こんなに一駅が長く感じたことはない。たかが数分なのに酷く長く感じる。
 犯人の逮捕よりも何故かイルカのことが気になって仕方がなかった。実際イルカの強さがどれ程のものかカカシは知らない。中忍と言っていたからそこそこは強いのだろうとは思う。だが相手は殺人者だ。それにイルカが敵うのかと思えば、今まで見てきたイルカからは正直勝るとは思えなかった。
 だからカカシは急いで自宅の前にある公園を目指す。
 あそこが全ての始まりだった。
 駅を降りてからずっと走りっぱなしだった。商店街を抜け裏道へはいる。そして暫く行くと目の前に公園の入口が見えてきた。イルカの姿はまだカカシの視界には入ってきていない。
 公園の入口を入ろうと一歩足を踏み入れた瞬間、そこから弾かれるような感覚に襲われた。電流が走ったようにビリッと身体を走り抜けてカカシは思わず飛び退いた。
「…な、に?……」
 見えない何かに阻まれている。そっと手を伸ばしてみれば、やはりビリッとしたものに阻まれて公園内にはいることは出来なかった。
 カカシは公園の周りを辿って自宅マンション近くの入口へ急ぐ。イルカを拾ったのはその辺りだった。
 すると公園内から男の声が聞こえてきた。
「やっぱりお前もこの世界にいたんだんなぁ〜、イルカ」
 その男がイルカの名を口にしたことでカカシはそれが犯人だと言うことを知る。まだ場所が特定できなくて姿が見えないが、側にいることは確かだった。
「お前は絶対に許さない」
「そう言えば決着がまだだったな〜。あの時は邪魔が入って飛ばされちまったからな。それともまたあの写輪眼に助けて貰うか?」
「あの人に手助けなんて頼んだ覚えはない」
「出来てんだろ?あの写輪眼と。男に突っ込まれて悦がってるお前も悪くないな」
 その言葉がイルカを下卑ているのがカカシにも分かった。
「お前みたいに子供を殺して犯すヤツに何て言われようが痛くも痒くもない」
 カカシは声のする方向へ移動して木々の間に二つの黒い影を見付けた。
 一人は髪を高めの位置で一纏めに結わいてるのでイルカだと分かった。だがカカシの知っているイルカとは何処か違っていた。それはいつものカカシの普段着ではなかったからだ。イルカは飛ばされてきたときに着ていた、あの奇妙な服を身に纏っていたのだ。
 以前あの服のことを聞いたら、動きやすく計算されて作られた特殊な忍服だと言っていた。それを着ていると言うことはイルカは犯人と戦う気なのだろう。
「イルカっ!」
 叫んだ声は聞こえていただろうがイルカは振り向くことはなかった。
 イルカの手には犯人が犯行に使ったと思われる物と同じ凶器が握られていた。もちろん相手の手にはそれがある。
 二人の間に緊張感が走り、間を詰めたイルカの方が先に動き出した。その瞬間からカカシには動きを捕らえることは出来なくなった。ただ空を斬る音がする。二人が公園の中を動き回っているのだろう。次第に聞こえ始めた鋼の交える音。キンッと高い音を出してそれが激しさを増していく。
 途中、殴り合う音や荒い息遣いが聞こえて、その度にカカシはイルカの姿を探すがやはりカカシの目には見ることが出来なかった。
 公園の中に入ることも出来ず、ただ事の成り行きを外から眺めることしかできない自分にこれほどの無力さを感じたことはない。
 ドサッと倒れる音がして、そこにイルカが倒れているのが目に留まった。
「イルカっ」
 カカシが叫ぶとイルカは一瞬だけカカシの方へ目線を寄越して小さく笑った。
「これで終わりだ!」
 そう言ってイルカの頭上から飛び降りてきた男の手にはクナイが握られている。やられる、と思った瞬間イルカの放ったクナイをまともに肩に受けた男は手の力で起き上がったイルカが振り上げた踵落としをそのまま首の後ろに喰らって倒れた。
 イルカの動きを初めてまともに見たカカシはイルカが如何に強いかを思い知る。そしてイルカが人を傷つけていることに少なからずショックを受けた。イルカにはそんなことはして欲しくない。その一心でイルカの名を呼ぶ。
「イルカ!」
 だがイルカは手を止めなかった。右肩にクナイを受けた男がイルカの蹴りで脳しんとうを起こしている間に更に動きを封じるためか両方の大腿にクナイを打ち付ける。
「ぐはぁっ…!」
 思わず漏れた声にカカシも思わず目を反らす。
「お前は最後の詰めが甘いんだよ。体術だけなら俺に勝てると思っていたんだろう?里を抜けていい気になってるお前なんかに俺が劣ると思っていたのか?」
 イルカが更にもう片方の肩にクナイをめり込ませた。
「もういい!イルカ!アンタまで犯罪者になる事はないんだ!」
 とうにカカシの声は届いていたのだろう。イルカは動けなくなった男をそれでも押さえつけるように動きを封じ込め、膝を胸に突いてそして男の頸動脈にピタリとクナイを押しつけた。
 そしてやっとカカシの声に答えた。
「この男が何をしたか、知ってますか?畑さん」
 カカシの場所からはイルカの顔は見えないが、それはきっと冷徹に笑っているような気がした。聞こえてくる声には表情がないくせにあくまでも穏やかに言う。
「この男はオレと一緒にアカデミーの教師をしてて、引率任務に出たときに自分の生徒だった子供達を犯して殺したんです。その時、別の班を引率していたのは俺でした。こいつの異常に気が付かなかったことにも腹が立ちました。それよりも……未来のある子供達を自分の玩具のように弄んで命まで奪ったコイツを俺は絶対に許さない!」
 イルカのクナイがグッと押し込まれる。男は既に蒼白で自分が殺されることに戦いているようだった。
「もういい!イルカまで犯罪者になることはないんだ!そいつはオレ達に任せるんだ」
 カカシは本当にイルカが男を殺してしまう様な気がして必死に止める。それくらい今のイルカは怒気を含んでいた。いや殺気を含んでいるのだ。
「元から貴方達に任せる気はありませんでした」
 イルカの言葉に耳を疑った。
「な、に言ってるの?…」
 イルカがこちらを振り向いた。カカシの知らないイルカの顔だった。それはきっと忍のイルカの顔。
「これは、俺の…――――任務です」
 何の迷いもなく、イルカの手に力が入った。
 返り血を浴びながらイルカはその男の喉を掻き切っていた。
「俺の任務はこの男の抹殺です。それは死を意味する。俺達の生業はこういう事ですよ、畑さん」
 息絶えた男の死体がまるで砂のように粉々に消えていく。血も全て無に還っていった。
「この世界の物じゃない俺達は何一つ残らないんでしょう」
 髪も骨も何もかも無に還る。
 イルカが一つの木にクナイを投げつけた。すると蒼白い電流のような物が公園の周囲に走り一瞬で消えた。
「結界を解きました。もう中に入れますよ」
 そう言われ近付こうとするカカシにイルカが不敵に笑いながら問いかけてきた。
「畑さん、これでも俺を好きだって言えますか?俺は貴方の大嫌いな犯罪者ですよ」
 カカシは歩みを止めた。今見てきた物全てに対してまだ混乱しているのは確かだ。イルカが目の前で犯人を殺してしまったというショックも大きな物だった。
「俺はね、もう覚えていないくらいこの手で命を奪ってきたんです。貴方達の世界では犯罪者だ。これが本当の俺です」
 カカシは何も言えなかった。こんなにも住む世界が違うとは。
「それでも、好きだと言えますか?」
 まるでわざと見せつけるように仕向けたとしか思えなかった。多分そうなのだろう。自分を試している。本当の姿を知っても自分を受け止められるのかと。生半可な気持ちで自分を受け入れるなと言われているようだった。
 ギュッと目を瞑る。突きつけられた現実はカカシにとって受け入れがたいもので、それでもイルカを嫌いにはなれない。それはやはり好きだと言うことなんだろう。
「オレは……」
「俺達の世界はこの世界より原始的かもしれません。生きるか死ぬか、そう言う中で今も俺達は生きている。そんな俺から見ればこの世界は犯した罪に対して言い逃れをして逃げ回っている様に見えます。法という名を借りて面倒なことを後回しにしているような、そんな感じがしてなりません。だから俺にはこの世界を受容する事が出来ないように、貴方にも俺のことを受け入れることはきっと出来ないんだと思います」
 イルカからのハッキリとした拒絶を感じた。それはきっとイルカの本来の姿を見たときに自分が見せた物と同じものなのだろう。
 それでも、好きだ。全てを捨てて言い切れるほどの想いかは分からない。
「受け入れることは出来ないかもしれない……でも、オレはアンタのことが……」
 カカシがその先の言葉を言おうとした瞬間、カカシとイルカの間の空間がぐにゃりと歪んだ。円形に背景を巻き込んで歪んだと思ったらポッカリと黒い穴が浮かんでいた。
 何事かと思い、イルカをこちらに呼ぼうと名前を呼ぶ。
「イル……」
「イルカ先生!!」
 その声が重なった。
 初めて聞く己の客観的な声。その声を聞いた瞬間イルカの顔が泣き顔に変わっていく。そして自分ではない男の名を呼んだ。
「カカシさん!」
 カカシからは闇の中は見えないがどうやらイルカの方からは中が見えるらしくイルカがその空間に浮かぶ闇に走り寄っていく。
「早く!イルカ先生。一分くらいしかこの世界と繋いでおくことは出来ないから!」
 そう言われイルカはカカシを振り向いた。目の前に瞬間的に移動してきたと思うとカカシの前に手を差し出した。
 それはカカシがイルカに持たせた携帯電話だった。
「ありがとう、ございました。迷惑しか掛けられなかったけど……貴方に会えて良かった」
 カカシはその携帯を受け取って、イルカに何かを伝えようとする。
 それが分かったのかイルカはそっとカカシの頬に触れ、少しだけはにかんで笑った。
「どうか……幸せになってください…――――さようなら、カカシさん」
 最後に初めて呼ばれた自分の名前。ずっと呼んで欲しくてもそれはイルカの愛しい男の名前でしかなかった。
 イルカの手が離れ空間の闇に走っていく。そしてその中に手を伸ばしたとき、向こうから両の手を差し出す男が見えた。
 髪は銀色で左眼は額当てで隠れていて見えない。そして大きく走る傷は自分の物より濃くて深い物だった。
 カカシの髪の色は色素の抜けた茶色のような感じだった。違うところは沢山あったかもしれない。
 差し出された腕に飛び込んだイルカの顔は。

――――一番初めに見た、あの信頼しきった優しい笑顔だった。

 そんな顔を見せられちゃ、オレの失恋は決まったような物じゃないか。
 消えていく歪む空間を、カカシはただ見守っていた。
 そしてこの世から、自分が初めて愛しいと思った存在が消えた。









「カカシ!」
 不意に後ろから掛けられた声にカカシは驚いて振り返った。そこには先程別れたアスマが立っている。
「どうしたの?」
「どうしたの…ってお前…」
 ガシガシと頭を掻いて溜息を付いた。
「これでも心配してたんだっ!お前にしちゃ〜ちょっと深刻そうな感じだったし一人で抱え込んでヤバイことになってないかと思ったり色々考えたんだ」
 アスマは多分事件の鍵をカカシが握っていたのを分かっていたのだろう。今、自分にこういう信頼の置ける友が居ることに少しだけ報われた気がした。
「…うん。アリガト。振られちゃったけど…大丈夫」
「はぁ?……事件の事じゃなかったのかよ!」
 カカシの言葉にがっくりとしたアスマがポケットから煙草を取り出して、火を付ける。
「オレにも頂戴」
 アスマの煙草を一本貰いカカシは肺の奥まで煙を吸い込んだ。痛いのはきっと肺の近くにある胸の奥だ。それをやり過ごすために今はただ黙って何も聞かずに此処にいてくれる友に感謝しよう。
 そして明日からまた無駄だと分かっていても事件を解決する為に奮闘するのだろう。
 そんな自分も悪くない。
 大切なものは、自分の気持ち次第だと。
 あの人は気付かせてくれたから。




















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――――2008.3.25.up