父性

16 脳科学から見た「父性」

 

 いや、面白い、じつに面白い本である。澤口俊之・南伸坊『平然と車内で化粧する脳』(扶桑社) は、題名から想像されるよりも、内容は百倍も面白く、かつ有益である。

 内容を一口で言えば、このごろの恥知らずな者たち (車内で化粧したり、いちゃついたり) の出現は、日本人 (モンゴロイド) の脳の特殊な進化の中に、その秘密を解く鍵があると言うのである。

 といっても、恥知らずになることが、脳の進化によって決定されているという宿命論ではない。たしかに、モンゴロイドは恥知らずになる可能性を持つように進化してしまったらしい。

 というのは、人類の中でモンゴロイドはとくに未熟なまま生まれてくるからである。それをネオテニー (幼形成熟) と言う。そもそもヒトという種は、脳が発達しすぎて頭でっかちになったために、未熟なうちに産まないと頭が産道を通らない。それで未熟児で産むようになったと、今までは説明されてきた。

 しかし澤口氏の説明を読むと、どうやらそれだけではなさそうである。未熟な段階で生まれると、生まれてからいろいろな刺激を受けて、さらに脳が発達する。そういう可能性を秘めて、未熟な段階で生まれてくるというのである。

 このネオテニー化が最も進んでいるのがモンゴロイドである。つまり黄色人種のモンゴロイドは、アフリカのニグロイド、欧米のコーカソイドに比べて、さらに進化が進んでいるというわけである。

 しかし進化が進んでいると言われて、単純に喜ぶわけにはいかない。進化が進むということは、ますます幼児化するということだからである。

 ここまで読んで、私は大いに納得した。「だから日本人には幼稚な人間が多いのか」と。それでも、とくにこのごろ幼稚な人間や恥知らずの人間が多くなり、社会現象として目立つようになったのは、どうしてだろうか。この疑問にも澤口氏は見事に答えてくれる。

  つまりネオテニー化が進んだのは、未成熟にしようとしたのではないのである。未成熟で産んだ上で、それを今までよりももっと高度に成熟させるという戦略のはずだったと言うのである。

 この「成熟」に関係している脳の分野が「前頭連合野」 (ゼントーレンゴーヤ) である。ここは「自我や社会的知性といった高度な精神生活を司る」ところであり、「動物としてのヒトを人間たらしめる脳領域」である。ここが発達しないと、一種の脳機能障害となり、ヒトを「人間」たらしむる社会性や恥の感覚が働かなくなる。このごろ出没している恥知らずな人間たちは、この「前頭連合野」 が未発達 (澤口氏の表現によれば機能障害) ということになる。

 澤口氏によれば、この部分を成熟させるためには、「父親の威厳」を中心にした大家族の中で、幼いころからいろいろな人間関係の中でもまれて、社会性を身につけていくことによって実現される。「恥」などいう感覚も、放っておいたのでは、発達するはずもないのである。豊かな人間関係を体験する中で、「自分がどう見られているか」に気を配り、また「自分の行動が他人にどういう影響を与えているか」に気を配る精神活動が育つのである。

 逆に言うと、日本人は、放っておくと恥知らずになるように生まれついているとも言える。「恥」という感覚は、じつはたいへん高度な精神性なのである。人間に自然のうちに宿っていたものではない。日本人を成熟させるための「仕掛け」が作用していたからこそ、成熟に伴って発達する心だったのである。

 このごろ「昔は父性がなかった」とか「昔はしつけなどしていなかった」「親は野良仕事に出て、子どもは放りっぱなしだった」としたり顔で言う者がいるが、その者たちの言う「父性」や「しつけ」とは何を指して言っているのか疑問に思えて仕方なかった。「父性」とか「しつけ」というものは、具体的に「ああせよ、こうせよ」と指示を出すことではない。社会全体として、また家族全体として、子どもを見守り訓練していく「仕掛け」のことなのである。その中心に父親がいるということなのだ。

 そのことを考えると、日本人の祖先たちが「恥」の日本文化を育ててきた営みには、いまさらのように敬意を払わずはいられない。アメリカの軽薄な文化人類学者が、「恥の文化」は「罪の文化」よりも程度が低いようなことを言い、それを戦後の文化人たちが押し頂いてきたが、今こそわれわれは「恥の文化」の価値を改めてかみしめなければならない。

 

 要するに、上手に脳を刺激しながら、丁寧に育て、きちんとしつけをするという前提があって初めて、ネオテニー化の戦略が生きてくるというわけである。

 反対に、家庭にしろ社会にしろ、子どものしつけをしないでいれば、この戦略は裏目に出て、逆効果となり、人間は大人になっても幼稚なままでいることになる。つまり「未熟性のマイナス面が出てきてしまう」。ネオテニー化は諸刃の剣 (もろはのつるぎ) だったのである。

 だから、幼稚で未成熟に生まれてきた脳を、いかに成熟させるかが、われわれモンゴロイドにとって重要な課題になる。その難しい課題を最も多く背負い込んでいるのがわれわれ日本人だとも言えるのである。

 

 では、日本人を成熟させるための仕掛けとは、何だったのか。澤口氏に言わせれば、それは「今までの普通の日本人の生活」だった。「普通の大家族の生活」の中で、「普通の日本人がしてきた食事」(たとえば、お米とタケノコがいいそうだ) をしていれば、子どもたちは「普通に」成熟していかれると言うのである。ところが日本人は西洋を模範にして コーカソイドのしつけの仕方を猿まねし、家庭の中での豊かな人間関係を失い、日本人の脳に合った食事を捨てて肉食になり、要するにモンゴロイドの脳の成熟に必要なものをどんどん捨ててきたのである。

 澤口氏が「脳によいしつけ」とか「仕掛け」と言っているものは、じつは私が「父性」と呼んできたものである。私に言わせれば、まさに「我が意を得たり」である。氏の最終「講義」は「ゴリラにみる父親の役割」と題されている。そこに書いてあることは、ますます「我が意を得たり」である。

 

 ヒトは遺伝学的にはチンパンジーといちばん近いのですが、社会の形態からみるとチンパンジーよりゴリラに似ています。

 

 ゴリラのオスは、かなり積極的に「子育て」に参加します。といっても新生児にはあまり関心を示しません。その時期の子育て役はもっぱら母親であり、オスはおもに離乳期以降の子どもたちと係わり、思春期までの幼少期に影響を与えるのです。オスはこの間、たとえば子どもと遊んだり、けんかの仲裁をしたり、まとわりついてくる子どもたちと一緒に食事をとり、ときには一緒に眠ったり、優しく保護したりもします。これは、ペアをつくる動物のオスが赤ん坊にエサを与えたりする単純な子育てへの協力とは、明らかに違う役割です。わが子をしつけ、教育するという点で、ゴリラのオスは「社会的な」父親の役割を果たしているのです。

 

 そのようなゴリラの父親、つまりハーレムの長に要求されるのは、単なる体力ではなく知力を含めた「総合的な実力」です。集団を統率し、子どもを保護・教育し、皆に尊敬される力なのです。この役割をさらに強めて「父性」を発達させたのが、ヒトという動物だと考えられます。ゴリラに学ぶとすれば、父親の本質的な役割とはハーレム = 家族内での秩序をつくり、そのルールを示すこと。そして群れで共有すべき価値観や倫理観を植え付けることなのです。

 

 澤口氏が私の『父性の復権』を読んでいるのかどうかは知らない。あまりにも言っていることが一致しているので驚いたが、それを最新の脳科学を根拠にして言っているので説得力がある。私に対して「ゴリラを模範にしている」と非難した者がいたが、ゴリラを模範にしなければならないほどに、ゴリラのオス以下の人間のオスが増えているという現実を見ない愚か者の妄言と言うべきである。

 

 最後に澤口氏はこう言っている。

 

 ともかく前頭連合野を使うことが、子どもにとっても大人にとっても脳を育てることになる。前頭連合野を使うということは、自我によって自分の行動を自覚し、自分をコントロールし、周りの人に気を配ること。さらに集中して考え、未来を見通し、好奇心を発達させるということです。

 

 前頭連合野を鍛えないと、「未熟性」へと進化しすぎた日本人の脳は、「幼稚」と「甘え」というマイナス面を露呈してしまう。欧米人にとってよりも、日本人にとっての方がいかに父性を必要としているか、思い知らされる本である。

 なお、脳科学から父性を研究した本として、少し前に出た本だが、

 小原嘉明『父親の進化 仕組んだ女と仕組まれた男』(講談社)

 もじつに面白い良い本である。是非ご一読をお勧めしたい。