日本囲碁改革の根本問題

 

4 ギルドとしての日本棋院

             (平成18年8月2日初出)

 日本囲碁界の改革が進まない根本原因は、日本棋院の組織原理そのものの中にある。

 日本棋院は本質的に中世のギルド組織であり、身分制度である。

 ギルドとは、西欧中世都市の商人や手工業者の同業組合で、同業者の利益保持、相互扶助、技術水準の維持、市場の独占を目的としていた。単なる利益擁護集団ではなく、自己の技術に対する誇りや、倫理性の維持、社会への貢献をも目的としていた。ただし、次第に堕落していき、自分たちの独占的利益を守るために自由市場に反対したり、厳格な封建的身分制度によって親方の独裁による風通しの悪さ等の弊害も生ずるようになった。

 日本棋院は中世のギルド制度と同様に、入段試験という一種の親方試験に合格した資格者によって構成される。試験に合格すれば、棋士としての身分が保証される。ギルドの場合は構成員である親方層によって生産と販売が独占され、自治権も親方によって独占されていた。日本棋院の場合も「棋士」という特権的な身分をもつ構成員のあいだで役員は選挙で選ばれるという一見民主的な「自治」の原理を持っているが、それはギルドにおいてすでに実現していた原理である。しかし、対外的には閉鎖的独占的であり、排外的身分制度をもつことは明らかである。入段以後、どんなに成績が悪くとも、棋士としての身分ははく奪されず、「お稽古」の「先生」として、それなりの収入が期待できる。入段できなかった「アマチュア」は、いかに強くても、教え方が上手でも、「プロ」ほどの稽古料をもらえないのが普通である。

 棋士の中でも身分の違いがあり、段位によって権利や収益が格段に違っていた。「稽古料」も違うし、手合い料も違っていた。棋戦への参加資格も、低段者はトーナメントの一番下から出場するが、高段者は上の方から出発することができる。例えば、9段より強い初段がいたとしても、9段と並んで出場することはできなかった。前期にどんなに良い成績を残しても、次の期にはまた最低のランクから出直さなければならなかった。対局料も初段と9段では格段の差があった。

 最近の故・加藤正夫理事長がリーダーシップをとった改革によって、「稽古料」も段位に関係なく一律となったし、前期に良い成績を残した者は、次の期には上の方から出発することができるようになった。こんな簡単な、きわめて常識的な改革でさえも、なかなかできなかったのである。ギルド的身分制がいかに桎梏になっていたかが分かる。

 要するに、日本棋院は集団的身分保証制度であり、外に対しては閉鎖的な利益確保の特権的身分集団を形成していると同時に、内部においても階層的な身分制度によって成り立ってきたのである。

 ここで、日本棋院が中世的ギルドであると言い切ってしまってもよいのかという疑問が生ずると思われる。日本棋院が中世のギルドと同じ原理に立っているという私の見方に対して、「江戸時代の家元制度をギルドというなら話は分かるが、近代化した現代の日本棋院をギルドと言うのは見当違いではないか」という反論が予想される。そこで、江戸時代の家元制度と現代の日本棋院のどちらがよりギルドに近いかを比較検討してみたいと思う。

 江戸時代には本因坊家、安田家、井上家、林家の四つの家元があり、その元には徒弟としての住み込みの弟子がいて、その当主が家元であった。四人の家元の中から、人格・技量ともに優れた者が最高位の「名人・碁所」に付くという仕組みである。

 四家元は幕府から俸禄をもらい、地位・身分を保証された。この点に、ヨーロッパ中世ギルドとの決定的な違いが見られる。ヨーロッパのギルドは高い技術と生産力を持ち、製品を遠隔地貿易に当て、あるいは周辺の都市や農村に売って、高い収益を得ていた。その財力をバックに領主に貢納を収め、領主から相対的独立を克ち得ていた。江戸時代後期の商人たちの集団もそれに近い実力を蓄えるものもいた。堺市はその典型である。

 それに比べると、日本の囲碁の家元制度は大きく異なる。彼等は幕府から身分上も財政上も完全に支配管理されており、自由と独立性はまったく持っていなかった。もちろん独自の収入体系も持っていなかった。とうてい中世都市のギルドとは言えないのである。

 さて、現代の日本棋院はどうであろうか。もちろん中世ギルドそのままであるはずはない。なによりも収入の面では、特定・不特定の大衆を対象にしており、大衆資本主義を背景にした収益形態を持つのは当然である。しかしこれまでは特定の大企業の寄付に頼る体質があり、棋戦の運用などで、スポンサーの意向を無視できない弱みがあった。また、すでに述べた組織の中の身分制、等々の問題点がある。これは徐々に改善の方向に向かっていくのかもしれないが、いまだ中世ギルドと原理的に同じ問題点をかかえていると言わざるをえない。

 日本棋院がこのギルドであるという性格を持っているために、少なくとも色濃く残していたために、かずかずの弊害と腐敗が生じた。

 第一の弊害は権威主義と特権である。

 囲碁に関することはすべて日本棋院が権威を持っており、日本棋院はプロ棋士が支配運営している。理事はプロ棋士によって構成され、理事長は例外を除いて外部の政財界の有力者に頼むが、それは内部的には名誉職であると同時に、対外的にはスポンサーや寄付集めの役に立つ。棋士が総務・財政から渉外、編集、事業など、すべてを取り仕切る。当然、棋士は囲碁の技術面以外は素人である。素人集団が支配運営し、その下に職員がいる。

 その利権は膨大なものであり、理事になると経済的にたいへん潤うそうである。棋士の権威は絶大であり、囲碁に関してプロ以外の者が口出しすることを極度に嫌う体質があり、同じ利益集団のため意見が狭く偏る傾向にある。

 第二の弊害はレッスンプロの利益集団の圧力。プロ棋士は大きく二つの集団に別れている。一つはトーナメントプロと、その予備軍から成る集団。これは実力を頼りに手合い料や賞金によって生活している。いま一つはレッスンプロの集団。これはトーナメントではあまり勝てず(したがってあまり稼げない)棋士たちで、多くを「お稽古」による収入によって生活している。もちろんこの区別は截然と別れているわけではなく、中間の棋士も多い。レッスンプロは「普及活動」と称して囲碁教室を経営したり、日本棋院の支部を作って運営したりしている。プロの棋士はいくら弱くとも、日本棋院棋士という権威に頼れるので断然有利である。

 それに対して、レッスンアマとでも呼ぶべき人たちがいるが、彼等はどんなに強くても、また教え方が上手でも、プロほどの「お手当」はもらえない。囲碁の世界では、プロの権威主義は絶大なのである。もちろんどの世界でもプロの権威は大きいが、とくに囲碁の世界ではプロの権威主義が普及にマイナスに働いている場合も少なくない。長いあいだ培われてきたプロの権威主義が普及にどれだけマイナスになっているかについては、六で述べる。

 第三の弊害は放漫経営である。健全財政を維持しなければならないという意識がなく、いろいろな集団が日本棋院に寄生してきた。新聞棋戦ひとつあれば、予選から挑戦手合いまで、棋士たちの手に多くの手合い料が入る。三大タイトル戦ともなると一大イベントで、地方に遠征し、2日制だから当然旅館やホテルは貸し切りとなる。その陣容は、両対局者の他に、立ち会いの棋士、新聞解説者、衛星放送解説者、聞き手、記録係二人。その他、各種の観戦記を書く記者やライターたち、新聞社のスタッフ、職員もさまざまな形で利益にあずかってきた。これらの投資は、関係者たちの利益にはなっても、日本棋院の経営の健全化には役立てられなかった。その結果、膨大な赤字が生じた。経済界からの多額の寄付によって、埋め合わせてきたが、不景気とともにその不健全さが露呈し、財政が破綻したのである。故加藤正夫理事長のもとで、プロの財務担当者を入れ、財政の健全化がはかられ、今はかなり好転しているらしい。

 第四の弊害は内部身分の固定化による若手の伸び悩み。最大の弊害は、トーナメントの運用が高段者にあまりにも有利になっていたことである。低段者は、どんなに実力があっても、新年度はまた低段予選から出直さなければならない。弱い者と何度も打たされる。競り合った実力の者同士が、つばぜり合いをして切磋琢磨する機会が減ってしまう。つまり伸び盛りの若者が時間の無駄とエネルギーの無駄をえんえんとやっていたのである。

 しかも昇段制度が形式的であり、一定の点数に達するまでは、どんなに実力があっても昇段できない仕組みであった。既得権を持つ年配者や高段者に有利になっており、有望な若者を育てるという観点が希薄であった。これらはギルド制度の弊害の最たるものである。

 加藤改革によって昇段制度は大幅に合理化された。実力に見合ったものに近付いた。しかし他方では、どんなに時間が経とうが、一定の勝数が蓄積されれば自動的に昇段するという、不可解な新制度が付加された。これは実力がなくて昇段ができない、万年初段、万年2段といった、いわゆるレッスンプロの利害を考えざるをえなかった結果であろう。初めに入段してしまえば、いかに実力がなくても一生面倒を見なければならないという、ギルド的な身分集団の宿命であろう。

 第五は棋士養成と強化策の欠如である。日本棋院とは要するにギルドであるから、すでに成員となった棋士たちの利益擁護集団であり、これから育つべき未来の棋士の養成と、入団した若手棋士の実力を強化する体制が、組織として欠如する結果になった。個人の篤志家に頼るしかない現状である。この問題は日本囲碁の将来にとって最重要なので、次回で詳しく論ずる。

 第六は囲碁人口を増やす対策、つまり真の意味での「普及」の無策である。この問題は日本囲碁の将来にとってきわめて重要なので、次々回で詳しく論ずる。

 結論。これらの弊害や欠陥は、根本的には日本棋院がギルド制度の性格を色濃く持っていることから生じている。日本棋院が棋士たちの生活上の利益追求集団であるという性格を基本にしているかぎり、日本囲碁の将来に責任を持っているという意識は希薄にならざるをえない。個々の篤志家を除くと、組織を挙げて取り組む課題にはなりにくい。組織そのものが、長期的見通しとか、日本囲碁のためといった抽象的な目的を追求する原理になっていないからである。その欠陥を改めるためには、日本棋院を改革して近代化し、プロ棋士だけでなく、広く人材を求めて、大所高所から問題を捉えて考え実行する組織に変えなければならない。日本棋院の解体・再編こそが今求められているのである。

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