フェミニズム批判

 

11 好著推薦

 

スウェーデンモデルの破綻

 

武田龍夫『福祉国家の闘い』中公新書、2001年2月

 

高福祉社会の残酷な現実

 理想的福祉の国スウェーデンというイメージをぶっとばすような、衝撃的な本が出た。武田龍夫『福祉国家の闘い』(中公新書)である。この本にはスウェーデンの現実 (本当の素顔) が豊富な資料と体験に基づいて明らかにされている。その結論は「モデル福祉国家としてのスウェーデンの歴史的役割は終わった」それは「砕かれた神話となった」である。

 第二章「福祉社会の裏側──その光と影」の冒頭には、次のようなエピソードが紹介されている。

 「一世紀を生きてきた老人 (ちなみにスウェーデンの100歳以上の老人は約700人。もちろんほとんど女性である。1998年) に大学生が尋ねた。「お爺さんの一生で何がもっとも重要な変化でした?」と。彼は二度の世界大戦か原子力発電か、あるいはテレビ、携帯電話、パソコンなどの情報革命か、それとも宇宙衛星かなどの回答を予測した。」

 しかし老人の回答は彼の予想もしないものだった。

 「それはね──家族の崩壊だよ」。(同書、27頁)

 この一言に高福祉社会の問題が集約されている。老人の介護はいかなる時代でも家族の中で行われてきた。しかし今は女性たちが外で働くようになり、家の中の仕事はすべて「公的機関」が引き受けている。すなわち乳幼児の世話をする託児所、学校での無料給食、老人の面倒をみる老人ホーム。

 この男女完全平等と女性の社会進出、高福祉による公正で平等な社会を目指した実験は、現実には何をもたらしたか。

 まずたいへんなコストがかかることが判明した。最初から分かる人には分かっていたことだが、公的機関の建物を建て、維持する費用、そして人件費をまかなうためには、高額の税金を必要とする。

 福祉は「費用拡大の自律運動をやめないということだ。したがって経済成長がなければ福祉が維持できなくなるのは当然となる。そして、大き過ぎる政府と公的部門の肥大化という問題であった。80年代に入るとすでに公的部門の支出はGNPの60パーセント(50年代は30パーセント)、170万人の雇用を集中せしめるに至った(民間企業は240万人。なおスウェーデンの労働人口は410万人)。しかも公的部門には女性が集中し、労働市場のバランスと流動性は失われてしまった。」(同書、38頁)

 家庭の中で家族の介護をしていた女性たちは、公的機関の職員となって他人の親を介護するようになった。日本の介護の現実を見ても分かるように、介護に当たっているのはほとんど女性である。なんのことはない、税金を払って、そこから介護手当をもらっているようなものである。ちなみに税金や保険料は給料の約半分だそうである。

 それで仕事や給料での男女差別はなくなったか。なくならない、と女性たちは苦情を言っている。賃金は女性のほうが34パーセントも低いと。それは女性たちが事務職や軽労働の職にしかつきたがらないからでもあるが、また多くがパートの仕事しかないからである。

 家庭教育は軽視され、子どもは早くから自立を強制される。H・ヘンディン教授の報告書によると、スウェーデンの女性は「子どもに対する愛着が弱く、早く職場に戻りたがり、そのために子どもを十分構ってやれなかったことへの有罪感があるといわれる。つまり彼女にとっては子どもは楽しい存在ではないというのである。幼児のころから独立することを躾るのも、その背景からとするのである。しかし子どもにとって、これは不安と憤りの深層心理を潜在させることになる。男性の自殺未遂者の多くは、診問中母のことに触れると「とてもよい母だった」と言ってすぐに話題を変えるのが共通だった」。ヘンディン教授は「母性の希薄さを中心に生まれる男女関係、母子関係の緊張という心理的亀裂ないし深淵」を指摘している。(同書、128〜129頁)

 スウェーデンには老人の自殺が多いと言われたことがあったが、今は若者の自殺が増えている。自殺者は毎年ほぼ2000人だが、そのうち4分の1の4〜500人が15〜29歳である。

 自殺よりももっと急増しているのが、各種の犯罪である。「犯罪の実態はまさに質量ともに犯罪王国と呼ぶにふさわしいほど」で、刑法犯の数はここ数年の平均は日本が170万件、スウェーデンは100万件。日本の人口はスウェーデンの2倍ではない、17倍である。10万人あたりで、強姦事件が日本の20倍以上、強盗は100倍以上である。銀行強盗や商店強盗も多発しているという。10万人あたりの平均犯罪数は、日本の7倍、米国の4倍である。(同書、134頁)

 こうした恐ろしい現実の背後にあるのが、家庭の崩壊である。「スウェーデンでは結婚は契約の一つだ」「離婚は日常茶飯事」で「二組に一組」が離婚し、夫婦のあいだには「思いやりとか譲歩とか協力とか尊敬といった感情は、まずない。だから夫婦関係は猛烈なストレスとなる。」だから「男と女の利己的自我の血みどろの戦いが、ストリンドベルイ文学の主題の一つとなった」。(同書、146〜147頁)

 

スウェーデンモデルはなぜ破綻したか

 スウェーデンモデルが破綻していることは、疑う余地はない。

 ではスウェーデンモデルはなぜ破綻したかのであろうか。

 それはスウェーデンモデルを産み出した思想が間違っていたからである。その思想とは「子育てや老人介護を家庭の中でやると、必ず女性が損をする、だから社会(公的機関)が行うようにすべきだ」というものである。その背後には、男女の役割分担は悪である、なぜなら役割分担をすると必ず女性が損をするから、という思想がある。だから女性も外で働いて、それらの家庭内労働はできるだけ公的機関でやるか、いわゆるアウトソーシング(外注)に出すべし、というのがその基本的な考え方である。

 この考え方の中にこそ、スウェーデンモデルが破綻した根本原因が潜んでいる。第一の間違いは男女の役割分担を得か損かで見るという発想。損か得かという発想そのものが貧しいと言うべきだが、その上にそもそも男女の異なる種類の仕事を得か損かという視点から見て、女性のほうが損だと簡単に決め付けること自体がおかしいのではなかろうか。女性の介護は地獄だとよく言われるが、男の仕事だってたいへんだったのである。

 もちろん男女の役割は人生の中でいつも同じたいへんさではなく、子育てや介護というような仕事はある時期に集中してたいへんになる。そういう時期には、家族の一人にしわ寄せがいかないように、家族皆で協力し合わなければならない。またよりたいへんな方を、他の者が助けなければならない。役割のどちらかだけが不利になっていいわけはないのである。

 その意味では、家族内の仕事の分担は、できるだけ公平でなければならない。そしてそれが公平に分担されていないなら、公平にするように粘り強い運動をしていかなければならない。しかしそれが絶対に不可能だという前提に立ってはならないのである。少なくとも、今すぐには実現しなくても、だからといってただちに家族単位の原則を捨てればうまくいくというのは、根本的に間違っていたのである。

 その過ちをしてしまったのが、スウェーデンモデルだと言うことができる。スウェーデンの女性たちは権利と損得と公平とを、それだけを第一のものとして性急に要求して、じつは最も大切なものを破壊してしまった。最も大切なものとは家族と、その中における心のあり方、愛情や情緒や優しさ、思いやり、等々である。

 この過ちを主張する者は、日本にも多い。「愛情という名の支配」とか「家族は縛るもの」という見方をしきりに宣伝している者たちである。幸い日本ではその考え方が社会全体を動かすには至っていない。そこまで行かないうちに、スウェーデンモデルは無惨にも破綻したから、もうそのモデルを真似せよとは言えないはずである。

 この本を読んでフェミニストたちは総懺悔をするべきではないか。スウェーデンを賛美したきた責任をどう取るのであろうか。

 ところが、舛添要一氏は、『朝日新聞』の生活面の「オトコのミカタ」欄で、「増税をして、スウェーデン方式を模範にせよ」と書いている。増税をして公共の福祉政策を推進したスウェーデンで経済が破綻している現実をなんと考えるのか。選挙に当選することばかり考えて、「福祉」「福祉」と叫んでいればよいと考えているとしたら、本物の政治家とはほど遠い人物と言わなければならない。