原点
〜死ぬまで一緒に歩く肉体〜

・3手術

 治療は、まず「牽引」という方法から始まった。
 まだ12歳の僕は身体が出来あがってないだろうから、脚を機械で引っ張ることで、軟骨の変形を修正できるのではないか、ということだった。
 通常、肉体は13歳くらいまでは柔らかく、出来あがっていく途上にあるとされている。
 13歳を過ぎても、肉体は成長していくけれども、基本的な体力、骨格の形成は13歳までで。スポーツの世界でも「本格的な筋力トレーニングは13歳を過ぎてからするべき」と言われていたりもする。
 僕の、脚の病気が発覚したのは、なんとも微妙なタイミングだと言える。
 「牽引」の効果がどれほどのものか。あるいは手術に踏み切るべきなのか。医師は様子を見ることにしたようだ。

 約一ヶ月。右足の牽引がされた。
 しかし、その牽引もあまり効果が期待できる形ではされていなかったこともあって、軟骨の変形が治ることはなかった。
 いよいよ、手術をすることとなった。 

 「すべり症」は、あまり聞かれないように、ポピュラーな病気ではない。その大学病院でも、僕は3人目だった。だから症例も少ない。手術に踏み切るまでに時間がかかったのは、そういった事情からだったのだろう。
 股関節の軟骨が変形し、脚が外を向く形になってしまった。この症状を、手術によってどのように治すのか。軟骨は、もう成長してしまっている。
 手術の方法は、こうだ。


 大腿骨を切断する。脚の角度を修正して接合し直す。


 僕の右脚の骨は、一旦切断されることになった。大胆で乱暴な治療だと思うかもしれないけど、本当にこの手術をすることになったんだ。
 手術の前に医師と話し合うことがあった。それは切断した大腿骨を接合する角度についてだ。
 「脚の角度を真っ直ぐにすると、歩く時の脚の動きは正常になる。その代わり、『横』には開かなくなるから『あぐらをかく』というような、脚の動きはできなくなる」
 「脚の角度を完全には矯正しきらないで付け直すと、歩き方に影響は残るけど、日常生活に不都合のないようには出来る」
 この、二つのうちから選ばなくてはならなかった。

 僕が選んだのは後者だった。僕の脚は、真っ直ぐにはならない。日常生活に支障はなくできるが、スポーツをすることはできないと言われた。

 手術の日が決まると、ベッドに予定の日、主治医の名前なんかが書かれた紙が貼られる。
 僕らはこれを「赤紙」と呼んでいた。別に赤い紙でもなんでもないんだけど。手術に連れて行かれたヤツは自分の病気と格闘して、血を流して、挙句生きてるんだか死んでるんだか分からない状態で帰ってくる。だから、手術に行くストレッチャーに乗せられていくヤツは戦場に向かう戦士として、部屋のみんなで送り出した。

 やっぱり手術は怖い。医師に任せていれば、悪いところを治してもらえる。それは分かる。でも、やっぱり身体を切り刻まれるわけだから。手術室から帰ってきた時、本当に自分が無事かどうかなんて、自分には分かりはしないし。逃げられるものなら逃げたいって、みんな思っていた。
 手術の日が迫ってくる、あのなんとも言えない緊張感。それは味わった人じゃないと分からないと思う。なんと表現したらいいだろう。大袈裟に言えば死刑執行の日を待つようなものだ。

 手術の前日から、食事はできなくなる。
 胃を空にするためだ。手術中は、排便をコントロールすることもできなくなるからだ。さらに当日浣腸もされる。胃も腸も空っぽにすることから、手術は始まる。
 メスを入れる箇所の近くの体毛も剃られる。
 僕は股関節の手術だから、股間の毛はもちろん剃られた。
 麻酔の効きを良くするため、錠剤を飲み、注射もする。注射器は半端じゃなくでっかいやつだ。腕に刺すにはでかすぎるため、尻に注射する。
 この注射器。漫画に出てくるようなでかさなもんだから、本当に走って逃げたヤツもいたくらいだ。(笑)

 手術着の下は全裸。尻にでかい注射もした。腹の中も空っぽだ。
 いよいよストレッチャーに乗せられて手術室に連れて行かれる。面会に来ている人達もストレッチャーを見守る。手術に向かう一群はやはり目を引く。
 薬が効いて、ぼーっとしていたが、人だかりの中に親の姿を見つける。手術が終わったらもらう約束をしていたプラモデルを、ストレッチャーに寝ている僕に見えるように高く掲げてくれた。
 手術が終わった後の楽しみができて、なんだかすごく嬉しかった。「さあ。さっさと手術をやっちゃおうぜ!」という気になれた。

・4ファントム・ペイン

 手術は一瞬だった。
 少なくとも、僕にとっては。

 手術室で酸素マスクをつけられて、点滴を刺されて。麻酔をかけられて。
・・・・ふと、気がつくと、病室だった。
 目が覚めて、主治医の先生、家族が目に入ってくる。あれ?手術は?これから手術なんでしょ?と麻酔の醒めきってない頭でぼんやりと考えていると、先生が言った。
「手術は成功したよ!」
 すごく嬉しそうだった。その瞬間「あ。あの一瞬のうちに手術は終わったんだ。麻酔ってすごいな」っていうことと、「『成功だったよ』ってそんなに嬉しそうに・・・って、そんなに成功率低い手術だったのかよ?」ということを思った。実際「成功だったよ!」という言葉には、素直に喜べないでビビってしまった。もう手術は終わったんだけど。

 後で話を聞くと、僕の手術は4時間かかったとのことだった。
 その4時間の間に、大腿骨を切断して断面を削り、接合し、金具で固定する。左脚にも同じような症状が起きないようにと、軟骨の近くに金具を取り付けた。
 その手術で僕が流した血は、体内の血の5分の1だったそうだ。通常、人間は体内の3分の1の血を流すと死ぬという。だから、僕の出血はけっこうすごかったんだと思う。
 僕の身体の5分の1は、輸血の血なんだ、と思うと、何か不思議な気持ちになった。自分の血じゃない血が、自分の中を流れているということが。自分は「生きている」けど、「人の血」で「生かされている」そして、それが「医術」という行為の中で当然のように自分が体験している。それに倫理的なこととか善悪とか、そんなことは一切考えなくって。「これが医術なんだな」ってぼんやりと受け止めていた。

 手術の後、僕は「幻影の痛み」を体験した。
 厳密には違うのかもしれないけど。自分ではそうだったんだろうと思ってる。

 術後。麻酔が効いている身体は痛みなんて感じるはずがない。
 でも、痛い。
 傷が痛くて仕方ない。メスを入れた箇所が。骨を切断したところが。痛む。重く。鈍く。
 でも、本当は痛いはずがないし、確かに、実際は痛くはないんだ。

 なのに、夜、眠ることができない。痛くって辛くって、「痛い・・・痛い・・・」とずっと唸っている。
「ほら。痛いだろ?」
 と、同室のヤツに言われた。
「うん・・・痛い。・・・・あんなこと言って、ごめんな・・・」
 そいつは、僕よりも数日前に手術を受けていた。彼も、術後の夜、痛い痛いと唸って眠ることができなかった。一晩中唸っているもんだから、僕はイライラして「麻酔が効いてるんだから痛いわけないだろ?寝ろよ」って言ってしまった。
 でも、自分が経験して分かった。
 麻酔なんて関係ない。痛くない「はず」なんて言われても痛いんだ。汗が止まらない。涙も出る。看護婦さんを何度も呼ぶ。「痛いんです」でも、実際は麻酔が効いてるわけだから、もうこれ以上何もできない。

 「ファントムペイン」だったんだと思う。「本当は痛くないはずなのに。痛む」

 一瞬の4時間は夢でもなんでもなく。僕は、骨を切断されたんだ。この痛みが教えてくれた。

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