原点
〜死ぬまで一緒に歩く肉体〜

・7松葉杖

 松葉杖とは、ほぼ1年間付き合ってきた。
 すっかり自分のもう1本の脚のようなものだった。扱いに慣れ、「杖を突きながら走る」という芸当まで覚えてしまった。バカ者である。地面に脚を着いてはいけない、と厳重注意されているにも関わらず、クラスの友人達とバタバタと遊んでいたんだから、恐怖心よりも楽しいことの方が勝っていたようだ。

 ただ、杖の先はゴムがはめてあるんだけれども、床が濡れていたりすると滑ってしまう。だから、転ぶことも何度もあった。わんぱくというか無邪気というか。それでも月に一回の定期検診では、骨に異常は無かったから、ラッキーだったと言えるだろう。

 杖は、通常病院からレンタルするものである。でも、僕の場合は長期間使うのだからと、両親が一式購入してくれた。木でできた、僕の右足の替わりである。
 体重をかけるから、手でつかむグリップのところが痛くなってくる。だからそこには包帯を巻いて手に豆ができないようにした。リハビリで基本的な動作を教わった。左脚と杖のコンビネーションがなかなか面白いものだった。特に階段の上り下りなんかはリズムに気をつけながら言われた通りにすると、本当にすいすい上れたり降りれたりする。
 それは、なかなか楽しかった。そういう、身体を使う楽しさは、杖にはあったように思う。その時その時のシチュエーションで楽しんでしまうのは、お調子者であったが故だろう。ちょっと得な性格だったかもしれない。

 その頃、こんなことがあった。
 通学は母が車で学校の正門まで送り迎えをしてくれていた。僕は、靴を履いて正門まで杖をついて歩いていた。
 その日もいつものように、杖をついて正門を目指していた。ふと見ると。学校中のワル達が正門の辺りでタマっていた。普段、そんなところにタマっているはずもないのに、その日に限っては、なんでだか正門にずらーっと並んでいた。
「うげっ・・・」
 正直言って通りたくなかった。怖いなー。やだなー。どうしよう。。。と、いうそんな感じだった。

 でも、他に通れる道もないので、仕方なく、できるだけ急いで通り過ぎようとした。
 しかし。そういう時に限って、杖の先が滑ったりする。ドシャっと僕はすっ転んだ。
「うわ!何やってんだよ。もう、すぐ起きて急がなくちゃ!!」
 と、僕は慌てた。
 そうしたら、それまでただ黙って僕が通るのを見てた不良達で近くにいた何人かが、すぐに駆け付けて来て、
「大丈夫!!??」
 と、みんなで僕を助け起こしてくれた。
 僕は、すごくびっくりした。なんだ、こんな普通の人達なんだ。そう思った。
 転んだ照れくささもあって、お礼を言って、また急いで通り過ぎた。

 なんだか、貴重な体験だったなと思う。
 やっぱり、偏見はあった。
 当時、湘南地区は暴走族がまだ隆盛を誇っていた時期だったし、そういうのに憧れる子達でいっぱいだった。「湘南爆走族」の主人公が手芸をしてるということから、実際に手芸をしている不良君もいた。
 彼らに、特別暴力をされたことはないけど、明らかに学校の中でまったく違ったテリトリーを持っている子達だった。

 クラブの時間(授業の一環。部活とは別)に、勝手に教室を出ようとした子がいて、その子を先生が止めようとしたら、その子は振り向きざまに先生を殴った。「あ!!」と思った次の瞬間、先生がその子を殴り返して、ますます驚いたことがあった。
 「体罰」がどうのこうのじゃなく、「殴られたら殴り返す」という気迫が先生にもあったのは、そういう時代の空気だったんだろうか。けっこう、そういう先生多かったし。(女の先生でもすっげえ気合いの入った人いたしなあ。。。)

 そんな中。僕はどこから見ても弱者だった。
 その僕に、力を貸そうという行動をする。彼らの心には、人をいきなり殴るような凶暴なものも持っていれば、困った人を助ける優しさも持っていた。
「なんだ。そうなんだ」
 すごくそう思った。少し、彼らの本質に触れたような気がした。

 こういう、自分が、自分の力だけではどうにもならない時。周囲の本質に触れる機会があるのだと思う。

・8バランス

 僕は、たまに転んだりもしながら、しかし順調に回復していった。
 杖は、1本取れて、右足も軽く地面に着けて歩くようになっていった。
 右脇に1本の杖を抱えて、それ以外は実際に歩いているのと変わらないフォームになっていった。リハビリは順調だった。もう、これくらいの時期になると、あまり脚のことは印象にない。それだけ順調だったのだと思う。
 だから、自分がやっとまた、この二本の脚で歩けるようになった時のことを、実は僕は覚えていない。
 たぶん、時期としては冬か・・・春だったのだと思う。それくらい印象に残っていない。

 自分の体験として、こうやって過去を振り返って書いていて。当然クライマックスは「再び歩いた日」になるのだろう、と普通は思うよね。僕もそう思う。(笑)
 でも、実際は退院して、杖を突きながらでも日常生活をして学校に通い、友人と遊んだり喧嘩したり。そんな中学生としての生活に心を奪われていて、脚のことどころではなかったように思う。
 その頃の自分を、ちょっと振り返ってみると。入院していて、身体を動かすことができなくって。友人と遊ぶこともできなくって。家族にも迷惑を掛けていて。つまらなかったんだと思う。だから、学校に行って、みんなに会うのが刺激的で浮かれていたんだろう。実際、思い返してみても、あの頃の僕ははしゃぎすぎだったと思う。
 精神的にも、多少バランスの悪い、そんな子だった。

 僕は、また歩けるようになった。
 体力は、ほぼなかった。ゼロというよりはマイナスだったと思う。杖をずっとついていたから、若干腕力だけはあった。懸垂もいきなり6回くらいはできてたし。でも、それも特に優れていたわけではない。
 運動部には入れない。走ることもできない。やれることは、限られていた。

 僕は、好きだった漫画を描くことに熱中するようになった。

 歩けることそのものを感動するほど、僕は精神的に成熟していなかった。とにかく、「遊びに行く範囲が広がった」という程度にしか認識できてなかった。それだけ、楽しく生活していたのだったら、それはそれで良かったかなとも思うけど。
 ただ、その時の僕には、歩けるようになったことよりも、身体が思うように動かないことが苦痛だった。特に辛かったのが疲れが溜まりやすいことだった。
 まるで、右足が耐えられる歩数が決まっていて、その歩数分を歩くと、突然股関節に鈍い痛みが走ってまともに歩けなくなるような。そんな感じだった。
 骨をカバーする筋肉はまったくついていなかった。でも、端から見れば僕はもう杖もついてないし、普通に歩ける少年だった。皆と一緒に行動したいという思いは強かった。遊びたかったし、楽しかった。でも、身体はついて来なかった。ジレンマだった。
 必然的に、僕は自分の身体をセーブしながら動かなくてはいけなかった。でも、僕は自分の心をセーブできていなかった。

 歩けるようになった。
 でも、僕のバランスはどんどんおかしくなっていった。

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