エッセイ

7 ビヤダルおじさん

 ( いまポンペイ展が開かれているので、それにちなんだエッセイをどうぞ )

 

 私たち一家はビヤダルのように太ったおじさんに好かれる運命にあるようだ。それも外国人のおじさんに。

 もう20年以上前、フランクフルトに滞在していたときのこと、有名なシュテーデル美術館を見学に行った。

 たいして感動するようなものは見つからない。入口から入ったすぐの、見やすいところにはキリスト教美術が並べてあって、それがまたナントカ聖人が迫害されて殉教する場面とか、キリストが処刑される場面がリアルに描かれていて、血がピューッと吹き出ている様子が立体的に作られていたりする。妻子は顔をしかめて逃げ出してしまった。

 しかたないので、私たちはそのコーナーを離れて、なにか掘り出し物はないかと奥のほうに行くと、向こうの奥のどんづまりに、ビヤダルのように太ったおじさんが椅子に座っている。見張り番のおじさんである。見張り番といっても、なにもあるわけもなく、暇をもてあましている。いかにも退屈だろうなと同情してしまうような仕事である。

 座ったままで一日の大半を過ごしているので、当然、超の字のつくデブである。さぞ不健康なことよと思わせられる。

 この種の仕事をしている人は、なぜかブスッと機嫌悪そうな顔をしていると相場が決まっている。その人も怖い顔をして睨んでいた (ように見えた) 。しかしまだ20メートルほどの距離があったので、怖いという感じはなかった。

 ところが、その人が急に立ち上がったと思ったら、数歩私たちのほうに歩いて、しきりに手招きするのである。立ち上がると巨体である。それが「こっちに来い、来い」と手招きする。何かいけないことでもしたといって叱られるのかと思ったが、何も悪いことはしていない。

 しかし、あの体で襲ってきたらどうしようかと思った。こっちにはまだ当時8歳の娘がいた。しかし、あの太りようでは追っかけてきても逃げられるだろうと思って、まず私だけ近づいていった。

 すると、彼は「来い、来い」と手招きしながら、奥のほうにずんずんと歩いていく。そのときに気づいたのだが、そこが一番奥ではなく、さらにその横の方にずーっと奥があったのだ。こんな所に部屋があるとは思いもよらないから、誰も来ないだろう。

 そのころになって、ひょっとすると、なにか貴重なものを見せてくれるのかなと気がついた。どんどん付いていくと、一番奥の特別室のような部屋の入口にきて、中へ入れと合図する。

 入ってみて仰天した。正面の壁に、天井まで届くような巨大な絵が掛けられている。なんとレンブラントの「サムソンとデリラ」である。その絵のことは知ってはいたが、実物を見たことはなかった。こんなに大きな絵だとは思わなかった。たいへんな迫力である。

 サムソンはペリシテ人を大勢殺してしまう。一人で一千人を打ち殺してしまう怪力のサムソンに正面から立ち向かってもかなわない。そこでペリシテ人は一計を案じて、デリダという女性を使って、サムソンの怪力の秘密を聞き出そうとする。

 サムソンは何度か嘘をいって切り抜けるが、「愛しているなら教えて」と毎日のように迫られてノイローゼになってしまい、ついに秘密を教えてしまう。

 彼の怪力の秘密は髪の毛にあり、それを切られてしまうと力がなくなってしまうというのだった。

 デリダはサムソンが寝ているあいだに彼の髪の毛を切り取ってしまう。彼女の合図で攻め込んできたペリシテ人はサムソンの両眼をくりぬいてしまう。

 ちょうどその場面を描いたのがレンブラントの「サムソンとデリラ」である。画面の中央にはサムソンが組み伏せられて眼をえぐられている。背景の洞窟の入口には、「してやったり」という顔のデリラがハサミと髪の毛をかかげて逃げていく。場面を洞窟の中に設定することによって、レンブラント特有の光と闇のコントラストを巧みに演出し、躍動する動きを描いてあまりある傑作である。

 われわれは息をのんで見とれていて、おじさんのことはすっかり忘れていた。もしあの人が悪い人で、その部屋に監禁されたとしても、まったく無防備であった。

 帰りに「ありがとう、すばらしかった」と礼を言うと、表情も変えないし、動きもしない。かすかに眼が動いたように見えただけ。ぶっきらぼうに座っていた。

 ああして、毎日あそこに座っていて、気まぐれに、気に入った人にだけ親切にして、生きていくのだろうか。

 

 さて、10年後に、私たち一家はまたビヤダルのようなオジサンに親切にしてもらうことになる。

 今度はポンペイの遺跡でのことである。町の遺跡から一キロくらい離れたところに通称「秘儀荘」と呼ばれる遺跡がある。ここには有名な、デイォニュソス祭 (一説にオルフェウス教とも言われる) のイニシエーション儀礼の様子を描いたとされる一連の壁画が、ほとんどそのまま発掘されて展示されている。赤を基調にした、すばらしい壁画である。私はその一連の絵を別荘の壁に掲げているくらいに惚れていたので、現物を見られて幸せであった。

 「秘儀荘」の中央には、大切な儀式をしたと思われる部屋があり、その中央には水を張るための、4〜5メートル四方くらいの四角の仕切があった。水が重要な役割をする儀式だったと思われた。

 中庭には竈があり、パンを焼いたのだと説明書にあった。なぜパンを焼く必要があるのかと不思議に思って、他の場所をぶらぶらと見ていると、突然ビヤダル氏に出会った。

 向こうはしばらく前からこちらを観察していたらしい。親しげに英語で話しかけてきて、「日本人か」と聞く。イエスと答えると、「日本人が好きなものを見せてやろう」と言う。「日本人が好きなもの ? 」なんだろうなと思う。彼はどうもそこの案内人らしい。

 付いて来いという合図なので、あとから付いていく。すると、だだっ広い、何もない部屋に連れていかれた。大きな部屋だが、本当に何もない。ただ隅に、大きな桶のようなものと、そこから長く伸びた木材が横たわっていた。

 おじさんは得意そうに、「なんだか分かるか」と聞く。「ノー」と答えると、「これはワインを作った道具だよ」と言う。なるほどワインを搾った装置である。そして「日本人は好きだろう」と言った。彼は日本人なら誰でもワインが好きだと決めてかかっている。彼が付き合った日本人はよほど酒好きだったにちがいない。

 日本人がすべて酒好きとは限らないと言いたかったが、そんなことで論争しても仕方ない。「何のためにワインを作ったのか」と聞いてみたが、その案内人は「知らない」と言う。「何のためのワインなのか」には関心がないのである。そして「どうだ、面白かっただろう」と得意そうな顔をして去っていった。

 お陰で私の頭には、ある考えがひらめいた。

 パンとワイン !  なんだ、キリスト教のミサの道具だてではないか。秘儀荘の中で行われていた儀式には、パンとワインが使われていたのだ ! 儀式で使う神聖なパンとワインは、町で作って運んだのではなく、この秘儀荘の中で特別に作られていたのだ。 

 ベスビオ火山の爆発でポンペイが滅んだのは紀元79年のことだが、この辺にはまだキリスト教は来ていない。それなのにパンとワインを使った儀式が行われていたのだ。

 パンとワインを使った儀式は、なにもキリスト教だけの専売特許ではないんだ。むしろ、このようにいろいろなところにあった儀式をキリスト教が取り入れたと考えられる。

 パンが神の体で、ワインが神の血。この観念はきっと、よく見られたイメージなのであろう。それを食べれば神になれる、という観念はおそらく元型的と言ってもいいかもしれない。

 また、ビヤダルおじさんに貴重なことを教えてもらった。太っちょおじさん、ありがとう !