vol.5

 それからと言うもの、香は事あるごとに健二と共に過ごすようになった。健二の方は自分の持っている業務が忙しさを増しているようであまり香の誘いには答えられていないようだったが香の方が根気強く健二との時間に合わせているようだった。
 リョウはそんな香を、甲斐甲斐しいねぇ…と揶揄する言葉を投げるが香は「友達が殺されるよりはましよ!」と言ってその言葉を跳ね付けた。
 相手が友達だと思ってりゃー良いけどな。とも言えず香のすることを黙って見守っていた。何かあれば自分が出て行く羽目になるのを香は解ってないんだよな…と独りごちて溜息を付いた。
 なので、健二がこのアパートへ来ることも度々あった。だからもう健二がここに来ても何とも思わなくなっていた。またか…と確認するくらいで、時には共に夕飯を食べたりもしていた。
 いつか見せたリョウに対する強い視線もリョウと香の普段の関係を見て少しは和らいでいた。リョウと香は微妙な関係なのは確かだが互いに臆病で先に進めずにずっと来てしまっていた。
 
 その日は珍しく美樹がリョウのマンションに遊びに来た。もちろん後ろにはデカイ丸坊主の無愛想な男も立っていたが。
「美樹ちゃん、いらっしゃ〜い!ボキと浮気する気になったのかな〜?」
 玄関で飛びつこうとした矢先に後ろにいる海坊主に首根っこを掴まれる。
「寄るな、ケダモノ」
「ひでーな。お前みたいな妖怪に言われたかネェよ」
 そんないつもの応酬をしながらリビングへ行くとそこにはいつも見える姿がなかった。
「あら?香さんは?」
 美樹は首を傾げ当たりを見渡すがそこに香はいなかった。
「ん?さっきまでそこでゴロゴロしてたぜ?」
 美樹の問いにリョウが答えるが実際リビングは静かだ。そんな噂をしていれば食堂からコーヒーを持ってきた香が入ってきた。
「いらっしゃい。美樹さんと海坊主さんの声が聞こえたらコーヒー入れてきたの。どうぞ」
 キャッツのコーヒーみたいに美味しくないけどね、と笑いながらコーヒーを差し出して三人を座らせる。相変わらず小競り合いをし続けるリョウと海坊主を余所に美樹と香は与太話に花を咲かせ、昼間ののどかな時間を過ごしていた。

 どのくらい話していただろうか。暫くして玄関のチャイムが鳴った。
「あら、誰だろう…」
 今ここに居る人以外に来るとすれば、警視庁の女豹とかその妹とか。向かいに住む外国人くらいだろうか。
 香が立ち上がり玄関へと向かっていった。
 香が出て行くのを目で追いながら美樹がぼそりとリョウへ耳打ちしてきた。
「ねえ、冴羽さん…この頃香さん綺麗になったんじゃないの?何かあった?」
 ひょんな事を言われ、リョウは飲んでいたコーヒーを思わず噴きだした。
「な、何言ってんの?美樹ちゃん…それはかなり目が悪くなってる証拠だよ…」
「いや、目が悪いのはお前の方だ」
「あんだと?お前まで変なこと言うなよ」
 海坊主の参戦で分が悪くなるリョウが慌てだした。
「足元掬われるなよ」
「誰があんな男女に萌えるかっつー…っ!……」
 言い終わらないうちに飛んできたハンマーがリョウの顔面をヒットした。
「男女は余計だ、バカ野郎」
「その口の悪さがそう言わせるんだよ!」
 顔をさすりながら言い返せば、いつもの痴話喧嘩が始まる。
 そんな二人を香の後ろにいた男が笑って見ていた。
「…あれは……」
 美樹がその存在に気が付き声を出す。見たことある顔だ。世情にも詳しい裏社会の人間としては知っている人物だった。
「小野健二…さん。本物は写真より格好いいわね」
 美樹の一言でリョウと香の小競り合いに終止符が打たれた。
「ああ、ごめんね…健ちゃん、こちらお友達の美樹さんと海坊主さん。…美樹さん、健ちゃんのこと知ってるの?」
「…え、ええ…ほら良く新聞とかで写真をお見かけするから」
 紹介され、軽く健二は会釈をした。
「初めまして。香さんの友達の小野健二と申します」
 品の良さそうな笑みは新宿歌舞伎町のホストも顔負けだった。
「冴羽さん、香さんお借りしても良いでしょうか?ちょっと時間が出来たのでお借りしたいのですが…」
「なんでそんなことオレに断るんだよ。どうぞどうぞ」
「そうですか?じゃあ遠慮無く」
 そう言って笑った健二は少し挑戦的だ。そんな健二をあしらってリョウは煙草を咥えた。
「香ちゃん、今ちょっと出れるかな?」
 先客に気を遣っているのだろう。その言葉を聞いて美樹が香に笑って答えを先回りしてくれた。
「私たちは気にしないで良いのよ。香さん。行ってらっしゃいよ。冴羽さんなんてほっておいて」
「美樹さん…ごめんなさい。うん、じゃお言葉に甘えて行ってきます」
 そう言うと香は自室に用意をするために消え、そして着替えを済ませた香と健二が出掛けていった。

 二人が出掛けた後、美樹が煙草を噴かしているリョウへ目をやると、その視線に気が付いたリョウが肩をすくめる。
「…美樹ちゃん、何だよ…」
 何か言いたげな目をしている美樹に苦笑しながら問えば、少し呆れ気味に美樹が聞いてくる。
「冴羽さん…香さんが綺麗になったのってあの青年実業家のせいじゃないの?」
「さぁね…どうなんだか」
「そうやって誤魔化してばっかりいると、あの人に香さん取られちゃうわよ?」
 美樹の言葉にリョウは噴きだして笑った。
「何言ってんだよ…!美樹ちゃんっ」
「笑い事じゃないでしょ?香さんだって冴羽さんがいつまでもそんなだから先に進めないで…戸惑うんじゃない…」
 美樹は知っている。香が悩んできたことを。このまま此処にいても良いのかと何度も自問し続けて、それでもこの男の側を離れることが出来ないほど好きでいることも。
 だから時折リョウの態度が腹立たしくなる。まるで弄ぶかのように香の心を揺さぶるこの男の態度が。リョウも悩んでいることも解っている。どちらかと言えばリョウの気持ちの方が手に取るように解る。裏社会という場所で生きてきたのは美樹も同じだからだ。だが香も子供ではないのだからもう自分の気持ちに素直になっても良いんじゃないかと美樹は思うのだ。
 煙草を大きく吸い込んだリョウの顔が不意に真顔になる。
「あいつが……オレから離れることは良いことだ。オレ以外の誰かと幸せになってくれりゃ…槇村との約束もお役ご免だしな…」
 そんなリョウの言葉に、美樹がキツイ口調で返してくる。
「それって冴羽さんの本心?」
「……本心だよ」
 そう言った瞬間、美樹の平手がリョウの頬を叩いていた。
「美樹」
 尚もリョウに掴みかかろうとする美樹を海坊主がそれを抑えた。
 リョウも敢えて美樹の手を避けることはしなかった。
 解っている。自分が狡いことなどは。
 美樹に叩かれて当然のことを言ったのだから。これが香本人に言ったのではないだけまだましだろう。
「香さんにそんなこと言ったら私が許さないからっ!」
「美樹ちゃんに嫌われたくはないからなぁ…言わないでおくよ」
 殴られた頬をさすりながらリョウは笑う。
「そんなに香さんを自分から離したいの?冴羽さん…」
 怒りと、哀しみの混じる声だった。美樹はいつも二人を心配してくれる。
 だから、これはリョウの内にある本音の破片だ。あまり表に出さない極一部を美樹に垣間見せた。
「……なぁ、美樹ちゃん…オレが香の幸せを願ったらどうしていけないんだろうか……」
 その言葉に美樹は何も言えなくなる。
 何故、香の幸せを願う気持ちがあるのに、香の気持ちを考えないのだろうか。いや、この男は解っていて言うのだろう。香の気持ちが自分に向いているのも解っていて、それでも香の一番の幸せは自分の側ではなく表の世界で掴む幸せなのだと、そう言いたいのだろう。
「冴羽さん…あなたはそれでいいの?」
 痛いほどの切なさが美樹の胸に突き刺さる。
「オレが願っているのは……あいつの幸せだけだよ」
 その笑うリョウの顔が。
 とても痛かった。


 
















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――――2008.11.26up