◇◇◇


「最近付き合いわりぃよな、カカシ」
 机に向かって書類作成をしていたカカシの頭の上から覗き込むように髭面の同僚が見下ろしてきた。
 猿飛アスマはカカシとは同期だ。実際アスマの方が年上だが一年留年していた為、入署は同期だった。アスマには裏表がない。エリートだろうが何だろうが気に入れば誰とでも友達だ。それが冷血漢とその当時あだ名が付いていたカカシだろうがお構いなしだった。
 カカシは誰か徒党を組むタイプではなかったが、アスマが話しかけることに対して思いの外普通に答えが返ってくるカカシに対して「案外普通なんだな」と失礼な事をさらっと言ってのけた。
 そんなことサラッと言う友達をカカシは意外と気に入っていた。
「新しい女でも出来たか?」
 下卑た笑いをわざと浮かべてアスマは銜えていた煙草を口から離す。そしてカカシの机の上の灰皿に火種を押しつける。
「居ないよ、そんなの」
「その割りには最近遊び行ってねぇじゃねぇか」
「今は、要らないだけだよ」
 へぇ、と含み笑いしたアスマをほっといてカカシは書類を作り上げていく。今日もこれを作り終えれば終わりだ。
 イルカが来てからカカシは滅多に遊びには行かなくなった。初めは得体の知れない者を家に置いて居るため心配だったからなのだが、今ではその理由も違う物になっていた。
 早く帰りたい、とそう思っている。イルカがあの部屋で待っていてくれてるのだと思うと遊んで帰る気になどなれなくなった。
「まぁ、いいや。そのうち飲みにでも行こうぜ。ちょっと相談もあるしな」
「相談?」
 アスマが相談なんぞ珍しいことだ。と思わず書類から眼を上げてアスマを振り返る。
「ああ、ちょっとな。後輩がよ原因不明の昏睡なんだわ。今日も今からちょっと病院覗いてみようかと思って」
 そんな話は知らなかった。アスマの後輩が警視庁にいることは知っていた。配属も本当は捜査一課を希望していたらしいがそれは通らなかったらしい。
「それで何でオレに相談なのよ」
「ああー…、ほらお前はもうすぐ警視正だしな。あいつがこんな感じだから知っておいて貰った方がオレとしても安心っつーか…」
「配属希望、ここだったんだっけ?」
「ああ」
「オレなんかに言わないで上に言えばいいじゃない」
 自分に言っても今は何の権限もない。あるとすれば事件の時に指示するときくらいだ。
「あいつはお前のファンなんだよ」
「はぁ?」
 思わず拍子抜けした声を上げてしまったカカシに、流石色男、とまた人の悪い笑みを浮かべるがすぐに真顔に戻る。そしていつになく真摯な声でアスマが言う。
「お前が少しだけでも気にかけてくれれば、あいつも昏睡から覚めるんじゃないかってな。ちょっとした願掛けだ。」
 最後の方は戯けたように言ってはいたがアスマがその後輩をとても心配してるのがよく解った。だからカカシも茶化すことなく真摯に答えたのだ。
「心に留めておくよ。来年の配属移動で逢えることを祈ってな」
 そう言うとアスマは笑って、あいつの運がよけりゃーな、と手を振ってカカシに背を向けて部屋を出て行った。
 その背中が酷く寂しそうに見えてカカシはアスマの後輩の状態があまり良くないことを悟ってしまった。昏睡が続けばきっと警視庁も抱えておくことは出来ないはずだ。だからアスマは焦っているのだろう。せめて彼の後輩が早く目覚めるようにとカカシは目を閉じて黙礼した。


 ◇◇◇


 あれからイルカとは今まで通りの生活をしている。
 時折触れあう身体にもイルカは特に抵抗はしてこない。だからと言ってイルカを抱いているわけではなかった。ただのスキンシップ。ちょっとした触れあうことにも抵抗されるのではないかと思っていたカカシはイルカの態度に拍子抜けだった。
 かといって、この間のことには触れることはない。そしてカカシが想いを抱き始めていることも気が付いているだろうが上手くそれを躱していた。
 カカシもイルカに対して何かを言うわけではなかった。ただ、二人で過ごす時間を少しでも増やしたかった。
 だから仕事の都合が付く限り早く家に帰るようにして一緒に食事を取って、そして晩酌をしながら世間話をするようにこの世界の事を教えてやる。それが今のカカシにとって唯一の楽しみになっていた。
 代わりなどではなく、自分を見て欲しいと。あの時を境に自分の気持ちが強くなる。このままいっそ彼が還れなくなってしまえばいい、と。
 そんな自分の疚しさに嫌気が差しながらも、イルカを想う気持ちを止めることは出来なかった。
 最近イルカの癖に気が付いた。それは胸元をギュッと握りしめることが多くなったのだ。昔良く高校野球を見ていたときに何処かの学校がやっていた仕草に似ていると思った。そのチームはみな胸元にお守りを付けていて打席にはいるとき願をかけていたのだ。
 イルカの胸元にあるのは、ドックタグ。そう言えば一枚はイルカの名前と忍者登録番号が記されていた。もう一枚はカカシには読むことが出来ない文字で何かが書かれていた。
 今も無意識にイルカは胸元へと手を当てていた。
「最近、それよくやってるね」
 ソファに座って考え事していた様でカカシに声を掛けられるまでイルカは気が付かなかったようだ。
 きょとん、とした仕草で何を言われたか分かっていないイルカに、カカシは同じ仕草をしてみせる。するとイルカはカッと顔を赤らめて少しだけ困った顔をした。
「ドッグタグと何が付いてるの?」
 何も言わないイルカにそう問えば、やはり向こうの世界を思い出すのだろうか寂しそうな笑みを浮かべている。
「お守り、でしょうかね」
 多分、と付け加えた。
「……誰かから貰ったの?」
 と問いかければそれはもう誰だか聞かずとも分かる反応だった。
 向こうの世界の自分。畑カカシから貰ったのだと言うことが読めて取れるほどの寂しさの募る顔。
 何故、自分がここにいるのにそんな顔をするのだ、と詰め寄りたくなる。自分では何が違うのか。何が足らないのか。
 欲しい。イルカの全てが。身も心も全て自分の物に出来れば良いのに。
 こんなにも飢え乾ききっている自分の気持ちに気が付かなかった。
 感情なんて何処かに置いてきたと思っていたのに。イルカに逢って肌に触れてカカシの中に何かが戻ってきたような気がする。
 彼は自分にこれを届けに来てくれたのかもしれない。
 ぼつりぼつりとイルカが話し始めた。最近はあまり向こうの世界の話をすることが無くなって来ていた。それはやはりカカシと肌を重ねてしまったからなのだろう。
「…気が付いたら付いていたんです。いつ付けたのかも分からなくて、勝手に付けて俺は怒ったんです……本当は嬉しかったのに。付けられたことに気が付けなかった自分に彼との力の差を見せつけられたような気がして……だから憎まれ口ばかり叩いたら、凄く哀しそうに笑ってました。その次の日に任務に出て……今、俺はここにいる」
 ポタリとイルカの手に雫が落ちた。
「意地なんて張らなければ良かったっ!ちゃんとありがとう、も言えなかっ…た……っ…」
 だからあんなにもその胸のタグが気になっていたんだろう。まざまざと見せつけられるイルカの想いにカカシの胸が痛む。
「大丈夫。オレならアンタの気持ち分からないはず無いでショ?だから……」
 泣かないで?と隣に座って頭を撫でる。
 するとイルカはすみません。と鼻を啜った。
「一度、泣き顔を見せてしまってから気が緩んじゃったみたいです」
 弱いな、と自嘲してイルカは顔上げた。それがまた痛々しくて、無理をしているのが切なかった。
 そう思ったら咄嗟に身体が動いていた。
 イルカを抱きしめていた。頭を自分の胸に抑え付けるように抱えてこめかみに口付ける。
「還る場所が無いのなら、此処にいればいい。ずっと此処に居てよ。オレはイルカが――――好きだ」
 びくりと腕の中で身体が揺れた。そしてその中でフルフルとイルカの頭が横に揺れる。
「…俺の……還る場所は俺の居た世界です。此処は……俺の生きて良い場所じゃない……」
「そんな事ない!ここにだって居場所はある。オレがずっと側にいる。それじゃダメ?」
 顔を上げて悲痛に満ちた表情でカカシを見るイルカをそれでも視線を逸らさずにカカシは自分の思いを告げる。
「好きだ」
 イルカが好きだ。
「気が付いたらアンタを好きになってた。初めは得体の知れない奴で気を許しちゃいけないって分かってても、アンタがこの世界に馴染もうと努力してるのが分かって段々と目が離せなくなってた。気が付いたらそこに居てアンタが笑ってた。本当に見たい顔はまだ見れてないけど、アンタのことを好きになったのはきっと一番初めからだった」
 そうだ。イルカが倒れていて、カカシが声を掛けた時。その時見せたイルカの笑顔がどうしても忘れられなかったのだ。
 カカシの告白にイルカは首を横に振り続ける。
「……ダメで、す……俺はこの世界の人間じゃない……」
 だから、と言ったイルカの頬にまた雫が落ちていく。
「…いつか、ちゃんと……俺なんかの為じゃなくて…貴方が愛した人の為に……その言葉を言ってください」
「オレの気持ちが間違いだって言うの?」
 自分の気持ちすら否定されてカカシは声を荒げる。イルカが来て自分の感情を持て余していた。だがそれは自分にもまだ人を愛する事が出来るんだと証明出来た事が嬉しかった。
「俺は、いつか消える人間です。きっとその気持ちも本来違う人に向けられるはずの気持ちだったはずです。だから……」
 俺は受け入れちゃ行けない。
 イルカはカカシの胸を押しきって身体を離した。
「それに……本当の俺を知っても貴方は同じ事を言えますか?」
「本当、のイルカ……?」
 イルカは苦笑してそれ以外何も言わなかった。立ち上がりカカシに背を向けて明るい声を出す。
「忘れましょう。今のことは全部。明日も畑さんいつも通りですよね?……もう寝ましょう」
 そう言って自分に与えられた部屋へ戻っていくイルカの後ろ姿をカカシは黙って見送ることしかできなかった。
 この気持ちも、全部無かったことにしようとイルカは言う。何も言えなかった。
 本当のイルカ。自分が見てきたイルカが本当のイルカかどうかなんて分からないから。だから何も言い返せなかった事に腹が立った。
 膝の上で握りしめている掌が力みすぎて痛む。
 一度湧いてしまった気持ちはそんな簡単には消すことは出来ない。
 この胸の裡に在る痛い程の気持ちを。
 カカシは無くす術など持ち合わせていなかった。

 少しだけギクシャクしていると思う。
 イルカを意識しすぎているのも分かっているがどうしようもない。自分の感情に目覚めてしまった以上、それを無視することも出来ずその気持ちを持て余していた。
 だからこの所立て続けに入る事件に少しだけホッとしている自分が居た。
 事件が無い方が本来喜ばしいことなのだが今回ばかりはそれで助かっていた。でなければきっと自分はこの気持ちを抑えきれずにイルカを自分の物にしてしまっていただろう。それが例え犯罪と同じ物だったとしても。そのくらい自分がイルカを欲しているのが分かった。
 犯罪者の気持ちが解るなんて…刑事としては失格だな。
 誰にも言えない気持ちを確認して自嘲する。こんな自分をどうしていいかも分からずに持て余す。だから今事件が絶え間なく在ることに、犯罪が起こってくれていることに感謝した。
 今日も家に着くなり携帯の呼び出し音が鳴る。
「はい、畑です」
『おー、俺だ。お前今どこにいる?』
 声の主はアスマだった。警視庁から直接>掛けてきているらしく履歴には名前が出なかった。
「今家に着いたところ。何?また事件?」
『ご名答。今回は殺人に発展したぞ。詳しいことは落ち合ってからだ。今から現場に来れるか?』
 苦い物がカカシの中に落ちていく。
 この所連続で起こっている殺傷事件があった。それは十歳から十五歳前後の男子を狙った殺傷事件でどれも犯人の断定は出来ていない。何より誰一人として犯人の姿形を見ていないのだ。
 現場住所をメモしてからカカシは深い溜息を一つ落として「今から行く」と電話を切った。
 振り返れば酷く深刻そうな顔をしているイルカが立っていて、何か言いたそうにしていた。
「ゴメンね、イルカ。また事件が起きちゃってこれから向こうにとんぼ返りだ。当分帰って来れないと思うから何かあったら携帯に連絡して?」
 脱いだばかりのジャケットを手にカカシは玄関へと引き返す。
「今の事件って最近テレビでやっている……子供が襲われているやつですよね?」
 そう言えばあまりの情報の無さに情報公開をすると上が言っていたのを思い出す。
「うん、そう。その事件だね……不甲斐ないね、なかなか犯人を捕まえられなくて何が刑事だよ」
 この言葉は本音だった。完璧な殺人なんて有りはしないと何処からか糸口を掴もうと必死になっているのにまるで手がかり見付からないのだ。
「畑さん……」
 少し困った顔を見せたイルカに自分が失言をしたことに気が付いた。
「あー…ゴメン。今のは軽い愚痴ね。聞き流して」
 そして苦笑いをして見せれば、イルカの顔が更に心配顔になる。
「私にも何かお手伝いをさせてください」
「ありがとう。気持ちだけ貰っておくよ。そうだね……事件が終わって解決したときに、笑って『おかえり』って言ってくれればそれで十分だよ」
 イルカがここにいて笑ってくれると思うだけで、自分の力になる。
 失うと思えば自分の気持ちなど抑え込んで殺した方がましだ。ここに居てくれるのなら。
 オレの気持ちはここに封印していこう。
「ネ、イルカ…」
 靴を履いて玄関先で見送るイルカを振り向いた。
「これで最後だから。もう……アンタを困らせるようなことは言わないから……」
 イルカの両腕をグイッと自分の方へ引っ張って、そして唇を重ねた。くちゅっと唇をはむ様にしてゆっくりとそれを放した。
 離れていく間際に小さな声で囁く。
「…愛してるよ」
 驚きに為すがままだったイルカはその言葉を聞いて泣きそうな顔へ変わった。そんな顔をして欲しい訳じゃないのに。
 そのイルカの表情を見たカカシは苦虫を噛み潰したような笑みを浮かべて、
「もう二度と言わないから。……だから……」
 そしてイルカから手を放した。
「此処にいて……」
 カカシはその後のイルカの顔を見ることは出来なかった。イルカがどんな顔をしているか容易に想像できたからだ。きっと困った様な泣きそうな顔をしていたに違いない。
 居場所がなければ自分の側にいればいい。
 例えイルカの中に誰か居たとしても。それが自分そっくりな男だったとしても。
 この世界にいる間だけは、自分の側にいてくれればいい。
 イルカを振り向くことなくカカシは玄関のドアをパタリと閉めた。













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