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特集 アケメネス朝ペルシア

−世界帝国の出現−



アッシリア・4王国・アケメネス朝  アケメネス朝ペルシア  ペルセポリス  ペルセポリス復元図

ペルセポリス・百柱殿復元図

(これらの歴史地図・図解は、『世界史地図・図解集』にも収録されています)


アッシリア・4王国・アケメネス朝

アッシリア・4王国・アケメネス朝

 メソポタミアやエジプトで古代文明が栄えた紀元前3000年ころは,世界的に温暖で現在より2℃くらい高温でした。しかしアケメネス朝が古代オリエントを統一した前500年ころは,逆に現在より1〜2℃気温が低く,地球は乾燥・寒冷化の一つの頂点にありました。
 アッシリア人は,ティグリス川上流の北メソポタミアに前2千年紀の初めに建国しました。アッシリアの名は,最初の首都アッシュールまたは同じ名前の天神のアッシュールに由来します。この地方は大河の運ぶ沃土に頼る穀物栽培が不可能でしたので,アッシリア人は内陸中継貿易にその生活を依存しました。前12世紀以降に強大な軍事国家となり,前7世紀にはオリエントの主要部分を統一した最初の世界帝国を築きました。
 4王国が並立する時代,メソポタミアからシリア・パレスチナへかけての「肥沃な三日月地帯」を支配した新バビロニアが最も優勢でした。ネブカドネザル2世(位前604〜前562)の時代が最盛期です。
 アケメネス朝ペルシアはイラン高原南西部のファールス地方にいたインド=ヨーロッパ系のイラン人が建てた国で,当初はイラン系のメディアの支配下におかれていました。


アケメネス朝ペルシア

アケメネス朝ペルシア

 アケメネス朝の都は新年の儀式の都のペルセポリスが有名ですが,そのほかに行政府のスサ,夏の王宮のエクバタナ,冬の王宮のバビロン,戴冠式の都のパサルガダイなどがあります。
 ダレイオス1世が建設した軍道で最も名高い「王の道」には,スサ・サルデス間の約2500kmに111の宿駅が設けられました。スサは行政の中心であり,サルデスは旧リディアの首都です。その間の古代オリエントの要地をつないだのが「王の道」でした。


ペルセポリス

ペルセポリス

 アケメネス朝最盛期の王ダレイオス1世が建設に着手し,次のクセルクセス1世のときほぼ完成しました。アケメネス朝にはスーサとペルセポリスの2つの都があり,さらに夏の離宮がおかれたエクバタナがありました。行政的中心のスーサに対して,ペルセポリスはアケメネス朝の故郷の都として,精神的に尊重され,帝国内諸国からの朝貢使節を迎えての新年の儀式などがおこなわれました。


ペルセポリス復元図

ペルセポリス復元図

 ペルセポリスの遺跡はあたりの平原を一望に収める岩山の西北の麓を利用して建設されたアケメネス朝ペルシアの宮殿跡で,アケメネス朝盛時の面影を最もよく伝えています。クセルクセス1世(位前485〜前465)の建てた万国の門は側面に巨大な有翼人頭の牡牛の浮彫をもつアッシリア式の建物です。その門から向かって右手に,中央にある二つの階段によって最も重要な正殿であるアパダーナに導かれます。その壁面は,朝貢の列や衛兵の列など三層からなる浮彫でうずめられています。アパダーナのすぐ後ろにダレイオス1世(位前522〜前486)の宮殿があり,そのほか人頭をかたどった柱頭で知られるトリピュロン(三門宮),アルタクセルクセス3世の宮殿,ハーレムなどは,いずれもアパダーナの背後を占めます。山腹に沿って百柱殿、宝庫などが建ち並びますが,クセルクセス1世の建てた百柱殿はアパダーナに匹敵する規模を持ちます。未完成の門はアルタクセルクセス2世(位前404〜359)時代,万国の門とほぼ同形式で規模をさらに大きくして造られることになっていました。


ペルセポリス・百柱殿復元図

ペルセポリス・百柱殿復元図

 百柱殿はクセルクセス1世(位前485〜前465)およびアルタクセルクセス1世(位前464〜前424)の時代に建造されました。百柱殿については,玉座室,宴会場,諸国から貢納された美術品を展示する一種の宮廷博物館,など種々な解釈があります。
 前面に8本2列の列柱を立てた幅56.15mのポーチを経て,内法68.5m四方の大広間があります。この広間は面積としてはペルセポリス最大です。内部は10本10列,計100本の円柱が立っています。円柱の高さは12.84mで,基壇がないため建物全体の高さはアパダーナ(謁見殿)の半分あまりの約15.6mでした。