日本囲碁改革の根本問題

 

3 国際戦連敗の原因と対策

             (平成18年7月10日初出)

 ここ10年ばかり、日本囲碁界は国際戦において韓国と中国に負け続けている。これは日本囲碁界にとって自殺行為に等しい。

 韓国も中国も、スポーツ・文化・芸術、何であれ国をあげて対策を講じている国である。当然、勝てば国民は熱狂し、競技人口は増え、底辺が広がり、人材が集まり、その競技のレベルが上がり繁栄する。日本は負けることによって、皮肉なことに、韓国や中国の囲碁の繁栄に力を貸してきたのである。しかも、それを承知で、それが「良い」ことのように思ってきた関係者は多いのである。「日中友好」のかけ声を信じて、中国の囲碁のレベルアップに一生懸命に協力してきた棋士も多い。韓国の囲碁のレベルアップも日本で修業した棋士が中心になってなされてきた。今日の韓国囲碁の隆盛も、じつは日本のおかげなのである。

 今や力関係は逆転した感がある。いくら実力は遜色ないと負け惜しみを言っても、実績では大きく水をあけられているのは事実である。国際戦での優勝のほとんどを韓国に奪われている。

 その原因は実力の違いにあるのではない。第一線級の実力では日本の囲碁はまだまだ世界一だと思う。条件が同じならば、今回の野球と同様、なかなか負けるはずがないのである。負けるのは、第一にモチベーションの違いと、第二に条件の違いによる。

 第一のモチベーションの違いは段違いである。韓国や中国のナショナリズムは強烈であり、日本に勝ったとなれば英雄扱いで、あらゆる栄誉と称賛が与えられる。負ければ袋叩きにあいかねない雰囲気となるそうだ。国際戦で活躍すれば、兵役免除やそれに準ずる特典を与えられる。韓国人には「日本にだけは負けたくない」という気持が強烈であり、必死さが違う。日本に勝ったといえば、囲碁ファンばかりか、国中が熱狂する。日本に勝つために、向こうは日本の囲碁を必死になって共同研究している。

 それに対して日本の棋士は個人主義であり、自分の名誉と利益のために戦っている気持が強い(日本のためと思っている棋士もいるようだし、あくまでも韓国・中国と比較しての話だが)。日本の棋士が韓国の囲碁を研究し始めたのは最近のことである。かてて加えて、「国と国が争う時代じやない」「個人と個人の戦いだ」と公然と主張する棋士もいる。ナショナリズムを否定する雰囲気がかなり行き渡っている。加えて、日本企業がスポンサーになっている大会の賞金は多大であり、韓国や中国の選手の目の色が違う。

 さらに、日本囲碁界には今までの「大旦那」「殿様」気分が抜けきっていない。国際戦が始まった頃は、韓国や中国に対して「教えてやる」意識が強く、国際戦はエキジビションだという意識も残っていた。負けてもあまり悔しく感じないどころか、囲碁の世界普及にとって結構だ、くらいに感じていた時期もあった。(さすがに10年近く負け続けたので、今ではそんな悠長な気分の者はそうはいないだろうが。)

 したがって、第二の「条件の違い」に対しても、あまりうるさいことを言わずに、寛大に認めてしまう傾向があった。たとえば、アマの世界大会でも、中国の選手は明らかにプロ級の選手が出てきても、中国側が「アマ」だと言えば寛大に出場を認めて、結果は毎回のように中国が優勝する。というより、中国はプロ、アマを一緒にした段級位制度であり、つまりプロとアマの違いがない。向こうが「アマ」だと言えば、アマとして出場を認めざるをえなかった。トッププロになったジョウ・エイヘイ、ユイピン、チャン・ハオその他、多くの選手がアマ世界戦の優勝後に、プロの超一流として活躍した。それを承知で、日本は中国囲碁の普及と発展のためとして黙認してきた。

 また国際大会の条件も、持ち時間や日程が日本棋士には不利に設定されているが、それも認めてきた。とくに日本はタイトル戦が多く、一流棋士は過労ぎみなのに、タイトル戦が終わるとすぐに国際戦に駆けつけて、疲れを癒す暇もなく戦わされる。終わるとすぐにタイトル戦が待っている。加えて持ち時間が少ないので、後半のきわどい読み合いの中でミスをして負けることが多い。

 韓国の碁は「瞬発力の碁」である。瞬時の読みの力はすごい。接近戦や競り合いになると無類の力を発揮する。いわゆる「手が見える」。それは幼少時から鍛えているからである。それに比べると日本の棋士は、もちろんそれなりに訓練はしているのだろうが、やはり鍛え方が甘いのではないか。だから時間がなくなってくる終盤に間違えることが多くなる。加えて前半に工夫をこらす癖がついているので、必ずといっていいほどに後半で時間がなくなる。

 同じパターンになる(長考派だから終盤に秒読みになる)趙治勲十段は、その対策を日頃から考えていたようである。彼は暇さえあれば若手を相手に一手10秒の碁を打っていたことがある。瞬発力を鍛えていたのである。国際戦に出る棋士はそれくらいの必死さが必要とされる。

 話を、棋士の過労日程に戻そう。日本国内のタイトル戦が多いのに、一流棋士はすべてにエントリーする制度になっているので、勝ち進む棋士は皆、過労になる。しかし、国際戦を優遇する制度はなく、むしろ逆に国際戦は国内戦の暇をぬって参加する形となる。これでは、十分なコンディションのもとで戦っているとは言えないのである。しかし、そういうことを言うと、「言い訳」や「負け惜しみ」だとして一蹴される雰囲気があり、この問題はまともに議論さえされていない。

 たとえば、今回(2006年)の富士通杯世界選手権戦では一回戦で高尾紳路本因坊が負け、二回戦では山下敬吾棋聖、羽根直樹前棋聖、張栩名人、趙治勲十段という錚々たる超一流のエースが枕を並べて討ち死にし、結城聡九段一人しか残らなかった。その結城も準々決勝で苦杯をなめ、ベスト4に残れなかった。肝心の韓国の一流との対戦になると、最近では必ずこういう結果となる。次のLG杯でも、日本は早々に二回戦で全滅してしまった。(結果は韓国の21歳の新星・朴正祥が優勝した。韓国にはまだまだ彼に続く若手がたくさん育っている。)

 日本選手不振の原因はたくさんあるが、代表的な問題を挙げると、日本選手のコンディションに対して、日本棋院としてまったく配慮していないとしか言いようがないことを挙げなければならない。たとえば、山下敬吾棋聖と趙治勲十段は十段戦の挑戦手合いを戦っている、その苦しい日程をぬっての出場である。この日程は毎年ほぼ決まった時期になされるから、富士通杯とダブることは前々から分かっていた。

 具体的に言うと、十段戦の挑戦手合いの第3局が4月5日に行われ、第4局は4月13日に行われる(張栩名人も13日に高尾本因坊とのあいだに重要対局がある)。富士通杯の第一回戦は4月8日、第二回戦は4月10日に行われた。十段戦は地方で行われるので、移動日を前後一日ずつ見ておかなければならない。タイトル戦は一日または二日がかりで対局し、体力・頭脳の疲労は極限になる。疲労回復のために一週間は必要であり、そうでなければ十分なコンディションのもとに対局することは不可能である。一度走れば一ヶ月の休養と回復が必要だと言われるマラソンほどではないにしろ、鵜の毛ほどの隙も許されない注意力と集中力を(もちろん体力も)必要とする囲碁の対局のためには、移動日を除けば一日か二日の休養で次の重要対局を打てというのは、あまりにも無理な要求である。

 そもそも、タイトル戦を争っている者を、同時進行の世界戦に出すこと自体が、無茶苦茶、無理無体と言うべきである。苛酷な条件のもとでも泣き言を言わずに受けて立つのが一流選手のあかしだなどと関係者は言うが、それはスポンサーや関係者の利害にとって都合のいい屁理屈であり、本当に棋士のため、そして日本囲碁界のためを考えているとは絶対に言えない。

 対して、韓国や中国の選手たちは、国際戦を最重要と位置づけ、日程の調整からコンディション作り、国民的規模の熱狂的応援に後押しされている。また韓国や中国では若手が出場する機会が多く、早くから国際戦の舞台の経験を積むことができる。

 日本の場合にはヴェテランと若手のあいだに差があり、国内予選をするとタイトル保持者が勝ってしまい、一流が苛酷な日程を押しつけられるのに対して、なかなか若手に出場のチャンスがめぐってこない。とくに三大タイトル保持者はシードされることが多い。それはスポンサーが有名なタイトル保持者の出場を希望するからであろう。それに抗して、シード権の廃止といった思い切った決断をする勇気とリーダーシップを取る者がいない。

 またファンの中には「タイトル保持者の碁が見たい」などと言う者もいる。そういう者は本当は碁が分かっていないのである。最後に疲れたり集中力を欠いて負ける碁を見て、どこが面白いのか。タイトル保持者の碁が見たければ、国内でいくらでもやっているではないか。不十分な条件で打たされる内容の悪い碁など見たくないというのが、本当のファンというものであろう。

 国際戦は持ち時間が短いし、日程的にも短期集中である。一日おきか、毎日打たされる。若さと体力と集中力が物を言う。日本の棋士は持ち時間や環境・待遇において優遇されることに慣れているので、過酷な条件の中で勝負するとどうしても実力を発揮できない場合が多くなる。

 そのことに関連して、ここに無視できないデータがある。タイトル保持者の勝率が極端に低い。インターネットの「囲碁データベース」の中にある「日刊囲碁」によれば、三大タイトル獲得後の国際棋戦成績は以下のとおり。

  高尾紳路・本因坊獲得後6連敗、

  羽根直樹・棋聖獲得後11連敗、

  張栩・本因坊獲得後2勝1敗、

  山下敬吾・棋聖獲得後4連敗、

  依田紀基・名人獲得後5連敗

 例外は張栩のみ。あとは皆、全敗である。これでは、三大タイトル保持者は負けるために出場しているようなものである。本人の気持ちとしては、大タイトルを取って(防衛して)満足してしまい、またその疲れが出て、どうしても「やる気」が落ちてしうのは無理もない。主催者の側はビッグネームがほしい。だからタイトル保持者をシードして出場を確保する。そして負ける。この繰り返しである。中国や韓国は「日本のトップを負かした」といって無邪気に喜び、意気が上がる。これを毎年繰り返しているのである。国際戦というのは、韓国と中国のためにあるようなものである。

 その問題を解決するためには、タイトル保持者のシード制を廃止することである。代わりに、体力も集中力もある、早碁に強い若手を出して、早くから場慣れさせることも必要ではないか。

 棋戦の多すぎる日本の場合には、エントリー制をとって、出場を調整する制度を作るべきである。タイトル保持者を自動的に出場させる制度を改革しなければならない。そんな簡単なことさえも改革できないで、日本棋院は惰性で運営されている。

 その改革を自発的に実行したのが依田紀基碁聖である。彼は国際戦のエース格であるが、一時国際戦に不出場を宣言し、実行した。最近、余裕ができたので、先日の国際団体戦で主将として出場し、見事三人抜きで日本に久々の優勝をもたらした。依田氏は制度の不備を個人的な意思を通すという形で調整し、結果を出した例と言える。彼の勇気ある行動と結果から、日本棋院と囲碁関係者は教訓を学び取り、制度的な改革を断行すべきである。

 一口で言えば、日本囲碁界は無為無策、思い切った改善策を打ち出すことができないまま、旧態依然の体制とやり方を踏襲しているだけである。これではますます韓国と中国の後塵を拝するという屈辱が続くであろう。屈辱さえ感じないのではないかと疑いたくなる。イチローの「屈辱」発言と、むきだしの闘志に是非とも学んでもらいたいものである。次回から、いかなる改革が日本囲碁界に必要かについて、論じていきたい。

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