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9 警告・ジェンダーフリー教育の害毒(注1)

 

 男女混合名簿が急速な広がりを見せている。県や市町村の教育委員会が率先して指導している例も少なくない(注2)。

 ジェンダーチェックと称して、男女で区別することを、なんでも槍玉に挙げる。体育着やランドセルを同じ色にせよ、体育の時間も男女混合にせよ、端午の節句や雛祭りも差別だと主張される。

 こうした男女無区別主義は恐ろしい弊害を生む危険がある。男女の区別をしないと、子供たちのアイデンティティーが健全に作られない、つまり自我が正常に発達しないからである。

 アイデンティティーとは、「自分が自分らしいと思えばよい」というような簡単なものではない。いくつもの層から成り立っている複雑なものである。

 たとえば、家族の一員だという帰属感。また自分は男なのか女なのか、どちらなのかという帰属感。そのほかにも日本人という帰属感。故郷や学校や会社への帰属感など、多くの帰属感の累積によってアイデンティティーが形成される。もちろんそれらの中心には、自分とはこういう人間だという確信があり、それも大切である。

 こういう同心円的な層をなす帰属感の集まりが、アイデンティティーの本質である。

 中でも、自分は男または女だという自己意識はアイデンティティーの基礎であり、たいへん重要である。

 これが揺らいで定まらないと、性同一性障害(注3)に陥るばかりでなく、自我そのものが健全に形成されない恐れが出てくる。

 子供は三歳くらいから始まって思春期までには、自分が男または女の特性を持っていることを意識的に確信し、それなりの行動基準が確立されていなければならない。

 さもないと、価値観や考え方の面で自分に自信が持てず、無気力や閉じこもりの原因になりかねない。さらに、異性との関係がうまく作れないとか、セックスがうまくできないとか、同性愛に傾くとか、要するに生物として子孫を残すために必要な行動に支障が出るおそれがある。予想される障害は多岐にわたり、深刻である。

 このままジェンダーフリー教育が広まると、五年後十年後には青少年の心の病が急増する恐れがある。

 それを防ぐためには、男女の区別を科学的に正しく教え、その上で両性の分業と協力の正しいあり方について考えさせる教育が必要である。

 男女の区別を正しく意識させることはむしろ必要であり、混合名簿などのまぜこぜ教育はきわめて危険である。

 男らしさと女らしさは社会的・文化的に作られたものではなく、生まれつきのものだということは、いまや脳科学によって証明済みである(注4)。

 この生まれつきの男らしさ・女らしさを自由に出すことが妨げられると、心は不当なストレスにさらされる。必ず悪い影響が出るであろう。

 男女の違いを否定する教育は、子供たちの心に不自然なひずみを与える危険な暴挙と言わざるをえない。

 ジェンダーフリー教育は、愚かを通り越して、子供たちの心の成長を阻害する犯罪と言うべきである。

 

(注1) 本稿は「ジェンダーフリーの害毒」のタイトルで『産経新聞』平成14年5月6日付の教育面「解答乱麻」欄に掲載されたものである。新聞では紙面の都合で短いタイトルになったが、論じたいのは「ジェンダーフリー教育の害毒」である。ここに収録するにあたって、注1から4を付けた。

 

(注2) 男女混合名簿の実施状況

 東京都教育庁指導部指導企画課が平成13年8月現在に行った調査では、実施率の高い8府県は次のとおり。

校種  栃木 福井 長野 静岡 滋賀 大阪 鳥取 島根

小   86.0 94.1 100 100 97.4 73.8 98.2 99.0

中   64.0 41.5 99.5 100 77.8 63.6 36.7 95,6

高   無答 20.5 100 100 84.9 41.4 100  96.5

養護  無答 53.6 100 100 100 未調査 100 未調査

 

 見られるように、静岡県は百パーセント、長野県も百パーセントに近い。東京都は百パーセントを目指しているそうである。石原都知事はどう考えているのか聞きたいところである。

 

(注3) 「性同一性障害」と呼ばれているものには二種類があり、一つは先天的なもの、いま一つは後天的すなわち心理的な原因によるものである。

 前者は胎児のときに逆のホルモンを浴びてしまったことから生じると考えられている。たとえば、男児が女性ホルモンを浴びると、体は男性だが脳が女性化してしまう。体の外形は男性だが女脳を持って生まれてしまうのである。

 しかしここで問題にしているのは、後者の心理的な原因から生じる性同一性障害である。これはたとえば女児がマイナスのマザーコンプレックスを持っているなどのために、女性に同一化できないで男性に同一化したいと思ってしまう場合である。

 もちろんコンプレックスのためばかりでなく、無理な教育によって自分の性に同一化できなくなった場合にも、同じ障害が現われる危険がある。

 

(注4) ここで「男らしさと女らしさは社会的・文化的に作られたものではなく、生まれつきのものだ」と書いたのは、紙面の制限による舌足らずであり、正確ではない。正確には、「男らしさと女らしさは、生まれつきの違いを基礎にして、社会的・文化的に着色されたもの」と言うべきである。

 一口に「ジェンダー」と言われているものも、すべてが社会的文化的に生じたものではなく、もとには生得的な違いがあり、その違いが具体的には社会的文化的な形を取るのである。

 そもそも「ジェンダーフリー」という言葉は、男女の性差がすべて後天的なものだという理解に基づき、その性差をすべてなくす(フリーになる)べしという考え方から出た言葉である。この言葉自体が間違っているということを、まず認識していかなければならない。

 

 

男女混合名簿100%は思想統制の現われ(平成14年6月1日に加筆)

 

 男女混合名簿の実施率が長野県と静岡県で100パーセントという数字を見て、いかにも不自然だとは感じていた。100パーセントという数字は、かなり強い強制が働かないかぎり不可能である。これは県の教育委員会が権力を使って強要していることを意味しているのではないか。

 そう思っていた矢先、長野県の一教員から以下のような手紙をいただいた。たいへん重要な内容なので、ご本人の承諾を得て、一部を引用したい。

 

 「私の見るところ(アンケートをとったわけではありませんが)、長野県でも男女混合名簿に賛成している先生は、10%いるかいないかにすぎません。30%くらいは内心反対なのです。残りの60%は、主張を持たないか、日和見を決め込んでいるのです。長野県における男女混合名簿が100%なのは、ひとえに県の教育委員会が強力にそれを推進(いや強制)しているからです。主幹主事(旧管理主事)が、学校に指導要録をみにきては、男女混合名簿を強要しているからです。」

 「教育委員会が強力に推進し、校長が職員に「そうしろ」と言い、教育事務所の同和人権関係の指導主事がさらに、これに加勢しているので、逆らえない状況にあるだけです。」

 「『男女混合名簿は非合理的で、面倒で何にもいいことない』と陰で言っている先生なら、過半数を超えています。混合名簿の賛成者なんか、社民党の支持者に少し+αしたくらいの圧倒的少数派なのです。」

 「今、先生たちの間で流行っていることをお知らせします。お役所(教育委員会)用には、しょうがないので、男女混合名簿を使うが、男女別名簿も作り、状況判断で使い分けることです。私も両方の名簿を作って用意しています。しかし、今年度は、今のところ男女別名簿しか使っていません。その方があらゆる面で便利だからです。」

 

 この手紙から分かることは、100%というのが実際の実施率ではなく、県教育委員会が強要している表向きの数字だということである。現場では二重帳簿のようにして、両方の名簿を使い分けている先生たちも多いらしい。

 男女混合名簿というような、特殊なイデオロギーに関わることを、権力によって強制していることは大問題である。それは先生や子どもたちの内面的な思想の自由を侵す重大な人権侵害であり、思想統制である。