手を伸ばしても届かぬ想い。




 信じた日は忘却の彼方。




 何故、手放してしまったのだろうか。











+歯車+













 
 イルカは職員室で午後の授業の準備をしていた。今は午前授業中だがイルカは空き時間で、もうすぐ昼か…と壁に掛かっている時計を見上げた。
 あれからカカシとは話しもロクにしていなかった。もうすぐ二ヶ月になろうとしている。なのに何故かカカシとだけは話す時間も偶然も無かった。どれだけカカシが自分に近寄ってきていたのかが解る。
 午後に使うプリントをまとめながら一つ溜め息を零した。カカシも我慢をしていてくれているのだ。自分が選んだ任務なのにカカシと話も出来ないのがこんなに苦痛だとは大きな声では言えない。
 その溜め息を聞いていた髭面の上忍がイルカの後ろに立っていた。

「なんだ?珍しいな。お前がそんな溜め息突くなんて」

 咥えていた煙草を吹かして一つ煙を吐き出しながら言った声に笑いが含まれていた。
 そんなに大きな溜め息だっただろうか。自分では気が付かなかったけど。だが聞かれていた溜め息は大きな物だったらしくアスマは「そうだ」と話を切り出した。

「これから昼飯食うんだが、お前も来るか?任務の事もあるが、どうしてもお前と飯を食いたいって五月蠅いヤツがいてな……」

 と、窓の外をクイッと指さした。それに釣られ外を見ようと窓際に行けば校庭の木に寄りかかりいつものスタイルで本を読んでいるカカシを見付けた。
 
「…カカシ、さん…」

 ちらりとこちらを見たカカシと目が合う。少しバツの悪そうな笑みを浮かべているカカシがとても愛おしくて。イルカの顔も思わず綻んだ。

「いいですよ。もう午後の授業のしたくも終わりましたし、私も報告があるのでそのついでと言う事でご一緒させてください」

 イルカも久しぶりにカカシと話せる事が嬉しくて、軽く自分の机の物を片付けてアスマと一緒に職員室を出た。
 スッと渡された紙をアスマは誰にも見られることなく自分の懐に仕舞いこんだ。
 それは任務の報告。邪魔されて進まなかった見取り図がどうやら完成したらしく、やっとアスマの手に渡った。

「結構かかったな。まだ里にはそこまで出回っていないが………一応五代目が耐性を付けておけとのご達しだ」
「…解りました」

 アカデミーの廊下を二人の会話を聞き取れた者は誰もいなかった。数人擦れ違ったりしたが全く構わずに過ぎ去っていった。
 任務の話しは容易くできる事ではない。とりあえず渡す物は渡せたのでイルカが話しを切り替えた。

「お昼はアカデミーの食堂で良いんですか?」

 アスマに問えば「何処でもいいんじゃねぇのか?お前と一緒なら」と言う返事が返ってきた。その言葉に苦笑いをしてアスマとイルカは食堂へ向かった。
 

 食堂へ行って見渡せば、先に来ていた銀の髪がこちらを覗いていた。二人を、と言うかイルカを目にした途端、嬉しそうに顔を綻ばせて、久しぶりに見たカカシの笑顔にイルカの疲れていた心も癒されていった。
 最近は休日も気を張って任務をこなしていたので疲れが出ていたようだ。邪魔をかい潜ってどうにか出来上がった見取り図は、とても複雑な物だった。
 カカシの座っているテーブルに寄ろうと食堂を入った時だった。
 カカシの名を呼ぼうとしたそのイルカの声が遮られた。

「イルカさん!!こちらにいらしたの?」
「梗香さん……」

 振り返れば、許嫁となっている梗香が姿を現した。
 何故こんな所にまで……と思って梗香の手元を見れば風呂敷に包まれたお重を抱えていた。

「今日はイルカさんと一緒にお昼を取ろうかと思いましてこちらに参りました……お邪魔でしたか?」

 そう言われてカカシとアスマに目線を泳がしたイルカに、アスマが手を挙げて、

「綺麗な許嫁さんと飯食って来いや。こっちは大した用じゃねぇしな」

 そう言ってカカシの座っているテーブルへ向かった。
 イルカは仕方なく一礼して、あたかも嬉しそうな笑みを浮かべて梗香を応接室へと連れていった。
 その後ろ姿を見ていたカカシは、一つ溜め息を付いた。その溜め息はアスマの物とも重なっていた。
 最近ギスギスした雰囲気が戻りつつあるこの同僚を心配して作った機会をまんまと潰されてしまった。いまのうちにどうにかしておかないと後がヤバイ気がしてならないのだ。それは昔からカカシを知るアスマだからこその勘でしかない。
 ちらり、と前に座るカカシを見ると目があった。

「何か言いたそうダネ。アスマ」
「別に……」

 言いたい事はある。だが今のカカシにはきっと届きそうにない。
 アスマは暫くカカシの方を見ていたがカカシはスッと席を立ち「じゃ〜ね」と手を振った。

「飯は食わねぇのかよ」
「ここで食べる意味もないし、別に食べたくもないからいらないよ」

 溜め息混じりに吐き出したカカシの台詞は投げやりにも聞こえる。有無を言わさない言い草は昔によく聞いていた。それに近い物を感じる言い様だった。
 そしてカカシは食堂を後にした。


 

 胸の辺りがムカムカする。
 カカシは顔岩のある高台に一人で佇んでいた。
 さっきまであの人の顔を見て心が緩んだのを感じたのに。一瞬でまた元に戻ったような気がする。
 結局一言も会話することなく、ただ少し顔が見れただけに終わった。そして大きく息を吸い込んだ。
 イルカを連れていった、あの梗香とか言う女のせいだ。
 初めて会ったのは、イルカに当分会えないと言われたアカデミーの時。すれ違い様に歪んだ笑みを見た。
 そして、今日もイルカに連れられて食堂を後にする時に一瞬見せた笑顔。
 あの時と同じようにカカシには酷く醜く見えた。
 この胸に渦巻く陰湿な気持ちが、イルカが言った言葉を薄れさせていく。
 それでもまだ大丈夫だと自分を駆り立ててカカシは吸い込んだ息を吐き出した。
――――アナタを信じてるよ、イルカ先生。
 まだ、大丈夫だ。




 イルカは梗香の見えないところで溜め息を付いた。まさかここまでするとは思っていなかった。
 梗香はニコニコしながらイルカの為にお重の中身を取り分けている。応接室を借り、今日はここでひとまず食事を取る事になった。相変わらず速記のような護衛は二人付いている。
 本当は話がしたかった。やっと会えたカカシの顔は何処か生気が無くて、少し痩せたようにも見えた。
 何よりもイルカ自身がカカシにあって自分が満たされたかった部分もあった。少しでもカカシに触れて安心させてあげたかった。
 カカシの不安そうな顔がずっと頭から離れなかったから。
 任務に就くといったあの日から、カカシの不安気な顔がちらついていた。
 また近いうちにアスマさんに行って場を取り持って貰おう。
 そう頭の隅で考えながら、梗香が満面の笑みで渡した小皿を受け取って昼食を取った。




 それからカカシと話す事は無かった。
 見かける事はたまにあってもそれは尽く邪魔されるようになった。唯一話が出来そうな昼休みに、あれからと言う物、梗香は毎日のように来るようになったのだ。
 豪商の娘のやる事にみんな遠巻きに見ているだけだった。羨ましい、と言う声もちらほら聞こえるが、大半は大変だな、と言う哀れみの声。
 イルカにべったりなこの娘に愛嬌を振りまくのも一苦労だった。
 
 ある日、イルカはいつものように週末を嵯峨野の屋敷で過ごしていた。
 アカデミーの生徒達の採点をやり残した為、持ち帰りイルカに与えられた一室で行っていると梗香や嵯峨野に「真面目」だと言われた。
 自分はそれしか取り柄のない忍だからこれくらいはちゃんとやりたい、と三流だという事を言い含めた。
 実際のイルカは三流も何もない。この任務がうまくいけば上忍に上がれる程だ。
 三流だという事を相手に思わせ、油断させておきたかった。そして自分が動き易い環境を作るのだ。それが功を奏して来たようだ。
 段々と親子の警戒が緩んできていた。見取り図もそのお陰で作れた。その時点であの必ず邪魔されていた場所の見取り図が取れた。そこはやはり部屋としては何かがおかしいと思う場所だった。
 平面図にして見ても、寸法の足らない場所があり、それが隠し部屋だという大きな証拠になる。これで任務にも進展が出来た。先日カカシとは会い損ねたが、アスマにはしっかりとこの家の見取り図を渡せたし、それにより水面下で工作を練っているだろう。
 自分がここにいる時間もそう長くはない。そう想いながら、採点をしている横でイルカの方をチラチラと横目で見ながら本を読む梗香がいた。
 先日アスマに言われてからすぐに五代目の所へ行き、麻薬の耐性を作ってもらい、それと解毒剤も一緒に貰ってきた。
 それはその後すぐに役に立った。あの日、昼食を取った後、夕飯を誘われ嵯峨野の屋敷へ行ったのは良かったが、その食べ物に微かではあるがクスリの混ざっている味がした。
 きっと普通の人間ならそんな事にも解らないほど、それは無味無臭に近い。少しだけふらつく振りをしてイルカはその日嵯峨野の屋敷に泊まる事になった。
 もうこの屋敷の者達は常用しているのであろう。イルカに対して盛った程度では効き目はそんなでもないみたいだった。

 最後の丸を付けペンを置くとイルカは大きく伸びをした。それを見ていた梗香がくすっと笑った。

「イルカさんはやっぱりとても真面目なのね。あの頃とちっとも変わらないわ」
「そうですか?そんなに変わらないと言われるとちょっと寂しいですね」

 笑って返すイルカに「変な意味じゃないんですよ」と手を振る。

「けど、そんなイルカさんが好きなんです。こうやって一緒にいられて私とても幸せですわ」

 ぴとり、と背中に寄り添ってきた梗香にイルカは照れたように頭を掻く。その頭の中では別の人を想い出しながら。
 そういえば、カカシさんも真面目な自分を好きだと言っていた。その事を想い出してイルカは照れたように笑った。

「ありがとう、ございます」

 そう言った辺りで障子に影が落ちた。

「お食事の用意が出来ました」

 やはり気配を消すのが上手すぎてこの男が忍だという事がすぐに解る。嵯峨野の側近がイルカ達を呼びに来た。

「さ、行きましょう。イルカさん」

 梗香が背中から離れ少し恥じらいを見せながらイルカの方を見た。まあ、こうしてみれば確かに可愛いんだけどなあ、と胸で独りごちて。
 イルカも共に部屋を出た。




  
 その夕飯は一口食べた時点で解った。
 クスリが混ぜられている。クスリ、と言うか麻薬だろう。
 三流だと言い続けてきた甲斐があった。余程舐められているのか、イルカの食事にもクスリが混ぜられていた。
 イルカの舌は敏感だった。この量を食べてどの程度耐性が聞くか、少し不安な部分もあるがダメなら解毒剤を飲めばいい。
 その為に貰ってきたものだ。
 「美味いですね」と食べるイルカに二人とも満面の笑みを見せた。
 二人の食事にはクスリは混ざっていないのだろう。さすがに耐性を付けてきたとはいえ、これだけの量を含んでしまっては。
 視界がくらりと歪み、身体が宙に浮くような感覚に襲われる。思考はそれこそ耐性のお陰かはっきりしていたのでまだ幾分楽だった。どのくらいの量を含ませたのだろうか。
 かなり強い麻薬の類。
 身体から一気に汗を拭きだした。

「す、すみません。お食事中ですが退席させて頂いても宜しいですか?……なんだか気分が悪くなってきてしまって…」

 今にも前のめりに倒れそうなイルカに、心配そうな顔を向ける。

「大丈夫ですか?お気になさらずお部屋で休んでください。あとで様子を見に行かせますから」

 嵯峨野が言うとイルカは申し訳なさそうに席を立ち、失礼します。と食堂を出た。

「……少し、強すぎたのかしら?」
「たぶん、な。あとで、様子を見に行ってくれ」

 側近の忍であろう男とに言うと返事を遮るかのように、

「私が行きます」

 と梗香が笑った。




 誰も付いてこなくて良かった。
 誰の気配も無い事を確認してイルカは服に忍ばせていた解毒剤を飲み干した。暫く横になっていれば元通りになるだろう。
 イルカは与えられた部屋に座布団を適当に敷いてゴロリと横になった。









 ザクリと鈍い音を立てて腹部を切り裂いた。一気に噴き出す血飛沫に満足気に笑った顔が見えた。

 ヤバいな。

 血生臭い事をワザとするのだ。そしてその血を見る事に自分の興奮を高めていた頃のカカシに戻りつつある。
 アスマはもう一度溜め息を付いた。
 何処かで歯車が狂ったのか。最近のカカシはやっとまともになっていたのに。
 原因は……言うまでもないか。
 ドサッと力を無くした身体が地面に叩きつけられて、全てが終わった。
 ギラギラとした殺気を抑えきれずに、全てを終えたカカシが笑っていた。







 何故、こんな事になってしまったのか。
 



 答えなんて簡単だったのに。
















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――――2005.5.1.up