vol.2

「ありがとう。ここでいいわ」
 階段を上がり玄関まで来た香は後ろから荷物を持ってきてくれた健二を振り返った。玄関先に荷物降ろして貰いそして二人して一息付いた。
 健二が持ってくれいていた買い物袋は重たい物ばかりだった。油や飲み物それに野菜。香り一人ならば何度も階段で足を止めていただろうと言う荷物を事も無げに運んでくれた。
 いつもならば無駄に体力のある相棒を呼び出して運ばせるのだが、健二の言葉に甘えてしまいやはり再会したばかりで悪いことをしたと香は内心で反省していた。
「ね、健ちゃん。良かったらお茶でも飲んで行ってよ」
 玄関で荷物を受け取りながら香は健二にそう申し出るが、健二は首を横に振った。
「ありがとう。けど実はこれからまだ仕事が残っていてまた会社に戻らないといけないんだ。今はちょうど休憩時間でね、抜けてきたところで香ちゃんに出会えて本当にラッキーだったよ」
「わっ!そうだったの?…なら悪い事しちゃった…ごめんなさい…」
 自分に付き合わせてしまった事をやはり後悔して香は慌てるが、健二はそれは気にしていないようで申し訳なさそうにする香に笑顔で答えた。
「大きな仕事は残してないから大丈夫だし、ちょっと休憩時間が延びたくらいだからホント気にしないで。それに俺は香ちゃんに会えたことの方が何より嬉しいんだから」
 そう言って健二は携帯を取り出した。
「香ちゃん、番号とメールアドレス教えてくれる?」
「ちょっと待ってね」
 ポケットから携帯を取り出して香は自分のアドレスを教えた。今の携帯はとても便利だ。お互いに赤外線が付いていればそれで自分の登録しているプロフィールが送れてしまうのだから。一昔前からは想像も出来ない世界だ。
 GPS機能が付いてれば居場所も確認できる。それが故に相棒は持つのを未だに拒み続けているが。
 アドレスを交換して健二が帰っていった。
「今度は食事にでも行ってゆっくりと話そう」と言う言葉を残して。



 健二を見送って香は玄関に置かれっぱなしの荷物を食道へ運ぶ。
「ちょっと!リョウ!手伝ってくれても良いでしょ!」
 そう叫べばリビングから頭を掻きむしりながら五月蝿そうな顔で相棒が出てきた。
「ったく…うるせぇな〜…」
「そうやってアンタの気が利かないからいけないのよ」
「さっきの坊やは優しそうだったもんなぁ〜」
 揶揄うようにリョウが言う。
「やっぱり解ってたのに出てこなかったんだ」
「あんで俺が出て行かなきゃいけないんだよ」
「……」
 香が言葉に詰まってちらりとリョウを見る。リョウは荷物を置いてまた顔にからかいの笑みを浮かべた。
「随分といい男だったじゃない?何処で引っかけてきたのよ、香ちゃん」
 自分はいつもリョウの事でヤキモキさせられているのに、この男は自分には一切そう言う片鱗を見せてはくれない。
 自分が惚れているのを痛感させられるのが悔しい。
 だからこれは香の精一杯の意地なのだ。
「いい男でしょ?優しいし。…気になる?」
 絶対に卑屈にはならない。リョウの言葉で振り回されないように香は挑発するような視線をリョウへ向けた。
 いつものように突っかかってこない代わりに、向けられる視線の強さにリョウは揶揄する表情を崩さずに答える。
「良かったじゃん、香ちゃん。女として認められたんだ!」
 期待していた訳じゃない。
 リョウにとって香が重たい荷物なのだと言うことは誰に言われなくてもその荷物である自分が一番よく解っている。
 だからリョウが自分に対して持つ感情に恋愛のそれが含まれないこともよく解っていた。
 だが、長年共に一緒にいれば少なからずも期待はしていた。
 もしかしたら。
 と言う淡い期待。
 だがこう言うときは痛いほどリョウが自分を突き放そうとしているのが解ってしまうのが香には居たたまれなかった。
「リョウ上から見てたでしょ?」
「み、見てネェよ」
「じゃあ、何で健ちゃんがいい男だなんて解るのよ。さっき玄関まで荷物持ってきてくれたとき顔も出さなかったのに」
 伊達に長く一緒にいない。リョウの行動パターンなんぞお見通しだ。
 少しでもいい。
 自分を必要として欲しい。
 自分のことを心配で見ていたのだと思わせて欲しかった。
 香はこの無節操な男の優しさをずっと見てきた。表は女と見れば見境が無く、どうしょうもなく軽く見られるこの男は本質はとても優しい人間だというのを知っている。
 だから香もリョウに惹かれる。一番近くでその強さと優しさを見せつけられ、惹かれない方が無理だという物だ。
 だがこの男はそれすらも許してくれない。
 リョウにとって香は「大切な預かり物」だという気持ちが抜けないから。
 だから何かあればリョウはきっと自分の手を離す。
 香がリョウを必要だと手を伸ばしても、その先に危険が待っていればリョウはその手を迷わずに離してしまうだろう。
 絡まる視線はお互いの心の内を探るようで。
「自意識過剰…」
 ぼそりと零したリョウの言葉が均衡を破り、香の天誅がリョウの腹にぶち込まれた。
 


 大きな溜息を付いて香は飲んでいたコーヒーカップをソーサに戻した。
 いつも来るこの店は暖かくて好きだ。迎えてくれる美人の美樹は心を許せる友達でもあり、そしてその横で無言の境地で黙々とカップを拭くこの店のマスターのパートナーでもある。
「また冴羽さん絡み?」
 溜息の元凶を言い当てた美樹は苦笑いをする。
 どうみても香の表情は暗いし、いつも以上に落ち込んでいる。普段の愚痴はやれ女の尻を追い掛けてるだの仕事をしないだのと事で取り分け神妙な物ではないのだが、香がこういう表情をしているときは内面的に追い詰められていることを美樹はもう重々承知だった。
 少なくなったカップにコーヒーを注ぎ足してやると香は項垂れていた顔を上げた。
「あたしって…アイツの何なんだろう?」
 無理矢理作り出された笑顔は泣き出しそうで香の苦しみが現されている。
「何って、パートナーでしょ?あの冴羽さんを止められるのは香さんしかいないじゃない」
 とは言っても香は納得出来ない様子で頭を横に振る。
「違うわ。リョウにとって私は重荷に過ぎない。解ってるの。リョウが私のこと大切な預かり物だって言っていたこともそれの意味がどういう事かもも解ってる。だけど…ッ!」
 そこまで言うと香は感情が溢れ出さないように大きく溜息をまた一つ付いた。
「…だからあたしは…荷物にならないように強くなりたい。美樹さん達みたいに互いに信頼しあえる関係になりたいのに…」
「香さん…どうしてそんな風に思うの?冴羽さんは十分香さんを信頼してると思うけど?」
「今日ね、私の幼なじみに偶然会ったの。しかも十二年ぶりに。リョウはそれを見ていた。見ていて知っていて…私に言うの…俺には関係ないって…私がその人の所へ行けば良いと思っているのが解っちゃうの」
 香はリョウの事が好きだ。恋愛経験が豊富ではないのでリョウにその気持ちを伝えた事もないし、ましてや恥ずかしさが勝ってしまって表に出す事も出来ない。
 リョウはきっと気が付いているだろう。だがそれを解っていて今まで何も言わないでいてくれたという事は相手も少なからず自分に対しての好意があるからだと香は思っていた。
 だが今日みたいな時、自分はただの「預かり物」だというのを実感する。
 槇村の妹。
 だからリョウは自分を側に置いていてくれているだけなんだと、そう思うと哀しくて仕方がなかった。
 泣きたくなるのを抑えて香は大きく深呼吸をする。
 すると今まで黙々とカップを拭いていた美樹のパートナーである海坊主が重い口を開いた。
「……アイツは不器用な上に恐がりだからな」
 その言葉の意図が分からず香は海坊主をじっと見詰めるがその先は聞き出せなかった。
 ただもう一言が香の気持ちを軽くしてくれたのは間違いなかった。
「信頼していなければとっくにお前はお払い箱になってるはずだ」
 その言葉を聞いて香はやっと笑みを浮かべる事が出来た。
「……ありがとう…海坊主さん…」



 少し気を取り直してアパートへ帰ると相変わらずリョウはリビングでエロ本を広げていた。
 夕飯にはまだ早い時間で香はグフグフ言いながらエロ本を読んでいる男に声を掛ける。
「リョウ、コーヒー入れるけど飲む?」
 すると「ちょっと濃い目で」と返事が返ってきた。
 これで良いのだ。香さえ意識しなければ今まで通りの関係は築いていける。
「了解」
 と、軽口で返してコーヒーを煎れるためにリビングを後にした。
 コーヒーを煎れてリビングへ行きそしてリョウの斜向かいへ腰を下ろして雑誌を捲る。
 穏やかな時間は香の心を落ち着かせてくれた。
 リョウは何も言わないのだから自分は此処にいて良いのだ。何処にいたいか、行きたいか。その選択権は香にある。だってリョウは何も言わないと言う事はそれは香に委ねられているという事なのだと解ったら気持ちが楽になった。
 平常を取り戻した香が一つ深呼吸するとソファに寝転んでいたリョウが上目遣いに覗き込んでいた。
「何よ」
 強気で切り返せば、
「んにゃ、何でもない」
 とまた持っていたエロ本に目を戻した。
 全部見透かされているようで、それでもリョウが香を気にして深呼吸の意味を知りたかったのだと思ったら心地よい温かさが胸に宿った。



 暫くして香の携帯がテーブルの上で鳴り響いた。
 着信を見れば「小野健二」と表示されていて思わず香は手が止まる。だが少し考えてから香は通話ボタンを押した。
「もしもし?」
 それは健二から早速食事の約束と取り付ける電話で、香は斜向かいで寝ているリョウを気にしながら、それでも自分さえここにいるという意志がハッキリしていればいいのだと思い、その約束を承諾した。しかも相手が自分の事をそんな風に考えているとは到底思えないという事もあったのだが。
 リョウの気持ちは気になるが、それよりも十二年ぶりに再会した友達と過ごす時間の事を考えて後者を選択した。
 電話を切り、向かいにいるリョウへ声を掛ける。
「ね、リョウ。今日の夜、ちょっと出掛けてくるけど…良い?」
 その言葉にやはり揶揄う様に笑う。
「何?香ちゃん早速デート?」
 この言葉を買って出た香はニコリと笑って「もちろんそうよ」と言い放ち、
「だから夕飯は適当に済ませてね」
 と言って余裕の笑みを返してリビングを出ていった。




















1<< >>3

――――2008.11.16up