著書『囲碁心理の謎を解く』(文春新書)紹介

       「前書き」と各章の概要

「まえがき」より

 かねてより私は囲碁を文化現象として捉え、その文化 史的な面の研究をしてきた。また大学の授業でも「囲碁の文化と歴史」という 科目を十年前に新設し、その中で囲碁そのものを打てるようにすると同時に、 その文化的な面をも教えるという試みをしてきた。幸いこの授業は継続して人 気があり、最近では毎年百五十人が受講している。秋の学園祭には、受講生が 外来者と碁を打つ「囲碁100面打ち」の企画が恒例となり、学園祭の中では 最も賑わう企画になっている。

 この授業で囲碁の文化史を解説する中で、私自身分からないことが 増えていった。たとえば、「尖」をなぜコスミと読むのか、「門」をなぜゲタ と読むのか。また一一九二年に書かれたとされる玄尊の『囲碁式』は本当に一 一九二年の作品なのか。その内容を解明した人はいないのか。あるいは江戸囲 碁川柳がたくさん知られているが、意味が分からないものが多い。どうやらそ の意味は誰も解明していないようだ。

 大学の授業として講義するとなると、こういった囲碁史上の謎の部 分を「知らない」といってすますわけにはいかない。いやしくも学問に携わっ ているかぎり、「分からない」ことを放っておけない性分になっている。そこ でその謎について少しずつ探っていくうちに、思いもかけず謎が解けて興奮す ることを再三ならず体験し、これを囲碁愛好家の皆さんにも味わってほしいと 思うようになった。

 『囲碁式』の現代語訳を作ったり、江戸川柳について調べたりする のはなかなかの苦労であったが、謎が解けたときの快感と喜びは一入(ひとし お)であった。この謎解きの面白さとすっきり感とを、できれば多くの皆さん にも共有していただきたいと思った。

 したがって、本書は囲碁の歴史や文化についての網羅的な解説書で はない。いわば重点的に謎の部分に挑戦した開拓的な研究書とでも言うべきも のである。とはいえ、分かりやすく、読みやすくをモットーにしたので、肩の 凝らない読み物になっていると思う。緊張した勝負のあいまにお茶やコーヒー を飲むような気分で、気楽に楽しんでいただければ幸いである。

 

 各章の概要

一 囲碁の効用は?

 『ヒカルの碁』などの囲碁マンガを紹介しながら、囲碁のどこが面 白いのか、また本当に頭がよくなるのかなどについて、最近の脳科学の成果を 取り入れながら論じている。

 

二 棋士の心理を解き明かす

 囲碁の対局に現れるさまざまな心理を、無意識心理学の視点から明 らかにしたものである。「着想型と現実型」「右脳と左脳」「自信と劣等感」 「感情とコンプレックス」などが、碁の打ち方に強く影響していることを明ら かにした。とくに囲碁において右脳と左脳の両方をバランスよく使うことにつ いては、このごろでこそ人口に膾炙(かいしゃ)しているが、多分私が初めて体 系的に指摘したものである。これは平成5年に『週刊碁』に22回にわたって 連載されたものを、書き下ろしの形に書き直したものである。連載の当時から 人気が高く、反響も大きかった。

 

三 碁好きの式部と少納言

 清少納言と紫式部の文章は高校で習うので、たいていの人は読んだ ことがあるはずだが、この二人の才女が囲碁を打てた、しかもかなりの腕前で あったことを知る人はあまりいない。囲碁を打つ人でも、そのことを知ってい る人は少ない。

 『枕草子』と『源氏物語』の囲碁が出てくる文章を分析して、彼女 らの棋風から棋力までを推理してみた。清少納言が囲碁用語を使って恋人たち の親密度を表現していたという面白いエピソードも出てくる。

 

四 囲碁史の謎に迫る

 鎌倉時代の最初期の、名人玄尊による『囲碁式』なる文章は、碁を 打つときの心得について書かれているが、今まで誰も現代語訳を試みたことが なく、その内容は知られていなかった。この現代語訳に挑戦し、その内容を解 明してみたところ、囲碁史の大きな変遷とともに、いろいろな文化史的な問題 が浮かび上がってきた。

 たとえば、日本式計算法は古代中国でなされていたとか、いつどの ような理由で先番が白から黒に転換したのか、またなぜ「尖」を「コスミ」 と、「持」を「セキ」と、「門」を「ゲタ」とか「ハカス」と読むのかという、 用語の謎も解明できた。この研究を通じて、囲碁が日本独特の文化になってい く過程を浮き彫りにできた。

 

五 江戸囲碁川柳の謎解きに挑戦

 江戸の囲碁川柳には傑作が多く味わい深い。ただし解説をしないと 分からないものも多い。

 そこで私は「囲碁心理を詠んだ句」「所作の面白さ、碁狂(ごきち )ぶりを詠んだ句」「職業人を詠んだ句」「風俗・世情が詠みこまれた句」 「故事来歴・史実をふまえた句」などに分類し、解説を加えた。

 とくに当時の風俗・生活習慣に関わる部分は現代とは大きく異なっ ているので、それなりの解明が必要になる。また日本史や中国史をふまえてい るものについても解説した。

 

 以上が概要であるが、各章は独立しているので、興味を感ずるとこ ろから読んでいただきたい。

 

「あとがき」より

 本の題名を内容に即したものにするなら、『囲碁の心理と文化の謎 を解く』とすべきが、それだとあまりに長くなるので、表記のようにした。読 者の皆さんのご理解を御願いしたい。

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