原点
〜死ぬまで一緒に歩く肉体〜

・13 肉体

 まず最初にしたことはストレッチだった。
 体を柔らかくして、関節の駆動範囲を広げることは、あらゆる運動機能を高め、心身の快適さもアップさせる。

 とは言え。「どうせ、俺は体が固いから・・・」と最初から諦めてしまっていたものだった。ストレッチをすれば「体が柔らかくなる」なんて、知りもしなかった。(そう考えると、当時の体育教育はまだまだかなりいい加減だったと思うよね。)
 その当時、よく言われていたことは「身体の柔軟性は先天的なもので、どうにもならない」というものだった。これは「柔軟性には個人差があるから、ストレッチは無理をしてはいけない」というものが捻じ曲がって伝わってしまったことなんだと思う。

 格闘技の本を読み漁っていて、まず最初に出てくるのはとにもかくにも「ストレッチ」だ。これは、攻撃を受けた時のダメージを柔軟性が吸収し、関節駆動範囲の広さが怪我の防止にも役立つから、初心者であれ上級者であれ、かなり重要な運動だ。
 だけど、「個人差」または「先天的に固い」なんて言うことを理由に、体を折り曲げて苦しい思いをするストレッチは、運動の中では「嫌われ者」であった。
 僕にとって幸運だったのは、母が昔体操をやっていて、その写真を見たことだった。
 写真の母は180度開脚をして、床にべったりと脚を開いて上半身を立ててポーズを取っていた。僕は驚いた。「本当にこんなことってできるんだ!!」
 その記憶があったから、当時の僕の体は相当に固かったけれども、「ストレッチをすれば、俺もかなり柔らかくなるんじゃないかな?」と思い込むことができた。
 そして、実のところそれは正解だったのだ。

 僕は毎日毎日取り憑かれたかのようにストレッチをした。手術をした個所に負担はかからないし、すごく疲れる運動をして体にダメージを負うわけでもなかったから、いくらでもやれた。
 僕の脚は、骨の「付け直した」角度により、あまり横には開かないようにはなっていたが、前後にはまったく問題なく開くことが分かった。前後に180度開脚して上半身を立てる。それが僕の目標だった。

 実際。面白い効果が顕れてきた。
 僕は、格闘技や武道にあこがれ、腕立て伏せやら腹筋やらもしてはいたが、もともとの体力が無かったから無理に鍛錬することはなかった。だけど、しつこいくらいに打ち込んだストレッチのおかげで僕の運動能力は格段に上がったのだ。
 僕自身が本当にびっくりするくらい能力が上がった。
 体が、自分のイメージする通りに動くようになってきたことがとにかく大きかった。持久力とか瞬発力はほとんど変わらないんだけど、「身体機能」はまったく違っていた。「力」の問題じゃなくって、「運動効率」の問題なんだと思う。
 自分の脳が体に命令を出し、それが神経を伝って体が実際に動く。その機能において、体の柔軟性は非常に大きな関わりを持っていたのだ。ストレッチで柔軟性が格段に増した僕の体は、僕が思っている以上に僕の思い通りに動くようになっていった。
 それによって、僕は「クロールなら俺が一番速い」なんて思っていた頃の自信をわずかばかり取り戻してきていた。

 自信を回復してきた僕は、ある日の体育のサッカーの時間にキーパーに志願した。
 このポジションは、当時は(今もかな?)運動の苦手な子が押し付けられるポジションだった。自分に自信のある子は前の方に行き、点を取りたがった。
 でも、僕はあえてキーパーを選んだ。
 自信があったのだ。
 前の方に行ってろくにボールに触らないより、キーパーになって相手の攻撃に晒されることで自分の能力を確かめたかったのだ。

 そして、僕の思惑は当たった。
 僕は敵チームのシュートをことごとく防いだ。みんな目を丸くして驚いていた。(学校体育のキーパーは通常ほとんどザルで、シュートを止めること自体ものすごく珍しいことだったのだ)
 敵の動きがよく見えた。シュートコースも読めた。だから後は反応して防ぐだけだった。僕の体はつまり、反応したのだ。
 密集の中から、敵の一人が狙いすましてシュートをした。しかし、僕はその動きを読んでいて真正面で止めた。
 敵のコーナーキックの時、上がったボールを僕は飛び出してジャンプ。ひょいっとキャッチした。

 今でも、そのときのことは覚えている。体が思うように動いたその瞬間の喜びと驚きは、絶対に色あせることがない。僕は今でも「脚の病気が無ければ、俺は絶対すごいスポーツ選手になってたはずだ」と信じている。「親バカ」なんて言葉があるが、さしずめこれは「自分バカ」と言ったところだろうか。

 僕は自分の体を鍛えることに夢中になった。
「ろくに動くことはないだろう」と思っていた体は、僕なんかが思ってもみないほど、可能性に満ちた輝かしい存在だったのだ。だんだん鍛えられていって、少々きつめの運動をしても耐えられるようになってくると、夜中に走りに出てみたり、縄跳びをしてみたり、いろいろするようになった。やりすぎると右脚の付け根に疲労がたまり、股関節が「疼いて」すごく嫌な気分にもなるんだけど、でも、それはそれで充実感があった。

 鍛錬には、「自分の肉体と向き合う」という本質がある。
 ストレッチにしても無理をすると筋を痛めてしまって、体にダメージを負わせてしまうことになる。筋力トレーニングもそうだ。だから自分にできる範囲はどれくらいなのかを、常に自分の肉体と対話をしながら進めていかなくてはならない。
 この頃から、僕は今までにない気持ちを抱いていた。
 この、自分の肉体に対して。
 それは、その時以来今でもずっとこの心に抱いている気持ちだ。

「この肉体は、誰なのだろう」
「この肉体は、誰のものなのだろう」
「この肉体は、俺と一緒に生きているんだ」

 自分の肉体を鍛え、そのために肉体に声をかけ、肉体の声に耳を傾ける。僕はその時気がついたことがあった。

「この肉体は、死ぬまで俺と一緒に生きるんだ」


 気がつくと、僕は友人たちと自転車で遠出をしても、取り残されることがなくなっていた。

・14 自信がもたらしたもの

 さて。こうやって自分の体を鍛えて、自信を回復してきた僕は、部活にもますます気合いが入っていた。
 2年生の時には、上級生に対してもタメ口も聞いたりしつつ、部活のオピニオンリーダーになっていた。僕は、「漫画研究部」という以上、漫画を描かなくってどうする。と、部員全員を焚付けた。
 会報を発行する際にイラストなんかでお茶を濁すやつの作品は載せない。と勝手に決定して通達した。
 とは言え。もちろん、僕にそんな権限はない。だけど、僕には勢いと迫力があった。なんでだか僕が「こうする!」と言ったらそうなった。これがいわゆる「気合い」というやつだろう。
 僕は、漫画に対して他の誰よりも真剣だった。その気合いが伝わって「こいつが言うんだったら仕方ない」となったのだろう。
 それに。本当のところ、みんなそういうものを求めていたんだと思う。引っぱたいてでも「漫画を描け!!」って言われて、〆切に追われながらも一生懸命原稿に向かうことを。
 だから、みんなすごく楽しそうだった。
 会報ができあがると、それは今までとはまったく違うものに仕上がった。ほとんどが漫画で埋められているのだ。そしてそこには情熱があった。そりゃ、素人が作ったもんかもしれない。でも、今でも僕はこの時のみんなの作品を読みたくなる。この時のみんなの作品が無条件で大好きなのだ。
 こうやって、厳しく作品を作っていく気合いはみんなに伝染した。それまで頼りにならねぇと思っていた先輩が「お前に任せてばかりではいられない」と自覚を深め、最年長として部活を引っ張り出した。後輩は「自分の作品はこれでは納得ができないんです」と、自分自らボツにするヤツまで出てくる始末だった。逆に僕が「せっかく描いたんだから載せようよ」と説得したくらいだった。

 そして、気合いの乗った僕はついにそれまで誰もしたことがなかったことをした。
 それは、「近隣の学校の漫画研究部との合同誌作成」だった。
 運動部なんかと違って、基本的に漫画研究部なんていうのは余所の学校とは交流はないものだ。今までそんなことを考えたヤツはいないし、提案しても先輩からは「それはさすがに無理だと思うよ」と言われた。
 でも、やりたかった。自分達は、気合いが入って熱く漫画に取り組めた。近隣のヤツらだって一緒にやれるはずだ。そう勝手に確信していたから、計画を進めていった。
 いろんなヤツらの知り合い関係から何校かに打診して2校から「やろう」という返事をもらった。
 さっそく3校のメンバー10数人で会合を開いた。
 話し合いはものすごく楽しかった。「こんなバカな話に乗らないなんてわけないじゃん」というノリが全員にあった。掲載に関してはバランスを取ることが編集作業には求められた。どこの学校の誰の作品をどの位置に配置するか、などはなかなか慎重な対応が必要だった。やっぱり漫画を描いてそれを人に読ませようなんて考える人間は大抵プライドは高かったりするもんだからね。
 発行に際しての資金集めのこととか、各学校への作業の振り分けとか、細かい仕事がいっぱいあった。でも、みんなでそれを乗り切った。実際のところ、僕は作業ではあまり役に立ってなかったように覚えている。僕はただ「やるぞ!」と提案してそれを押し切っただけだった。
 出来上がった本は、とにもかくにも深い思い出の一品となった。
 そして何より楽しかったのは、その本を売るそれぞれの学校の学園祭にみんなで遊びに行ってみんなで喜びを分かち合ったことだった。参加した2校の人達とも仲良くなって、本を作った後もたまに遊んだりした。
 それまでの、ただ集まってうつむいて絵をちょこちょこと描いていた頃の漫研からは想像もできない姿だった。
 漫画研究部はすっかり変わった。

 その時の変化が良い伝統になったかどうかは、今となっては分からない。でも、僕らが灯した情熱は数年消えることがなかったのは、OBとして遊びに行ったときに目にしている。

 肉体の変化と共に、精神も飛躍的に充実していった。その結果、信じられない力も発揮できた。
 自分が変化していくことを常に感じていた。
 本当に楽しかった。
 僕は17歳のとき、漫画を生涯の仕事にしようと決心した。
 僕は、肉体の鍛錬をずっと続けた。
 その頃はプロレスの団体UWFに憧れ、ますます一生懸命体を鍛えることに没頭していた。ストレッチはもちろん、スクワット、腕立て伏せ、腹筋、背筋。スポーツ選手でもないのに、毎日毎日一生懸命鍛錬した。
 ただ、自分のために鍛錬した。試合もないし、仲間もいなかった。だけど、自分の肉体と向き合う毎日がひたすら楽しかった。これは、その時の僕に許される唯一のスポーツだった。

 高校を卒業した頃。18歳の時。脚の病気になってから6年経った時、僕はふと思い立ってあることをしてみた。
 それは、自分の限界までスクワットをしてみるということだった。

(次へ)

トップへ