父性

19 弟・紘義の誹謗中傷に反論する

 

一 事実無根の中傷

 私の一歳半年下の弟・紘義が8年前に出版した著作(といっても自費出版でごく少数の「同志」と近親者しか見ない代物)の「序文」の中で、私に対する事実無根の誹謗中傷を書いているのは知っていた。それは私と私の親やきょうだいとの対立関係を、まことしやかに暴露するものだと見せかけている。しかも、その対立が私の不道徳のせいだと非難するものである。

 こうした誹謗中傷に対しては、普通「有名人」は放っておくか(下手に反論すると、かえって世間に知れわたり、泥仕合となり、相手の思う壷にはまるから)、あるいは断固反論し、場合によっては「名誉毀損」で訴訟を起こすかに分かれる。

 私は私に対する不当な批判や悪口を放っておかないで、できるだけ反論するという方針で人生を生きてきた。

 ただし、この件に関してだけはインターネット上で目にしても、あまりに馬鹿馬鹿しいので誰も信用しないと思っていたことと、何より弟に対する哀れみの気持ちがあり、武士の情けであえて反論・攻撃しないできた。しかし、紘義自身もその「序文」を自前の「出版社」のホームページに全文掲載し続けており、紘義が「暴露」している「事実」を本当の事だとしてあちこちにコピーしてまきちらす輩も後を絶たず、もはや放置しておいてよい状況にはないと判断した。そこで、その「事実」なるものが完全に作り話だということを明らかにしようと思う。

 

二 紘義の誹謗中傷

 紘義は『著作集』第四巻「序文」「3」の冒頭に次のように書いている。「ここで私の兄、林道義氏について一言報告しておかなくてはならない」。何を改まって「報告」するのかと思えば、「ブルジョア社会の思想的、道徳的な代表」である林道義が、実は非道徳かつ親不幸であると言うのである。表向きは「ブルジョア思想家の欺瞞を暴く」というふれこみだが、実際は個人的な悪意と憎悪を無制限にまき散らしているだけの、醜い文章である。

 さて、その「道徳の説教者」が非道徳的である例として、紘義がまず挙げるのが、なんとも矮小な「横領」だと言う。すなわち、父が作っていた家族の写真帳を私が「横領」したと非難している。「横領」などという事実はまったく存在しないのだが、たかが写真帳になぜそんなにこだわるのかと、第三者は不思議に感ずることであろう。じつはその問題の中にこそ、この異常な誹謗中傷の真の動機が隠されているのである。しかしその問題については後で述べる。まず紘義の言っている「事実」がいかに荒唐無稽であるかを明らかにする。紘義の言う「事実」とはこうである。

 私が老境にある父母に対して喧嘩をしかけ、それも「両親が自分に対して 、自分だけには十分な配慮や栄養ある食糧等々を供与してちゃんと育てなかった、差別した、などと父母をやみくもに非難し」たとされている。その結果、「父母を悲しませ、 また激怒させた」ために、父は私に勘当を言い渡し、母は「死ぬ前には、道義氏には一切の遺産を渡さなくていいとまで言って、激しい嫌悪感を表明していた」とされる。

 

三 紘義への反論 ──荒唐無稽な作り話

 これがもし事実ならば、私はどうしようもないほどの人格破綻者であり、鬼のような親不幸者である。

 もちろん、すべて、まったく身に覚えのない中傷である。これに当たる事実など何一つないと断言できる。紘義が言っている「事実」は、紘義の心の中にだけ存在している妄想であり、荒唐無稽な作り話である。

 まず父と私の関係であるが、私は父とは最晩年まできわめて良好な関係にあった。

 「勘当」について言えば、むしろ「勘当」を言われたのは紘義の方である。紘義は父に対してしばしば「かつての軍国主義者」「右翼反動」「帝国主義の手先」と面と向かって罵り、怒鳴り合いになって、父が思わず「お前なんか勘当だ」と怒鳴ったことが何度もあった。私は「勘当」などということを言われたことは、ただの一度もない。自分に言われたことを、私に言われたことにするとは、呆れたすりかえである。

 勘当どころか、父は居間に私の著作をすべて並べ、父を訪ねた人たちに嬉しそうに見せていたそうである。父の知り合いたちから、「みっちゃんは親孝行したねぇ」と言われていたくらいである。

 つぎに、母と私のあいだにも、「異様な対立」と言われるような事実はまったく存在しない。母が入院したときには、私と妻と娘が父の家に二か月間も住み込んで父母の世話をしたし、父が癌の手術の直後であったにもかかわらず、父母そろって私の新築の家を見たいといって訪ねてきてくれたほどである。

 私は「自分だけ差別待遇をうけた」などと思ったことは一度もない。私の父母はわりあい公平にきょうだいを扱ってきたし、少なくとも意識的には公平でなければならないというタテマエを持っていた。しかるに、私が育てられ方に文句をつけ、それも食べ物を少なく与えられ差別を受けたというような馬鹿馬鹿しい内容だとされている。戦中戦後の食糧難の時代を生きた人ならば分かるとおり、わずかの食べ物を分け合ってギリギリ生存していた時代には、「差別」する余裕さえなかったのである。食べ物の差別などということは、余分がある場合にのみ可能である。もちろん食べ物で差別を受けた記憶は皆無であり、したがってそんなことで苦情を言うはずがないのである。

 さらに、母が私に「一切の遺産を渡すな」と言ったというから、どれほどの「遺産」があったかと思われるかもしれない。しかし、恥をしのんで言うが、私らの親には「遺産」と言えるほどのものはなかったのである。

 父が死んだあと母が死ぬまでの10年間(母が73歳以降)は、母の心理状態は普通ではなかった。父に先立たれたショックに老いも重なってのことであったのだろう。母が「道義が遺産を狙っている」とか、「横領しようとしている」と言っていたと言うが、もしそれが本当ならば、それは完全に妄想の世界である。ほとんど存在していない「遺産」にそれほどこだわるというのが正常な精神状態になかった証拠である。

 

四 真の動機 ──写真帳をめぐる真実

 紘義がこうした作り話をしてまで異常な感情的攻撃を公表したくなった、真の動機は何であろうか。それは紘義の人となりと彼の半生を知れば簡単にわかることである。

 

1 次男坊のマザコン

 紘義の特徴は、典型的なマザコン男であり、父性の欠如を示しているという点にある。紘義は母から「偉く」なることを期待されて育った。つまり母の期待に対して、「こんなに偉くなったよ」と言わなければならないのである。事実、母の紘義に対する期待は非常に大きく、「頭は抜群によく、将来偉い人になるにちがいない、少なくとも小説家にはなれる」と、つねに口に出して言っていた。

 紘義は「偉く」ならないと母に顔向けできなかったのである。しかし、現実の社会で「偉くなる」には、それ相応の才能と努力が必要である。しかし彼には才能も、忍耐強い努力をする精神力も欠けていた。

 20歳ころの革命ゴッコに挫折したとき、多くの者たちは学者への道か、家業を継ぐか、弁護士になる道を進んだ(学生運動をした者たちには普通の就職の道は閉ざされていた)。彼も学者への道を進もうと思ったが、けっきょく学者にはなれなかった。

 現実の中では「偉く」なれない彼に残された道は、今までどおり仮想の革命ゴッコで「偉い人」を演ずるよりなくなった。それによって世間の上に立っているという自尊心を満足させ、「偉くなった」幻想を味わっていたのである。

 しかし、「革命家」とは名ばかりで、実際にやっていたことは、ごく少数の「同志」とともに、機関紙を発行していた程度である。参議院選挙にも数回立候補したが、泡沫候補に名を連ねたにすぎない。その「同志」たちも紘義と対立するなどして雲散霧消してしまい、今ではごく少数の取り巻きと「研究会」をやったり、父親を「軍国主義者」だと断罪する「私小説」を書いているだけである。

 こうして彼は50年の歳月を仮想の「革命家」として生きてしまった。父や兄を「プチブル」「反動」「帝国主義の手先」と罵り軽蔑しながら。

 還暦をすぎて己の人生を総括しはじめて、「ブルジョア社会の思想的、道徳的な代表」となり、幸せな家庭を持っている兄の私に対する嫉妬と憎しみがつのってきたのかもしれない。母の期待どおり、兄よりも「偉く」ならなければならないのに、それが実現できていないことへの、どうしようもないあせりを感じたのかもしれない。私への攻撃は八つ当たりのようなものである。

 

2 写真帳へのこだわり

 紘義が私に対するこれほどの激情的で気違いじみた悪口を言いたくなるについては、じつはそれなりの理由があった。彼の人生の最後の拠り所と深い関係があるのである。

 「偉く」なることができなかった彼が最後に拠り所にしたのは、小説を書くことであった。幼い頃の母の希望が、今になって蘇ったのである。彼は父母の若いころを題材にして私小説を書き始めた。軍国主義の中での父母の恋愛から結婚までを主題にしたものである。虚実織りまぜ、「階級的視点」の濃厚な、思想宣伝文書のような「小説」である。

 資料が少ない中で、イメージをふくらませるためには、当時の数少ない写真が貴重であったらしい。父が作っていた写真帳が数冊保存されていた。私はその写真帳を持って帰り、長男として管理権を主張したため、きょうだいたちと対立するようになった。私は写真帳を横領も隠しもしていない。所有権を主張しているのではなく、管理をすると主張しているだけである。必要なときには、いつでも見せるしコピーも提供すると言っている。

 さて、「小説」を書くために写真が必要な紘義は、はじめ父母や自分の写真を見たいと言うので、私は快諾し、紘義が来る日を取り決め、写真をコピーできる店を探して、そこでこちらの費用でコピーをしてやる手はずを整えて待っていた。ところが直前になって、来ないと言ってきた。どうやら妹たちが「そんなことをしたら道義の管理権を認めることになる」と反対したらしい。そこで紘義も急に態度を変えて、「横領した写真帳を返せ」などと言い出した。彼らの所有物でもないものを「返せ」とは片腹痛いが、それ以来話はものわかれとなった。

 紘義は人生の総決算とも言うべき「小説」に支障をきたしたというので、気違いじみた怒りを爆発させ、私に対する最大級の悪口を書いたという次第である。「小説家」の弟を持つと、まことしやかに「事実」を作られるから迷惑千万である。

 

 以上、紘義の誹謗中傷がいかに不自然であり、事実無根であるかを明らかにした。逆に紘義の非人間性を示す悪行ならば、いくらでも暴くことができるが、それは今は差し控えることにする。願わくば、紘義には、人の悪口を言うことよりも、自分の晩年の生き方を考えて欲しいものである。