7 作られた「異常」 ──荒川区女性議員・瀬野喜代氏のお粗末さ

  (平成16年6月22日初出)

 

 荒川区男女共同参画社会懇談会の会長が強引で独裁的な議事運営をしたという出鱈目なキャンペーンが執拗になされているので、会議の実際について、議長の立場から改めて説明しておきたい。

 当初から私が会長として打ち出していたのは、できるだけ強引に多数決で決めないということであった。(このことは会議の中でも強調したし、その後も何度も述べてきた。)

 お互いに男女共同参画を進めるという基本点では一致している者同士であり、敵同士ではない。できるだけ話し合いで、歩み寄って妥協点を見出すことにしたいというのが私の願いであり、このことは一人を除いて全委員に理解されていたし、事実皆さんよく協力してくださった。

 話し合いによって、互いの提案を入れあったり、互いの意見の良い所を取り入れたりという形で、妥協点を探っていった。

 「妥協」というと適切な表現でないかもしれないが、多数決で押しきるのでないかぎり、どこかで互いに譲歩したり、自分たちの意見を引っ込めたりということは必要になる。

 その良い例が、報告書の中枢部とも言うべき「家庭の尊重」と「職場の環境整備」の項目である。

 この両者はセットになっており、互いに補足し合う関係にある。

 報告書の「家庭の尊重」の最後に「男女が以上の家庭責任を担えるような環境整備が必要である」とした上で、次には「職場の環境整備」が置かれて、たいへん詳しい提言が述べられている。

 「できるだけ家族の中」という提言は、「働き方の改善」とセットになっているのである。

 特に言っておくが、「職場の環境整備」は、家庭責任を重視するなら働き方を改善しなければならないという、フェミニスト系の委員の意見に基づいて、それに全員が賛成する中で、その委員の原案をほとんどそのまま採用する形で入れられたものである。

 

 もちろん、賛成と一口にいっても、ニュアンスの違いはある。「家庭の尊重」の中にはフェミニスト系の委員から見ると賛成とは言い兼ねる部分があり、また「職場の環境整備」には反フェミニスト系の委員から見ると賛成しかねる部分もある。それを両者に我慢してもらう形で、セットにすることで妥協が成立したのである。

 このように、会議はできるだけ話し合いで妥協点を見つけるという方針で進められた。幸い、フェミニスト系も非フェミニスト系も、どちらの委員たちも(もちろん中立の委員たちも)、教条的に固執した者はただ一人だけで、他の人はみな柔軟に審議をしてくれたし、おおむね話し合いで結論が出たのである。

 多数決で押し切るのではなく話し合いで結論を出していくことができたのは、最初に「共働き」形態も「専業主婦」形態も、ともに主体的選択として尊重するということを確認したのが大きかったと思う。これによって、多様な生き方を認めあい、共存するという原則のもとに、共通基盤の上に立った話し合いができたのである。

 今回の懇談会の成果は、単に内容や結論がいいか悪いかも重要だが、それよりもある意味では、対立する両者が話し合いで妥協点を見つけていったところに最大の意義があったのではないか。これは今後の男女共同参画のあり方を考えるときに、大きな示唆を与えるものであろう。

 一人だけこの方針に反して妨害や撹乱を繰り返したり、「固定的役割分担の克服」を主張した者がいたが、それは他の全員からひんしゅくをかい、孤立していった。

 

 

 委員の中には、発言の機会が少なかったという不満があるようだが、それは発言が多すぎた一部の委員以外のすべての委員の正直な気持であろう。それはフェミニスト系の委員だけでなく、反フェミニスト系の委員も同様である。

 しかし、発言の機会が少なかったというのは、17人も委員がいればやむをえないことであり、議長の責任ではない。私は議長として、まんべんなく発言してもらうよう努力したが、一部の委員が執拗に発言を求めるのをすべて禁止することもできず、結果として発言が偏ってしまったものである。

 したがって、発言が偏った責任は議長にあるというよりは、発言を独占した一部の横暴な委員や、横暴でなくても熱心なあまり発言が多くなってしまった委員のせいである。(もちろん私は手をこまねいていたのではなく、発言の多すぎる委員の発言を制限したりした。しかしそれがまたその委員の不満として語られている。)

 思う存分に発言できなかったという不満はどこの場合にもあるのは仕方ないことである。ましてや、17人もの委員がいて、全員が十二分に発言するということは無理な注文である。ところがそうした不満をわざわざ掘り起こし、組織化して意見書を出すところまでもっていくというのは、普通ではない。「外圧」の存在が推測される。この推測は単なる推測ではなく、「JJネット」のような司令部が暗躍していた証拠からも分かるように、充分に考えられるところである。

 委員が辞任したり、6人の委員が「要望書」を出したりという動きはすべて事実上、審議が終わってから出てきたことを考えると、外圧による不自然で「異常」な現象としか思えないのである。

 そういう動きが「異常」なのであって、懇談会が「異常」だったわけではない。

 

フェミニスト女性議員のお粗末さ

   ──荒川区議会議員・瀬野喜代氏の八つ当たり批判

 

 以上の経緯が明らかになっていれば、荒川区の条例案について、荒川区議会議員・瀬野喜代氏がそのHPで展開している議論がいかにお粗末か理解できるであろう。

 こういう出鱈目を一区民が言っているだけなら見過ごしてもいいが、これから議会で審議に加わる議員が、こんなお粗末な、間違った認識で議論してもらっては困るので、間違いを指摘しておきたい。

 

 

 瀬野喜代氏の間違いは三点ある。

 第一は、報告書や条例案を客観的に公正に理解していない点。

 第二は、懇談会報告書への批判と、区が作った条例案への批判と、会長への批判とが、混同され、滅茶苦茶である点。

 第三は、懇談会が「異常」だと言っているが、その「異常」は演出され、作り出されたものであり、そういう行動をした人たちこそ異常であり、懇談会の異常さを示すものではないという点。

 以下、それぞれの点について詳しく述べる。

 

 第一は、報告書や条例案を客観的に公正に理解していない点。

 

 男女共同参画社会基本法の精神をふまえた、節度ある条例案を期待していたが、懇談会結果報告の「女は女らしく家庭に」色の濃い条例案となっている。

 

特徴をあげてみると、

 

・「男女がその特性を生かし」

 特性とは何かが示されていない。「男は仕事、女は家庭」「男は強く女は控えめに」「女は家事が上手」「男は指導者に向いている」などということを特性というのなら、これは差別である。

 

 あまりにも馬鹿馬鹿しい曲解なので、いちいち反論するのも疲れるが、議員が直接議案を見た立場からの議論であり、一般の人たちへの影響が大きいので、丁寧に反論しておく。

 報告書が「女は女らしく家庭に」色の濃いものだという理解は百%誤解である。懇談会は終始一貫「女性が働く」場合と「専業主婦として家庭にいる」場合とを、完全に平等に重んずるという立場を貫いている。会議の中でも何度も確認しているし、報告書の内容もそうした立場が貫かれている。家庭の中で「男女の特性」をどう考え、どのような分担をするかは、それぞれの家庭の自由だという立場である。

 瀬野氏は男女の「特性」を「男は仕事、女は家庭」「男は強く女は控えめに」「女は家事が上手」「男は指導者に向いている」とするなら差別だと述べているが、懇談会の委員は誰一人そんなことは言っていない。

 自分で勝手に「特性」を想像し、(フェミニストから見て)一番悪いとされている例を出して、差別だと批判しても、空振りでしかない。

 

 「育児、介護その他の家事については、適切な分担を行い、必要に応じて社会の支援を得て、できるかぎり家族の中で行うことができるよう努めるものとすること」 

 できるかぎり介護を家族の中で行おうとして努力してきた女達が「介護地獄」に苦しんできた。それを是正しようと介護保険が生まれた。家庭内の孤立した育児が児童虐待を増加させている。男性が家庭責任を担える保障もなく「できるかぎり家族の中で」というのは女性への家族責任のおしつけになってしまう。「適切な分担を行い」といえば許されることでもない。条例の文言としてそぐわない。

 

 瀬野氏は報告書も議案も、きちんと読んでいないらしい。「できるかぎり介護を家族の中で行おうとして努力してきた女達が「介護地獄」に苦しんできた」と言うが、それは女性だけで行おうとしてきたからである。報告書は男女平等に担うべきだという立場である。

 「男性が家庭責任を担える保障もなく」と言うが、報告書の「家庭の尊重」の最後に「男女が以上の家庭責任を担えるような環境整備が必要である」とした上で、次には「職場の環境整備」が置かれて、「男女ともに家庭責任を担える」ための条件がたいへん詳しく述べられている。

 「できるだけ家族の中」という提言は、男女で平等に担うという前提の上で、「働き方の改善」とセットになっているのである。

 瀬野氏は「介護地獄を是正しようと介護保険が生まれた。家庭内の孤立した育児が児童虐待を増加させている」と述べている。

 しかし介護保険法は介護を家庭で行いたい人たちへの支援を否定し、差別する結果となっている。また家庭育児が児童虐待を増加させているというのは事実に反しているし、そういう言い方こそ家庭育児をしている人たちに対する差別である。

 報告書の基本的立場は、育児も介護も家庭の中で行いたいという人たちの意思を尊重し、家族で「負担が偏らないように」適切な分担をすることと(これが「女だけの介護地獄」を改善するために必要との見解)、「必要に応じて社会的支援を得る」(これも同様の意味)ことを重視している。

 瀬野氏は勝手に誤解してひどく悪いもののように描いているが、報告書の全体を正確に理解してから論じてもらいたいものである。

 

 第二は、懇談会報告書への批判と、区が作った条例案への批判と、会長への批判とが、混同され、滅茶苦茶である点。

 

・「男女の区別を差別と見誤って否定の対象としたり、子どもに対し道徳的視点や発達段階を考慮せずに性情報の提供を行うなど、この条例の趣旨から逸脱するこのとないように努めるものとすること」

 

 男女の区別と称して、差別がずっと行われてきた歴史の中から男女雇用均等法が生まれた。区別と差別の分かれ目を誰がどう決めるのか。それに性教育のことが突然出てくるなんて???。懇談会の一部の委員がためにする議論をもちこんだ結果で、このように条例にされるのは、荒川区民にとって、とんでもない迷惑である。

 

 どうしてこう感情的になるのだろうか。

 たとえ「区別と称して、差別がずっと行われてきた歴史」があったとしても、やみくもに「区別」を「差別」だとして槍玉に挙げるという行き過ぎや逸脱が起きていいはずがないではないか。しかもそうした逸脱は全国で山ほど起きているのである。

 「区別と差別の分かれ目を誰がどう決めるのか」と言うが、誰も「誰かが独裁的にきめよ」などと言っていない。皆が民主的に、冷静に話し合う中から、良識をもって判断していくことである。

 また「それに性教育のことが突然出てくるなんて???。懇談会の一部の委員がためにする議論をもちこんだ結果」だというのも、理不尽な言いがかりである。

 性教育が突然出てくる形にしたのは、条例案であって、報告書では「突然」出てこない。「突然出てくる」といって、われわれ懇談会に文句を言うのはお門違いである。報告書に対して言うべきことと、条例案に対して言うべきことが混同されており、八つ当たりになっている。

 

 報告書では、乱用防止のために留意すべきことが5項目挙げられていて、性教育についてはその最後に出てくる。性教育だけが突然出てくるわけでもないし、入れられた理由は会議の中で説明されているという意味でも突然出されたわけではない。それなりの理由が議論されて、入れられたものである。(なお、条例の最終案では、その性教育の部分も削除されてしまった。)

 さらに「一部の委員がためにする議論をもちこんだ結果」だと言うに及んでは、許しがたい暴言と言うべきである。

 こういう言い方は懇談会に対する重大な侮辱である。第7回と第8回の会議録をきちんと読んでもらえば分かるように、この項目については、ほとんどの委員が入れることを前提に内容についても表現についてもかなりきめ細かな丁寧な議論がなされており、「一部の委員がためにする議論をもちこんだ結果」というのは、完全に事実と違っている。

 この項目についてはただ一人の委員が「部分的」だという批判を述べただけで、圧倒的な多数の委員が賛成したのである。責任ある議員という地位にある者が、根拠もなく、こういう出鱈目を公表するのは、許しがたい暴挙と言うべきである。

 また「荒川区民にとって、とんでもない迷惑である」と書いてあるが、瀬野氏は区民全体を代表しているわけではない。「区民」を僭称するのは思い上がりである。

 

 第三は、懇談会を「異常」呼ばわりしている点。

 

 最後の項目は、とりわけ、懇談会で「条例にそぐわない」と紛糾した項目である。林会長が強引に押し切って、結果報告をとりまとめたことが、他の委員から、区長への要望書という形で示されたことを昨日の委員会では議論した。17人の委員のうち、1名が辞任、1名の意見書、6名の要望書が提出されるなど懇談会は異常であった。さらに議事録も整わないのに、条例提案するというあわてぶりである。

 

 「紛糾」などしていない。張氏が「紛糾した」と嘘の宣伝をしただけである。本当に「紛糾」という言葉に当たる事態があったのかどうかは、会議録をきちんと読んでから言うべきことである。

 「乱用防止」規定については、第7回会合で審議されたが、それまでの会合と違っていたのは、話し合いで文章を修正していくというそれまでの方式を2、3の委員が拒否して、ただちに修正案を出して採決を要求したので、充分な話し合いができないまま、採決で決まってしまったのである。

 ただし、そうなったとしても、それはすべて正常な議事運営と言えるものであった。「林会長が強引に押し切って、結果報告をとりまとめた」というのは全く事実に反している。

 この点をめぐって「6人の要望書」に書かれている事実は完全に間違っている。

 この点の詳しい事実については、

4 6委員の要望書への反論

を見ていただきたい。

 

 瀬野氏は懇談会が「異常」だと言っているが、途中で辞任したり、審議の中では反対しなかったことを終わってから「反対」だなどと要望書を出す方がよほど異常である。懇談会の運営にはみじんも「異常」なところなどなかったと断言できる。

 「異常」と呼ばれている事態は、後になってから「作られ」「演出された」ものであり、そういう演出をすることの方がよほど異常である。

 外部から圧力をかけて「異常さ」を演出しようとした勢力がいることは、たとえば「JJネットニュース」号外の「緊急のお願い」がなによりの証拠である。

 

 「議事録も整わないのに、条例提案するというあわてぶり」というのも、完全に事実に反している。詳細な議事録は報告書とともに、5月24日に区長に手渡してあり、公表することも以前から決まっていたので、5月25日にでも公表することができたはずである。もし公表が遅れたのなら、それは懇談会の責任ではない。議員ならば、そのくらいのことは簡単に確かめられるはずである。

 

 報告書を批判している者たちは、たいていこの例のように、事実を確かめないで出鱈目を言ったり、報告書や条例案の内容をきちんと理解しないで、言葉尻をつかまえたり、断片的ないいがかりに属するものが多い。

 「悪い」ものと最初から決めてかかって、「悪い」ところを無理にでっち上げてケチをつけている感じである。こんな議員が議会で審議に加わって議論するのかと思うと、情けなくなる。懇談会の報告書は大勢の委員が心血を注いで作りあげたものである。少なくともきちんと読んだ上で、全体として評価をしてもらいたいものだ。