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vol.7
救急車で運ばれた香は緊急手術が始まった。
弾は腹腔内を貫通。出血が多いことから肝臓かもしくは大きな血管を損傷しているかも知れないと言うことだった。
何度も行き交う看護婦が慌ただしく声を張り上げている。
そんな様子を、まるでドラマみたいだと思いながら健二はただ見守ることしかできなかった。
「血液銀行に連絡して!急いで!」
だが、さっきまで腕の中にいた香の意識がなくなったことを思い出し、身体が震え出す。
これはドラマなんかじゃない。現実だと言うことを思い知る。
目の前を足早に通り過ぎる看護婦を捕まえた。
「香ちゃんは助かりますか?今容態はどうなんですか?」
噛み付くような問いかけに看護婦は健二が掴む腕に手を置いてゆっくりとした口調で話してくれた。
「今はまだ何とも言えません。出血が酷く輸血が間に合わなくなりそうで急いで新しい血液を届けて貰っています。だた出血が酷かったのでそのショック症状が起きる可能性があると言うことを覚えておいてください」
「それは…どういう事ですか?」
「生命維持が困難になる可能性があると言うことです」
出来る限りのことはしますから、と健二の腕を優しくさすり看護婦はまた手術室へと戻っていった。
「…香ちゃん……」
健二は祈るように指を合わせそのまま椅子に座り込んだ。
不意に掛けられた言葉に健二は全身が冷や水をかけられたように感じた。
「香は?」
いつの間にそこに来たのだろうか。健二の目の前に立ち見下ろしているリョウが立っていた。
「さ、えばさん……すみません…香ちゃんを巻き込んでしまった…」
「香の容態は?」
酷く冷静なその声が感情を無くして無機質なものに感じられる。どうしてそんな風に冷静でいられるのか、健二には理解できなかった。
「今、手術中です。腹部損傷で弾は貫通しているそうですが……」
「デカイ血管に当たってたらやばいな」
「はい…」
少し震えている肩に手を置いてリョウは健二の横に座った。
「あいつはそんな簡単に死ぬたまじゃねぇよ」
「すみません……僕のせいだ…狙われているのを解っていて香ちゃんの好意に甘えていたんです…だから…」
健二の言わんとすることが解った。健二は自分達の素性を解っていたのだろう。
裏社会のトップにいる自分達といれば大丈夫だという打算もあったはずだ。
「オレ達の事、知ってたんだな」
「…ええ…香ちゃんに会う前に行方を調べて貴方の所にいると知りました。伊達に企業を動かしている訳じゃありませんからそう言った筋の方々とも多少の面識もありましたし情報は手に入っていました」
けど、と言葉を切って健二は顔を覆う。
「香ちゃんを巻き込むつもりは無かった…」
「香はアンタに巻き込まれてたんじゃない。オレに巻き込まれたんだよ」
だからアンタが気にすることはない。
そう言ってリョウが肩に置いていた手に力を込めた。
「あの兄妹を巻き込んだのは、オレだ」
この世界へ連れ込んでしまったのは自分だ。槇村も、そして香も。香は時期を見て表の世界へ返そうとずっとそう思ってきた。
だが近くにいる事に安堵する自分が、それを引き延ばしてきた。その結果がこれだ。
暫くして美樹や海坊主なども駆けつけて、ただ香の無事をみんなで祈ることしかできなかった。
どのくらい時間が経過したのだろうか。
手術中のランプが消え、扉が開いた。その瞬間、皆が息を潜めた。
香は無事なのだろうか。
出てきた医者の表情にみんな一気に溜息を付いた。
「取り敢えず一命は取り留めました。まだ余談は出来ません。これから集中治療室に移して様子を見ます。合併症の心配もあるので当分は面会謝絶になると思います。ご家族は?」
その言葉にリョウが応えた。
「いません。今面倒を見ているのはオレになります」
「では今後の相談はあなたにすれば宜しいですか?それと親族の方だけは面会を許されますので代わりにあなたの面会を許可する形になります」
「解りました」
医者の後にストレッチャーに乗せられた香が病室へ移されていった。
無菌室の集中治療室は入ることは許されず、ガラス張りになったそこから香の姿を見守っていた。
口は挿管され人工呼吸器が付けられ、腕には点滴。そして心電図が写されたモニターを付き添いの看護師が絶えず見張っている中、美樹の祈るような声がリョウの耳に届いた。
「香さん…頑張って…」
そんな美樹の肩を海坊主がそっと抱き寄せた。
健二はただその場に立ち尽くしていた。変わり果てた香の姿を直視できないでいる。
「香は死なない。あいつはそんなに柔じゃない」
健二の横に立つリョウがまるで自分に言い聞かせるように呟いた。そして今度は健二に対して語りかけた。
「どうしてこんな事に?」
健二はきつく目を瞑り拳を握りしめた。ギュッという音が聞こえてきそうなくらいに力が入る。
「冴羽さんも知っての通り、今うちは家督争いが起こっています。正直、家督争いとは言えないものです」
「それはどうして?」
「もう後継者は決まっているからです」
健二はやっと目を開けてガラス越しの香を見詰めると、大きく一つ深呼吸をした。
「メディアでは家督争いと取りざたされていますが、実際はもう相続は私が済ませているんです。それを気にくわなかった今の義母と義弟が私の命を狙い始めました」
リョウは口を挟まずに健二の言葉を聞いていた。香から目を離すことはなく、それでも意識は健二に向けているようだった。
「僕は早くに両親を亡くし祖父母に育てられました。中学を卒業する頃、義父の小室から養子の話が来たんです。どうして自分なんかに養子の話が来たのかはよく解りませんでした。確かに成績は良かった方です。ですが取り分け秀でたところがあったかというとそうではないと思います」
祖父母は喜んだ。そして中学を卒業と共に養子に入ることになり香と同じアパートを引き払ったという。そしてそれから経営者としての教育を徹底的に叩き込まれた。高校も有名な進学校へ編入し、卒業後は一度日本の大学に入学したが更に経済学を学ぶためにアメリカに留学した。
「義父はとても優しい人でした。妻子はおらず、それで私に養子縁組の話が来たようでした。性はそのまま小野を名乗っても構わないといと言ってくれて…それがどうしてなのかは後から義父の側近をしている小山に聞きました。私の父が小室の会社で働いていたんだそうです。父は小室の秘書として近くにいたそうでした。引き取られてから五年間、二人で暮らしました。血は繋がっていなくてもとても仲の良い親子なんですよ、これでも」
そういって健二は少しだけ笑みを浮かべた。
「それが崩れたのが私が渡米するきっかけになった事件でした。義父が結婚をしたんです。今更…と私も思いました。義父も何か考えがあっての晩婚だったと思います。ですがあの義母はあからさまに私に敵対心を剥き出しにしてきました。それは巧妙に隠されていて義父の前では決して出されない物でした」
「で、アメリカに留学したのか」
「はい…日本で経済学を学ぶより、アメリカの方が学ぶことが多い。それにMBAを取得するにもアメリカの方が本格的でしたから、僕は義父と相談をして渡米を決めました。その時言われたのです。自分の後継者はお前だけだ、と……だから私は何があってもここまで育ててくれた義父のためにも家督を譲ることは出来なかったんです」
そこまで一気に話し終えた健二が大きく溜息を付いた。きっと今まで誰にも話すことなく胸に秘めてきた物もあるのだろう。
リョウはずっと香を見詰めていた。
「二ヶ月前、帰国して全権を義父から譲り受けました。この事はまだ一般には公開されていません。これは僕と義父と立ち会った弁護士しか知りません。渡米中も今はインターネットも普及していますし、向こうでも出来ることは沢山あったので会社の方も携わってきました。ですが、帰国して二週間ほど経った頃だったでしょうか。自分が狙われていることに気が付いたんです。それは明らかに脅しでした」
「じゃぁ、香と再会したときは既にもう狙われているのも解ってたんだな」
「はい…黙っていたことは本当に申し訳ないと思ってます……けどっ!」
健二はここで初めて声を荒げた。リョウの方を向き真摯な目を向けてくる。
「これだけは信じてください……僕は香ちゃんを幸せにしたかったんです……」
解ってるよ、そんなことは。
リョウはそう心の中で呟いて「ああ」とだけ相槌を打った。
「初めは香ちゃんをあなたから引き離そうとしてました。危ない世界だと思えばそれは当然のことで、僕は香ちゃんにはいつも笑っていて欲しかったんです。けど結果的に僕が傷つけてしまった…」
「アンタのせいじゃないさ……これはいつまでも香をこんな世界に引き留めたオレの罪だ」
そしてリョウは病室から踵を返す。
「行くぞ」
その言葉は健二に向けられたいた物だった。
「アンタは悔しくないのか?ここまでコケにされて黙って見てるのか?」
「悔しくないわけないじゃないですか。今だって香ちゃんを脅しに使った卑劣なやり方にはらわたが煮えくり返る思いです」
「オレと同じだな。オレのパートナーをこんな目に遭わせた償いは受けて貰うさ」
リョウの目に感情が無くなっていく。その言葉を聞いた時、健二は今までで一番冷たい瞳を見たような気がした。
「美樹ちゃん…香のこと頼む…」
横で何も言わず聞いていた美樹と海坊主に香を託しリョウは病室を後にした。それを追うように健二もその場から消えていった。
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