vol.10

 一ヶ月が経ち、香はリハビリも始まって大分良くなってきていた。
 元気良く病室に入ってくるのはかすみでその後ろから美樹と海坊主の姿も見えた。
 身体を起こして出迎える香に、「無理しなくていいのよ」と美樹が制するが「これもリハビリだからね〜」と明るく答える。
 毎日入れ替わり来てくれる友達に香は心から感謝をしていた。一人でここにいても考えは暗い方へ落ち込むばかりで、いつも見舞いに来てくれる友達に救われていた。
「あれ?冴羽さんは?」
「今日はまだ来てないみたいね…どうせ私がいないことをいいことにどっかで油売ってるんでしょ?」
 そう言うと海坊主と美樹が顔を見合わせて笑った。
「どう、したの?二人して笑ったりして…」
 香が不審そうな顔で見ると美樹が小さな声で香に耳打ちをしてきた。
「冴羽さん、香さんがいないから最近荒れまくってるのよ。全く素直じゃないわよね」
 用事があってマンションへ行ったとき、部屋の荒れように驚いたんだという。
「あの男にしては殊勝な事だ。珍しく反省しているみたいだからな」
 海坊主がボソリと言うと後ろから「誰がだよ」と不機嫌な声が聞こえてきた。
「あら、冴羽さん」
「美樹ちゃんも余計なこと言わないでくれよ…ったく…」
 ガシガシと頭を掻いてバツの悪そうな顔で乱暴に椅子に座り込んだ。それを見て香はクスリと笑った。リョウが自分が居なくて少しでも寂しいと思ってくれているのだろうか。それとも自責の念で荒れているのだろうか。どちらかと言えば後者の方だろうと香は思う。
 リョウならばきっと自分を責めるだろうから。
 みんなで少しの時間話をして、美樹達は帰っていった。
 リョウは椅子に座ったまま香の側にいる。リョウが少しだけ優しいのはきっと自分を責めているからだ。
「…あいつは来ねぇのか…?」
「健ちゃんのこと?」
「…ああ…」
 健二も香の見舞いを欠かさなかった。狙われていたことも知っていたのに香との接触をやめなかったことにやはり罪悪感を感じているのだろう。
 自分が身の置いてる世界がこういう世界なのだから仕方がないことだったのだと香は思っているのに、健二はそれを認めなかった。
 健二は会社のトップに立つ人間だ。暇な時間など無いはずなのに毎日のように香の元へ訪れる。時間にしてみればほんの僅かな時間だがそれでも必ず顔を見せてくれる幼なじみに香は感謝していた。
「健ちゃんは、誰かさんと違って忙しいからね〜」
 そう言って入ってきた看護婦に目を取られてるリョウに皮肉る様に言うと、視線がこちらへ返ってくる。
「…悪かったな、暇人で」
「ホントよ。ちゃん仕事してるの?何より家の中が心配だわ…」
 リョウは掃除をするようなマメな性格じゃないのはよく解っている。やろうと思えばなんでもやれるタイプだが、部屋の掃除をしているとは思えなかった。
 香がとぼけているリョウを咎めようとしたとき、部屋のドアを開けて健二が入ってきた。
「調子はどう?香ちゃん」
 手には綺麗で高そうな花束を抱えていて、それがやたらと絵になる男ぶりだった。
「健ちゃん、いつもありがとう。仕事忙しいのに無理してない?」
「大丈夫だよ。香ちゃんはそんなこと心配しないで早く治してね。あ、冴羽さん、こんにちわ」
「ついでのような挨拶どうもありがとうよ」
 椅子に座ったままで不機嫌そうに言ったリョウをみて、香と健二は顔を見合わせて笑う。
「ついでなんだからしょうがないじゃない」
「へぇへぇ、男にはつれないのな。小野ちゃんって」
 そんな軽口を叩けるようになった二人に香は嬉しかった。自分の友達を認めて貰ったようで、何処か誇らしく感じられた。
 他愛のない出来事を話して、健二は席を立った。
「じゃ、また来るよ」
 するとリョウも立ち上がり、「俺も帰るか」と一つ伸びをする。
「二人とも気を付けてね」
 健二は振り向いて笑顔で部屋を出て、リョウは後ろ手にヒラヒラと振って出て行った。
「二人で帰るなんて、珍しいわね…」
 香は楽しかった一時で体力を使い果たし、そのまま誘われる様に眠りに付いた。


 それから数週間経ち、もう日常生活に支障はないだろうと言うことで退院の日付が決まった。
「明日、退院だからね。出来れば早めに帰りたいんだけど、先生の都合で三時くらいになっちゃうみたいなの」
 いつものように来たリョウに退院の予定を話していた。まだ痩せた体重や、時折見せる傷の痛みに耐える顔もあったが随分と回復したのが解る。
「じゃ、三時くらいに迎えにくりゃ〜いいんだな?」
 リョウは先に持って帰る荷物を手にして軽々と持ち上げる。
「羽は十分伸ばしたでしょ?私がいなくて」
 香が悪戯っぽく笑いながら言うとリョウも同じようにニヤリと笑って返してくる。
「十分とは言えないが、まあ久々にお小言言うヤツがいなくて清々してたよ」
「言ってくれるわね…明日からはまたビシバシと働かせるからそのつもりで」
「ええ〜美人の依頼じゃないと僕ちゃんやる気でないな〜…」
 そう言うリョウに枕が飛んでくる。
「文句言わせないからね!」
 枕をひょいと交わして、リョウはいそいそとドアを開けた。
「じゃ、明日な」
「お迎えヨロシク」
 背を向けていたリョウが香の方を振り返り、少しだけ笑った。
「…?」
「…じゃあな」
 その笑みに何が含まれていたのか、香には解らなかった。



 明くる日、三時になって向かえに来たのは健二だった。
「あれー?健ちゃん…どうしたの?」
 もういつでも帰れる仕度を調えていた香が、思わぬ迎えに目を見開いた。
「冴羽さんから連絡貰ってね。仕事が入ってしまって香ちゃんを迎えに行けないからお願いできないかって。しかもその仕事がちょっと厄介で暫く掛かりそうだから病み上がりの香ちゃんが心配だから当面うちで預かっていてくれ、と言うことだったんだけど…」
 香の表情が曇るのがわかった。それが健二を少し切ない気持ちにさせたがそれを押し殺し健二は笑顔を見せる。
「ほら、冴羽さんも心配なんだよ。今回のこともあったしまだ本調子でない香ちゃんを一人するのは心配なんだって」
「リョウ、何処か行ってるの?」
「僕もよく解らないけど、仕事で当分家を空けるって」
 何処か納得出来ない気持ちがあるが、リョウに心配ばかりはかけたくないというのも本音だ。香は渋々健二の話を了承して当面健二の家で暮らすことになった。

 退院したから二週間の間、リョウから一度も連絡はない。そして何よりマンションへ行くことすら許されなかった。
「冴羽さんからマンションも今は事件で危ないから寄りつくな、ときつく言われている」
 と言われてしまい、行くこともままならない。
 だが、次第に不信感が募る。
 リョウがこんなに連絡を取れないなんてことは無いはずだ。裏社会でトップに立つ男がどれだけの情報網を持っているか香は知っている。そうなれば連絡を取る手段だって必ずあるはずだ。
 何処かおかしい。
 健二は何かを隠している。
 香の直感がそう告げていた。
 健二の帰宅を待って、香は健二を呼び出した。リビングで健二と向かい合い、そして自分の持つ不快感を告げる。
「ねぇ健ちゃん。私に何か言わなくちゃいけないことがない?」
 その言葉に健二は瞠目した。それが香の直感に確信をもたらす。
 健二は香の言葉に諦めたような溜息を付いた。
「もう、二週間だ。そろそろ本当のことを言っても良い頃だよね」
 その言葉が、香を緊張させる。何処か嫌なニュアンスを含んでいるようで背中に一瞬冷たい物が走った。
「…もう、香ちゃんは冴羽さんのパートナーじゃなくなった」
「……え…?」
 言っている意味がよく解らなかった。
 健二の言葉は耳には入ってくるが頭で理解できない。何度も頭の中で言われた言葉を反復する。
 パートナーじゃない?
「冴羽さんからの伝言だ。どうか日の光の下で幸せに。って……」
 香が健二の目をじっと見詰めた。嘘だと言って欲しい。冗談だよ、と笑って話を変えて欲しい。
 だが香を見詰める健二の目は真剣でそれが嘘偽り無いことだと言っていた。
 香は首を横に振る。何度も何度も振って何か言おうとしても声が出ない。
 大きな瞳が潤み、そして雫が溢れ出した。
「……ど、…して……」
 嗚咽の合間に出た言葉はリョウに対してだった。



 どうして?
 もう足手纏いな私は切り捨てようと思ったの?
 重荷にしかなれなかった私は…やっぱりただの預かり物だったの?
 問い詰めたくても相手はいない。
 何も言わせてもくれない。
 一つ一つ解決なんて出来ないじゃない。
 アニキ。
 だって解決したくても。
 もう、自分は見放されてしまったから。



 泣いて、その事実を受け入れた香は自分の意識が遠のいていくのを感じた。
 もう、自分がどう生きていっていいのか、解らない。
 そして暗闇の中へと落ちていった。




 












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――――2008.12.14up