青空はもう見えなくて。
だけどアナタが笑っていてくれるから。
それだけで幸せだから。
13.狂気
イルカは重たい瞼を上げるとそこは白い壁と白い天井に囲まれていた。
口には酸素マスクと腕には点滴がされていて自分の状態がいかに良くなかったかが思い知らされた。
そこは病室だった。
還ってきたらカカシに会いに行こうと思っていたのに。今はそれどころではないようだ。
身体の感覚が何処かおかしい。鈍っていて痛みも何も分からない。ただ、目を開けていると気分が悪くなるのだけは解った。
近くにいた医療班がイルカが目を開けたことに気がついて「良かったですね」と手を握ってくれた。
その医療班の話しではアスマに抱えられて帰還したときはかなり危ない状態で、大量の麻薬を吸い込んだ為、中毒を起こしていたらしい。
それを五代目が直接毒抜きをして一命は取り留めたが、それでもこの任務で繰り返しされた解毒で身体の機能が落ちすぎていて安心は出来ない状態だった。
一週間経ち、意識が戻らなければ脳の損傷も考えなければならないと五代目は宣告していたらしいが、一週間経った今、イルカは目を覚ました。
意識の混濁も無く、医療班は「五代目に報告してきますね」と言って部屋を出て行った。
色々と考えたいことが沢山あるのに、今はただ眠ることしかできない。
カカシは大丈夫なのだろうか。
薄れ行く意識の中でイルカはカカシのことを想っていた。
*
アスマがカカシの様子がおかしいと聞いたのは、あれから一週間が経ってからだった。五代目は反省も兼ねて当分は独房入りだと豪語していたし、アスマも少しは頭を冷やした方が良いと思っていたのでカカシの所には一度も顔を出していなかった。
だが、監守をしている忍から「最近はたけ上忍の様子がおかしくなってきたので見に来て欲しい」と言われた。「何がどうおかしいのか?」と聞けば「見てくれれば解ります」とそう返された。
アスマはこれから任務だし、今すぐに見に行けるわけではない。自分はそれが終わってから見に行くと伝え、
「五代目には報告したか?」
と聞けば、
「今行くところでした。ちょうど猿飛上忍に出会えたので先に報告を」
そう言って監守は頭を下げた。
アスマは頭をカリカリッと掻いて溜息を付いた。とりあえずは任務が先だ。今、独房にいるカカシに大したことは出来ないし。そう考えてアスマは任務へと向かった。
アスマが任務から帰ってくるとすぐに綱手から呼び出された。
どうやらカカシの様子を見に行ってきたらしい。執務室にはいると綱手は「お疲れさん」と言ってキセルを置いた。
「昨日、監守から報告を受けてな。カカシの様子を見に行ってきたんだ」
そう言って大きく溜息を付くと先を続けた。
「あの馬鹿、自分に術をかけやがった」
「…術、ですか?」
「そうだ。あれは幻術だろうな。自分の殻に閉じこもったんだ」
「けど、チャクラは封じてるじゃないですか。それに写輪眼も」
「あいつも腐っても上忍だ。微量のチャクラを数日間ため込んで自分に術を掛けたらしい。今解くは簡単だが解いて何をしでかすかわからん。ったく…ホントに世話の焼ける!」
絶対正気に戻ったら一発ぶん殴ってやる。アスマは心の中でそう誓った。
「で、俺にどうしろと?」
「どうにかしろ」
あいつのことはお前に頼んだはずだからな。と言われアスマは「面倒くせぇ…」と漏らした。
面倒臭くとも今の状況では埒が明かない。カカシは暗礁に乗り上げてしまっている。自分でもどうにも出来ないのだろう。こんな風に誰かを思った事なんてあいつには無かったんだ。
そう思うと仕方がないと思えてくる。あいつは可哀想なヤツだったんだ。イルカを知るまでは。
「分かりましたよ…」
と踵を返し執務室をあとにした。
その足でアスマは独房へと向かった。
それは顔岩の内部にあり、避難所とはまた別の所に作られていた。そこに行くと昨日会った監守が当番でカカシの管理をしていた。
「お疲れ様です。猿飛上忍。昨日は五代目も見に来てくださいました」
「そうか。で?」
そう言うとその監守は結界の掛けられている鉄格子を開き、その更に奥にいるカカシの所まで案内した。
そしてまた結界の掛かっている鉄格子の向こうにカカシは居た。
手枷足枷をされ、ベッドに腰を掛けて。
何処も見ていない瞳は何を映しているのだろうか。
アスマは苦々しい気持ちで一杯になった。
ここまでカカシを追い詰めることになる前にイルカを戻すべきだったと。
クスクスと笑い声がして誰かに話しをしているようだった。
「…いつもこんなか?」
そう聞くと監守は頷いた。
「気がついたときにはご自分で何か術を掛けたらしく、今のように笑っていらっしゃいました。…時々誰かの名を呼んで……」
――――イルカか。
聞かなくても分かる。カカシはイルカを求めているのだから。
だが、イルカをここに連れてくることは困難だ。当のイルカはまだ病室だ。意識は戻ったと言っていたがまだ治療は続いていた。
アスマは自分に対して舌打ちをする。何一つしてやれない。
「カカシ」
名を呼ぶ。
しかしこの言葉は宙に消えた。
クスクスと笑いながら座るカカシに。
「今度は必ずイルカを連れてきてやる」
そう言い残して、やりきれない気持ちと一緒にその場を離れた。
*
「今日はね、アカデミーで演習をしたんです。その時に班で分かれて演習してたんですけど、女の子を庇った男の子が他の班の子だったんですよ。そうしたらそこから子供達が騒ぎ出しちゃって、惚れたはれたって話になっちゃって大変でしたよ」
その日会った出来事をイルカはカカシに話してくれる。
「演習中に?」
「そうなんですよ。その辺がまだ子供で…困りました。また一から基本を教え直さないと」
苦笑いするその中にも愛情が見えて、カカシは顔が綻んだ。
優しいイルカ。子供が大好きで人当たりが良くてみんなから好かれるイルカ先生。
「その後はイルカ先生の怒声で説教でしょ?」
「そうです……よく解りましたね」
ええ。前にも聞いた事があったから。
同じ話をどこかで聞いた。
それはイルカと共に過ごしたあの幸せな日々の中だ。カカシは自分をその中に閉じこめる為に術を掛けた。幻術で自分を過去の世界へと閉じこめてしまったのだ。
自己暗示よりもっと強く、簡単に解けないようにチャクラを貯めた。
そして今、カカシはその中にいた。
温かくて幸せな気分になれるその世界は、自分とイルカだけの世界。
自分にいつも笑いかけてくれて、自分だけを愛してくれていた世界。
だってもう、イルカは還ってこないから。
あの人の子供を殺して。任務だったとはいえ出来た命をあの人はきっと愛したに違いない。
それを自分が手に掛けた。
だけど、どうしても取り戻したかった。自分の全てを投げ出してでもイルカという自分にとって唯一無二の存在を、どんな事をしたとしてもこの手に取り戻したかったのに。
この中はいつも自分に優しくて、ここ死ねるのならそれはそれで幸せだとカカシは思った。そしてその幸福感の中に自らを閉じこめた。
「アナタの事なら全部分かるんです」
そう言って手を差し出せばアナタに触れる。温もりも全て本物と同じ。
「またそうやって恥ずかしい事を良くもまぁ…」
顔を少し赤らめたアナタが恥ずかしそうに笑って、それを抱きしめて唇を重ねた。
アナタとならこのまま落ちていってもかまわない。
もう。
他に何もいらない。見たくない。
*
イルカはベッドから起き上がって外の風景を眺めていた。
大分身体の方も良くなってきていて、今ではこうやって座ることも出来る。
イルカが担ぎ込まれてもう2週間が経とうとしていた。意識を戻してから一週間。そこからは回復が早かった。まだカカシと話してもいない。だから早く元気にならないと。
またあの手の掛かる子供のようなあの人の所へ還らなければ誰が面倒を見るのだ。
イルカはそう思うと早く良くならなければ、と焦りも生まれてくる。
誰に聞いてもカカシの事を教えてくれる人は居なかった。多分口止めされているのだろう。
ならば早く良くなってカカシに会いに行かなければ。
イルカはテーブルの上にあった湯飲みを一気に煽った。顔を歪めて今度は水に手を伸ばし一気に煽る。五代目が調合してくれた薬はとても苦かった。
イルカは大きく溜息を一つ付いた。
早く元気にならなければ。
イルカが退院できたのはそれから2週間も経ってからだった。
実質あの火災から1ヶ月の時が流れていた。何度か見舞いに来てくれたアスマにカカシの様子を聞いても何も教えてはくれなかった。
ただ、「お前がここから出たら一番にカカシの所に連れていってやる」と約束してくれた。
まだ心持ち身体の浮遊感が抜けないが、それも時期に抜けると五代目は言っていた。
やっとだ。
やっとカカシに会える。カカシはもしかしたら会いたくないと言うかも知れない。だが、そんなことは聞き入れるつもりもなかった。
何が何でも話して、ちゃんと聞いて。
そして……元に戻りましょう。
全部が全く同じになんて戻れるわけはないけど、そうしたらまた違う形を築いていけばいいだけだ。新しく歩き始めればいい。
手続きを終え、ひとまず先にアカデミーへ報告に行かなければ。そして五代目にも挨拶をして、そしてカカシの所へ連れていってもらおう。
自然とイルカの足取りが速くなった。
アカデミーに行くとみんなから心配されていたのがよく解った。すれ違う人々に声を掛けられ「良かったな!」と言われる。あとは哀れむ目も少なくない。
表だっては婚約者が死んだことになるのだ。だが、任務が終わった今、それも任務として公開され処理された為、ほとんどのアカデミーの者は任務の為の嘘と知っていた。
荷物を適当に置かせて貰いイルカはアスマの姿を探した。さっき受付で確認した時はすでに報告書が受理されていたのでアカデミーの上忍控え室当たりにいるはずだ。
綱手へ挨拶してからアスマの所へ行こう。イルカはそう決めて先に執務室へと足を向けた。
執務室へ行くと、そこには探し人もちょうど何かの報告をしていたらしく姿があった。綱手は「もう平気か?」とイルカの体調を聞くとイルカも「おかげさまでもう大丈夫です」と答えた。
「大分顔色も良いな」
と言ったのはアスマだった。
「今日お前が退院してくると聞いて、許可を貰いに来てたんだ」
その言葉にイルカの身体が揺れる。そんなに厳重に監禁されていたなんて。その事にもショックを受けつつ顔に出さないようにどうにか表情を保つと、
「ありがとうございます」
と頭を下げた。
「くれぐれも無理するんじゃないよ。ほんとにお前とカカシは手が焼ける」
椅子に凭れて頬杖を突きながら綱手は溜息を漏らした。
「すみません…」
これはもう謝るしか言葉が出てこない。確かに自分たちのせいで皆には迷惑を掛けてしまった。だがこれからはまた二人でやり直していける。
その為にならどんな苦労でも受ける覚悟でイルカはいた。
「じゃ、行くぞ。イルカ」
アスマとイルカは執務室をあとにした。
そして。
カカシの待つ独房へ。
やっと会えると胸に期待を抱きしめて。
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