囲碁 エッセイ 1

 

イゴの先生

 大学生は先生のことを陰では本名で呼ぶことは少なくて、友達同士ではたいていあだ名で呼んでいるらしい。私はひところ「センスの先生」と呼ばれていたようです。「センスのいい先生」という意味かと思っていい気分になっていたら、夏になると扇子であおぎながら講義する変わった先生という意味でした。今の若い者から見ると、扇子というのは、かなり不思議なものに映るようです。扇子を使えない人も多いのです。扇子を持ったことのない人にすれば、あれをうまく使って扇ぐことは、案外むずかしいようです。箸の持ち方も正しくできない人が多くなっているのですから、扇子を使えなくても不思議ではありませんが。

 さて、私は最近はもっぱら「イゴの先生」と言われるようになってきました。「イゴ」というものも、彼女たちには遠い存在なので、「イゴの先生」となるとますます「変わり者の先生」という感じになるようです。

 私が「哲学」の授業で碁を教え始めて三年目になります。だいたい女子大の先生というだけで羨ましがる人がいる上に、「碁を教えてお給料がもらえるの ! 」とまるで果報者扱いですが、とんてもない普通の授業の三倍は疲れます。

 「囲碁の文化と歴史」という講義の部分は普通の講義と同じですが、実戦の指導のときはてんやわんやの連続です。何も知らない女子大生に碁を教えることがどんなに大変か、それも一度に百人規模に教えるのですから、一度でも他人に碁というものを教えた経験のある人なら、想像がつくことと思います。

 これが男子学生だったら、「碁が覚えられて単位がもらえる」といったら、人気抜群、受講者が殺到して「うれしい悲鳴 ! 」となるところですが、女子学生の場合には、その価値がわからないのか、反応が今一つなのです。彼女たちの頭の中で、「囲碁」とは何なのかというイメージがはっきりしていないのです。碁に対するすばらしいイメージや憧れを持っている人は、今どきの若い女性にはほとんどいません。よくて「碁については何も知らない」、悪くすると「オジイサンのもの」「ネクラで陰気」などというイメージを持っています。そのためか、ぜひとも覚えたいという動機が薄いので苦労させられます。

 そこで、最初の授業で私は、囲碁がどんなにすばらしいかというPRに努めます。「囲碁はブリリアントでエキサイティングなゲームだから若者にぴったり」だなどと英語を使ってナウイ感じを出したり、「上品な知的ゲームだから女性を内面から美しくする」などと女心をくすぐったり、「左脳と右脳の両方を使うので、頭がよくなる」などと、ありとあらゆる囲碁讃歌を並べたてます。

 碁を知っているとまわりから尊敬されるとか、もてるというと、もっと熱心にやってくれるのでしょうが、今どきの若者文化とやらの環境の中では、碁を知っていてもあまり自慢にならないので、どうも熱心にやってくれません。男の子なら友達同士ですぐに実戦をやって楽しむのですが、女子学生の場合にはそういうこともあまりしないらしい。二週間か三週間に一回程度の実戦では、分かるという所まで行くのに、たいへん時間がかかります。

 そこで私は、実戦をして勝ったら点数を二倍にする、勝った者同士が打って勝ったら、さらにその二倍にするという方式を導入してみました。そうすると確かに学生たちの目の色が違ってきて、皆必死です。この方式でやった年は、確かに上達度が早かった。しかしこの方式には欠陥のあることが分かりました。というのは、勝てる人はいいのですが、負けてばかりいる人がやる気をなくしてしまうことです。しかも負ける人が碁が分かっていないというわけでもないのです。

 初歩の段階では、石を取るか取られるかで勝負が決まってしまいます。石を取ることが好きな者が勝つ、それも多分に運に左右されるのです。面積を広く囲うことが上手な人がいても、石をくっつけられたら戦わざるをえない。すると部分戦がうまい者が勝ってしまうのです。そこで今年はまた、勝ち負けに関係なく、ただ打てばよいことにしました。それでも結構みな熱くなって、「負けてばかりで悔しい ! 」などと言っています。私が回っていって教えようとすると、次に取れそうな側が「先生 ! 教えちゃ駄目 ! 」と叫ぶことさえあります。

 こうしていろいろ苦労していますが、いちばん苦労するのが礼儀を教えることです。このごろの学生は「礼儀を守りなさい」と一言っても、礼儀とは何なのかよく分かっていないばかりか、礼儀というものがあるということさえ意識にない学生もいるしまつです。そのため、碁にはこれこれの礼儀があると前もって説明しておいても、ほとんど頭に入っていなくて、実際に打っているところを見ると誰も守っていません。誰もが、打つとすぐ反射的に石を持って、手をかざして考えています。取った石はその辺に散乱しています。

 ですから私は毎時問「石を手に持って考えてはいけない」「蓋は右側に置く ! 」「取った石は蓋の中に入れる ! 」など注意してばかりいます。きっと「せっかく夢中になって楽しんでいるのに、うるさい、いやな奴」くらいに思われているかもしれません。碁盤をヨコにして打っている人がかなりいます。「碁盤にはタテヨコがあるんだよ」と言うと、「そんなことで、いちいちうるさいなあ」という顔をされます。

 彼女たちが碁を習ってよかったと思えるのは、多分何年、いや何十年先のことになるかもしれません。今すぐ効用が現れるというものではないでしょう。しかし一度だけホノボノとした気持ちになったことがあります。一人の学生が九路盤をもって入院中の父を見舞い、碁の相手をしたと、ニコニコして話してくれました。まだ「ゴ」になっていない「四」か「三」の程度だったでしょうが、お父さんもうれしかったことと思います。レポートの最後に「早く父の相手ができるようになりたいと思います」と殊勝なことを書いている学生もいます。親子の対話に多少は貢献しているようです。私は定年まで「イゴの先生」と呼ばれ続けようと思っています。

( 『NHK囲碁講座』平成6年11月号)