerあたりを聴きまくった。


'82.6 TVでサッカーのワールドカップスペイン大会を見る。
フランスの黄金の中盤、ケガに泣いたジーコのブラジル、
16才のマラドーナ擁するアルゼンチンを撃破した
カテナチオのイタリアが優勝。
スポーツに興味の無かった人生が一変。 


'83.4 千葉県立東葛飾高等学校入学
吹奏楽部では指揮者。何か偉そうにしてた気がするなあア。
R.Straussが大のお気に入り。
後期ロマン派〜初期現代音楽が好きなラインであった。
それに加え、Beethoven,Tchaikovsky,Dvorakあたりのロマン派ど真ん中、Debussy,Ravelあたりのフランスモノも大いに聴く。部屋には世界の名指揮者達のポスターが貼ってある程の
クラシック気狂い、でも昼休みはいつもサッカーしてる不思議な高校生活を送る。


'86.4 好きな事ばかりやってた高校生活のツケで当然のごとく浪人。
駿台予備校に通った日々。初めての電車通学。


'87.4 1年間の苦労が報われ、晴れて北海道大学理1類入学。
サッカーサークル『ELF』に所属。
クラシックバカに終止符を打ち、晴れてサッカー小僧に。   


'88 理学部地質学鉱物学科に進学。
「火山や地震関連の学問がしたい」という高校からの夢を実現。一方,バイト先の友人・吉村一博のロックバンド
『le tif a la nui』でほぼ5年ぶりにトランペットを吹きはじめるる。でもこの頃は音楽に対してはヤル気ゼロであった。


'89〜 バンドの流れでBar JUNKとの出会い。
この頃から真剣にJAZZを聴き始める。
そして、日本人のジャズミュージシャンたちとの出会い。
渋谷毅(p)、片山広明(ts)、石渡明広(g)、坂田明(as)、
酒井俊(vo)、古沢良治郎(ds)、津村和彦(g)etc。
その中で林栄一(as)との出会いが決定的となり、次第に音楽の道へ。同時に学校へはサッカーをしに行くだけになる。


'90 大学を1年休学し、バイトをしながら音楽の道。
コンサートの現地バイト君のバイトも多くこなし、
Prince,Sting等の超大物ミュージシャンはじめ、
ロック、ハードロック、ヘヴィメタ等様々なジャンルの
ミュージシャンのステージを目にする。
JAZZ系ミュージシャンも多く目にするが、
その中でも、Miles Davisを見て人生が一変。
中1の時以来久しぶりに体を電気が走る。
「JAZZってこんなにカッコいいのか!」
それまでは不純な動機でJAZZを聴いていたので、
しぶ〜くて、静かなJAZZしか聴いていなかったのだった。
このMiles体験以降、正しいJAZZ道へ。
で、James Brown、Sly&The Family Stone、Prince、
Chuck Brown& The Soul Seachers、Trouble Funkあたりを
聴きまくる。よくSoul Barなんかにも足を運び朝までコース。


'91 大学を正式に中退。
音楽道にまい進。といっても甚だ頼り無い足取りであった。 そうしているうちにLester Bowie(tp)のアルバムに出会う。
「コレだ!」&「俺がJAZZやってもいいんだ!」と思い、
自身のユニット『NUDE MUD BATH』を始める。
この頃東京からミュージシャンが来るとラッパを持って行って
可愛がって(!?)もらっておった。  


'92 冬に外で楽器が吹けない札幌の気候、ジャズミュージシャンがほとんどいない札幌の状況に不満を感じはじめる。トランペットはまだ全然へたくそだったが・・・。

'92.10 音楽プロデューサー川村年勝氏の好意により、3週間NYへ。刺激の非常に多い街が大いに気に入る。が、「JAZZを取り囲む状況は東京の方が良い気がする」
'92.11 上京。川でラッパを吹きたいので川崎の地へ。すぐに現場関係のバイトを始める。そこには音楽関係の奴がたくさんおったが、その中に寺田町(vo,g)もおった。上京当初は広木光一(g)主催のセッションに顔を出しつつ、新宿ピットイン、アケタの店に足繁く通う。上京と同時に市川『りぶる』で、いくつかのグループで演奏を開始。

'93.4〜 村上俊二(p)グループに加入。(〜'98.1)事実上のミュージシャンとしてのスタートを切る。以後村上グループで数多くのライヴをこなす。
夏(?) 寺田町(vo,g)グループに加入。(〜'99.2)
以後数多くのライヴ、ツアーをこなす。

'94.6〜 『オリジナルラヴ』のツアーサポートメンバー。(〜'97.12)

'94.7 寺田町グループで1st CD『スカラムーシュ』発表。
'94.10 松本健一(ts)グループ加入。(〜'98.11)
斉藤良一(g)伊藤啓太(b)つの犬(ds)らと共演。

'95.3〜 自身のデュオユニット『pikaia』始動。(〜現在)
自分達の中にある全ての物を出しあって音楽を作って行く
スタイルは現在まで続く。
'95.7 斉藤良一(g)とのデュオユニット。
'95.9〜 この頃ストリートで演奏。(〜'96春)
「ライヴハウスでの演奏とは何か」を考えさせられる。
'95.10 東京スカパラダイスオーケストラのイヴェントに出演。

'96.1〜 自身のカルテット『MANTLE』始動。(〜'97.2)
'96.2〜 村上俊二(p)『ミカラム』始動。(〜'98.4)
吉田隆一(bs)清水ケンG(ts)らと共演。
'96.5 林栄一『林管楽交』。
'96.8 つの犬(ds)ユニット。原田依幸(p)らと共演。

'97.4〜 b,dsとのトリオでトランペットでのジャズの表現を
追求。(〜'99)
'97.7 寺田町グループ2nd CD『人魚に恋した男の歌』発表。
'97.10〜 藤井郷子(p)オーケストラ加入。(〜現在)
以後、数多くのフリー系ミュージシャンと共演。

'98.7〜 自身の6人編成のユニット『missing link』始動(後に7人編成に〜'07.1)。札幌以来の念願であったバンド形態での表現活動を開始。
'98.12 pikaiaとして初の札幌でのライヴ。
渋さ知らズに2度参加。集団での表現の壁と己を知る。

'99.1 missing linkに早川岳晴(b)加入。
'99.1〜 片山広明(ts)『サンデイブラスバンド』始動。(〜'03頃)
青木泰成(tb)関島岳郎(tuba)らと共演。
'99.9 pikaiaで初の北海道ツアー。
pikaia初のミニアルバム『μ』発表。

'00.5 藤井郷子オーケストラ『DOUBLE TAKE』発表。
missing linkに中根信博(tb)加入(7人編成に)。
'00.9 吉田隆一(bs)『JJBBJ?』始動。(〜'02)
'00.10 pikaia初のフルアルバム『pikaia』発表。
東北〜北海道ツアー。
'00.12 寺田町のソロアルバム『微熱の町』に1曲参加、2曲提供。


'01.3 爆裂無国籍楽団『山田晃士 au Bourbier』加入。(〜現在)
'01.4 pikaiaツアーで西へ進出。
'01.9 第1回『pikaia祭り』開催。多数ゲストを迎えたイベント始動。
'01.10 山田晃士 au Bourbier アルバム『欲望輪舞曲』発表。
'01.11 pikaia“go west west”西のツアー。
'01.12 山田晃士 au Bourbier ツアー。

'02.3 四管でのユニット始動。
吉田隆一(bs)中根信博(tb)高岡大祐(tuba)と共演。
'02.7 pikaia 東北〜北海道ツアー。
早川岳晴(b) アルバム『kowloon』参加。
PANTA (vo&ag)アルバム発表。『波紋の上の球体』に参加。
スタジオジブリ作品『猫の恩返し&ギブリーズepisode2』公開。
episode2音楽担当、渡野辺マント氏の元、楽曲に参加。
'02.8 山田晃士 au Bourbier ツアー。
'02.10 第2回『pikaia祭り』開催(この年から 2daysに)。
'02.11 pikaia西のツアー。
'02.12 山田晃士 au Bourbier 大阪・名古屋ツアー。

'03.2 ショコラ アルバム『Chocolate notes』に参加。
'03.5 pikaia ツアー西へ。
'03.6 藤井郷子オーケストラ・イースト『BEFORE THE DAWN』発表。
'03.7 pikaia セカンド・アルバム発表。
『kila ndege huruka kwa ubawa wake』
'03.8 忌野清志郎ツアーサポートメンバー。
大阪城野音・日比谷野音で演奏。
'03.9 pikaia 北海道ツアー。
日比谷野音でのイベントに参加。
『SPACE SHOEWR SWEET LOVE SHOWER 2003』
'03.10 第3回『pikaia祭り』を2日間開催。
'03.11 pikaia CD発売記念・第3弾!西のツアー。
忌野清志郎ソロ・アルバム『KING』に参加(11/19発売)。
忌野清志郎“WANTED”TOUR 2003-2004に参加(〜'04.2月)。

'03.12 アケタオ-ケストラに参加。以後ほぼレギュラーメンバーに(〜現在)。

'03.12 忌野清志郎バンドでCOUNT DOWN JAPAN'03/'04に参加。




'04.2 bourbierで名阪ツアー。

'04.4 四管(渡辺隆雄tp松本健一ts後藤篤tb高岡大祐tuba)で新潟ツアー。

'04.5 pikaiaで新潟〜関西〜東海ツアー。

'04.5 清水くるみZEKオーケストラに参加。以後地味に活動継続(〜現在)。

'04.6〜7 アケタの店30周年イベントに四回出演。tpでは最多。

'04.7 音や金時でpikaia『パンデイロの日』開催。
pikaia pandeiro specialへの第一歩。

'04.7 忌野清志郎バンドでフジロックに参戦。

'04.8 忌野清志郎バンドで日比谷野音2days。
バンド名がNice middle with New Blue Day Hornsに。

'04.9 pikaia北海道ツアー。

'04.10 第四回ピカイア祭り開催。

'04.11 pikaia西日本ツアー。

'04.12 忌野清志郎バンドでCOUNT DOWN JAPAN'04/'05に参加。



'05.1 木下尊惇gユニットに参加。ボリビアフォルクローレに初めて触れる。

'05.1.30 missing link 1st album『The spell was cast』発表。

'05.3.2 忌野清志郎New Album『GOD』に全面参加。

'05.3.3&5 忌野清志郎デビュー35周年イベント(@パルコ劇場)に参加。

'05.3.13 pikaiaに中西文彦g宮川剛percを加えた『pikaia pandeiro special』始動。

'05.5 pikaia東海〜関西〜新潟ツアー。

'05.5〜7 忌野清志郎バンドで『GOD』発売ツアー。

'05.7.29 忌野清志郎バンドでフジロックに参戦。

'05.8.14 忌野清志郎バンド日比谷野音。

'05.9 pikaia北海道ツアー。

'05.10 第五回ピカイア祭り開催。

'05.10 山田晃士au boubierがバンド名を『泥沼楽団』に。

'05.11 林栄一asユニットに参加。以後メンバ-交代をしつつレギュラー化(〜現在)。

'05.11 pikaia西日本ツアー。

'05.12 忌野清志郎バンドでCOUNT DOWN JAPAN'05/'06に参加。



'06.4 pikaia pandeiro specialで1st albumレコーディング。

'06.4〜5 忌野清志郎バンドで春のイベントに参戦。

'06.5 Hot Music Schoolで講師としてレッスン開始(〜現在)。

'06.6 pikaia新潟ツアー。

'06.7 pikaia+中西文彦gで北海道ツアー。
ツアー中に清志郎さんの喉頭ガン発覚。年内のツアー&イベントは全てキャンセル。ガ〜ン。

'06.8 pikaia pandeiro specialメンバーでマルコス・スザーノpandeiro workshopをサポート。

'06.9.6 pikaia pandeiro special 1st album発売記念ライヴ@Buddy。満員のお客さんの度胆を抜く演奏で日本のブラジル音楽シーンに革命をもたらした。

'06.9.25 pikaia pandeiro special 1st album『SANGUE』発表。

'06.9 pikaia pandeiro special『SANGUE』発売記念ツアー。
初めて四人での旅。

'06.10 第六回ピカイア祭り開催。

'06.12 林栄一asクインテットで東海〜関西ツアー。
ライヴレコーディングも敢行。

'06.12 pikaia pandeiro specialメンバーで再びスザーノWSのサポート。最後のデモセッションが評判になる。


'07.1.13 pikaia pandeiro specialの延長で『bloco pikaia』立ち上げ。10人編成の本格派ユニットの活動開始。

'07.1 泥沼楽団として初の名阪ツアー。

'07.1.22 pikaia pandeiro special青山プラッサオンゼに初登場。店主クラウジアの高評価を受け以後レギュラーに(〜現在)。

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