vol.11

 香はそのまま健二の家に留まることになった。健二から本当のことを聞かされたあの日から香の精神状態が不安定になったのだ。
 表だっては明るく振る舞ってみていても身体は正直で、食べ物を受け付けなくなり食べてもすぐに戻してしまうのだ。
 それを繰り返しているうちに、身体は衰弱し始め、またベッドから起き上がることが出来なくなってしまっていた。
 医者に診せようとしても頑なに香が嫌がるので、ホームドクターを家に呼び見て貰ったところ身体の傷からではなくやはり心因的なことが原因だと言うことだった。
 まるで、生きることを拒絶しているかのように香の身体は衰弱していく。
「心配かけてごめんね」
 と笑う顔が昔とはほど遠い。あれ程天真爛漫に笑う香の微笑みは消えてしまっていた。

 香の状態とリョウの行方が解らなくなったのを気にした美樹達がリョウを探してくれている様だったが、腕の立つ海坊主でもなかなか尻尾を掴めないでいる。
 目撃者も少なく、新宿にはすでにいないのではないかと思っていた矢先、朗報が入ってきた。
 深夜の新宿でリョウを見かけたというのだ。
 だがそれ以上のことは結局解らず終いだった。それでもまだ希望はある、と香に言い聞かせ少しでも身体の状態を良くさせてやりたかった。
 物を受け付けなくなってからは点滴で栄養を補っていたがリョウを見かけたという情報から少しだけ回復を見せていた。
 ベッドのヘッドボードに寄りかかり上半身を起こして窓の外を見詰める香がいた。
 何処を見ているのだろうか。
 健二はそんな香の横顔をずっと見詰めていた。
 香に想いを寄せたのはまだ幼い頃だった。それから引っ越しをするまでずっと香のことが好きだった。
 時間は過ぎてその間色んな人と経験をし、過ごしてきたが、またこうして香と出合いまた香に惹かれている自分がいるのも解っていた。
 だが香の求めている人は自分ではないのだ。
 外を見詰めていた香がぼそりと一言漏らす。
「…私の生きている意味って…何処にあるんだろう……」
 そう言って、ただ静かに頬を濡らしていた。
 誰も身内も居ない天涯孤独の香。唯一の拠り所だったのは優しい兄で、その兄を亡くしてからずっと共に過ごしてきた冴羽リョウという男だったのだろう。だがその男に最後通牒を突きつけられ行き場を無くしてしまった。
 健二の身体は勝手に動いていた。香をきつく抱きしめていた。
 そして抱きしめながら香に言い聞かせるように囁いた。
「香ちゃんはここで生きていけばいい……僕と一緒にここで生きていこう」
 香は抵抗もせず、健二に抱きしめられていた。自分の知らない男の匂い。自分が知っているのは、煙草とアルコールと、そして硝煙の匂いがするこの世で一番不器用で愛しい男だ。
 ゆっくりと緩慢な動作で健二の腕を外していく。それでも香はあの男を求めてやまない自分の心に呆れるしかなかった。
「…ごめん、ね…健ちゃん……私の生きていたい場所は……ここじゃないの…」
 解っていた。香があの冴羽リョウに思いを寄せ、そしてあの男も深く香のことを大切に思っていたことを。
 それでも、香を奪えるのであればいいと思った。哀しみに漬け込んででも香を自分の物にしたかった。昔から好きだった天真爛漫に笑う香。
「ごめん、混乱させることを言ってしまったね…」
 ゆっくりと香から離れ健二は香の見えない所できつく自分の拳を握りしめた。また抱きしめてしまいそうなほど、香は健気に冴羽リョウのことを思い続けていたから。


 高級住宅街の一角にその広い家はあった。
 小室財閥の養子、小野健二の住む家だ。広々とした庭に独りで住むには広すぎる建物。その二階の一番日当たりのいい部屋には今、槇村香が住んでいる。
 その日は小雨で肌寒い日だった。リョウは健二の家より手前のブロックで車を止め、塀に隠れるようにその部屋を覗き込んだ。
 カーテンは引かれておらず、窓際に置かれたベッドに香が座っているのが見えた。
 その情報は正しかった。
 香の容態が芳しくなく、また衰弱し始めているという事だった。怪我を負ったことで体力を削がれ、そして今は精神的な物から来るストレスで食事も取れないと聞いた。
 窓から見える香は最後に見た時よりまた痩せ細ってしまっていた。
 小雨は次第に本降りへと変わる。
 こんな所にまで来て自分はどうしたかったのだろうか。
 またあの手を取って大丈夫だと言ってやりたい。だがいたずらにこちらの世界へ引き戻す様な事はしてはいけないのだ。
 香から手を離したあの日から自分は二度と香の前に現れないと決めていた。
 だが香の容態を聞きつけ、どうしても確認したくてこうやってのこのこと小野健二宅の側までやってきてしまっていた。
 ざまぁねぇな。と自嘲して踵を返しす。
 今更自分にしてやれる事など無いのだと、そう言い聞かせて。


 その男を見たのは一瞬だった。
 少し長目の黒いコートにジーンズをはいていて、そして香の部屋からはほとんど見えない場所に立っていたようだ。
 翻るコートに一瞬だけ見えた肩は見慣れた男の物だった。
 香は窓に手を付いて叫ぶ。
 男の名を。今出来る限りの精一杯で叫ぶが声は届かない。
 後を追うようにしてベッドから飛び降りるが上手く起き上がることが出来なかった。

 何度も何度も転びながら玄関へ出ると、その男は既にその場にはいなかった。
 服が濡れていく。
 その感触にただ打ち拉がれていた。今の香には追うことも出来ない。雨は次第に強さを増していく。
「香ちゃんっ!どうしたの?」
 濡れてただ立ち竦む香に健二に腕を引かれ室内へと連れ戻された。
 濡れた服とそして冷えた身体を温めるために風呂に入れられ、そして温かい飲み物を家政婦が持ってきてくれた。
「……リョウが…居たの。私のこと少しでも気にかけてくれるのかな?」
 涙すら枯渇してしまったのか、香は哀しそうに笑うだけで決して涙を見せなかった。
 それすらがもう痛々しくて健二は抱きしめたい衝動に駆られる。無防備にすべてを晒す香が愛おしかった。
「香ちゃん、冴羽さんは僕がどんな事をしてでも探してあげるから…」
 自分が出来る唯一のことはこんな事くらいしか無い。本当は自分が支えになってやりたいと思うが自分ばかりが思っても仕方のないことだ。
 想いを寄せる目の前の彼女はこれほどまでに他の男を愛してやまないのだ。ならば自分の愛しい人の為にしてやれることはこの位しかない。
「……ありがとう…」
 だが香の言葉には何処か諦めの雰囲気が混じっていた。
 このままでは駄目だと、健二は固く決意をしていた。

 

 
 












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――――2008.12.17up