原点
〜死ぬまで一緒に歩く肉体〜

・9 本当の闘い

 ランス・アームストロングという自転車選手がいる。
 この人は、「ツール・ド・フランス」という世界最高峰の自転車ロードレースで2連覇を成し遂げたアメリカ人だ。「ツール・ド・フランス」は自転車でアルプスを登ってしまうような、とても過酷な競技で完走することそのものが大変なレースだ。
 日本人では、過去、今中大介という選手がたった1人走ったことがあるだけだ。(ちなみにタイム差によって途中棄権)

 アームストロングは、ツールで優勝する前、癌になった。
 選手として、という以前に「生死」ということに直面して闘病した。彼は癌を見事打ち倒して復帰し、偉大な結果を残した。その彼が書いた本がある。「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」という本だ。
 これを読んで僕はすごく感動した。何度も泣いた。スポーツ競技選手として尊敬する気持ちもあるけれども、それ以上に人間として「生きる気迫」をすごく感じられて「人間の意思」というものの重要性を感じた。

 姉が医者をしていて、その姉から聞いた話がある。人が亡くなる時のことだ。
 難病で亡くなる人を彼女は何人も見ている。中でも、子供は「今までありがとう」と言って、看護婦さんや医師に感謝の思いを伝えて死んでいくんだそうだ。短い人生の中で、自分を支えようとしてくれた人達に対して素直に心を開いて気持ちを寄せている。そんな最期はとても切ないものだと思った。
 対して、大人は。「いやだ。このまま死にたくない!!」と言って死んでいくという。
 それを聞いた時、まだ10代だったと思うけど、「うう〜ん・・・」と思った。その頃は、「そんな風に言ったってさぁ・・・仕方ないことじゃん。受け入れないとさ」と思っていた。亡くなった方の人生の重みなんて考えられるほどの思慮はまだまだなかった。

 でも、アームストロングの本を読んで、「いや。その『死にたくない!!』という気持ちが大事なんだ」って思った。
 やらなければならないことに対して、それを貫こうという「意思」。それが、本当に大事で、それはけして格好いいことではないかもしれないけど、そのなりふり構わないことそのものが「生きる」ということだと、今は強く思う。

 さて。そのアームストロングの本を読んで、感動するだけでなく「なるほどなあ」とすごく納得する部分があった。
 それは、癌を克服して、「生きられる」ということが確定してから、それまで闘病生活を支えてきてくれていた恋人と別れたというエピソードだった。
 それまでは「癌」という強敵を倒すために、家族、友人、すべての人が一丸となってアームストロングを支えて戦った。しかし、その「敵」の姿を見なくなると、「終わった」と思ってしまうのだ。それは、アームストロング本人もそうだったようだ。
 アームストロングは癌を倒した。つまり「病人」ではなくなった。しかし。それで何も終わっていなかったんだ。そこからが彼の本当の戦いだったんだと思う。
 つまり、1人の人間として「社会に復帰し、生活していく」ということだ。彼の場合、自転車競技選手として復活することだった。
 彼も、彼の恋人も、癌との格闘で疲れきっていたのだ。そこで「社会に復帰していく」という、どこか曖昧で敵の見えない戦いに入っていく中で、互いの心が離れていってしまったようだ。

 このことは、非常にリアリティのある話で(もちろん実話なんだけれども)、すごく納得できることだ。
 病気というのは、本当にそういうものだと思う。それは、自分の体験としても思うからだ。

 僕は、脚の病気だった。それを治すために骨を切断までした。車椅子に乗り、松葉杖を突き、病気と闘った。
 そして杖がとれた。
 
 でも、それで終わりではなかった。そこからが、本当の闘いの始まりだった。
 歩けるようにはなったけれども、僕はそこから「社会復帰」をしていかなければならなかった。肉体的にも、精神的にも、1人の少年として改めて学校生活その他に馴染んでいかなければならなかった。
 それは、癌を克服してツール・ド・フランスで優勝したアームストロングの闘いに比べたらちっちゃな闘いかもしれないけれども。僕の人生にとって、まさに「原点」と呼べる闘いだったんだ。

・10 諦め

 まず、勉強のことがあった。中学が始まってすぐの入院だったから、勉強は当然遅れていた。これは、母がつきっきりで教えてくれた。母は、勉強を教えるのが上手かった。いや。上手いのもあったとは思うけど。同級生達から大きく遅れている僕に勉強を教えていくことにすごく目的意識を持っていたのだろう。僕も、ずっと病院にいて退屈だったから、勉強をするのは楽しかった。
 その結果、学校に復帰して最初の試験で学年1位と取ることができた。
 勉強では、みんなに追いついた。
 これが、入院してたのが高校生の時であったりしたら、きっとこうはいかなかっただろう。そして、そのことは「体力」に関して言えば、まったく逆のことが言えたかもしれない。

 身体は勉強のようにはいかなかった。
 クラスで、必ず1人は足の遅い子がいる。そういう子は太っていて、見るからに遅いのが分かる。
 僕は、そういう子よりもずっと足が遅かった。

 中学2年になると、リハビリも順調に進み、体育に参加できるくらいになっていた。でも、僕の足はとにかく遅かった。形としては「走っている」形にはなっていたと思うけど。でも、全然スピードは出なかった。
 今、そのことを分析すれば。その時の僕は走る上でスピードを上げていくべき筋肉がまったく衰えていて、効率よく走るフォームもまた身体が忘れてしまっていた。なんていうことが言えたかもしれない。
 でも、当時の僕は「運動部には入ってはいけない」=「スポーツはできない」と、なりさらに、「足がクラスで一番遅い」=「僕は、運動音痴でもう体を動かすことなんてしたくない」と、いうメンタリティになっていった。
 もう、完全に文科系まっしぐらだった。クロールで「俺は速い!!」なんて思ってたお調子者の自信は、まったくなくなっていた。

 勉強は、追いついた。と思ったら、実際、学年1位だったから「追い抜いてしまった」のだった。これも、良くなかった。インパクトがありすぎた。
 「入学して一ヶ月。ずっと入院してたヤツが、復帰したとたんに学年1位!!」学校中で噂の的にもなったし、「何者なんだ?」となった。最初は注目されて嬉しかったし、結果が出たことにも興奮した。だから、次のテストも頑張った。
 そして、次の試験も学年1位だった。
 こうなってくると、周りの評価は変わってきた。「あいつはガリ勉なんだ」と。

 中学生くらいの年代で、運動がまったくダメで、でも勉強は1番。そんなヤツはまず攻撃対象になって当たり前だった。
 僕も、体が思うように動かない反面、勉強ではみんなを抜いたことに気持ち的に優越感を持っていたことも事実だった。

 こんなことがあった。

 担任の先生の提案で、「日ごろクラスメートのことをどう思っているか。その評価を匿名で伝えよう」ということをした。先生の企画としては「通信簿」を先生だけがつけるんじゃなくって、クラスメートの評価も聞いてみよう。というような、そんな感じだったと思う。
 僕は、評価をしたい何人かに向けてその評価を配布されたメモに書いて先生に提出した。そして。先生はその内容を確認はせず、その「ミニ通信簿」をまとめて、それぞれの生徒に渡した。
 こういう企画は、ある意味生徒の人気投票的な意味合いもあるから、僕にはほとんど届かないと思っていた。仲の良い友人から2〜3通くらいだけだろう。と。
 ところが、意外にも僕にはけっこう沢山のメモが届いた。びっくりしつつも、喜びながらそのメモを開いて読んでみた。
 読んで、「ああ・・・そうか。」と、すごく納得した。
 ほとんどのメモには、

 「死ね」

 とか、

 「調子に乗るな」

 とか、

 「ぶっとばす」

 とか、

 「お前なんか嫌いだ」

 とか・・・。そんなことが書かれていた。

 メモが配られ、僕がそれを見た時。周囲の異様な雰囲気を覚えている。
 僕がどんな顔をするかを伺っていたんだ。メモを書いた本人。その内容を知ってる周囲の人間。多分。クラスのほとんどの人間が僕がどんな風にショックを受けるのかを見ていたんだと思う。
 当時の僕のことを言うと、そこまでみんなから嫌われるようなことは特別何もしてなかった。成績がいいという以外に、家がすごい金持ちだとか、どっか海外に旅行に行っただとか、クラスの誰かにひどいことをしたとか言ったとか、そういうこともなかった。逆に、勉強ができた分、周りの目を気にして振舞っていた。調子に乗ればすぐに「ガリ勉野郎が!!」と罵られるのは分かっていたから。

 すごく、クラスメイトのことを情けなく思った。
「勉強ができるっていうのは、そんなに”悪”なのかよ?」
「俺の、何を見ているの?」
 と。
 僕には、感情もあるし、ユーモアだってあるし、夢だってあるし。彼らと何も変わらない子供だった。だけど、彼らは僕を「勉強ができる」という点だけで、拒絶した。あまつさえ「死ね」とまで言う。
 哀しかった。
 思うように体が動かない僕には、勉強がちょっとできることと、絵が少しだけみんなより上手いことくらいしか取り柄がなかった。勉強ができることで僕は憎まれたけど、思い切り走れる彼らの方こそ、僕が失った宝物を持っている羨むべき人達だった。
 しかし、彼らは僕が入院していたこととか、松葉杖を突いていたこととか、そんなことはもう綺麗さっぱり忘れていた。肉体的なハンディがある人間として見られていたのは杖を突いている間だけだった。実際、僕の右脚は常に違和感を持ちつづけていたんだけれども。それが分かるのは、ただ僕1人だけだった。

 彼らは宝物を持っていた。でも、彼らのハートには宝物はなかった。
 「くだらねぇ」と思った。ショックだったけど、泣きたくなるとか精神的に大きなダメージを受けるとか、そういうことはなかった。彼らのそういう心情は一緒にいれば嫌でも分かってしまう。だから、薄々感じていたことを言葉にしてはっきり言われただけだった。
 とはいえ、それを言葉にして、しかも「匿名」という機会を利用する根性が気に入らなかった。
 そんなヤツらの向けてきた言葉にショックを受けること自体アホらしいと思った。だいたい、どこをどうひねったら、人に、クラスメイトにそんなことを言えるのか。その神経の方が、その人間としての品位の無さの方がショックだったかもしれない。

「負け犬が」

 僕はそいつらに聞えるように言い放った。(本当のことよ。今思うとよく言ったよね。)僕の様子を伺ってた連中が気色ばむのが分かった。でも、面と向かって文句を言うやつも、実際に殴りかかってきたやつもいなかった。
 先生は、何が起こっているのか、さっぱり分かっていなかった。

 「これは、ダメだ。今は耐えて高校からの生活を楽しもう」と諦めた。入院したことで、僕の中学生活は完全に壊れたんだと、ずっと思っていたけど改めてそう認識した。スタートが悪すぎたんだ。高校に入れば、もう一回スタートを切れる。そこで友達をいっぱい作ろう。ここでは、僕は友達を作れない。諦めよう。と。

 僕は、そのメモを処分しなかった。取っておいた。
 先生が、「この評価を自分の糧にするためにも、ちゃんと保管しておくようにね」なんてことを言ったんだったか。確か、この企画は第二弾があるはずで、その時に、今回もらった「評価」と見比べてみよう。というようなそんな感じだったように思う。あまり覚えていないけど。
 とにかく、取っておくのはいいんだけど。それを家族に見られるのは絶対に嫌だった。自分がクラスメイトから「死ね」と言われてることなんか、知られたくなかった。だから、見つかりにくいところに隠しておいたんだけど。ある日、母に見つけられた。
「なんなの?これは!!??」
 血相を変えていた。
 僕はありのままを説明した。
 母は、担任の先生に抗議した。この、くだらない企画は一回で終わった。

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