父性

6 小林よしのり氏への反論

  ── 父性なき者の幼稚なプライド

 

父性欠如という特徴

 小林よしのり氏の『戦争論』は多くの論者から批判を受けたが、小林氏は新著『「個と公」論』(2000年5月5日発行、幻冬社)においてそれらの批判に反論している。その反論の中に小浜逸郎氏と私の対談『間違えるな、日本人!』(1999年6月30日、徳間書店)も取り上げられている。

 この反論には二つのきわめて大きな問題が含まれている。

 一つは論争のやり方がきわめてアンフェアーであり、かつ礼節を欠いた下品な罵倒に終始している点。

 いま一つは「公」や「プライド」の理解の仕方に重大な欠陥がある点。そのために、とくに太平洋戦争全面肯定ないしは全面弁護に道を開くような危険を内包している。

 じつは、この二点とも、父性欠如者の典型的な特徴を示しているのである。すなわち、

 第一に、礼儀作法を守れないという特徴。小林氏の場合は「守れない」というよりは、意識的に反抗しているところがあり、その意味で反権威主義の特徴をもっている。年長者の人生の重みに対する敬意がなく、また長幼の順や権威といったものに対するほとんど条件反射的な破壊衝動が見られる。その意味では、これまで反論してきた、私の父性論に対する批判者たちの反権威主義とまったく同じ特徴を持っている。これまでの反権威主義者たちはサヨク的であったが、小林氏はウヨク的である。しかしサヨク的であれウヨク的であれ、極端へと走る偏向的傾向や健全なものへの破壊衝動をもっているという点では、反権威主義の弊害は同じである。

 第二に、父性欠如者は、「名誉」や「プライド」の理解が低俗になりがちである。礼節、忍耐、勇気、正義といった徳を軽蔑する、というよりそれらに対する間違った理解を持っている。

 このごろのキレる少年も同じ傾向をもっており、簡単なことで腹を立てて激昂したり、プライドを傷つけられたと言って暴力をふるったりする。つねに反抗的で、一方の権威に反抗するが、他方の権威におもねるところがある。

 要するに小林氏には父性欠如という決定的な欠陥が見られる。それはフェアな精神や礼節の欠如として、また幼稚なプライド理解として現われている。

 以下この二点を中心に、小林氏に反論しておきたい。

 

 

「転向」という言葉の意味

 小浜氏と私に対する反論の最初の見出しは「安保闘争出身と全共闘出身のタッグ批判」である。小林氏から見ると、「安保闘争」や「全共闘」という反体制運動は「左翼=悪」の部類に入る。

 その「左翼=悪」の「出身」者だということを最初に印象づけようという作戦である。

 小林氏が言うおうとしていることは、われわれのような左翼運動を経験した者は、「転向」して保守派になっても「徹底できない」「中途半端」だということである。要するに今でもわれわれが「左翼」なのだとレッテルを貼りたいのである。

 私は「転向」という言葉も、「徹底できない」という表現も、われわれに対して使うのは間違いであるということを、まず言っておかなければならないと思う。

 

 「転向」とは反権力の思想や行動の持ち主が、権力の拷問や長期拘禁に耐えかねて、自分の思想を捨てて権力の側に立ち、権力に協力するようになることを言う。日本的な精神風土のもとでは、これは反権力の側から見れば「裏切り」であって軽蔑やときには憎しみの対象になり、権力の側から見れば都合はいいが、やはり多少とも軽蔑の感情が入った見方をしているといった雰囲気がある。いずれにしても軽蔑的なニュアンスのこもった言葉である。この言葉を小林よしのり氏はわざわざ、われわれに対して使っている。

 しかしわれわれにはこの言葉はまったく当てはまらない。まず第一にわれわれは間違いに気づいて反省し、生き方を変えたけれども、それは他者から圧力を受けたためでもなければ、ましてや強制されたからではない。まったく自主的に自分で考えた上でのことである。また生き方を変えたといっても、権力に媚びたり、その御用学者になったりしたわけではない。あくまでも自立した思想的営みを行なってきている。

 われわれは「転向」して「保守派になります」と忠誠を誓ったわけでもなく、したがって「保守派として徹底していない」と非難される謂われはないのである。

 

「徹底する」とはどういうことか

 しかし小林氏は「徹底しない」ことは悪いことだと考えているらしい。小林氏の「徹底」とは何を意味しているのだろうか。「大東亜戦争」を全面的に肯定するのが「徹底する」ということなのであろうか。小林よしのり氏に全面的に賛成するということなのか。

 小林よしのり氏はこう言っている。

 

 やっぱり、六〇年代、七〇年代にモロに安保闘争とか全共闘とか、左翼運動をやった人間ってのは、その後転向して「父権主義」みたいなことを言い始めたって、何か、徹底できない、怪しいものが漂うね。それはどこか怪しいんだよね。

 少なくともこの林ってのはわしは信じてないぞ。林が「父権」じゃなくて「父性」って言葉を使っているところに端的に表われているけど、・・・引きずったものから抜け出せない。(p.91〜92)

 

 「父権」でなくて「父性」という言葉を使うと何故「徹底」したことにならないのか、まったく分からない。どう見ても、私の『父性の復権』を読んだ上での言葉とは思えない。こんな程度の認識で、「こいつは左翼だ」と認定したのであろうか。あとの方で、彼はしきりに私のことを「左翼だ」とレッテル貼りをしている。こういうレッテル張りこそ、左翼の専売特許だったはずではないのか。

 小林氏の「徹底しろ!」という言葉を見ていて、私は左翼の精神的雰囲気を思い出させられた。左翼運動の中では、「断固」として「徹底する」ことが求められる。「断固戦え」「暴力革命に徹しろ」といって、徹底させるための「総括」という名の集団リンチがなされ、やがて内ゲバにまで徹底していった。

 小林氏は左翼への徹底ではなく、右翼への徹底を求める。右翼への徹底とは、「中国征服」に賛成し、「父性」ではなく「父権」を唱えることなのか。それなら確かに私は徹底していない。しかし、そういう間違った徹底をしなかったことを誇りに思っている。

 右にしろ左にせよ、「徹底した」人びとがイエスマンの集団と化したり狂信的となり、独断化することもある。「徹底」すればするほどよいなどと言うのは、きわめて危険な考え方と言うべきである。

 

西部邁氏との比較

 小林氏は私を西部邁氏と比較して、西部氏は徹底しているが、林は徹底していないと述べている。西部氏がどのように徹底しているかというと、

 

(安保闘争に参加したことを)パブリックには、弁解しようがない。というようなことを、自分の著書で書いている。その上、その責任の取り方として、六一年春には組織をやめ、八年間、裁判につきあい、二十年間、政治についての発言は控えていた。(p.92)

 

小林氏は、これが正しい態度だとおっしゃるらしい。

 

 私は西部氏と同じでございます、と言うつもりはない。しかし事実を言うなら、ここに言われている西部氏の態度に限って言えば、私もまったくと言っていいほどに同じである。

 私も自分の間違いを率直に認めて、その後の人生を間違いの原因を突き止めることに費やしてきた。その最初の成果が『スターリニズムの歴史的根源』(御茶の水書房、1971年)であった。六一年春には組織を離脱していた。裁判は二年くらいで済んだが、それは私が自分の罪を認めて控訴しなかったからである(判決は執行猶予付きであった)。また政治についての発言はその後、四十年近くしていない。

 裁判の年数や政治的発言停止の年数の違いはあるが、基本的には私と西部氏とのあいだには、運動体験に対する態度に決定的に違いはないと思う。ところが、自分の気に入った者は「よい奴」、自分をちょっとでも批判する者は「徹底しない悪い奴」という分類をするのが小林氏のやり方である。しかし小林氏が言っている事実については、違いを発見できないのである。

 

 小林氏はさらにこう言っている。

 

 その時代の自分を、公的にも正当化したい気分が残っている者は、その後転向してちょっと保守的な言葉を吐いてても、絶対徹底しない。そういう弱点があるみたいだね。(p.93)

 

「その時代の自分を全面的に否定しろ」と踏み絵を突きつけているような言辞である。私はその時代の自分を全部否定する気は毛頭ない。敵味方の認識は間違っていたし、方法は幼稚だったが、社会をよりよくしようという気概は当時も今もまったく変わっていない。その意味では私は少しも「転向」などしていないのである。人が「左翼」とか「保守」とか勝手に性格づけをしているだけで、そんなレッテルは私にとってはまったく無意味なのである。私は「保守」に忠誠を誓ったわけでもなく、「戦争全面肯定」へと「徹底しない」ことが悪いことだとも思わない。

 

私は「転向」していない

 小林氏はしきりに私を「転向」した人間だと印象づけようとしているが、私は「転向」したことはない。そのことを私は新著『国を売る人びと』(PHP研究所)のあとがき「鼎談を終えて」の中の「よりよくしたい」VS「破壊したい」において次のように書いている。これは重要なことなので、全文引用する。

 

 何かをよりよくしよう、という姿勢で、私はこれまでの人生を生きてきた。自分の状態をよりよくしよう、家族のあり方をよりよくしよう、国のあり方をよりよくしよう、人類のあり方をよりよくしよう。

 その中で間違いもたくさん犯した。しかし開き直って言えば、間違いを犯さない人間などいない。大切なのは「何かをよりよくしよう」という姿勢だと思う。それが一番の基本であり、他の間違いは修正することができるが、基本的な姿勢は一部修正すればよいというものではなく、あるかないかのどちらかである。

 このように言うと、「よりよいものとは何かが問題である。一人よがりによりよいものを押しつけられるのはご免だ」という意見が出てきそうである。そのとおりであるが、「よりよいもの」を巡って意見をたたかわすのは、「よりよいもの」を目指すという精神があって初めて可能になる。やはり「よりよいもの」を目指す姿勢こそ大前提でなければならない。

「よりよいもの」を目指す中で私が犯した最大の間違いは、旧ソ連・中国などの社会主義国を本当に理想を追求している国だと思い込んだことである。しかし幸いなことに、その間違いに二十歳前後という比較的若い時期に気づくことができた。社会主義と言われる国々は、人間性を否定する最悪の独裁国だと気づいたのである。

 そのさい気づいたもう一つのことは、反体制の運動をしている人たちの多くが、決して「何かをよりよくしよう」という理想から運動をしているのではなく、ただ秩序や権威を壊したいという心理的な動機に支配されているという事実である。

 それでも六〇年安保のときにはまだ理想主義みたいなものの、いわば「何かをよりよくしよう」という動機が、運動に参加した学生の中にかなり働いていたと思う。しかし七〇年前後の全共闘運動の中においては、そういう動機はまったくというほどに影を潜め、ただ破壊衝動だけが前面に出てしまった。同時期の中国の文化大革命しかり、カルチェラタンに代表される世界的な学生の反乱しかり、すべて「そこにある既成の権威を破壊したい」という動機が支配してしまった。

 よりよいものを建設するために悪いものを破壊するというのではなく、破壊のための破壊である。そのような破壊衝動の背後には、ある種のコンプレックスが作用していたと思う。そのコンプレックスは反権威主義と結びついており、「なんでも反対」主義となって現象した。

「何かをよりよくしたい」という精神と、「何かを壊したい、崩したい」という精神とは、対極にある。私は前者の精神を持っていたので、後者の人びととは激しく対立するようになった。後者とは、社会主義者、マルクス主義者、人権派、フェミニスト等々の名で呼ばれる人びとである。

 そうなると、彼らは私を「保守反動」と呼ぶようになった。また「転向」したともなじるようになった。私は「保守─革新」「反動的─進歩的」という座標軸そのものを超えている。また初めから「何かをよりよくしよう」という動機で生きており、その意味では「転向」も変化もしていない。何が悪いのかという現実認識が変わったり、また手段が直接行動から言論中心へと変わっただけである。私の本質はなにも変わっていない。

 私は保守派に「なった」のではなく、初めから「よいものを守る」という意味の「真の保守」であった。私が自称している「倫理保守」である。その意味でなら、現実の保守の中にも批判したくなる人びともいる。保守と呼ばれる人びとの中にも、自己利益をはかるために倫理に反することをしたり、権力を利用する人たちがいるからである。

 ここで鼎談をさせていただいた渡部昇一氏と八木秀次氏は、私の名づけた「倫理保守」の範疇に属する人たちであると私は認識していた。実際に親しく話を交わす機会を得て、あまりにも考え方が一致しているのに驚かされた。これからも協力し合って、日本を、また世界を、よりよいものにしていきたいと思っている。(p.179〜182)

 

他人の人生に対する礼節を欠いた批評

 小林氏は他人の(たとえば、特攻隊員の)心情に対する理解や想像力を要求しているが、じつは他人の心情に対する理解も敬意も持ち合わせていない。たとえば、私が自分の人生を真摯に語っている箇所に対して、小馬鹿にした態度をとる。すなわち

 聞き手が次のように私の言っていることを要約する。

 

───林氏は転向した時「だまされていた」と感じ、しかも自分が大勢の人を社会主義思想にオルグしていたわけですから、「大勢の人をだましていた」と感じたそうです。で、林氏の父親は戦時中は校長先生をしていて、一所懸命戦争に協力し、教え子を戦争や満州開拓に送りこんでいたそうです。だから父親も軍国主義にだまされていたし、同時に人をだましていた。父親と同じような間違いを自分も犯してしまった、と言っています。

 

これを受けて小林氏はこう批評する。

 

小林 何だ、それ。全然わけわからんな、ヘンなやつだよ、そいつ。

 

───林氏はその「間違い」を総括することを一生の仕事にしようと思った、と言うのですが・・・・、自分をだましていた社会主義とも戦うし、父親をだましていた軍国主義とも戦う、ということらしいです。

 

小林 ・・・・何だそれ、んっとに・・・・。だまされていただまされていたって、そればっか言ったってしょうがないわな・・・・。とにかくそんな人に何も言う資格ないよ、そんなに、親子そろってだまされてばっかりの人が(笑)。ちょっと話にならないよ。言う資格がない!(p.112)

 

 まず最初の要約が意図的な歪曲である。「転向した時『だまされていた』と感じたそうです」という言い方は、私がいかにもだましていた相手をなじり、相手のせいにしているかのような印象を与える。私の発言を全体として読めば、「だまされていた」という受け身の意味ではなく、だまされていたのは自分が馬鹿だったという自分への反省であることは明瞭である。彼は「だまされた人間は何も言う資格がない」と言っているが、それでは「反省もしてはいけない」と言っているに等しい。そこで私が言っていることは自分に対する反省だからである。「わけのわからない」「ヘン」なことを言っているのは小林氏の方である。

 小林氏が「だまされていただまされていたって、そればっか言ったってしょうがないわな」と言うと、私の本を読んでいない読者は、本当に私が「だまされた、だまされた」とそればっかり言っていると思うだろう。このように相手に対して間違った印象を与えるという論争の仕方こそ、卑怯なやり方と言うのである。

 

 小林氏は他人の誠実で真摯な反省の部分を、その人を馬鹿者扱いするために利用している。たとえば「親子そろってだまされてばっかりの人が(笑)」というところ。彼には、他人の人生に対する礼節もなければ、挫折した人間の心情に共感する能力もない。他人が間違いを犯すということに対する思いやりもない。自分は絶対に間違わないとでも言うような思い上がりが見られる。他人の人生の重みということがまったく分かっていないのである。幼稚な精神とはこのような精神を言うのであろう。こんなものは、「上」のものに反抗したり、からかったりしてその権威を落としたいという、ただの反権威主義にすぎない。小林氏の心理は、戦後五十年間日本をダメにしてきた反権威主義の心理そのものである。

 

知りもしないで決めつけるな

 小林氏は、安保や全共闘の運動を「私心のお遊び」と定義している。それらの運動が何であったのかについては、小浜氏と私が分析しているが、それでも全部を総括しえたわけではない。それは全体として複雑で、内部にいた人間から見ても一筋縄ではいかない性質のものであった。内容を知りもしない人間が悪口のために定義づけできるような対象ではないのである。

 小林氏の論争スタイルを見ていると、内容は低劣なのに、「私心のお遊び」だとか「セックスの代償行為」「ガキ大人」「ガキの脳の人間」という罵倒言葉だけは発達している。これは論争術というより喧嘩の技術である。そういう下品な「論争」しかできない人間こそ「ガキ」と言うのである。

 その上、小林氏は、なんでも「左翼だ」で片づける癖を持っているようである。たとえば、「小林よしのりは戦争を知らない」と批判されると、「ほら、完全に左翼の言説でしょ」と言う。小林氏が戦争の実体験がなく、戦争の実際を知らないというのは、そしてそのためにその戦争論に欠けたところがあるということは、厳然たる事実である。

 そのことを指摘することは左翼とか右翼ということとはなんの関係もない。関係ないことに「左翼だ左翼だ」とレッテルを貼るやり方は、何についてもレッテルを貼りたがるサヨクの論争の仕方とそっくりである。というより、自分の不十分な面を素直に認められない人格未熟を露呈している。素直に認めるほどの余裕もなく、自信もないのであろう。汚い論争のやり方を取らざるをえないのは、無理な強がりの必然的帰結である。

 

 小林よしのり氏の卑劣な論争術についてはこのくらいにして、次に内容について見ていこう。

 

低俗な戦争弁護論

 小林氏はこう述べている。

 

 戦争では民衆は必ず犠牲になって苦しむなんて言うけど、じゃあ平時の現在には、犠牲になって苦しんでいる民衆はいないのか? ってことも考えてみればいいよ。例えば、今交通事故で一年に一万人死んでるんだからね。(p.94)

 

 こういうのを詭弁とかスリカエと言うのである。戦争の空襲で殺されるのと、交通事故とを同一視するとは、暴論と言うほかはない。空襲で無差別に殺されるのは事故だとでも言うのであろうか。

 さらに小林氏はこう言っている。

 

 戦時中と現在と、それほど差があるかと言ったら、わかりゃしないよ。(p.94)

 

 こういう考えを持てるというところが、戦争の苦しみ、つらさを身をもって知らない人間だと言われる所以である。いや単に知らないだけではない。彼には人間的な想像力というものが欠けている。もし人間的な想像力があれば、実際に体験していなくても、どれほど辛く悲しく苦しかったかを聞けば、こういう馬鹿なことは言わない、言えないものである。

 

 彼はさらにこう言っている。

 

 逆に戦時中は生き生きしていて明るかったという証言だってあるわけだから。(p.94)

 今の平和時に、心がすさんでる少年ってのはいっぱいおるわけじゃない。その少年が、もし戦争中だったら生き生きしとったかもしれないよ。

 ・・・

 実際に戦争中というものは目的が一つにハッキリしているから、迷いもないし、吹っ切れてるから生き生きするし、かえって明るくなっちゃう。(p.95)

 

 よくある、次元の低い戦争弁護論である。戦争の中で、野蛮な闘争本能や、エネルギーの解放感や高揚感から、生き生きする人間もいた。「戦争の中で生き生きした人間がいた」から戦争はよいものだと言うのは、ただ戦争を弁護したいがための詭弁にすぎない。

 そもそも人間は悩みながら生きていくものである。「目的が一つで迷いもなく吹っ切れ、生き生きして明るい」状態の方がむしろ異常であり、それは戦争の異常性の産物と見るべきであろう。

 

安っぽいプライド

 小林氏は、自己弁護できなくなると、または反論できなくなると、「そんなことは自分だって最初から分かっていたんだ」という言い方をする癖がある。たとえば、

 

 日米戦なんて、戦ったら負けるってのは最初からわかってたんだよ。でも、それでもやらなきゃならない立場に追い込まれてしまったんだから。(p.106)

 

 また特攻が犠牲を多くしただけの愚劣な作戦だったという批判を受けて、

 

 特攻が『統率の外道』だってことは、ちゃんと『戦争論』の中で言っとるからね。それは特攻の発案者である大西瀧二郎が言ったとおりだよ。統率の外道だよ、特攻なんてのは。本来やっちゃいけないことなんだよ。でもそれを繰り出さなきゃならなくなってしまったという苦悩は、その当時に生きていた大西瀧二郎自身にだってあった。(p.103)

 

 本当に当時の軍部の開戦論者たちが「戦ったら負ける」と考えていて開戦したのか、また特攻を考えだして命令した指導者たちが、その中で悩んだのかどうかという問題は別問題である。私はそれらの問題について小林氏とは違う認識を持っているが、それはここでは問題にしない。ここで問題になっているのは、当時の指導者がどうだったかという問題ではない。小林氏自身がどう見ているのかという問題である。「負けるとわかっていたのに、なぜ開戦したのか」、「本来やっちゃいけない」「外道」を「何故やらなければならなくなったのか」という問題について、小林氏がどう考えているかである。

 その答えは次のような言い方の中で出されている。

 

小林 それじゃあ「父性」だなんて言っている林には、特に聞いてみたいね。あんたは自分の子どもには、こういうふうに教えたのですか? って。

 「いいか、合理的なケンカだけをしろ! 負けるケンカはするな! 勝つケンカだけをしろ! いいな、負けるケンカをするくらいなら、土下座して許しを請え! 土下座して、以後なんでも言われるがままにして耐えておけ! 奴隷でいいのだ! 負けるくらいならプライドなんかいらない!!」

 ・・・・こう言って子供を育てるのが父親の役目なのかね。「父性」が聞いてあきれるじゃない。だから所詮は「リベラル父性」「サヨク父性」だってわしは言うわけよ。そんなこと子供に言えるのか、ホントに聞いてみたいよ。(p.103〜104)

 

 どうやら小林氏は、私の言う「父性」を、「父権」を軟弱にしたものだという程度に理解しているらしい。頑固おやじに徹することができない軟弱な男だ、程度の理解力で批評してほしくないものである。

 国の方針として戦争をすべきかどうかを決める場合と、子どもがいじめられたときに断固戦えと言うべきかどうかを決めることとは、同じではない。 私は子どもがいじめられた場合には、「断固戦え」と言うべきだという考えである。子ども一人では多数のいじめに対抗できない場合には親が出ていってもよいという考えである。そのような子どものいじめの問題と、国の指導者が戦争を始めるかどうかを決める場合とでは異なる問題がある。

 国の指導者が戦争を始めるかどうかを決めるときには、まず第一に国民がどうなるかを考えるべきだというのが、私の立場である。私は「ここで戦わなければ、国が植民地にされ、国民が奴隷にされるといったら、戦わなければならない。しかしそうでないなら、プライドぐらいのことで開戦すべきではない」と言ったのである。『間違えるな、日本人!』の中のその箇所を正確に引用すると、こうである。

 

 一方的に日本が戦争をしかけたのではなく、相手が悪かったから戦争をやった。(という説もありますが、しかしこの問題は)どちらが正しくてどちらが間違っていたという問題でもないと思います。たとえどんなに無理難題を突きつけられても、臥薪嘗胆、我慢をするほうがよいのか、戦争したほうがよかったのかということです。

 私もさんざん戦争のために苦しんで、私の苦しみなど一番軽いほうですが、それでも、どんなにプライドが傷つこうが何をしようが我慢すべきだったというのが、我々戦争を体験した多くの者が持っている感覚です。

 国としてのプライドをどうするのかという問題は確かにあります。無理難題で攻めて来たときには、(戦争を)やらなくてはいけない局面もあるでしょう。何でも好きにしてくださいというわけにはいかない。(p.189)

 

 私は「プライドが傷つこうが何をしようが我慢すべきだった」と言っているが、それは言葉のあやで、「よほどのことがなければ」我慢すべきだということを、そういう少し大げさな表現をしただけであり、その証拠には、続いて「国としてのプライドをどうするのかという問題は確かにあります。無理難題で攻めて来たときには、(戦争を)やらなくてはいけない局面もあるでしょう。何でも好きにしてくださいというわけにはいかない」と言っている。

 

キレてしまった軍国主義者たち

 国としてのプライドについて言えば、そう簡単に堪忍袋の緒を切ってよいものではないと言っているのである。これを家族の問題に喩えるなら、子どもがいじめられている状況というよりは、父親が街で不当ないいがかりをつけられ、ケンカを売られている状況の方が適切である。私は、そこでケンカを買うのではなく我慢をして逃げるほうを選ぶ。家族のことを思うなら、馬鹿なケンカをして死ぬわけにはいかないからである。またそれでプライドが傷つくこともない。馬鹿なケンカから逃げたからといって傷つくようなプライドは、安っぽいプライドと言うべきである。

 子どもに対する態度ということを言うのなら、私は子どもに常日頃こう言っていた。たとえば、無理難題を言われたときにはどうするか。最近の例で言うと、バスジャック少年が「階段から跳べ」と言われたような状況の場合である。そういうことを想定して、私なら「無茶をやれと言われたときには、やらなくてもいいんだよ」と。「やるのが本当の勇気というのではなく、自分のできない無理なことをするのは蛮勇といって間違った勇気だ」「そういうときには、馬鹿にされてもやらないのが本当の勇気だ。そんなことで馬鹿にする方がまちがっているのだから」と。このように言うのが本当の父性というものだと私は考えている。

 このごろの、すぐにキレてしまう子どもたちも、非常に安っぽいプライドをもっているのが特徴的である。父性不足で育ったために、自我の発達が不十分であり、そのために自我のコントロールが弱く、簡単なことで腹を立て、カッとなる。

 同様に堪忍袋の緒が切れたと言って戦争に突入した軍部の指導者たちも、言ってみれば「キレた」のである。我慢すべきときに我慢できないのは父性欠如の特徴と言える。

 

 要するに、プライドにも本当のプライドと、安っぽいプライドとがあるということである。「我慢すると失われてしまう」のがガキのプライド、「我慢できる」のが、または「我慢しても失われない」のが大人のプライドである。小林氏がこだわっているのは安っぽいプライドのほうである。 

 小林氏は小浜氏と私に批判されてプライドが傷つき、われわれと「戦争」しないと「奴隷」にされるとでも思っているのだろうか? 

 

 もしかすると、小林氏は開戦時の軍部の指導者の心理を正しく掴んでいるのかもしれない。小林氏の説のとおりだとすると、開戦は安っぽいプライドでなされたということになる。小林氏は、こうも言っている。

 

 そりゃ合理的にいえば負けるんだよ。でも絶対にやらなければならなかった。そうまでして、守らなければならないものがあったんだよ。(p.106)

 

 「そうまでして守らなければならないもの」とは何かを彼は言っていない。しかし前後の文脈から見ると、「守らなければならないもの」とはプライドらしい。それもずいぶんと子どもっぽい幼稚なプライドである。そんなもののためにわれわれは戦争をさせられ、肉親や財産を失い、とたんの苦しみにあえいだのであろうか。

 

植民地化の危機とは何か

 さて、私が「我慢すべきだった」と言ったことに対して、小林氏は別の論拠も持ち出している。いわく「戦争しなければ、日本は植民地にされ、奴隷にされていただろう」と。正確に引用すると、こうである。

 

 そりゃ完全にアタマおかしいよ。自分たちは小人だから、もう我慢だけして、プライドもなにもかも捨てて、土下座して、奴隷になっておけばよかったじやないか、他のアジア諸国のように、日本という国なんかなくしてしまって、白人の植民地になっておけばよかったんだよ、って言っているのも同然やけんね。(p.105)

 

 小林氏には、プライドの問題と、実際的な「植民地化の脅威」とを混同して議論する癖がある。私が「我慢すべきだった」と言ったのは、戦争の悲劇を避け、植民地化の危険を避けるために必要だったという意味で言っているのである。我慢する方が、負けて植民地化される危険は少なかったと言っているのである。

 小林氏は二言目には「植民地化の危機」と言うけれども、「戦えば植民地化されない」「戦わなければ植民地化される」という単純な対立図式ではなかった。日本の国益を守りながら、諸列強と利害の調整をする道をさぐるべきだった。その道をさぐっていた政治家や外交官たちもいたけれども、軍部の独走によって、ぶちこわされてしまったのである。

 その様子は今『産経新聞』に連載中の「ルーズベルト秘録」に生々しく描かれている。「日本は侵略国だ」という「日本脅威論」がルーズベルトを中心にアメリカ政府の中で力を得ていく過程が描かれているが、それに力を貸したのが、他ならぬ日本自身の無制限な膨張政策であった。

 すなわちルーズベルトは初めから「日本は侵略国だ」と思い込んでおり、日本との戦争は避けられないと考えていたふしがある。日本は「百年計画」なるものを持っており、それは台湾、朝鮮、満州、中国、インドシナと進んでいき、全東洋を領土にするという計画だと言うのである。

 その計画を裏付けるような「田中メモリアル」なる偽造文書が公表された。この文書によってルーズベルトの「日本脅威論」は決定的になった。なぜなら「これまでの日本軍の動きはほぼメモリアルどおりに展開して」いたからである。(『産経新聞』平成12年6月23日)いくら日本の良識ある政治家や外交官が「違う」と言っても、日本軍が事実上の無制限な膨張策を取っているかぎり、説得力がないのは当然であった。

 もし日本が無制限な膨張政策でなく、限定された利益を主張し、また(これが重要だが)そのような方針にそって実際にも行動していたならば、ルーズベルトの「日本脅威論」は説得力を持たなかっただろうし、諸列強がそろって日本包囲網を敷くのは難しかったはずである。

 

 諸列強のパワーバランスの中で急激に突出したら、バランスを崩されたと考える諸列強の強烈な反発を招くのは当然である。無制限の膨張欲と支配欲に負けたのは、適度なところで自分をコントロールするという真の父性が欠けていた証拠である。真の父性とは、情勢を客観的に分析し、他の勢力との関係を調整しながら、自己の行動を冷静にコントロールして、真の国益を探るという姿勢である。そういうときに「気概」を持ち出すのは「ガキ」の強がりでしかない。

 

 小林氏の精神構造は、独走した軍部の指導者たちの精神構造と似たところがある。諸列強のあいだでうまくバランスを取るべきだとか、少しは譲る方がよい場合もあるなどと言おうものなら、「奴隷になれと言うのか」とか「死んでも譲れないのがプライドだ」と金切り声をあげる。安っぽい負けん気と、真のプライドの区別がついていないのである。

 

低俗な軍国主義弁護論

 そのように言うと、小林氏は次のように軍国主義を弁護する。

 

 あの帝国主義の時代には「軍国主義」が必要だと、公共性として要請された部分もあるんだからね、グングン押し寄せてくるアメリカ帝国主義に対抗するために。(中略)帝国主義で領土を拡張していくのが当時の先進国で、その世界の枠組みの中で日本もなんとか追いついて入っていこうとしたんであって、そのこと自体は非難されることでもなんでもない。多少無理して背伸びしたかもしれんけど、無理して背伸びするくらいの気概があったにすぎないんだからね。(p.118〜119) 

 

 なんとしてでも軍国主義的な膨張政策を弁護したいという心理が先にあり、そのために詭弁を弄する体質が見える。

 断っておくが、小浜氏も私も、軍事力を使い一定の領土を確保する政策が必要であったことは認めている。

 大切なのはどこでとどめるかという問題である。冷静に真の国益を考えて、どこで妥協するかを考えるべきだと言っているのである。小林氏の言説は、なんでも軍部の行動を弁護したいという心理に左右されている。たとえば、「帝国主義の時代では軍国主義が必要であった」と言うが、しかし「軍国主義が必要であった」という言い方は間違いである。小林氏は「軍国主義の必要」と「軍事力の必要」とを混同している。

「軍国主義」とは、なんでも軍事力で解決するというやり方のことである。軍事力は必要だが、それと同時に外交によって諸列強と駆け引きや調停をしながら「うまくやる」ことは、「軍国主義」とは言わない。

  小林氏も「軍国主義」のまずかったところは認識しているらしい。しかしそれをできるだけ些細な行き過ぎ程度に言いくるめようとしてこう言う。

 

 多少無理して背伸びしたかもしれんけど、無理して背伸びするくらいの気概があったにすぎないんだからね。

 

 中国全体にまで戦線を広げ、ついには南アジアにまで領土拡張を目指した暴挙が「背伸び」という言葉で無害化され、無謀な戦争に突入したことは「背伸びするくらいの気概」という言葉で正当化されている。

 

 なんでも「軍部」を弁護しようとする小林氏の意識は、「実際に軍部主導のもとでミャンマーは今、どんどん豊かになっている」(p.119)という言い方にも、はっきりと現われている。こんな言い方は決して客観的な物言いではない。軍部独裁のもとでと、民主化された政権のもとでと、どちらが豊かになったかは、やってみていないので分からない。軍部独裁のもとでの方が豊かになったとは言えない。私は民主化した政権のもとでの方が、もっと経済は発展したと見ている。さらに「どんどん豊かになっている」というのも嘘である。「どんどん」とは、どの程度のことなのか。こういう情緒的な言い方は、デマゴギーに通ずる危険がある。

 万が一、軍部独裁のもとでの方が豊かになったと証明されたとしても(証明しようはないが)、正規の選挙の結果を軍事力で覆して独裁を続けている不当な政権を正当化する理由にはならないのである。

 

 戦争に負けた日本は植民地化こそ免れたが、多くの日本人はプライドを失い、とくに戦中派は自信を失って子どもの躾もろくにできなくなったではないか。戦争して負けたために失ったものは多いし、とくにプライドを失ったのである。「負けるとわかっていても、プライドを守るためには戦争せざるをえなかった」と言うけれども、負けたために、そのプライドも失い、今でも取り戻すのに苦労しているのではないのか。

 それどころか、小林氏は戦後の経済成長までも、負けを承知で戦った人間の「気概と粘り」のせいであると言っている(p.105、p.110)。しかし戦争を戦った国民の精神力と、戦後の復興をなしとげた精神力とを平板な続きと見るのは、あまりに単純すぎる。日本人は敗戦によって一度は自信を失ったのであり、戦争中からずっと地続きの精神力を持ち続けていたわけではない。

 日本人には、戦おうと戦うまいとに関係なく、精神的な底力があったのだと言うことは可能である。しかし戦争を戦ったから経済的な発展が可能になったが、戦わなかったら経済的発展はなかったかのように言うのはおかしい。むしろ日本人は、経済的な発展をなしとげたことによって、失っていた自信を取り戻すことができたのである。

 経済が発展したのには無数の好条件が重なったからであり、戦時中の気概のせいにするのは、大和魂や特攻精神だけを頼りに戦争に勝てると思っていた人びととあまり違わない、幼稚な精神主義と言うべきである。

 

 さらに、私が徳川慶喜の降伏と無血開城を例に挙げて、「日本中が何年にもわたって戦場になることが避けられた」と言っている箇所に対しても、小林氏は「負けたら奴隷になるという」太平洋戦争とは違うと言っている(p.109)。

 彼は二言目には「戦わなければ植民地にされていた」「奴隷にされた」と言うが、もし戦争しなければ植民地化されたというのならば、戦争に負けたとき日本は植民地にされたはずである。しかし日本は植民地にはされなかった。このことを考えてみれば、「戦争しなければ日本は植民地にされた」などというのは、真っ赤な嘘であることがわかる。

 こういうのをデマゴギー的アジテーションと言って、左翼がよく使う論法である。左翼的な発想をしているのは小林氏の方である。

 太平洋戦争に負けに負けて無条件降伏しても、植民地にはならなかったし、奴隷にもならなかった。ましてや諸列強のパワーバランスの中にあり、日本が一定の国力を持っている段階では、一定の地位を確保しつづけることは可能であった。またそれを追求するのが、リーダーシップというものである。「奴隷になるか否か」という嘘の二者択一を押しつけるのは、デマゴギーである。

 

「公の中身」について一言も答えがない

 最後に『戦争論』の最大の眼目であり、今度の『「個と公」論』の最大の論点である「公」の問題について述べよう。

 小浜氏と私は、小林氏が「公」という問題を提起したことは高く評価しながらも、「公のあり方」について、すなわち「公の中身」について小林氏の考察に不十分なところがあると指摘したのである。この点は非常に重要であるから、少し長くなるが、全文を引用する。

 

小浜 もう一つ言うと、戦争責任についての考え方について疑問があります。いま林さんがおっしゃった、優秀な人がいなくなったということももちろん大きな損失ですし、天皇の戦争責任などの問題にしても、道徳的、倫理的な責任の問題に還元して語られていますが、本当は戦争というような一大事を引き起こした国家の責任というのは、道徳的な責任だけに還元すべき問題ではないと私は考えています。これは基本的に政治責任の問題であって、いかに愚劣なことをやってしまったか、国際的な機運やパワーバランスから、交戦中の細かな情報の問題までも含めて、情報力と判断力がまるで不足していたとか、なぜ早く負ける勇気を持てなかったのかとか、いろいろな問題点を事後にきちんと処理して、政治権力を引き継いだ人間、国家を直接担っている人間たちが、それらをどう乗り越えるかということが一番大事だと思います。

 仮に日本が北朝鮮問題や何かで緊張関係に巻き込まれて、武力行使や後方支援などで紛争に加担せざるをえないような事態になったときに、そうした教訓がどこまできちんと積み上げられているかが測られると思いますが、いまの状況を見る限り、国家を担う者として、合理的に国家を運営していく、機能的にきちんとさせるという一番大事な意味での責任がまったくないという感じがします。本当はそちらのほうの議論がよほど大事だと思います。

 国家というものは、林さんもさっきおっしゃっていましたが、私はさしあたり必要だと思っています。必要というのは、小林よしのりが考えいるような個人の心情の延長としての必要ではなく、むしろ機能的にそれぞれの国民の生活をきちんと守っていくという意味において、軍事も必要だろうし、内部的な治安の維持も必要だろうと思っています。極めてファンクショナルな意味で国家はさしあたり必要だろうということです。

 ファンクショナルなものを成り立たせていくためには、多少のナショナリスティックな心情というものも必要だろうとは私も思います。しかし『戦争論』は、そちらのほうばかりに偏ってしまっている。美学的な正当性や道徳的責任の議論ではなく、機能的必要性の自覚とか、もめごとをきちんと処理していく能力としての政治責任といいますか、失敗を認めて、失敗を繰り返さないように国家の組織なり責任の所在なりをつくっていく、そういう建設的な責任の取り方が大事だろうと思います。本当はそこを問題にしなければいけない。

 

「公」の中身こそが問われるべき

 非常に重要な問題を言われたと思います。小林よしのりの言っている公という問題が、いまの話に非常に関係してきます。小林よしのりは公ということを、国民が国家に犠牲的に尽くすという意味でしか使っていません。公というものに対して、個人はただそれに奉仕するという関係でしか見ていないんです。

 公というものはどうあるべきかという議論がなされていない。例えば公の一つとして国家がある。国家というものは国民とどういう関係にあるかと言えば、国民を保護し面倒を見るためのものでしょう。民を幸せにしなければ公とは言えない。

 もう一つは、公の政策決定というものに国民がどうかかわるのかという観点がありません。公が決めたもの、国家が決めたものに国民が奉仕する、滅私奉公するという形でしか考えていないと思います。公というものの意志決定はどうなされるのか。その場合に正しいリーダーシップというものはどうしたらできるのかという観点がない。

 リーダーシップというものは、トップの人がリーダーシップを発揮するものだと思っているかもしれないけれども、そうではなくて、国民一人一人にリーダーシップとは何なのか、正しいリーダーシップの取り方は何なのかという意識をつくっていかなければならない。それが戦後民主主義でまさに一番欠けているところなんです。

 その点で戦前も戦後もずっと続いている。形は軍事独裁から民主主義になったけれども、まったく改善されていない。リーダーシップについての感覚は何も変わっていないんです。ですから、公というものの性格は変わっていなくて、昔は公に個人が尽くすという形でしたが、いまは個人は公に尽くさなくてもいいというふうになっただけのことなんです。公というものの性格についてよく考えるということがなされていません。

 小林よしのりもそれについて考察しないまま、公が大事だと言っている。個が大事だと言っているのに対して、公が大事だと言っただけのことで、本当の公とは何かを考えていない。さきほども述べたように、公の中身が大事だということです。

 もっとも公が大事だということを言って、その上で公のあり方が問題になるわけですから、小林よしのりが「公が大事だ」ということを言っただけでも大したことではあります。左翼の連中は公が大事だということさえ言わないですから。逆に「個」とか「個人」を重んじると言って、世の風潮に媚びて勢力を伸ばそうとしている。

小浜 公にさからっていればいいという感じですからね。

 公というものは全部だめだと言っているから、左翼はだめなんです。左翼の連中のようにただ右翼反動だとか言ってたたくのではなくて、公の中身は何なのか、そして公の意志決定というのはどうなのかというところまで話を持っていく必要があると思います。

小浜 小林よしのりがそのことを考える義務はないと思いますが、積極的な意味で私がまずいと思うのは、林さんがいま言われたようなことの問題が本当は一番大事だということを、隠すような形で、美意識や滅私奉公的な倫理の大事さだけを前面に押し出していることです。そこははっきり言って彼の功罪のうちの罪だと思います。

 どうせこれだけやるんだったら、本当はきちんとした責任体系としての公というものを立ち上げることがいま必要なんだという形で出してほしかったと思います。さきほどの戦艦大和や特攻隊の話にしても、戦争の末期までずるずると負けを引きずることの無責任さ、公のだめさというものが全然書かれていない。それを書くべきです。

 日本の公というものは本当にダメでしたね。渡部昇一さんがどこかで書いていましたが、日本の軍隊というのは、兵士はものすごく優秀だった。無理な命令でも遂行してしまうほどに優秀だった。あるいは、あまりにも無理なので自己犠牲になってしまった人もいますが、上で作戦を作っている連中は本当に馬鹿だった、と言っています。ということは、公の中身がいかに大事かということです。渡部さんのような、いわゆる保守と言われている人たちの中にもそういう問題意識はちゃんとあるわけです。それをもっときちんと出していかなくてはいけない。リーダーシップということは決定的に大事なんですね。

(この問題は後に渡部氏、八木氏と私の鼎談『国を売る人びと』PHP研究所、の第2章で掘り下げて話し合われている。)

(中略)

小浜 旧日本軍は合理性や現場性をまったく無視した典型的な官僚主義に陥っていた。それは現在の日本における政治、行政にも言えることです。同じであるからこそ、小林さんがやっているようなかつてといまとの比較は意味がないんだと私は言いたいわけです。同じだということを強調しなければ、戦争を引き起こしてしまった失敗というのは、きちんと総括として出てきません。

林 職業軍人と官僚の選び方がまったく同じです。ペーパーテストで、試験で優秀な人間が上に行くという形になっていた。採用試験のときの成績、あるいは幼年学校とか陸軍の学校の成績ですべての昇進が決まる。いまの官僚もまったく同じでしょう。現実を何も知らないで、机上の線引きだけで政策を決めている。おまけに年功序列ですから、これを根本的に直さないとだめですね。つまり、本来ならば一番上に判断力をもった政策決定のエリートがいて、その下に左脳が優秀な、決められたことを正確に実行するエリートが必要です。この下のエリートはペーパーテストで選抜してもいい。ところがこの下のエリートが軍部でも官僚でも最高の政策決定をしてしまっているところに日本の悲劇があるんです。この原理そのものを批判しないといけない。

小浜 そうでなければ戦争をいま問題にするということの意味が半減してしまう。『戦争論』は資料提供とか、戦争を知らなかった世代に想像力をかきたてるためのきっかけを与えたという面では功績はありますが、これだけやるのであれば、その反面みたいなこともきちんと提供してくれないと困ります。(p.193〜199)

 

 われわれはこういう重大な問題を提起していたのである。それに対して小林氏は、またもやスリカエ論理で答えるだけである。

 

 根本的におかしいのは、こいつらが「国」と「個人」を対立させて認識しているってこと。(p.116)

 そんなふうに「国家・指導者」と「国民・一般庶民」を分離させ、対立させるという、硬直しきったステロタイプの脳味噌ってのがあるわけよ。それがつまり、反体制・反権力の「サヨク」なんよね。・・・・その思考パターンから、やっぱり林・小浜はどうしても抜けられないわけよ。どこまでいっても抜けられない、旧タイプの残骸! そういうものとして、林・小浜は存在するわけだ。(p.117

 

 われわれは国家と国民を対立させたり、分離させてはいない。それは今引用した対談からもあまりに明瞭である。われわれは逆に国家と国民の関係をきちんと明らかにすることを要求しているのである。国家の政策決定に国民がどう参加していくのか、その中での「エリート」の役目とは何なのかを問うているのである。小林氏のような滅私奉公的な捉え方では、公と個の関係を正しく捉えることはできない。

 小林氏においては、公が個を覆う形で融合してしまっている。だから、公と私の「関係いかん」という問題を提起すると、「対立的に捉えている」と理解してしまうのである。こういう問題性を理解できないのは、小林氏の精神の中に、真の父性が存在していないからであろう。父性があれば、真のエリートとは何かとか、公の中身が大切だという問題の重要性が理解されるはずだし、われわれの批判の意味も理解されたであろう。しかし残念なことに小林氏は事の重大性を理解できないままに、ただ悪態をつくだけである。

 

 小林氏が問題をいかに理解できていないかを示しているのが、次の会話である。聞き手が次のように言う。

 

─── この二人、「公」を「権力」もしくは「お上」のこととして、ずっーと話をしているんですよ。(p.120〜121)

 

 それを受けて小林氏はこう言う。

 

 なるほどねー。「公=権力」とかいう定義でないことは、あの漫画を読めばわかるはずなのに、自分たちが左翼体質なもんだから「公=権力」という固定観念に縛られて、読み誤っているという状態だよね。(p.121)

 

 われわれが小林氏の言っている「公」を「国家権力」のことだと読み誤っているというのは、それこそ読み誤りである。さきほどの引用の中にもあるとおり、われわれは「公の一つに国家がある」と言って、あくまでも「国家」を「公」の一部とした上で、それを例として「公」と「個」の関係について論じているのである。「公=権力」という公式的な捉え方は決してしていない。

 われわれが「公」を「お上」「権力」のこととして「ずーっと」話しているというのは大嘘である。われわれが「ずーっと」話しているのは、「公」の責任の取り方とか、「公」のリーダーシップの問題である。(そこには「お上」などという感覚はまったく現れてはいない。)その「公の中身」という最も中心的で最も重大な問題に小林氏はまったく反応していない。いかにそういう問題意識がないかという証拠である。

 小林氏には、公を担うリーダーが能力的にも人格的にも厳しさを要求されるという認識がまったく見られない。そのことこそ、小浜氏と私が「ずーっと」論じていることなのだ。

 

結論

 小林よしのり氏はまだ若いのだから、間違えることもあるし、不十分なところもあるのは当然である。そういうところを指摘されたら、謙虚に受けとめて、改めていけばよいことである。小浜氏と私は、そういう意味で不十分なところを好意的に指摘したのである。もちろんその前に十分に功績を認めた上でのことである。

 それに対する反応は異常というほどに礼節を欠いた反発であった。ちょっとでもマイナスを指摘されると、見境(みさかい)なく反発している。それは不要な強がりであり、コンプレックスの裏返しでしかない。

 小林氏はまだ若いのだから、無謬の英雄になったと思ってはいけない。不十分なところを指摘されたときには、いきりたつのではなく、謙虚な態度で次の機会に訂正するなり、充実させるように努めればよい。とくに「父性」についての理解が決定的に不足しているので、もっと「父性」について勉強してもらいたいものである。

 

 

付論 インタビュー形式に隠されたアンフェアな精神

 『「個と公」論』はインタビュー形式を取っている。インタビュアーが、論争相手の本や論文の内容を要約したり、紹介すると、それについて小林氏がコメントするという形式である。

 この形式を取る場合には、守らなければならない作法というものがある。その作法とは、

 第一にインタビュアーが誰かを明らかにし、その人間がどのくらい信頼できるかを明らかにするために、そのプロフィールなりキャリアなりを紹介する必要がある。もちろんそれだけで、その人間について十分に分かるはずもないが、どのような人間かを知らせるのは礼儀であるし、いざというときに責任を取れる「情報公開」が必要なのである。

 第二に、インタビュアーはできるだけ的確に話題を選び、また相手の内容を正確に要約・紹介しなければならない。

 第三に著者は、インタビュアーの内容紹介や話題の選び方について、それが的確かどうかをきちんとチェックし、必要ならば訂正しなければならない。最終的な責任は著者自身にある。

 以上の作法を正しく守らなければ、その内容は公正を欠いたものになり、論争相手に対して礼を欠き、名誉毀損を生ずる危険がある。

 

 実際にこれらの作法は、『「個と公」論』において守られているであろうか。否である。この三点とも、まったく守られていない。

 まず第一に、インタビュアーに関する情報はまったく明らかにされていない。巻末に「インタビュアー・・・・時浦 兼」と書かれているだけである。この「時浦 兼」なる人物が実在するのかどうか、また本名か仮名か、単数か複数かも分からない。小林氏自身という可能性もある。

 第二に、このインタビュアーの話題の選び方は的確でもなければ、論争相手の内容の要約・紹介の仕方も公正ではない。それでいて実際にはインタビュアーが内容や論の進め方を終始リードしており、きわめて重要な役割を演じている。

 第三に著者は、インタビュアーの内容紹介や話題の選び方について、良心的にチェックをしているとは到底思えない。むしろインタビュアーの偏りや間違いを容認し、利用しているように感じられる。

 この三点におけるマナー違反は、小林氏のアンフェアな精神から生まれていると判断せざるをえない。すなわちインタビュアーによる論争相手の内容の捉え方が、意図的だと思われるほどに偏向し歪められているが、その責任が小林氏にはないかのような印象を与えている。

 

 これまでの氏のかずかずの論争を見ていると、フェアに論争をやろうという姿勢よりは、詭弁やスリカエや罵倒を使って手段を選ばずに勝てばよいという特徴が見られる。というより、「敵」に対しては「汚い」手段を用いてもかまわないという精神が見られる。ここから、建設的な代案を提出できない単なる反権威主義者という特徴が浮かび上がってくるのである。しょせんは小林氏も、戦後の反権威主義の流れの中の一つであったということである。