暗闇に灯る一つの明かり。
 
 其処に行きたいのに。

 

 出口を失ってしまった。






+出合+










 アスマはその日、火影の執務室にいた。呼ばれたわけではない。自分から用があって出向いたのだ。

「そんなこと心配してたらキリがないよ」

 と、一喝される。アスマからしてみれば、あの状態も尋常ではないのだが。

「その面倒を見るためにお前を側に付けてるんじゃないか。泣き言言わないで頑張りな」
「じゃー、あいつをこの任務から外してもいいですか?」
「それはダメだ。いつ写輪眼が必要になるかも分からない。簡単に外すなんて約束は出来ないね」

 アスマは大きく溜め息を付いて肩を落とした。これでは押し問答だ。埒が明かない。アスマにも何と言って説明すればいいのかははっきりと分からないのだ。
 ただ、長年の勘、とでも言えばいいのか。

「もうすぐこの任務も終わる。カカシのヤツもこんな事で辛抱足らないんじゃ忍とは言えないね、まったく…」

 もう行けと手で払われアスマは仕方なく執務室を出た。
 アスマは「イルカが居なくなってからのカカシがおかしい」と言うことを五代目火影、綱手姫に相談しに行った。が、今の有様だ。
 カカシは有能なのだ。そのカカシがあれ程の殺しをしたのだ。忍としては三流。あんなに跡の残る様な殺し方は暗部にいたとき以来だ。
 あそこは精神が病んでいく。一番危険で、そして残酷。そこの場所で常にトップを走り続けていたカカシが精神的に研ぎ澄まされ、そして病んでいたのも当然だった。
 何かが切れたとき、ああ言った殺し方をしたのを何度か見たことはあったが。
 だが、これを五代目に話しても「カカシが弱い!」と言われてまた追い返されそうな気がする。
 アスマは独り煙草を吹かし溜息を付いた。
 やはり面倒なことになりそうな気がする。







 イルカの身体も限界に近かった。
 週末に盛られる麻薬と解毒。その繰り返しで内臓に異常が出始めていた。そろそろケリを付けなければ。
 最近は隠し部屋のこともちらほらと耳にするようになった。ここまで来れば確証したも同然。後は次に麻薬が搬入される時に一網打尽にする予定になっている。
 その時は。
 この状況からもさよならだ。
 結界と幻術に包まれた部屋で、喘ぐ女の声。
 最近はあからさまにセックスアピールが酷く、昼間でも欲を持ってイルカに接することが多くなった。
 イルカは困った振りをしてやり過ごしてきたが、どうしてもかわす事が出来ずに数回唇を重ねた事があった。
 柔らかいその唇は気持ちが良いとは思える物ではなかった。
 それはイルカの性格からも受け入れられないし、受け入れる気もなかった。ただこれは任務の一環だと思ってやり過ごした。
 どうしても思い出させるその人の口吻は、もっと激しくて、そしてもっと愛情があった。それは自分がその相手に対して。当たり前だ。
 何があってもどんな事があっても引き替えに出来ない人なのだから。
 今までこんな感情があるなんて知らなかった。イルカの中にある激情。それがカカシに対する愛情だった。
 早くあの人に会いたい。
 絶頂を迎えた梗香を見届けてイルカは深く溜息を付いた。
 
「解」

 印を結んで結界を解くとぐったりとする梗香を見下ろした。まさかここまで自分を求めているとは思わなかった。
 ただのカモフラージュだとばかり思っていた。この麻薬を誤魔化すために木の葉の忍と関係を持つための物だと。
 だが、どうやら違ったらしい。
 梗香は本気でイルカに惚れているようだった。

 梗香とイルカが出会ったのはまだ三代目が存命で嵯峨野がこの里の商人として出入りを認められたての頃だった。
 成り上がり者だと反発を買っていた嵯峨野への嫌がらせが多く、国外へ買い付けに行くときに護衛に付いたのが初めだった。
 その頃、梗香はまだ少女の域を脱しておらず、イルカもまだ若かった。行商をしていた嵯峨野が木の葉へ落ち着けたのも三代目の配慮からとその人柄もあったのだろう。
 とても気さくなその男を皆応援していたくらいだ。
 商品の仕入れも確かで腕も立つ。交渉も上手く良い物を安く木の葉へ仕入れてくれるようになった。
 その買い付けの度にイルカは護衛と言うよりは梗香の子守のような感じで護衛に就いていくことが多くなった。木の葉に落ち着くまでは転々と居場所を変えて暮らしていたため、梗香はまともに教育を受けたことがないと嵯峨野が言うのを聞いたイルカは、嵯峨野の護衛に就く度に梗香へ一般的な勉強を軽く教えるようになった。
 読み書きから、簡単な計算。何度か立て続けにあった任務のうちに教えられそうなことを教えると、梗香は元は出来が良いらしくすぐに覚えていった。
 イルカから教えられたことを家に帰ってからもずっと勉強していたんだと言うことを聞いたのは、随分後になってからだ。

「私ね、イルカ先生大好きっ!」

 幼い笑顔で何度もそう言われたことを覚えている。あれはイルカが教職に就く少し前。この任務で嵯峨野の護衛は終わりだと言うときだったろうか。
 嵯峨野は三代目の配慮で里の外れに家を持つことを許されたのだ。里外へ行くこともあるだろうが、イルカはアカデミーの教鞭を握ることが決まり、当分外勤が減ることも決定していた。
 これで会えなくなると言うことを幼い梗香へ伝えると今まで見たことのない涙を見せた。

「絶対にまた会いに行くわ。その時はイルカ先生のお嫁さんにしてね」

 と。幼い子供の可愛い約束だとイルカは頭を撫でて承諾した。その時梗香は12才。イルカはまだ18才を超えたばかりだった。
 その間、何度か依頼を受けたが梗香には会ったことはなかった。
 だが、この数年三代目が亡くなるまでは、縁談の話しが持ち上がって来ていたくらいだ。それと同時に里内に流出し始めた麻薬に嵯峨野が関与しているという噂が流れもう少し様子を見てからイルカを潜入させるという三代目の算段だった。
 しかし三代目も亡くなり、そしてまた違う新種の麻薬が出始めた。
 五代目は思いきりの良い人だ。新種の麻薬が出てきた時点でイルカに任務の命が下っていた。「この任務が成功した暁には上忍へ昇格」それは大胆にもイルカから提示した条件だった。
 それを聞いた五代目は、大笑いをしてイルカの度胸の良さを認めてその条件を承諾した。
 久しぶりに見た梗香は綺麗に成長をして、人目を引くほどの容姿を身につけていた。
 異国の服を綺麗に纏い、長い髪は綺麗に整っていた。スラッとして背も高くなって見違えるほどだった。
 イルカが縁談を承諾をしたときは、待ちきれずアカデミーまで出向きイルカとの対面を果たした。
 イルカにとっては好都合。梗香にとっても思い人と結ばれるという至福を迎えた。
 幼かった少女は、成人した女性へと変貌を遂げて、しなやかな仕草でイルカを誘ってやまなかった。当のイルカは実際それに惑わされることもなかったが。
 

 









 梗香は行商を営む父に幼い頃から付いて歩いていた。
 母は梗香が物心付く前には病気で他界した為、常に父と二人きり。娘と言うこともあり嵯峨野は梗香を甘やかして育てていた。
 行商が上手く波に乗り、裕福になってからは欲しがる物を与えて育てられてきた。ただ、やはり転々としていたため学校に行くという事がなかった。
 簡単な文字は読めたが計算や、書き取りはほぼ出来ていなかった。そんな頃から嵯峨野への嫌がらせが増え、護衛として木の葉の忍を頼むことが増えた。
 任務に来た木の葉の忍は二人。一人は先輩のようで常にもう一人へ指示を出していて、もう一人の忍はそれに従って任務をこなしていた。後輩に当たる忍はまだ二十歳を超えていないらしく、顔立ちもまだ少しだけ幼さを残していた。顔に真横に走るキズがとても印象的だったのを覚えている。
 先輩の忍は少し怖くて近寄れない雰囲気があったが、そのキズを持つ後輩の忍は人好きのする笑みを見せることがあった。目が合うと優しそうに笑ってくれて、それが梗香には嬉しかった。
 それから梗香は警戒心が少しずつ解れて、少しずつそのキズのある忍に近寄るようになった。初めは覗くように。そしてそれを黙認しているのを分かると今度はもっと大胆に近付くようになった。
 キズのある忍が作業する手物を覗き込むとそこには難解な文字が書いてあった。分からない、と言う風に首を傾げるとその忍はクスリと笑い、

「これは俺たちにしか読めない文字だよ」

 と教えてくれた。そして初めて名前を呼ばれた。

「梗香ちゃんは今何年生?」

 その問いには答えられなかった。梗香は教育を受けていない。だから首を横に振るとその忍は「そうか」と言って頭を撫でてくれた。

「文字、読める?」

 と聞かれたので、

「……少し」

 と言うと落ちていた小枝を拾って地面に何か書き始めた。がりがりと何か書いた後、

「これ読める?」

 そう言って今書いていた地面に梗香は視線を落とした。そこには平仮名でその忍の名前が書かれていた。

「う・み・の…イ・ル・カ…」
「良くできました」

 それがとても嬉しくて梗香は無邪気な笑みを見せた。
 それから梗香はイルカの後を付いて歩くようになった。「これは?あれは?」と聞き迫る梗香に笑顔で答えるイルカに梗香が懐いていた。
 何より梗香が忘れられないのはイルカに叱られたこと。
 今まで父親しかおらず世間を知らずに育った梗香に対して、イルカの叱るという事が梗香にとって初めての経験だった。
 しかも赤の他人から怒られるなんてことは今まで一度もなかった。父親すらしてくれなかったことを、何度か仕事上で居合わせた依頼人の娘にそんな事をしてくれた人は今まで誰もいなかった。
 初めて怒られたのはイルカの私物を勝手に弄ったことだった。
 今まではしても誰も怒らずに苦笑いをするだけだったのに、イルカは違った。
 静かにだけど怒りが伝わってきて、自分がしてはいけないことをしたのだと痛感して梗香は泣いた。
 ごめんなさい、と泣いて謝る梗香に、「謝ることは恥ずかしい事じゃないから」そう言ってまた頭を撫でてくれた。「これから気をつけるんだよ」と言って。
 誰も教えてくれなかったことをイルカが教えてくれる。その事で梗香の中に幼いながらも初めての感情が芽生えた。イルカを慕う気持ちが初恋だったと言えるかもしれない。
 それからはイルカが任務に来るように父親に頼み込んだ。嵯峨野も面倒見の良いイルカに対して好感を持っていたのでイルカを指名するようになった。
 イルカは半分子守兼家庭教師のような状況に、それでも任務だからという気持ちと、教師になりたいという昔からの夢もあり梗香に対して何かを教えるのは嫌ではなく、気持ち半分は楽しんでいたのかもしれない。
 それでもイルカにとってはただの任務に過ぎない。反して梗香からしてみれば初めて普通に子供らしく過ごせた日々で。イルカの優しい人柄と、淡い子供心に芽生えた気持ちを持ちながら過ごした日々だった。
 その後、イルカがもう任務には来れないという事を告げられた梗香は泣きじゃくってイルカに縋った。置いていかれるような感覚を持ちながら、子供にとっては任務でここにいたイルカではなく、好きで自分の相手をしていてくれたという錯覚を起こす。
 だってあんなに一緒にいてくれるっていったのに。梗香は心の中で叫ぶ。
 だったら早く大人になりたい。そしてイルカと一緒にいられるようになりたい。……――――そうだ。イルカ先生のお嫁さんになれば一緒にいられる。
 そう言うとイルカは少し困ったように、だけどいつもの笑みで「分かった分かった」と言った。
 そしてイルカとはそれきり会うことは無くなった。
 
 精神的にも大人びた梗香がイルカと結婚したいと言い始めたのはこの数年だ。未だ忘れられずイルカの身辺を調査して情報は得ていた。
 まだ独身で献身的な教師。誰からにも好かれて愛されているイルカを梗香は遠くから見ていた。
――――綺麗になってイルカ先生を驚かすの。
 そう心に決めて。
 
 二十歳を目前としたある日、遂にイルカから色好い返事を貰えた。あまりにも嬉しくて梗香は父に黙ってイルカに会いにアカデミーまで出向いた。
 その時、アカデミーですれ違った忍。左目を隠し、猫背で歩いてくる銀髪の男。
 調査をさせた時の写真で何度も見た。
 イルカと常に居る男だ。
 それでもイルカは自分を選んでくれた。
 自分はこの男に勝ったのだ。すれ違い様、思わず笑みが漏れた。
 なんて気持ちが良い。こんな男にイルカは絶対に譲らない。
 何があっても私だけのイルカ先生にしてみせる。












 アスマはカカシに見張りを付けた。
 とは言っても簡単に見破られたりするので、仕方が無く自分がカカシの見張りをしていた。
 任務に行っている間はほとんど行動を共にするように手回しをしているし、カカシ自身も分かっているのだろう。
 何も言わず無理もせずこのところは少しだけ落ち着いていた。
 無理に自分を押さえ込んでいるようにも見えるのが少し心配なところだが。
 またこれが爆発したら大変だ。
 イルカからの繋ぎは暗部に任せてあるが、イルカの体長も思わしくなくなって来ていると聞いていたのでそちらの方も心配の種だった。
 どっちも無理をするタイプだから。
 かといって自分は一人しかいない。イルカは自分を制御できる人間だから大丈夫だろう。
 今、目を離せないのはどちらかというとカカシだ。元から飄々としているところがあるが、そうではない何かがある。
 抜き身の刃の様に、どこか危なげで目を離した隙に何かしでかしそうな、そんな感じだ。

「真っ直ぐ家に帰れよ」
「分かってるよ、五月蠅いな髭は…」
「明日は遅れるなよ。毎日毎日待つ俺の身になれってんだ」
「じゃ〜任務変えればイイじゃない」

 そこでアスマは溜息を付くと、カカシは手のヒラヒラとさせて背を向けた。
 そのまま帰宅するカカシの背中を少しの間だ見送ってアスマもその場を後にした。












 なぜ、最後まで面倒を見なかったのかと。



 後悔することになろうとは。


















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――――2005.7.2up