ハレルヤ・ハレルヤ

ヘンデル、オラトリオ「メサイア」について

ヘンデルとヘンデルのオラトリオ・メサイアについて簡単にご紹介いたします。

 

メサイア(MESSAIH)とは

 メサイアとは、ヘブライ語で「油注がれし者」と言う意味です。 ユダヤの人々はこの言葉を、神から特別な権威を授けられた者としての王、司祭、預言者を指す言葉としていました。王、司祭、預言者は「油注ぎ」の儀式を経て特別な聖職に携わっていたからです。ユダヤではソロモン王の絶頂期以降の北イスラエルの滅亡や南ユダ捕囚などの悲運の状況から自分たちを解放するもの、「救世主」の意味で用いられるようになりました。つまり、神が遣わす理想の王を待望する信仰が強くなったため、「救世主」を意味するようになったのです。メサイアのことをギリシャ語でクリストゥス(英語表記でCHRISTOS)といい、救世主イエス・キリストのことを意味します。

 

オラトリオ、ヘンデルの「メサイア」

  オラトリオとは、本来教会の祈祷室(オラトリウム)で宗教上の物語をわかりやすく「娯楽的」に伝えるための音楽作品です。中世の教会ではじまり、後に独唱・合唱・伴奏楽器を用いて演技なしの演奏会風劇音楽として発達し、ヘンデルの時代以降はオラトリオが数多く作られました。

  ヘンデルのメサイアは「オラトリオ」であるにもかかわらず、教会ではなく、オペラを演奏する劇場で演奏されるために作曲されています。そして、彼の生存中は教会で演奏される事はほとんどなく、劇場で演奏されていました。また、ヘンデルのほかのオラトリオもまた、劇場で演奏されるために作曲されています。

  「メサイア」の台本は、台本作家チャールズ・ジェネンズ(なお、ジェネンズは無神論者でした)がキリストの生涯を描くために全て聖書の言葉で書きました。全体は3部構成で、

第1部 救世主キリストの出現の預言と誕生   (21曲)

第2部 キリストの受難と死、復活   (23曲)

第3部 この世の終焉と最後の審判、永遠の生命   (9曲)

といなっています。(曲数はNovello版ボーカルスコアによります)

 

作曲・初演に関するお話

メサイアは53曲、演奏に2時間以上もかかる大曲ですが、ヘンデルはこの曲を僅か3週間で仕上げました。1741年、ヘンデルが56歳の年の8月から9月にかけてのことです。

初演は1742年4月13日、ダブリンのフィッシャンブル・ミュージック・ホールの慈善演奏会で、大成功をおさめました。ロンドンでの初演はダブリンでの初演から1年を経た1743年3月23日のことです。この時の曲目のタイトルは「新しい宗教曲オラトリオ」であり、ヘンデルがよほどオラトリオを劇場で演奏する事に対する後ろめたさを感じていて、宗教界からの反発を意識していたと考えられます。ロンドンでの初演の反応はこの作品に対する反感が渦巻いており、これはメサイアが「オラトリオ」という劇的内容の音楽に対し、キリストの生涯をテーマとし、「宗教的」「神学的」内容に及んだことで、娯楽的な内容の劇音楽を行うオペラ劇場で演奏する事に疑問を投げかけるのが当時の一般市民の見解であったと考えられます。

 

メサイアのその後のお話

初演当時はロンドンの人々になかなか受け入れてもらえなかったメサイアも、音楽そのものの評価はとても高かったとされています。このメサイア受容に徐々に変化が現れたのは1750年以降の話しとされています。ピューリタニズムを信奉するイギリス中産階級に当時浸透した合唱運動がメサイアを圧倒的に支持し始め、イギリスでのナショナリズムがそれに拍車をかけたとされています。ヘンデルは1749年以降コヴェントガーデン劇場で毎年メサイアを「オラトリオ・シリーズ」締めくくりにするのを常としていました。また、1950年以降はコヴェントガーデンでの演奏後に捨子養育院での慈善演奏会でメサイア演奏を毎年行っています。このようにメサイアの演奏はヘンデルの晩年にはすでに定着していました。

 

ヘンデルの没後のメサイアの広がり

1759年のヘンデル没後、主なメサイアに関する歴史的な出来事としては、1784年のウエストミンスター・アベイにおけるヘンデル記念祭の「世に類い希な」編成によるメサイアの演奏(コーラス約300人、オーケストラ約250人)や、1883年のヘンデル・フェスティバルでは4000人のコーラスと500人のオーケストラ、87769人の史上最高の規模だったと伝えられています。ヘンデルフェスティバルとはヘンデル没後のイギリスでの驚くほどに盛り上がったヘンデル情熱を受けて1859年以降3年に1度行われています。

 ヘンデルの生まれたドイツにおいては、イギリスでの「娯楽的」な受け止め方とは違って、宗教的とみなされ、メサイアを聴く事はあたかも礼拝に参加するようなこととなり、人々の間に受け入れられました。

   ウイーンにおいてはヴァン・ズヴィーテン男爵の示唆によりモーツアルトが編曲を手がけています(1789年3月3月6日初演)。

   フランスにおいては、長年イギリスとの政治的対立によりヘンデル受容が妨げられていたとされていますが、メサイアの全曲演奏がされたのは1873年のことであり、その後1900年のパリ博覧会の幕開けに演奏され、当局のお墨付きになったとされています。

   アメリカにおけるメサイアの歴史は古く、1770年にニューヨークにおける演奏がアメリカ初演です。

   さて、日本におけるメサイア演奏ですが、初演は不明とされていますが、記録に残っているものとしては、1951年12月に朝日新聞社主催による「芸大メサイア」が日比谷公会堂で開かれています。この演奏会は毎年欠かさず行われ、50回を超えています。

   

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