ソロCBRセンターで開催された言語治療ワークショップに参加して

2006918日―21

2006年9月17日夕方17時、中部ジャワ州 ソロ・スラカルタ市に到着した。今回、Community Based Rehabilitation Center(CBR)所長 Maratmo(マラトモ)氏から「言語治療ワークショップ」で離して欲しいと依頼された。

 <ソロと出会うきっかけ>
 マラトモ氏と始めてあったのは、2003年。日本のつくば市で開催された第16回アジア知的障害会議だった。彼は、日本側から招かれたゲストスピーカーの一人であり、インドネシアのCBR活動について講義をした。彼の講義を聴いた後に、日本人を介して名刺交換。2年後にインドネシアで開催される会議での再開を約束したが、メールの交換をするうちソロへの訪問は意外に早く2004年の12月26日に実現した。つまり、あの世界を驚かせたスマトラ沖地震と津波が起きたその日に私はジャカルタ経由でジョグジャカルタに到着したのである。実際に地震と津波のニュースを受けたのは翌日の昼過ぎ。現地は意外にそんなものである。3日間、ジョグジャカルタを中心に観光をし、ソロCBR内にある子どものための治療教育施設、ミトラ・アナンダの見学をした。驚いたのは、2m四方の部屋で一対一の濃厚な個別指導を基本としていたこと。個別指導の手法が、ローバース法であったこと。見学だけでは分かりにくかったが、発達評価と分析を経たプログラムには見えなかった。何故なら、子ども達の発達段階はどうも違うようだが、行っている事が同じような活動であったことが理由である。それでも、何故、このような指導法が中心になっているのか、その理由が知りたかった。そして、指導をしている「セラピスト」と直接コミュニケーションがしてみたかった。このときには、訪問したばかり。そんなことを申し入れる勇気はなかった。インドネシアに濃厚に触れた3日間であり、気持ちが残る経験をした。

 2005年11月、インドネシアで開催された第17回アジア知的障害会議に参加した。この回には口頭発表はしなかったが、コミュニケーション発達を支援するプログラムである、INREAL APPROACHのプレゼンテーションを行った。残念だったのは、ソロのCBRやミトラ・アナンダの職員達はこの会議に参加していなかったことである。理由は、参加費が高く、一般の現場職員には手の届かない会議になっていたこととのこと。私の、現場の職員と直接コミュニケーションしたい気持ちがますます強くなった。


  

 そういうわけで、2006年にマラトモ氏から依頼されたとき、二つ返事で了解した。CBRに到着すると寄宿舎に案内された。セミナー受講者のほとんどが全国17箇所あるYPAC(Yayasan Pembinaan Anak Cacat:障害児発達センター)の職員であり、講習中は寄宿舎に宿泊する。どの部屋も基本的には同じ作り。簡素なシングルベッドが負多雨。インドネシア式の水シャワーとトイレ。エアコン設置だが結構大きな音が出る。私の部屋はお湯が出るが、シャワーが壊れており、側にバケツが置いてあった。つまり、バケツにお湯をためながら身体を洗うのである。最初は驚いたら慣れれば不自由は感じない。身の回りのものを整理した後、夕食のため街のレストランに行った。
 
 レストランはソロの中心にあり、清潔で歴史のある庶民的なレストラン。壁にはレストランの昔の姿を撮った写真が並んでいる。同席は、マラトモさん夫妻とジャカルタから来たYPACのディレクターFatimah(ファティマ)さん。穏やかで謙虚な女性である。食事中、「ソロは食事が安くておいしいから、いつもちょっと太ってジャカルタに帰るのよ!」とファティマさんは笑顔で話す。本当に何を食べてもおいしい。途中で、名前は忘れたが不思議な味の飲み物を「是非一度は飲んでみて」と勧められた。私の考えすぎかもしれないが、彼女の意図には、「インドネシアを好きになってくれますか?インドネシアの文化を尊敬しますか?」と問われているようだった。私は何処に行っても一度は口にする主義をちゃんと守り、飲み物をいただいた。味は、一度の経験で十分という表現できない不思議な味だった。マラトモ氏はニヤニヤ笑い。ファティマさんは食事に限らず、インドネシアについても説明してくださった。例えば、インドネシアの民芸品の値段の不当な安さについてである。女性たちの細かい作業に見合った賃料が払われていない。時には、材料費と同じ値段で売られていたりすることもあると、半ば憤りながら話してくださった。私は調度ジョグジャカルタでずいぶん安い買い物をしたばかりだったので少々反省してしまった。その後、話はかつてのジャカルタの様子に移った。かつてのジャカルタは緑が多く、子ども時代の家の庭にはバナナが茂り、その林を通り抜けて近所の庭に行くことも出来たと、懐かしそうに話してくださった。緑を大切にしないで都市化を急いだ国、その他、経済政策、福祉の問題について語ってくださった。人生経験豊かな女性からこんな話を効くと安心する。障害児の教育や福祉のために働いている人は、国境を越えて国の政策に確かなコメントを述べる人が多い、と私は思う。もちろん私の(いい意味での)偏見かもしれないが、そう出会って欲しいという私の願いである。 ここインドネシアの障害児・者の支援システムについて、私は何も分かっていない。これから少しずつ学んでいきたいと思う。

 改めて、「海外からの支援」を受けることについて考えた。かつての日本も、例えばキリスト教系の福祉施設などは、西欧の個人の小さな寄付金の積み重ねで立ったものも少なくない。私自身、1977年に就職した、知的障害乳幼児通園施設は、ドイツのキリスト教信者達からの援助と日本での街頭募金で建った。教材もドイツから寄付されたものが半分以上あった。それは、色も材質も日本製と異なり、私にはとても魅力的に見えた。今でこそ、日本は自らでほとんどのものがそろう時代になったが、わずか40年前は海外からの援助に頼っていた部分もまだあったのである。それも、海外の、「こころある人」による支援であった。そんなことを思い出す機会をいただいたファティマさんとの出会いだった。

 <ミトラ・アナンダ:知的障害児の治療教育施設の開所式>
 日が変わり、9月18日の朝。9時から「言語治療ワークショップ」と「Mitra Ananda(ミトラアナンダ):知的障害児の治療教育施設」の開所式が行われた。建物はカラフルな色のペンキで塗られ、この国の人たちの好みを表していると思った。開所式の式場は賑々しく飾られ、晴れやかな雰囲気である。子ども達、家族、ワークショップ参加者、教育関係者のゲストが座っている。(ちゃんとした服を着てきて良かったとほっとする。服を場や機会に合わせる習慣の度合いは日本と同じようだと思った)
 まず、YPACのファティマさんが挨拶。インドネシア語なので一割くらいしか分からないが、ファティマさんは聴衆を実ながら用意した原稿を読んでいく。なかなかの長さだ。聴衆は表情を変えず聞いている。ただ、正直な子ども達は少々退屈気味。何処の国でも同じだと思ったし、文化的にこのあたりも日本と似ていると感じた。
 
 二番手は、マラトモさんである。マラトモさんは原稿無しのスピーチである。一部、日本語が聞こえた・・・その時、みんなが私を見た。私はにこにことうなずいて応じた。マラトモ氏は日本に何回か来ている。一度は福井に6ヶ月くらい滞在し福祉システムや施設の見学を行ったと聞いている。だから、日本語が少し話せるようだ。
 その後、マラトモさんはワークショップの参加者を紹介した。全インドネシアからの参加で、バンドン、メダン、スラバヤ、バリ、スマラン・・もう沢山ありすぎて分からない。分からないことだらけのまま参加。久しぶりのコミュニケーション障害の状態に入り、日頃接している知的障害のある子ども達に共感し始める。
 式の最後に、ミトラ・アナンダの子ども、マラトモ、ファティマさんによるテープカット。私もどうぞと言われたが、はさみがなかったので、その場にニコニコしながら立っていた。

 なんとも不思議な経験だったが、私はたいそう楽しんだ。おまけに、開所式の後に出されたスナックはとてもおいしかった。バナナの葉っぱの上に乗せてそのまま蒸されたココナツ味のお菓子。人間は味覚と嗅覚は感情とイベントとともに記憶される。私は五感全てを使ってこのイベントを記憶した。。
 
 

 さて、10時からワークショップが開始された。といっても、最初の30分は、ワークショップの最初なので、参加者の親睦を図るための紹介ゲーム、ブレイン・ストーミング的なアンケートゲームが行われた。参加者の1/3強が男性である。それも、人が好きなようなやさしい表情の人たちが多い。一見きつい表情の様でも発言するときはとても表情がやわらかくなる。やはり、知的障害のある子ども達に日ごろ接している人たちには、ユニバーサルなやさしさがあると感じほっとする。

 アンケートのテーマは、言語治療に関してのこのワークショップでどんなことを学びたいかという質問であった。答えの80%は抽象的な答えがしめていた。つまり、「海外の言語治療の実践を知りたい」「言語治療の最新情報が知りたい」などなど、日本でも聞かれるような答えである。それでも、そんな要望を聞きながら、国や文化を超えた共通性を感じた。

 さぁいよいよ、私の出番である。一方的に伝達する方式でなく、ともに学べるような形式にしようと色々工夫した。
お話の内容は、第17回アジア知的障害会議のワークショップの内容とほぼ同じものにした。1.コミュニケーションの目的(何のためにするのか?) 2.コミュニケーション手段ー言葉以外の方法ー非言語コミュニケーションの大切さについて気付こう! 3.伝達意図について(真のメッセージをさぐろう) 音声言語を話せることよりも、意図の通じ合いが大切。 4.障害のある人を尊敬するコミュニケーション方法について 5.インリアルアプローチの7つの技法について
 非言語コミュニケーションについては、みんなでどんなものがあるかディスカッションを通して学びあう形を取った。

 終わってからの感想は、達成感と反省を比べると、断然反省点が多い。不燃焼感が大きいのである。聴講者は、障害のある人が言葉で話せるようになるための具体的な指導方法が知りたいという希望を持っている事がレクチャーの間ひしひしと伝わってきた。その具体的な方法とは、ロバース法で名高いオペラント療法のような指導方法である。子どもの発達の状態にかかわらず、全員同じプログラムで進めていく。「たつ」「すわる」「手をあげる」「返事をする」「両手をあげる」などの行動を模倣させる方法である。したがって、言語療法ならば、「はいって言いなさい」というような方法をどのようにすればうまく出来るか、について聴講者は一番知りたかったのだろう。想い起こせば、30年前の私は、まさしく同じようなことを考えていた。ただ、それは私にとってはあまり思い出したくない汚点でもある。もちろん1970年代はオペラント療法のような教え込み型の指導が主流の方法だった。そこに1980年代になって、子どもの発達に合わせた、興味にあわせたインリアルアプローチがアメリカから日本に紹介された。オペラント療法では子ども達を育むことはできない、と限界を感じていた私は、インリアルアプローチを学ぶために米国まで行った。そして、この子ども中心のアプローチを日本で広めることに使命感をもって続けてきた。ここインドネシアでも同様の使命をまっとうできると思っていた。だが、今は、どのようにすれ実現するのか、この国の文化にあわせた方法を見出さなければならないと考えている。そのためには、もっと、この国の文化、教師達の考え方、主流の教育理念についてもっと学ばなければならないと心の底から感じた。これは、時間がかかる、今はそう思っている。でも、まだはじめたばかりである。続けたい情熱は以前よりも強くなっている。