カカシはイルカの元を訪れた後、高祖母の残したという資料を探しに実家に帰った。
 久しぶりに帰る実家は今は誰も住んではおらず、管理は親戚に頼んであった。
 母が好きで庭には花がいつも咲いていた。それを祖父と二人、縁側で良く眺めていたものだった。その縁側も今はもう誰もいない。
 埃っぽい室内に足を踏み入れると、そこは昔のままだった。父と母が亡くなったあの日から、カカシの家はここではなくなった。
 だが売る気にはなれず、そのまま親戚に管理してもらって今まで残してきた。
 本当はいつ手放しても良かったのだが、今回ばかりは残しておいて良かったと心の底から思った。
「確か……このあたり……」
 じいさまが言っていた隠し場所はなんの変哲もない本棚だった。そこに一緒に置いてある、と呼び起こした記憶の中で言っていた。
(木を隠すなら森ってね……)
 確かに色々なジャンルの本が収まっている本棚はこれといって珍しくもない。
 ただそこに、植物図鑑、と書かれた本を見つけた。
 小さな頃は何度も見たことがあったその図鑑をカカシは何となく、植物の繋がりで手に取った。
 するとそれに何か術が掛けられているのが分かる。
「これか……」
 ページをめくると、上忍にならなければ分からない暗号が書かれていて、なおかつ畑家の血にしか反応しない封印になっていた。
 幼い頃見たときはただの植物図鑑でしかなかった。カカシの両親が亡くなってからはこの家に寄りつかなくなってしまったので、全く気が付かなかった。
 カカシは本を手にして、そして縁側へと向かう。
 祖父と良く過ごしたその場所で封印を解いた。
 そこに書かれていたのは、高祖母が亡くなるまでの経過が事細かく記されていた。
 読み進めていくうちに、カカシの表情が険しくなる。
 小さく溜息を吐くとカカシは空を見上げた。
「それは……ないでショ……」
 力無く漏れた言葉は虚しく響く。
 ここに全てを掛けていた。
 カカシはしばらくその場から動こうとはしなかった。手にはずっとその本を掴んだままで、ただ空を見上げていた。
 

 
 夜になってカカシは三代目の元に研究資料を持って訪れた。
 どうするべきか、自分の中で散々考えた結果はまだ誰もに話していない。
 とりあえず三代目がその資料に目を通すと、カカシと同じように黙り込んでしまった。
 そして大きく息を吐き出して、それが重たい気持ちを物語っていた。
「結局、誰が犠牲にならなければならない、ということか……」
「はい」
 カカシの答えもまた重たい声だった。
 結局、じいさまのいっていた、種を作れば良いと言うことは分かった。だがその種を作るには誰かのチャクラは必要で、そしてその為には人という媒体が必ずなくてはならないものだという。
 研究資料にはチャクラを切り分けて他人からもらう方法なども書かれていた。それは今の医療技術はで可能なことだ。
 ただ問題は、イルカから花をもう切り離すことが出来ないと言うことだった。
 一度寄生したら、二度とそれを切り離すことは出来ない。無理に離せば花が根から切りはなされたとと同じ状態になり、本人も死に至ると書かれている。
 これが唯一の頼みの綱だった。
 これでイルカを助ける術を、失ってしまった。
「犠牲は、最小限に留めるしかあるまい……」
 その言葉にカカシは挑むような目を向ける。
「イルカ先生に死ねっていうんですか? 自分の子供のように可愛がっていたあの人を犠牲にするって?」
 カカシの罵りも火影には通用しなかった。
「……最善の選択をするのが火影の役目じゃ」
 確かに最善かもしれない。一人の命と引き替えに数万人の命が救えるのであれば。
 きっとこの事をイルカに話したら、彼は納得してくれるだろう。
 だがカカシは納得できなかった。
「……イルカ先生に会いに行っても良いですか? もし全てを話すのであれば、オレがそれを伝えたい」
「お前はそれでいいのか?」
 辛い役目を引き受けるというカカシに三代目は選択をさせてくれているのだろう。本来ならば三代目の口から伝えるべき決定だ。だがそれを言うことをカカシにも許し、辛いのであれば自分の役目だというのを伝えてくる。
「……はい。オレが伝えます」
「分かった。今日はもう遅い。イルカの調子も先ほどの連絡では良くなっていると報告だった。今これでまた気を落とさせることもあるまい。明日伝えると言うことで、いいな?」
 カカシは、分かりました、と答え、そのまま執務室を後にする。
 そしてその言葉とは裏腹に、イルカのいる隔離室へと向かった。



***



 カカシが来てくれてから体調が良い。
 やっぱり精神的に満たされると気力も充実してくるのが分かる。
 チャクラもコントロールされているので赤い花はまだ綺麗に咲き誇っていて、イルカの命がまだ尽きていないことを知らせている。
 こんなに生きることに執着したのは初めてかもしれない。
 両親が死んで、イルカは生きることに精一杯だった。それでもいつ死んでもおかしくない、という気持ちは拭えなかった。
 だが、ここにきて本当に死が間近に迫り、そしてカカシが生きろと言ってくれたとき、初めて「生きたい」と思った。生にしがみついていいだろうか。こんな自分が生きていくことに意味があるのならば、生きていきたい。
 あの人が必要としてくれる限り。
 電気の消えた病室は一番落ち着けた。
 暗闇の中で、また明日があると祈りに近い思いを胸に抱いて眠ろうとしたとき、ガラスがコツコツと叩かれた。
 こんな時間に誰だろうか。
 医療班はここに来ることは少ない。監視カメラで状態を確認しているので回診の時以外は感染も怖いのでほとんど訪れることがない。
 だからイルカが思いつくのはただ一人しかいなかった。
「イルカ先生、起きてる?」
「カカシさんっ」
 イルカはベッドから飛び起きてカーテンに潜り込んで窓越しにカカシに姿を見せる。カーテンを開けてしまうと監視している医療班に見つかってしまうからだ。
 今の時間はイルカ監視も緩んでいるはずだ。だからカカシとの逢瀬を長引かせたい。
 だがカカシの硬い表情を見て、イルカは自分に良くないことがあるのだと察してしまう。
 一生懸命奔走してくれているカカシが、ここまで憔悴した顔を見せるのだ。多分自分は助からないと分かってしまった。
 だからカカシにそんな辛い役目をさせたくなかった。
「カカシさん、俺はもう助からないんですね?」
 なるべく明るく言うとカカシは痛ましいような顔をした。
「ゴメンネ、イルカ先生……あんな風にタンカ切っておいてこのザマだ」
 自嘲してカカシはイルカの目を見てくれない。
 だからイルカは何度も首を横に振った。カカシのせいではない。これはもうしょうがないのだ。自分が死に逝くことは運命なのだと思えるから。
 カカシに出会って恋をして、生きていることに喜びを感じられたのは嘘ではなかった。だからそれだけでもイルカには十分な人生だった。
「カカシさん、大丈夫です。俺は幸せでした」
 笑ってイルカはそう言うと、カカシはドアの向こうで印を唱え始めた。
「……カカシさん?」
 何をしてるんですか、と言う前に扉が物凄い音を立てて吹き飛んだ。それと同時に警報機が鳴る。けたたましい音と共に赤いランプが点滅した。
「っ! カカシさん……」
 その爆風と共に突然部屋に入ってきたカカシに呆けていると、身体に触れられそうになる。
「ダメですっ!」
 イルカはカカシから逃れるように走り出そうとしても、身体が上手く動いてくれない。
 そして、あっという間にカカシに捕まってしまった。
(なんてことを……)
 歪んでゆく視界。
 その視界をカカシの顔で埋め尽くされた。
「っ……んんっ……」
 キスをされた。深く長いキス。そしてもう一度触れたいと夢見たカカシの体温。
 目を閉じることも忘れたイルカの目の前には、カカシがいる。目があったまま唇を重ね合い、そしてカカシが小さく微笑んでいた。そしてゆっくりと唇を離した。
「……なんて、事を……」
 脂汗を流すカカシにイルカから出ている触手が初めて見えた。光る糸のようなものがカカシの身体にも伸びている。
「なにやってるんですか! あんたにこんな事して欲しかったわけじゃないっ!」
 カカシの頬を今できる限りの力で殴る。
「あんたに、そんな風に犠牲になって欲しかったわけじゃない……ただ会えただけでも……幸せだったのに」
 もう二度と会えないと思っていた人に会えた。それだけで十分だったのに。
 これはもう一度触れたいと思ってしまったイルカへのバツなのだろうか。神というものが欲をかいたイルカへの見せしめにカカシをも道連れにしたのだろうか。
 殴られた頬をさすりながらカカシは笑う。
「言ったでしょ? アンタが朽ちるときは俺も一緒に果てるときだと。もし手立てが無いようならオレははじめからこうするつもりでした」
 これでもうアンタに触れる、とカカシはイルカを抱き締める。
「……バカ、だ……あんたは里にとって必要な人です。なのに……こんな事をして……本当にバカだ」
 でも、とイルカはそっとカカシの背に腕を回した。
「嬉しい……ごめんなさい、俺は……それでもカカシさんともう一度触れあうことが出来て、こんなにも嬉しいと思ってしまってる」
 その背中を強く抱き締めて、イルカは泣いた。
 ドタバタと医療班が降りてくる音がするのを、遠巻きに聞きながらイルカはただ、今ある幸福の中に身を委ねていた。



 
「なんて事をしたんじゃ……」
 殴りたくても殴れない、そんな顔をしている三代目にカカシは小さく笑った。
 この人のこんな顔を見るのは初めてかもしれない。怒りと悲しみとどちらも混同してやりきれない気持ちで一杯なのだろう。
 それでもカカシは、この選択を間違えたとは思っていない。
 イルカを抱き締めて離さないカカシに三代目は大きく溜息を吐いた。
 結界からこちらには入ることは許されない。特別な防備服を着ていないと医療班も入っては来れないのだ。
 カカシは高祖母の資料を見て分かってしまった。一度寄生されたらもう二度と元には戻れないと。
 ただ、そこで食い止める術は記してあった。この花の種が出来るまで約二ヶ月間、それまでの間触手を伸ばさないように術を掛け、一人の体内からチャクラを摂取させる。その際他人からチャクラをもらう方法も記されていた。
 この花は大地からの制裁だ、と高祖母の日記に書いてあった。人が汚してしまった大地を戻すために、人間から精気を奪いそして自然を再生させるためのものだと。
 そうして出来た種は、百年間の眠りにつく。
 だからこの花は、百年草と呼ばれてきた。
 その種は百年後、また芽を出して人のチャクラを吸う。だから種が出来たらそれを焼き払ってしまえばいい。
 最後の処理は呆気ないな、と笑いそうになってしまった。
 ただ、一人だけ依り代となる者がどうしても必要になる。百年前は最後にそれを調べたのは、寄生された高祖母だったのだ。
 だが、疫病と言われ誰も信じてくれなかったのだ。花が人のチャクラを吸うなどと。
 そして今、カカシの愛する人がその依り代となってしまった。
 ならば、自分の選ぶ道はその人を助けることだ。一日でも長く生きながらえることを共に願いながら。
 だからカカシは自分も依り代になることを決めた。
 誰もそんな事を望んではいなかったかもしれない。イルカですら、そうは思っていなかっただろう。
(こう見えてもね、オレの愛は結構深いんですよ……)
 心の中で独りごちた。誰にも分かってもらえなくてもいい。ここから先、二人を待つのは幸福な時間だというのを。
「これがオレの選んだ道です。三代目、お願いがあります」
「なんじゃ?」
「オレ達に家を用意してください。里の離れたがいい。結界と術を四方に張った家でオレ達は最後の日まで共に暮らします。オレのチャクラが半分イルカ先生に流れていくので、寿命も少し延びるでしょう。そうすれば少しはあなたの大切な教え子も生きながらえる」
 カカシの提案に三代目は厳しい顔をしていたが、小さく頷いた。
「儂は、お主も大切な教え子だと思っておった。このバカ者めが」
 悔しそうにそう呟いた年老いた里長にカカシは瞠目して、そして泣きそうな顔で笑った。

 

 



 













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――――2009.6.14.up