vol.3

 それから少しして香が自室から出てきてリビングへ顔を出した。どうやら今から出掛けるらしく準備が整ったのかリョウに声を掛けに来た。
 がりゃりと開いたドアを見て一瞬リョウの思考が止まる。
 膝丈の黒いシックなイブニングを着た香が立っていた。ピンヒールが香のスラリとした脚を強調していて余計にスタイルがよく見える。
 まだコートを羽織っていない香は胸元まで開いたイブニングの上に流行のボレロタイプの軽いニットを羽織っていた。
「こりゃ…また…何処ぞのパーティーに行くんですか?香さん…」
 余りのめかしっぷりに少々呆れ顔でリョウが聞いた。だが内心はドキッとした。いつの間にこんなにいい女に成長していたのだろうかと舌を巻く。いつもは飾りっ気のない服を着ているから気が付かないが香の資質は素晴らしい物だった。
「ちょっとね、何処ぞの高級ホテルへお呼ばれしたので」
 と鼻でフフンと笑ってリョウをやり込めた。
 明らかにリョウの目が泳いでいるというか落ち着きがないのに気が付いて、香は少し嬉しくなる。だがそれをおくびにも出さないようにして下目使いにリョウを見て不敵に笑ってやった。
「どう?少しは見違えたでしょ?」
 と言う香に対してリョウはボソリと呟いた。
「…馬子にも衣装…」
 それを聞き逃さなかった香からまた強烈なボディブローを貰ったのは言うまでもない。

 香が出て行くのをリョウはベランダから見ていた。香が出て行くと目の前に止めてあったベンツのドアが開く。しっかり迎えに来ていたらしい幼なじみの車に乗り込んで車は発進した。
 少し後方に路駐していた車がそれと同時に動き出すのを見てリョウは一つ溜め息を付いた。
「おやおや…物騒だ事……」
 そしてジャケットを手にしてリョウも部屋を後にした。




 香が連れていかれたホテルは有名な超一流ホテルだった。そこに入っているレストランに予約を入れたからと言う電話で香の先程の身支度になったのだった。
 正面玄関へ車を乗り付けて出てきたボーイに車のキーを渡す。健二はやけに慣れている感じで香は驚いた。健二の容姿は一言で言えばイケメンだ。
 身長も百八十センチくらいでスラッとしたシルエットがスタイルの良さを物語っていた。顔もスッキリとした好青年然としていてこうやってスーツを着こなしていれば青年実業家と言うのが似合っているだろう。
「健ちゃん…こんな高い所良く来るの?…なんか住む世界が違う人みたい…」
 自然にエスコートされ少し戸惑いながらもそれに従う。
「まあ、仕事とかでね…たまに使うんだよ」
 歯切れの悪い口調でそう言うと、健二は「さ、中へ入ろう」と入口へと向かった。
 中は想像していたより素晴らしかった。開放感のあるフロントは吹き抜けでそこには大きなシャンデリアが垂れ下がり柔らかい光をロビーに降り注いでいる。
 絨毯は落ち着きのある色合いのベージュでそれに合わせたソファーがラウンジに並んでいた。
 行き交う人は皆高級感溢れる人ばかりで香は「場違いだわ…」と内心で恐縮する。それを見透かしたように健二が香の背中を軽く叩いた。
「ほら!香ちゃん。もっとしゃんとして。堂々としていればとても綺麗なんだからさ」
 その言葉に素直に頷いて気持ちが表れていた姿勢をしゃんと正した。
「そうそう。その方が香ちゃんらしいよ」
「けど…流石に気後れするわ、ここ」
 と苦笑いをすれば健二は「普通のホテルと変わらないよ」と笑った。
 最上階のレストランへ行こうとエレベーターに乗ろうとした時、後ろから健二を引き留める声がした。
「健二様、いらっしゃいませ」
 引き留めたのは初老の男で背はやや高め、白髪の交じった優しそうな顔つきをした男だった。
「小山。元気だったかい?ご無沙汰して申し訳なかった…みんな代わりはないかい?」
 その男はどうやらこのホテルの従業員のようで健二を昔から知っているようだった。健二に掛けられた言葉で少し涙ぐむ姿があった。
「おいおい…泣かないでくれよ」
 とはにかむ健二に、
「健二様だけが何故そのような理不尽を受けなければならないと思うと小山は悔しくて仕方がありません…」
 従業員と言うよりは執事と言う言葉が似合いそうな小山は健二が主人であるような口ぶりを何度もしていた。
 それを横で見ていた香は一つの疑問が湧いてくる。健二は一体何物なんだろうと言うことだった。
 小山が香の存在に気付き「失礼しました」と言って頭を下げその場を去っていった。エレベータを待ちそれに乗り込み最上階へ上がる。
 案内されたレストランは夜景が一望出来るおしゃれでとても高級感溢れる所だった。
 リザーブされていた席に腰を下ろす。その席は個室になっていてどう見てもVIPと言う感じだった。
「ねぇ、健ちゃんって…何者?こんな高いお店の予約を取れて、さっきの人はここの支配人さんでしょ?その人がまるで健ちゃんをご主人のように言っていて……」
 少し困った顔で健二は笑い、そしてスッと名刺を出してきた。それを見る前に健二が香に質問を出した。
「さぁ、このホテルは何というホテルでしょうか?」
「それくらい知ってるわ。O.N.Oホテルでしょ?いくら縁のない私でもそのくらいは……」
 と言って名刺に書かれている物をなぞって言葉を無くした。
「代表取締役?…このホテルの?」
「まあ、肩書きだけで言えばそうなるのかな?実際はこのホテルだけじゃなく他の事業も担当してるから…それは名ばかりだけどね。実際ホテルの方はさっき居た小山にやって貰っているし」
 まさか自分の幼なじみがこんな青年実業家になっているとは夢にも思わなかった。遠い世界の人のように感じてしまったが目の前で笑う健二は昔の面影を何処かに残していて優しかった。
 香は大きく一度息を吸って吐き出した。そして健二に向かって笑顔を見せた。
「健ちゃんがどんな仕事をしていても、私にとって健ちゃんは健ちゃんだわ」
 健二はその言葉を聞いて酷く嬉しそうな顔をした。
「やっぱり香ちゃんだね」
「どういう意味?」
「うーん。そのままだよ」
「じゃー可愛いって事ね」
「そう言うことにしておいてあげよう」
 そして二人は顔を合わせて笑った。


 食事はとても美味しかった。流石高級レストラン。今まで食べたことのない様な料理ばかりだったが健二が個室を選んでくれたお陰で緊張せずにゆっくりと味わえた。
 口直しのコーヒーをのみながら、香はしみじみ健二を眺めてしまった。まさか健二の家がこんな大きな企業だったとは。
 思わず漏れた溜息に健二が「どうしたの?」と覗き込んでくる。
「ちょっとね、改めて驚いていただけ。まさか健ちゃんがね〜…こんな大物になってるなんて思わなかったから…いいなぁ…こんな優雅な暮らし。うちなんて家計のやりくりすら大変なのに…」
 思わず現実に引き戻され香はがくりと肩を落とす。そんな香を見て健二が笑うのが解った。
「あ、笑ったわね。もう!本当に大変なんだから〜!」
「じゃー俺の嫁さんになればいい。ずっとこんな暮らしが出来るよ?」
 思わぬ申し出に一瞬息が詰まる。どう答えるべきか。冗談として受け流す方がいいだろう。けどもし相手が本気だったら?そんな風に考えて答え倦ねていると、今度は噴きだして笑っていた。
「冗談だよ。そんな真面目に答えないでよ……そう言えばお兄さん元気?」
 思い出したかのように言われた言葉に香は今度こそ言葉を失った。そんな香に気が付かないようで健二は話をする。
「昔良く香ちゃんちに行って遊んで貰ってたよね。勉強も解らないと教えてくれてさ。まだ警察の方で働いて……」
 見る見るうちに曇ってしまった香の表情に気が付き健二は語尾を失った。
「お兄さん…どうかしたの?」
 そう聞くと香は哀しそうに微笑んだ。
「アニキ、亡くなったんだ。8年前に」
「なんで……!」
 健二は驚きを隠せないようだった。無理もない。まだ槇村は若かったからまさか死んでいるとは誰も思わないだろう。
「ちょっとした事故でね。けどもう8年も前の話だから…」
 そう強がっては見ても今も鮮明に思い出せる兄は、夕飯を作りながら二人の宿題を見てくれていた。
 思い出を共有できる相手に思わず香の涙腺が緩む。
「香ちゃん…泣かないで……ごめんね?余計なこと聞いちゃって…」
 健二の手がスッと伸びてきて香の涙を親指で拭う。その行為に思わず涙しながらも恥ずかしさが募り顔を赤らめた。
「私こそごめんんさい。折角楽しい食事をしていたのに暗くしちゃったわね」
 そう言うと健二は首を横に振った。
「そんな大変だったことを知らなかった自分が悔しいよ……今度是非お墓参りをさせてください。お兄さんにもちゃんとご挨拶したかった…」
 そんな健二の優しさが香には嬉しかった。
「…ありがとう…健ちゃん……」



 食事を終えたエレベーターの中で健二が香に問いかけてきた。
「そういえば、香ちゃんお兄さん亡くなってからどうしてたの?この前のアパートに越したの?」
「そう…ね。そう言うことになるかしら…」
「仕事は…?さっき家計の話とかしてたから…やっぱり結婚したんじゃないの?」
 結婚という言葉に殊更大袈裟に反応してしまった香は手を大きく振ってそれを否定する。
「ち、違うわよ!結婚なんて…」
 何処まで話して良いのか戸惑いながら香は当たり障りの無いように今の現状を話した。
「アニキがやっていた仕事をそのまま引き継いでね。その相棒と今は事情があって暮らしてるの。それで家事全般も全部引き受けているから…それでね」
 そう言うと納得した反面怪訝な表情を見せる健二に香は「どうしたの?」と切り返す。
「それって…男の人?」
「そう…だけど…?」
 健二の意図がいまいち掴めない辺りは香の恋愛面での成長しない部分でもあった。
「…恋人…とか?」
 はっきりとした言葉で言われてやっと気が付く。耳まで赤くなりそうなのをどうにか抑えて香は首を横に振る。
「違うわよ…!ほんとにただの仕事上の相棒なだけ」
 今の自分達の関係を改めて口にして少しだけ落胆する。そうなのだ。自分達はそれ以上先には進んでいない。と言うか、進めない。
「じゃ…まだ俺にも望みはあるって事かな?」
 少しからかい気味に言われた言葉に多少の本気を見たような気がするが敢えて見ない振りをする。
 まだ再会して一日目で言われても、と心の何処かで思っていた。悪い気はしないがだが本気にも出来る物でもない。
 その答えを言わずしてタイミング良くエレベーターがフロント階へと辿り着いた。


 既にボーイが車を正面玄関へ回してくれていてそこには黒いベンツが用意されていた。
 車のキーを健二へ渡し健二と香が玄関の柱の影から出てきたところだった。
「やっと出てきやがった…」
 その二人を確認して煙草を携帯用吸い殻へ押しつけた。
 ホテルの脇にある茂みの暗がりを利用して身を潜めていたリョウが二人の出てくるのを気付かれないところで覗いていた。
 身を隠すのは得意だ。今まで培った経験が物をいう。
 尾行した車はこのホテルに入っていく二人の車を確認してそのまま何処かへ消えていった。途中まで車を尾行したが何度も関係ないところを回っているのを確認してリョウはホテルで待つ方が得策だと考えた。
 乗っていた車は近くのパーキングへ入れ、自分は身を潜められる場所を見付け二人の出てくるのを待っていたのだった。
 そしてお目当ての二人がやっと登場した。狙われてるのはどちらなのかは定かではない。何せ自分には恨まれる相手が多すぎて覚えていられない。だから自分のパートナーである香を狙う卑劣な輩も多かった。
 どちらかというとこっちの線の方が有力かな、と思いながら二人を見れば何やら楽しげな表情で、あんな風に屈託無く笑う香を見たのは久しぶりだった。
 リョウの胸に重たい物がのし掛かる。香から家族を奪ったのは他でもない自分のせいだ。槇村を巻き込んで挙げ句の果てには死に至らしめた。槇村をこの世界に誘わなければきっと今も仲の良い家族だっただろう。
 もしも。なんて事は現実的ではない。だが時折考えずにはいられない。
 香の幸せを願うのならば……と。
 二人が出てきたのを確認したその時だった。表通りから聞こえてくるエンジン音が先程追い掛けていた車と類似する。
 ホテルの敷地手前の車道に止まった車の窓ガラスがスッと降ろされる。そしてきらりと光った無機質な光が銃口だと気が付いたとき、リョウはその場を飛び出していた。
「香!伏せろ!」
「え!リョウ…!」
 まずは香を抱え車の影に隠れるとガンッと車に当たる鉛の音がした。
 銃声はしなかった。サイレンサーを付けているのだろう。運転席に回り込もうとしていた健二が咄嗟にこちらに避難してくる。慌てる様子も余り見せずに対処しているのを不自然に感じ、自分達が狙われてるんじゃないんだというのが解った。
 数発車に威嚇するように発砲して、キュルルとタイヤを慣らしてその場から車は消えていった。
 追おうとしても自分の車はここにはない。チッと小さくしたうちして敵が居なくなったことを確認してから立ち上がった。
「逃したか…」
 と呟いて香を立たせて「大丈夫か」と声を掛ければ訝しげな目を向けられる。
「ちょっ!助けてやったのにその目は何なんだよ…!」
「アンタ、何でこんな所にいるのよ…」
 助けて貰ったことには礼は言っておくわ、と言いながらもその高圧的な態度はリョウを威圧する。
「ま・さ・か!あたしがいないことを良いことに、誰か女をホテルに連れ込もうとしてたんじゃないでしょうね!」
 あらぬ疑いをかけられてハンマーを喰らうのは勘弁だと、リョウは必死に説明をする。
「違うっつーの!オマエ達が出掛けた時に後ろからさっきの車がずっと付けてたんだよ!だから俺はそっちを付けてきただけだ!」
「どうだか…」
「現に今発砲されただろうが!」
「ふーん…まあ良いわ。今日は助けて貰ったから信じてあげる」
 と話が一段落付いたところで香は健二の存在を思い出した。
「健ちゃん!大丈夫だった?」
 健二は立ち上がりズボンに付いた汚れを払う。
「うん、大丈夫だよ。香ちゃんに怪我が無くて良かった…」
 とそう言って大きく溜息付いた。
「健ちゃんこそ怪我無くて良かったわ…あれはどっちを狙ったのかしら…」
 と語尾を小さくしてリョウを見れば、さあ?と言うじジェスチャーが返ってくる。
 解っているくせに憎たらしい。だがここでリョウと喧嘩をするわけにもいかないので言いたい言葉をグッと飲み込んだ。
「ごめんね、香ちゃん…折角の食事がこんな惨事になってしまって…」
「ううん。無事で何よりだったわ。それに私は慣れて……」
 とまで言って健二には自分の仕事のことを話していないことを思い出してそこで口を噤む。
 香の後ろに控えてるリョウを見てる視線に気付き、香は慌ててリョウを健二に紹介した。
「あ、これは今私の仕事のパートナーなの。アニキの友達でね、今はここでお世話になってるのよ」
「……初めまして、小野健二と申します。香さんにはお兄さん共々良く遊んでいただきました。世間で言う幼なじみというヤツでしょうか。今後もお顔を合わせる機会も多くなると思いますのでどうぞ宜しくお願いします」
 ご丁寧な挨拶の中に敬遠する言葉が含まれていることに気が付かないリョウではない。苦笑いをして差し出された手に答える。
「オレは、冴羽リョウだ。まあこいつとは腐れ縁で、今に至ってるって感じだな」
 リョウの手を握りかえし笑う健二は初めてアパートで見た時に向けた視線をリョウへそのまま向けている。
 一筋縄ではいかなそうなヤツだな。と言うのがリョウの率直な感想だった。
 リョウの手を離し、そして二人へ改めて礼と詫びを入れた。
「面倒なことになりそうなのでここはこちらの方で処理させていただきます。警察に連絡もしないといけませんし、今日の所はお迎えの冴羽さんもいることなのでこちらで失礼しても良いでしょうか?」
 リョウは引っかかりを感じながらも面倒に巻き込まれるのはゴメンだと言い、今日の所はこのまま引き上げることにした。
「ごめんね。香ちゃん。この埋め合わせは必ずするから」
「ううん、平気よ。そんなこと気にしないでね。それより健ちゃんの気を付けてね…狙われている可能性もあるんだから」
「ありがとう…」
 そう返した健二の表情は複雑な物だった。
 リョウがパーキングへ車を取りに行き、香はいつも乗り慣れた助手席へと乗り込んだ。
「また連絡するよ」
 そう言った健二が香の手を取って甲へキスを落とす。
 まるで恋人と別れるような仕草に全身が紅潮していくのが解った。
「ちょ!何やってんのよ…は、恥ずかしい…」
「あはは、ごめんごめん。つい癖でね」
 どんなキザな癖だよ、とリョウが内心で毒づいたのは言うまでもない。
「行くぞ」
 と声を掛け車を発進させた。

 二人の車を見送る健二の目には何処か強い眼差しが宿っていたのを二人はこの時はまだ知らなかった。






















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