最終更新日2020年6月3日

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大学入試世界史文化史・地域史問題

−道教の歴史−

道教の歴史(学習院大 改)
 次の文を読み、( )内の語句から最も適切と思われるものを選び、その記号で答え、問に答えよ。
 中国において成立し、儒教・仏教と並んで三教と称せられた教えの伝統に、道教というものがある。これは、確立したあとの形態からいうと、専従者が自ら、道という世界の根源や神々と同じく長生不死になる実践努力を行うとともに、儀礼の執行を通じて鬼神と交信し、降雨など望ましい結果を現世にもたらすことを職能としていた宗教的集団である。この集団は、漢代から南北朝にかけて徐々に成立したもので、その源流となった諸要素としては、まず殷周以来の鬼神の信仰がある。そして春秋末から戦国時代に展開した諸子百家のうち道家に属するとされる文献、1(a『荀子』 b『老子』 c『韓非子』d『墨子』)に説かれた、世界の根源をなす道と呼ばれる実在についての思想もある。また戦国時代から顕著になり、秦の始皇帝や漢の武帝の如き帝王たちも関心を引かれた不老不死に関わる2(a神仙思想 b陰陽五行説 c王道思想 d尊王攘夷思想)などが中核となっている。
 こうした思想がもととなり、後漢後半期には道教の源流となる3(a五斗米道 b回教 c景教 d太平道)が張陵によって開かれた。これは同じころ張角が開いた流派と相似て、鬼神の存在を前提に、懺悔やおふだによる病気治療を説く教えであった。3の集団は天師道とも呼ばれ、漢中地方に根拠地を設けて、一時は独立王国の様相を呈したが、のち曹操政権に下った。
 晋代以降、天師道は貴族のあいだにも広がり、書聖として有名な東晋の4(a顧ト之 b陶淵明 c王羲之 d謝霊運)とその一族もその信者であったと言われる。
 道教の成立と発展には仏教の影響が大きく関わっていた。5世紀には、仏教との対立を前提に、仏教に対して自分たちの立場を道教と呼称する例があらわれる。劉裕のたてた5(a陳 b斉 c宋 d梁)からその次の王朝にかけて活躍した顧歓という学者は、『夷夏論』という著作の中でこうした呼称を用いている。この事実をもって道教の成立と見る考え方もある。一方、新天師道の創始者寇謙之は、北魏の6(a太武帝 b孝文帝 c元帝 d武帝)の時代に大きな影響力をもったが、彼についての記録にも「道教を清整す」という表現がみえる。
 唐代には、1の作者が王朝の祖先だとされ、道教は重んじられた。唐の皇帝家は7(a司馬 b劉 c趙 d李)姓であったが、1の作者も、司馬遷の『史記』によれば同じ姓だったというので、自らをその系譜につなげて権威づけようとしたのである。
 唐末五代以降、道教は、仏教の中でも自らの心をそのまま仏とみる禅宗の立場と交錯し、修行について、瞑想とイメージ訓練により自己の体内で長生のベースを作ってゆこうとする立場を生み出した。これは内丹と呼ばれる。8(a遼 b渤海 c金 d西夏)で王重陽が創始した全真教もそうした系譜に連なるものとして理解される。
 宋・元・明代には儒学者で内丹の実践を健康法として行うものがあったが、特に明代後半期の陽明学の系統の思想家は、心の本質・世界の本質は、儒・仏・道三教共有のものであると考えて道教にも共感を示し、三教一致を唱えた。しかし、陽明学に対する士大夫層の支持も揺らいだ明末清初期の思想家で、清朝考証学への方向を示した9(a周敦頤 b會国藩 c朱熹 d顧炎武)らはこうした風潮に批判的であり、道教は儒教とは根本的に異なる異端だとする立場を堅持した。
問 曹操の子の曹丕が建国した国を地図より選び、記号で答えよ。

道教の歴史

答え
1(  )2(  )3(  )4(  )5(  )6(  )7(  )8(  )9(  )
問(  )

解答
1(b)2(a)3(a)4(c)5(c)6(a)7(d)8(c)9(d)問(A)



(この文化史・地域史問題は『世界史文化史・地域史問題』に収録されています)