原点
〜死ぬまで一緒に歩く肉体〜

・1発覚

 僕にとって、「原点」と呼ぶべき時は、30年間生きてくるなかで、節目節目でいろいろあったと思う。
 でも、やっぱり一番「原点」と呼ぶのに相応しいのは、12歳の時に脚の病気で入院したことだと思う。

 僕は早生まれで、中学に入学した当時まだ12歳だった。
 運動神経は、まあまあ良いほうだと自分でも思っていた。将来の夢は野球選手。でも、小学校4年から始めた水泳も好きだった。クロールでガンガンスピードを出して競走するのが大好きだった。

 異変に気付いたのは母だった。
 自分でも、おかしいとは思ってはいた。思うように走れない。「もっと速く走れるはずなのに」と思うくらい、小学校を卒業する頃は足が遅くなっていた。でも、大丈夫。水泳もやってるし。足だってもっと速くなる。そう思っていた。

 ある日、母が僕の歩く姿を見て言った。「どこか痛めてるの?歩いてる時びっこ引いてるよ」と。
 僕はよく怪我をするほうだったけど、その時はどこも怪我なんてしていなかった。「え?そんなことないよ?」「ちょっと歩いてごらんなさいよ。・・・ほら、やっぱりおかしいわよ」
 言われてみれば、確かに右の股関節に違和感があった。
 でも、その脚の違和感を除けば僕は健康そのものだった。中学に入学したてで、やりたいこともいっぱいあった。水泳もしたかった。自信もあった。クロールなら僕はかなり速いって、勝手に思い込んでいた。
 友達とも遊び歩いていた。健康そのものだった。入院とか手術とか。そんなことは、まったく他人事でしかなかった。

 でも、僕は病院に連れて行かれた。

 レントゲンを数枚撮った。
 レントゲンには変な影が写っていた。医師は言った「紹介しますから、大学病院に行きなさい」
 医師が言った病気がどんなものか、僕には分からなかった。
「骨肉腫の可能性もあります」
 母は、真っ青になっていた。

 大学病院で改めてレントゲンを撮った。いっぱい撮った。「こんなに撮るんだ?」ってびっくりした。「骨肉腫」なんて病気を知らない僕は「すっげー沢山撮って面白い〜」と思ってるくらいノンキだった。
 そして、沢山のレントゲンを見た大学病院の医師達が結論を出した。
「骨肉腫ではない」と。
 診察の結果、僕の病気は「右股関節のすべり症」というものであることが分かった。少なくとも癌じゃない。命に別状のある病気ではなかった。

 では「すべり症」とはどんな病気なのか。
 成長期に、骨と骨の接合部、つまり軟骨が曲がってしまう病気だ。背骨や股関節など、体重を支えきれなくてなることが多い。だから、通常肥満児に多く見られる症状なんだ。
 僕は肥満どころかガリガリだった。医師も不思議がっていた。なんでこの子がすべり症に?って。
 僕なりに原因として思うのは内臓の弱さだ。内臓が幼い頃から弱く、食べた物を消化する機能がすごく低かった。身体を作っていく栄養が上手く採れなくて、体重が一番かかる股関節に負担がかかりすぎてしまったんだと思う。そして、支えきれなくって、股関節の軟骨が徐々に変形してしまった。
 軟骨が変形したままだと、脚は通常とは違う形になってしまう。
 僕の右足は通常の人と違い外を向く形に伸びていた。体育座りをすると、右足が外を向いてしまって膝を胸につけることができなかった。

 どう治療するのか?答えは簡単だった。立ってはいけない。とにかく寝てなさい。と、いうことだった。
 僕は、即入院することとなった。


・2入院

 僕が入院した病棟は小児科だった。中学生ではあったけど、まだ12歳だったからだろう。小さな幼児から、上は中学生まで。僕は最年長グループだった。
 小児科は看護婦さんと一緒に保母さんもいるところだ。好きなものを食べることもできない、病棟の外に遊びに行くこともできない、中学生にはちょっと辛い環境だった。
  僕は立ってはいけないため、移動は車椅子だった。あとはなるべく寝ていなさいと言われていたが、遊びたい盛りの男の子には無理は注文だ。車椅子仲間と暴走したり、氷枕の氷を盗みに行ったり、じっとなんてしてるはずがなかった。

 子供達は、みんな病気なり怪我なりを持っている。
 入院するくらいだから、大抵重い症状だ。
 生まれた時から入院しているという重い病気にかかっている女の子は13歳と聞かされたけど、どう見ても5〜6歳だった。生意気でいたずらばかりしてる小学校低学年の男の子は、抗生物質で髪の毛がなくなっていた。癌だった。
 同い年の女の子で仲良くなった子がいた。その子も、髪の毛がなかった。癌とはちょっと違ったようだったけど、薬が滅多に手に入らない病気だということだった。世界中でその薬を待っている人達がいて、順番待ちなんだと話してくれた。その稀少な薬が手に入るまで、彼女は治療を受けながら、ずっと入院していなければいけないということだった。
 排便を自力ですることができない、歩けない、特殊な機械がないと生きていられない。そんな子達を、看護婦さんや保母さん達が日夜面倒を見てくれていた。

 癌の男の子は、本当にわがままで生意気だった。僕ら中学生は頭にきて怒ったり怒鳴ったりしてた。その度に看護婦さんにたしなめられた。彼が癌だと、その時点ではあまりよく認識できなかった。
 その子は個室に入ることになった。6人一部屋が通常で、個室に入ることは滅多になかった。つまり、彼の症状は良くなかったんだろう。それくらいになると、僕にも彼の病気がどういったものかが分かってきた。僕は彼を怒るのはやめようと決心した。
 僕は、バイクのプラモデルを作った。入院しながらだから、ちゃんと道具もなかったし、なんとか組み上げた程度ではあったけど。なかなか格好良く作れた。
 彼がそれを見て欲しがった。僕は、あげることにした。一つ約束をして。
「必ず、大事にしろよ。壊したりするなよ」
「うん。分かった」
 彼は、すごく嬉しそうに受け取った。
 でも、そのプラモデルはその日のうちに壊された。少年の無邪気な遊びに耐えられるような、そんな頑丈なものではなかったから。僕は、壊れたプラモデルを見て、カッとなってすぐ怒った。「大事にしろって言っただろ!!」って。
 彼は、僕の剣幕に初めて怯えるような表情を浮かべた。それは、友情とか愛情が壊れることを恐れるような、そんな表情だった。
 僕は、悲しかった。彼に渡したプラモデルは「いらないからあげた」ような物じゃない。それが、少しでも彼を支えられるのなら、と思ってあげたものだったんだ。その自分の気持ちをあっさりと壊されたような気がして、悲しくって、怒った。
 それは、彼にも伝わったみたいだった。いつもなら悪びれもせず生意気なままなのに、その時はちょっと落ち込んでた。

 でも。改めて思う。
 僕と彼の間には、ある種の絆があったって。
 友情も、愛情も確かにあった。悲しいことではあったけど、このプラモデルの一件があったから、そう思える。

 数日後。彼は小児病棟からいなくなった。
 彼が戻ってくることはなかった。

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