vol.8

 広々とした広大な土地が広がる観光名所にその別荘はあった。
 小室が昔買ったこの別荘には今は妻と子供が雑踏を避けるようにそこで優雅な一時を過ごしていた。
 あの邪魔な男が帰ってきてからもう二ヶ月が経つ。そろそろ何か進展があっても言い頃だろうと早知子は踏んでいた。
 もちろん自分に有利な進展しか信じてやまなかったが、結果は最悪誰かの葬儀という形でもいいと思っていた。
 自分達が小室の家族となって早五年。あの男がアメリカに留学して同じくらいになるだろうか。
 憎い、とまで思えるその男は、もうすぐ自分達に平伏すときが来るのだ。その為に腕の良い殺し屋も雇ったのだから。
「阿部はまだ来ないのですか?」
 重厚なソファで寛いでいた所に息子の成幸が背後から母の早知子を覗き込む。
「まだのようね。けどあの男はどんな方法でも必ずあの男を説得してみせると言い切っていたので信じて待ちましょう。私たちが直接手を下さすことだけは決してしてはいけません」
「解ってますよ。お母さん」
 敷地は優に千坪を越える広さのあるこの邸内には多くのボディーガードとして雇った者達が彷徨いている。
 いつ、何時あの男が反旗を翻すか解らないからだ。沈黙はきっと何か考えがあるからだと早知子は踏んでいた。
 小室に引き取られた養子の健二は頭が切れる男だった。後継者として育てられたので当然と言えば当然だが同じように養子になった自分の息子にも家督を争う権利はあるはずだ。
 だが、相続は既に健二にされ成幸の入る余地は既にない。ならば、さらにその後継者となるべく手を打てば良いだけの話だ。
 そう、健二がこの世から居なくなれば、もう一人の息子へと家督は譲られるはず。
 阿部という男は野心を持った殺し屋だった。その世界で自分がのし上がるためにも、小室グループのと言う名前も利用できる要素はあると踏んだのだろう。
 早知子の依頼を簡単に引き受けた。
――――健二を後継者から引きずり下ろせ。それが出来なければ…この世から葬っても構わない。
 それが早知子の出した依頼内容だった。
 猶予は三ヶ月。しかし既にもう二ヶ月が経ち健二はすでに家督を譲られた形になっていた。
 阿部がどう動くのか、それ次第でこの親子の運命も決まっていく。その阿部からの連絡をこの軽井沢で待っているのだ。
 近日中に動くという連絡だけ受け、それから阿部とは全く連絡が取れなくなっている。
 広い邸に彷徨く大柄で柄の悪い男達の声が俄に騒がしくなる。
 一人の男が早知子と成幸が居るリビングへ勢いよく入ってきた。
「小野健二が参りました!」
「なんですって?」
 やけに落ち着きのないボディーガードに早知子の冷たい声が掛かる。
「何をそんなに怯えているのですか?だらしのない。たかが健二一人に……」
「そ、れが…やたら腕の立つ男と一緒でして…その…」
 表が騒がしかったのはそのせいだったのか。早知子は窓際にある小さなサイドテーブルから拳銃を取り出し、そしてまたソファに戻ると膝の上に置きそれをスカーフで隠した。
「何のためにあなた達を雇ったと思ってるんですか。泣き言は聞きたくないわ」
 早知子が冷たくあしらうと男は渋々ドアを閉めた。表では何やら拳銃の音も聞こえてくるようだ。こんな時、一番大金を払っている阿部は何をやっているのだろうか。
「おかあ、さん…僕どうすれば……」
 結局は何も出来ない息子に早知子は、横に座っていればいいのよ。と言って隣に座らせておいた。息子を守るのは自分しか居ない。もう夫はこの世には居ないのだから。そう思いながら覚悟を決める。
 段々と抗争の音が近付いてくる。健二がこちらへ来ようとしているのは明らかだった。
 不意に隣の部屋に続くドアが開いた。そこには音信不通になっていた殺し屋が立っていた。
「これはどういう事か説明してくれるんでしょうね?阿部さん」
 スラリとしている身体は強うそうには見えない。だがこの世界でのし上がってきただけの実力を持っている。少し長めの髪を掻き上げて阿部はふっと笑った。
「もちろんですよ。予定よりアチラの到着が早かったですけどね」
「健二は後継者を辞退することを了承したのかしら?それともまだ手こずっているの?」
 早知子は外の音が大きくなっても落ち着き払っていた。ある程度のことは覚悟しているのだろう。
「意外としぶといお方でしてね。まあ流石小室さんが育てただけある。けど、手は打ってきましたよ。だからここに本人がいらしたんじゃないですか」
 阿部がそう言うと同時に大きな音を立てて扉が開いた。
 そこには大柄の男とその後ろに健二が立っていた。
 早知子はにこやかに笑い健二を迎える。まるで今まで表で繰り広げられていたことが嘘のように思えるほど何事もなかったように健二に微笑んだ。
「あら健二さん、いらっしゃい。仰ってくれれば迎えの物を寄越しましたのに」
 健二はそんな義母を見詰め、そして怒りが籠もる強い言葉を早知子に向けた。
「そんなに僕が邪魔でしたか?お義母さん。僕はあなた達の邪魔には成らないようにしてきたはずです。なのに」
 いったん言葉を切った健二がギリッと奥歯を噛み締める。
「何故関係のない人間を巻き込んだりしたんですか!」
 飛び掛かりそうな程の怒りを隣に立つ男が止めた。
「止めないでください、冴羽さん!」
「お前が動くと後が大変だ。こう言うのは俺達みたいなクズに任せておけば良いんだ。なぁ、そこの優男」
 早知子の側に立つ阿部に向かいリョウが言うと阿部は楽しそうに笑う。
「自分のことをクズと言うのはどうかと思いますよ。シティハンターさん。オレは今からそのクズを倒してこの世界のトップに立とうと思っているのだから」
「お前が香をやったのか…まあ、そこの二人に出来るようなことじゃねぇけどな。ただ……」
 終始落ち着いて冷静なリョウの声色が一気に変わる。
「オレのパートナーを傷つけてくれた礼は返してやる」
 リョウの言葉を聞いて早知子は阿部を見る。その視線に気が付いた阿部が今までのことを報告した。
「なかなか強情な跡取りさんでね、首を縦に振らないんですよ。何度も交渉したんですけどね…で、そんな時女を見付けたんです。とびきりのジョーカーだった。一石二鳥とはこのことだと思いましたね。脅しのネタにもなるし、しかも上手く使えば裏社会の名実ともにトップに立てるジョーカーだった」
「だから香ちゃんを撃ったのか」
「殺さないでおいてやっただろう?感謝して欲しいね、シティハンター」
 健二の叫びには答えず阿部はリョウの方へ言葉を投げる。
 一触即発。
 二人の間に見えない火花が散っているように空気がピリピリ痛い。
「これで解ったでしょう?健二さん。あなたのするべき事が」
 二人のやりとりを横で聞いていた早知子は阿部の持っている切り札がなんなのか想像できた。ならばこちらの言うことを聞かすのは今だ、と判断したのだろう。健二への要求を初めて直接口にした。
「その必要はない」
 それを遮ったのはリョウだった。
「オマエ達に、勝ち目はない」
 リョウが阿部に向かいパイソンを構える。それは阿部が身体をスッと横に移動させたからだ。それに反応したリョウが頭で思うよりも先に身体を動かしていた。
 阿部は口ではあれだけ言っていた物の、実際シティハンターと対峙するのは初めてだった。
 ある程度力のある阿部だからこそ解る、シティハンターとの力の差。対峙して感じた敗北感は大きかった。ならばどうすれば上手く逃げおおせることが出来るか。横にいる早知子を盾にすれば自分が助かる可能性が高くなる。そう判断して阿部は咄嗟に横に身体をずらしたのだ。
 だがそれにきっちりと反応を示したリョウのパイソンが阿部の前頭部を確実に狙っていた。
 劈くような銃声が一発鳴り響く。
 早知子の影に入ろうとした阿部の左肩をリョウの放った弾が貫いていった。
「もっと、だ。こんなんじゃ〜足りネェよな?あいつの痛みはこんなもんじゃなかったはずだ」
 冷たくて低く、腹に響く声だった。背中にぞくりと何かが走る、そんな冷酷な声。
 隣にいた健二も思わず目を見張る。カツカツと音を立て、撃たれた肩を押さえて蹲った阿部の前にリョウが立ちふさがった。
 ガツッと音がして阿部の叫び声が聞こえた。見ればリョウがその打ち抜いた傷を更に脚で蹴りつけ、更にそのまま体重をかけて踏みつけていたのだ。
「意識がある方がいいな。痛みがどんなもんか教えてやるよ」
 リョウは笑っていた。笑いながら痛めつける行為を続けてる。
「なんなら土手っ腹にも一発ぶち込んでやった方がいいかな?オレは優しいからな、急所はきっちり外してやる。意識が無くならないようにして痛みはそのまま感じられるようにな」
 早知子の横に座っていた成幸が「ひっ」と息を飲む。
 早知子の手が微かに動いた瞬間。リョウの銃口は早知子に向けられていた。
「そんな玩具で人を殺すつもりか?」
 この男の怒りを真に受けて早知子は大人しく銃をテーブルの上に置いた。
「…運が…お前のパートナーに向くと…いいな……今頃…死んでるかもな……」
 ガッと言う音と共に男が仰向けに仰け反った。蹲っていた顎をリョウの脚が思いっきり蹴り上げたのだ。
 カチャリ、と鉄隙の音がした。それはリョウが阿部に向かい狙いを定めたからで、その瞬間健二は叫んでいた。
「冴羽さん!殺しちゃダメだ!」
 その言葉に一瞬リョウの身体が強ばる。
――――殺さないでね。
 もう人を殺したりしないでね。
 相棒は良く自分にそう言い聞かせていた。その言葉が健二の言葉と重なって、リョウは大きく溜息を突き、銃を下ろした。
「動けば撃つ」
 そう言ってリョウは阿部から身体を離した。阿部は唸りがながらどうにか頷くとその場に倒れ込んでしまった。
 残るは健二の義母と義弟。
 健二はどうしても解らなかった。何故自分は此処までこの義母に嫌われているのか、どうして命を狙われる程邪魔だったのか。
「どうして……こんな事をするんですか…」
 健二の絞り出す苦しそうな声に早知子は笑いが漏れた。
「あなただけが幸せにのうのうと暮らしているなんて私には耐えられなかったからよ」
 遠くでパトカーのサイレンが聞こえた。
「……そう…もう時間もないのね。なら教えてあげましょう」

 それは健二を不幸に陥れた事件だった。
 両親を一度に亡くした交通事故は健二の父親の運転する車が雨でスリップを起こし対向車線へ飛び出してしまった大惨事だった。
「その時、巻き沿いを喰らい死んだ人が居た。それが私の夫だった」
 健二は知らなかった。当時はまだ五才でただ父と母だけが死んでしまって哀しかったから。
「その頃、丁度事業を立ち上げたばかりの会社がやっと軌道に乗り始めそうなときだった。貰い事故ほど怒りの遣り場がないものはない。どうしてあの人が死ななければならなかったのだろうか。残されたのは多額の借金と息子だけだった」
 それからは火の車だった。昼も夜もなく働きづめで会社を切り盛りしながら、幼い子供を育てた。
 事故を起こした夫婦にも子供がいたことは知っていた。どちらが不幸かと思えば、まだ息子がいる自分の方が幸せなのかも知れない、そんな風に考えて、そして忙しさで寂しさを紛らわし次第にその子供のことも忘れていった。
 ただ、愛すべき人を亡くした事故を忘れることは出来ずにずっといた。
 それが一気に憎しみへと変わったのはたまたま見た新聞記事に「小室財閥の跡取り。養子縁組」と書かれていた記事を読んだときかららだった。
 記事を読めば、昔交通事故で両親を亡くした子供を養子に迎え、後継者として育てる。と書いてあったのだ。名前も載っていた。「小野健二」と忘れようとしても忘れられない名前が。
 やり場の無かった気持ちの矛先が健二へと向かったのはその時だった。
 何故この子だけが幸福になるのだろう、と。
 許せなかった。
 それから早知子は自分で築き上げた夫の会社を駆使して小室との接触を図った。
 そして色々な経歴を経てやっと晩婚だが結婚へとこぎ着けた。
 健二だけは幸せに成って欲しくなかったのだ。
 自分達の幸せを奪った人間の子供。自分が間違えていると解りながらもどうしても止めることの出来なかった感情。
 怨恨とは自分のみをも滅ぼす物だと解っていた。
「私はね、あれ程の恋をしたことはなかった。この人が居ればいいと。どんな事があってもこの人さえいれば生きていけると想っていた人を失った辛さはあなた達には解らない」
「解るさ」
 そう答えたのはリョウだった。その時リョウがどんな顔をしていたかは健二には見えなかった。
 パトカーが止まり騒がしい足音が聞こえてきた。
「昔話は終わりだ。アンタがしたことを許すことはない。香がもし死ぬようなことになったら俺がアンタを殺りに来る……アンタと同じ道を辿ってやるよ……忘れるな」
 ドアが開き、警察が一気に流れ込んできた。その中で指揮を執るのは女性の警視官だった。
「…リョウ、やり過ぎよ…」
 倒れている阿部を見て溜息を付いた。野上冴子は「まあ情報をくれたから今日は見逃してあげるけどね」といつもの強気な笑みを見せ、そして真顔に戻る。
「香さん…大丈夫なの?」
 目に掛かる前髪を掻き上げる仕草が艶めかしい。いつもだったら「貸しだ」だの何だの騒ぐところだが、今は何も言えなかった。
「あいつは死なないさ。きっと三途の川で槇村が追い返してくれるはずだ」
 そう言うって冴子の方を見て苦笑すると、冴子も同じ様な表情で笑った。
「そうね…槇村ならきっと追い返してくれるはずだわ…」


 逮捕劇はあっという間で、倒れている阿部はそのまま警察病院へ。
 そして小室早知子、成幸は警察へ連行されていった。
 邸を出る間際、健二が早知子を引き留めた。
「待ってください」
 健二の声に振り向いた早知子は何処か晴れやかだった。
「両親のことは事故とはいえ、巻き込んで仕舞ったことを両親に代わり謝罪します……ただ」
 健二は視線を背けることなく、強い眼差しで早知子を射抜く。
「香ちゃんを傷つけたことは許しません。だが決して僕はあなたと同じ道を歩むつもりもありませんから」
 それだけ言うと早知子の言葉も待たずに健二は背を背けた。
 リョウはそれを少し離れた場所で見ていたが何も言わなかった。そんなリョウの側に来た健二が目の前で頭を下げる。深々と腰を折り何度も何度もリョウに謝った。
「香ちゃんを巻き込んでしまった事はどんなに償っても償いきれません。僕に出来ることがあれば何でも言ってください。そして――――義母を殺さないでくれてありがとうございました」
 リョウが本気でいた事を健二は見抜いていたのだ。
 そんな健二の言葉に小さく笑った。




 












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