日本囲碁改革の根本問題

 

6 入門・普及の方法論欠如

             (平成18年11月23日初出)

 日本の囲碁人口は着実に減少している。1990年代には700万人と推計されていたのに、昨年は350万人である。周りに碁を打つ人が少なくなっていることは、ここ何10年も、ひしひしと感じられる。

 ある国の、ある分野での技術水準は、底辺の広さによって大きく左右される。これは乱暴な因果関係を主張していると思われるかもしれないし、証明するのは難しいが、経験的には広く認められている法則である。野球がいい例で、人口が多いほど良い選手は高く評価され、収入が多く、経済効果も大きく、技術水準も自然と高くなる。

 その分野の将来性は、子供にどれだけ人気があるかを見れば、大きな傾向がわかる。その点、韓国や中国に比べると、我が国の囲碁の将来性はお先真っ暗である。

 たしかに一時、子供たちのあいだに『ヒカルの碁』がブームとなり、碁を習おうとする子供が増えた。しかしそれも所詮、一時的・表面的な現象にすぎず、カンフル注射程度の意味しか持てないであろう。なぜなら日本棋院には、そうしたチャンスを生かすための方法論も体制も存在していないからである。

 この『ヒカルの碁』ブームによって、いったい何割の子供が碁を打てるようになったであろうか。統計がないのでわからないが、多く見積もってもせいぜい一割程度ではなかろうか。韓国では人口の半分が碁を打つそうだが、子供の場合も半分が碁を打てるようになれば、喜んでもよい。

 しかし、実際には、放っておいても自分たちで覚えてしまうくらいに優秀な子供たちのあいだに広まっただけで、普通の子供たちの間には広まっていないのである。つまり囲碁人口の裾野を広げる意味を持つほどの規模では決してないのである。それでも、子供を対象にしたイベントを企画すると、今までにない規模の子供たちが集まるので、関係者は感激するし、それなりに成功だと評価される。しかしそれは錯覚であり、本当の意味での将来に向けたうねりになっているとは言えないのである。

 囲碁人口を飛躍的に伸ばすには、自分だけではできるようにならない層にまで浸透する作戦を取らなければならない。「子供は放っておいても、自分たちでがむしゃらにやっているうちにできるようになる」というのは、嘘である。それは頭のよい優秀な子供について言えるだけであり、大部分の平均的な子供たちについては、大人同様に、かなりきめこまかな、体系的な教え方の方法論が必要なのである。そうした教え方の方法論と、その方法を体得した指導者層がいて初めて、子供たちのあいだに囲碁ブームが起きたときに対応し、大量の子供たちを囲碁人口化することができるのである。

 そうした方法論も体制も持っていない日本棋院は、『ヒカルの碁』ブームの絶好のチャンスを、囲碁人口を決定的に増やすという意味ではほとんど何もしないまま見送ってしまったと言わざるをえない。

 子供たちのあいだに碁を広めるというのは、そんな生易しい簡単なことではないのである。よく「子供たちに碁を広めるためには、学校の正課に取り入れてもらえばよい」と言う人がいる。それで解決すると思っている人は、じつは何も分かっていないのである。

 もし小中学校の正課に囲碁が取り入れられたとしても、それはただちに失敗するであろう。なぜなら、そのための条件が何一つそろっていないからである。

 条件の第一は教え方の方法論の確立である。平均的な頭脳を持った子供に対しては、普通の大人に対するのと同様に、教える順番などについてよく工夫された体系的な教授法が確立されていなければならない。全国一律に、「これなら誰が教えても碁が打てるようにさせることができる」という「囲碁教授カリキュラム」を作らなければならない。それなくして、ただやみくもにルールを教えていきなり実戦をやらせても、大部分の子供はすぐに興味を失ってしまうであろう。あるいはポンヌキゲームを教えると興味は示すが、それから本物の碁にはつながらないのである。

 条件の第二は、上の教授法を身につけたスタッフを確保することである。これは子供5人ないし10人に対して一人必要である。それくらいの人数ならば、ボランティアとして募集しても、確保することは可能である。しかし問題は、それらすべての人たちに対して、一律の方法論を予め教えておかなければならない点である。クラスの中で、人によって教え方が違うのでは、子供を混乱させるばかりである。

 この二つの条件ともに、今の日本棋院が続くかぎり、実現することは不可能である。とくに第一の教授法については、それをやらなければならないという問題意識も能力もないと言わざるをえない。

 ここで、私の成功例を述べる。これは決して自慢するためではなく、こうすれば成功するという実例を示すためである。

 私はまず「林メソッド」と名づけたカリキュラムとテキストを作った。この方法は「石を取る」と「地を囲う」という二つの原理のうち、「地を囲う」原理を先に教え、それだけで碁を打つことを可能にした画期的なものであった。そのあとで、「石を取る」原理と結びつけていくのである。これによれば、「碁とは何か」「どうなれば勝負がつくか」がすぐにわかり、今までのように延々といろいろなことを教わった末にやっと「碁とは何か」が分かるというもどかしさから解放されたのである。

 この「林メソッド」がいかに有効であるかは、私の囲碁授業の実践の中で証明された。私は東京女子大学において、正規の授業の中に囲碁を教える授業を置き(一年間で4単位もらえる)、この授業は私の定年まで13年続いた。13年も続くということは前代未聞、他に例を見ない。やってみた人なら分かるが、「どうしたらそんなことが可能なのか」と驚くほどの不可能事なのである。

 私の他にも、囲碁授業を始めた人は多いが、3年と続いた人はいない。生徒が集まらなくなるか、指導者が疲れはてたり、いやになってやめてしまうからである。一時、『週間碁』などで、高校の校長や先生たちが熱心に囲碁授業を立ち上げたと紹介されたが、それがその後どうなっているかは紹介されたためしがない。じつはみんな「消滅」しているのである。

 いずれの囲碁授業も「消滅」しているのに、私の授業だけ、なぜそんなに続いたのであろうか。それは私の授業が「分かる」授業だったからである。「分かる」「面白い」という評判は次の学年に引き継がれる。すると次の学年の受講生が増える。逆に「分からない」「面白くない」という評判が立てば、次の学年の受講生は減る。3年目には二、三人になってしまう。それでは授業として成り立たないので、取りやめになってしまう。囲碁授業というものは、熱意だけでは維持できないのである。正しい方法論と、確実に分からせる体制が必要なのである。

 この「体制」という点で、私が成功と言える結果を出せたのは、協力者に恵まれたからである。私はボランティアを募り、私の方法論を理解していただいた上で、学生の5人ないし10人のクラスを任せるという方法を取った。これが学生のあいだでもたいへん評判がよく、毎年100人以上が受講する人気授業となった。(断っておくが、この授業決して楽に単位の取れる授業ではなく、毎回小テストを受けて一定の棋力に到達することはもちろん、「囲碁の文化と歴史」についてレポートも書かなければならない。)

 こうした肝心の点について、正しい指導をするのが日本棋院の役目である。しかし、これまで日本棋院がしてきたことといえば、当該の学校に、(その地方出身の)プロ棋士を一日だけ派遣することくらいである。しかしその棋士は教え方について研究しているとか、方法論について考えているとは限らない。プロがくれば、アマチュアは感激してくれるだろう、と思い込んでいるだけである。しかし初心者にとっては、プロが一日だけ来てもあまり役に立たないのである。そのプロ棋士が報酬をもらうだけ。まさに利益分配集団としてのギルドの本質が現れただけであり、現場で苦労しているアマの指導者たちを助けることにはなっていない。

 たしかに、近頃ではプロ棋士の中には、入門指導法を工夫して、自分の教室で成果を挙げている例も出てきている。しかし、そういう成功例が個人的に出ているということは、日本の囲碁界にとって、さして重大なことではない。まさにギルド構成員が自分の才覚で上手に教室運営をして収益を上げているにすぎない。大切なのは、全国的・組織的に方法論と体制を確立できるか否かという点である。この点において、日本はほとんどゼロに近いが、その責任は日本棋院にあると言わざるをえない。

 この度、またまた鳴り物入りで「囲碁授業」が始められた。東大で囲碁を教えることを目的とした授業が発足して、2年目になる。半年で2単位がもらえるそうである。この授業、じつは日本棋院が東大に頼みこんで、千八百万円もの大金を出して置かせてもらったものである。それだけの大金があれば、もっと小中学生への入門普及のために有効に使う手だてがあるはずである。派手なイベントをやって宣伝するという感覚では、本当に実のある囲碁人口増加作戦は不可能であろう。広告塔を立てるような感覚も必要だろうが、もっと地道に実効性のあるやり方を、方法論的組織的に考えていかなければならない。

 結論。プロ棋士が「普及」と言っているのは、すでに碁を知っているファンへのサービス活動(それも必要なことはもちろんだが)か、お稽古料稼ぎでしかない。本当の普及とは、囲碁を知らない人たちへの入門指導、それもきちんと19路盤で打てるところまで教えることである。

 そのためには全国統一の教授法とテキスト(カリキュラム)を作り、それに基づいて講師陣を組織化し、教授法を体得させることである。すなわち、各地を回ってボランティアに教え方を教える「教授法の教師」陣を準備しなければならない。そのような準備をした上で、全国の各学校で課外授業として囲碁を取り入れ、成果と実績を挙げていく。そうした活動が前もって存在していて初めて、小中学校への正規の囲碁授業の導入も可能となる。このような大掛かりなことは、日本棋院にしかできないことであるが、今の日本棋院ではたしてできるのだろうか。

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