囲碁 エッセイ 3

 

心理学的上達法

 

 私の性格は碁には、というより勝負事一般に向いていないようです。というのは、心が繊細だからというと聞こえがいいのですが、じつは心理的にひ弱だからです。すぐにアセってしまったり、勝ちたい気持ちが先走って打ちすぎだり、注意力が散漫になったりで、失着をしては負けてしまいます。ですから、「あなたの棋風は ? 」と聞かれると、私は「もろい碁です」と答えることにしています。これは謙遜でも何でもなく、本当にそうなのです。

 ポカが多く終盤がもろいというのは、私が大人になって三〇歳をすぎてから本で勉強して強くなったことと関係がありそうです。実戦の経験が少ないと、どうしても失着が多くなります。子供のころから実戦の中で碁を覚えた人というのは、なかなか粘り強いし、容易に崩れません。私の娘も、幼稚園のころから教えたので、自分で碁の勉強をしたことがないため布石は下手ですが、実戦に強くて、私もときどき大石を取られることがあります。

 終盤に逆転されるというのは悔しいものです。さんざん苦労して、営々として築きあげだ優勢が、たった一手の不注意によってひっくり返されるのですから、がっかりしてしまいます。しょっちゅうそういう目に会っているうちに、さすがにお人よしの私も、問題が心理面のもろさにあることに気づきました。だいたい黒番だと緩んで負けることが多いし、相手が自分より上手だと気負ってしまい、わざわざ馬鹿な手を打ったりします。

 心理学者を名乗っている者が心理的原因で失敗するのでは、「紺屋の白袴」「医者の不養生」と言われてもしかたありません。そこで私は自分の碁を心理学者の眼で観察することにしました。

 すると、心理的な失敗には、いくつかのパターンがあることに気づいたのです。まず、アセったり、ナメたり、怖がったり、というように感情が関係するときは、必ずといっていいほどに、その人のコンプレックスが関係しています。コンプレックスというのは劣等感コンプレックスだけでなく、その人が育った心理的環境によって、心の働き方が固定されてパターン化しているものです。たとえば第一子型の人は、真面目でハメをはずすことができず、失敗を恐れて萎縮しています。冒険ができないたちです。

 私が「強追的アセリ」と名づけた傾向を持っている人も第一子型の人に多くて、親の干渉が強かったために自信喪失型になっているのです。これは優勢な碁でポカをしたときにアセる「突発的なアセリ」とは違って、もっと根本的な、心の深いところに原困があるわけです。

 こういう心の癖は、たいてい本人には無意識になっている場合が多く、そのために余計に悪い作用をするのです。ですから、心理学的上達法と言っても、何か特効薬があるわけではなくて、悪い癖を直すには、まず自分の無意識の癖を意識化することが基本になります。自分のパターンを意識化しないでは、直しようがありません。

 こうして私は碁に悪い影響を与える心理をいくつかに分類して、それを意識化しやすいようにパターン化してみました。それが今度出版した、『囲碁の心理学的上達法』(三一書房)です。その中で、私は碁を打つときに陥りやすい心理を戒めるための「囲碁心理十訣」を作ってみました。これに照らしてみれば、自分の心理的な悪癖がどこにあるか、意識化しやすくなるという趣旨です。

 たとえば、その一「揺れ動く心は大敵、態度を決めよ」というのは、強気と弱気、積極的な攻めの気分と消極的な守りの心理というように、正反対の心理が同居している状態のときにいちばんポカが出やすいから、どちらかに態度を決めよという意味です。そういう悪い状態になるのは、たとえば「変わった手を打たれたとき」と「勝負手を打たれたとき」ですから、それぞれの私の実戦例によって、対策をイメージ・トレーニングしていただこうという趣旨です。

 そのほか、二「打ちたいところヘノビノビと」とか、三「乱暴にひるむな勇気 我にあり」などと続いて、最後は「勝ったと思うな、終わるまで」とあまりにも当たり前の格言で終わるのですが、これがじつは一番実行できないことは、皆さんも覚えがおありと思います。

 こんなふうに、語呂のいい格言を作って自らを諌めているのですが、いざ実戦が始まってしまうと、カッカとして忘れてしまい、気がつくと格言に反したことをやっては負けています。武宮さんがいい碁を最後にポカで失うことが続いて「碁はつまらないなあ」とぼやいたという記事を読んで、思わず共感し、かつ同情してしまいました。自分が「プロでなくてよかったなあ」とつくづくと思います。碁だけではありませんが、技術面ばかりに目を奪われないで、心理面という伏兵があることにも目を向ける必要がありそうです。

(『NHK囲碁講座』平成6年10月号)

(なお、『囲碁の心理学的上達法』は現在絶版ですが、近いうちにCD-ROMを作りたいと考えています。)