最終更新日2021年1月21日

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世界史の学習室

−ロシア革命−

次の文の( )に適する語句を入れ、図版の空欄に適語を答えよ。
 第一次世界大戦の開戦以来、ロシア軍は敗退をかさね、また輸送網の寸断も加わって都市への食料・燃料供給が低下したが、皇帝や政府は十分な対策をとらなかった。国民のあいだでは戦争継続に反対する世論が広がりをみせ、1916年夏には戦争動員に抗議する中央アジア諸民族の蜂起も発生した。17年3月8日、首都(1)で食料と平和を要求する民衆の大規模なデモやストライキがおこると、軍隊もそれに参加して一気に各地に広がった。労働者や兵士は(2)を組織して、革命運動をおしすすめた。(3)(国会)は(2)の力に押されて、前線にいた皇帝(4)を退位させたので、(5)朝はあっけなく消滅して帝政は崩壊した。(3)の(6)党など自由主義諸党派の議員は、(7)党らの支持のもと、臨時政府を樹立した。これがロシア(8)である。
 臨時政府は普通選挙による議会招集を決定したが、戦争は続行した。一方、労働者・兵士(2)も存続したため、不安定な二重権力の状態が続いた。この間に、農村では土地を求めて農民革命が、またウクライナやフィンランドなどでは民族革命がおこなわれていた。1917年4月、ボリシェヴィキの指導者(9)がスイスから帰国し、革命をさらに進行させる(10)を示して、7月にあらたに首相となった(11)と対立した。9月になるとボリシェヴィキの勢力は全国に広がり、(9)や(12)らボリシェヴィキは11月7日武装蜂起し、臨時政府を倒し、権力をにぎった。翌日、(13)会議で新政権樹立が宣言され、あわせて全交戦国に無併合・無償金・民族自決の原則による講和を呼びかけた「(14)」や、農民革命を認め地主の土地を無償で没収する「(15)」が採択された。これがロシア(16)である。
 (2)政権はドイツと休戦したが、国際的孤立とドイツの優勢な軍事力をみて、1918年3月、旧ロシア領であったフィンランド・ポーランド・バルト地方を失う不利な条件でドイツ側と単独講和条約の(17)条約を締結した。国内では、ボリシェヴィキが憲法制定議会を武力で封鎖して、(2)を基盤とする体制に移行し、社会主義をめざす方針を明らかにした。ボリシェヴィキは(18)党と改称され、(19)に遷都された。18年の後半には、(2)ソヴィエト体制は事実上ボリシェヴィキの一党支配となり、地主からの土地の無償没収と農民への分配、工業や銀行・貿易の国家管理などが実施された。

ロシア革命

答え
1(     )2(     )3(     )4(     )5(     )
6(     )7(     )8(     )9(     )10(     )
11(     )12(     )13(     )14(     )15(     )
16(     )17(     )18(     )19(     )20(     )
21(     )22(     )

解答
1(ペトログラード)2(ソヴィエト)3(ドゥーマ)4(ニコライ2世)5(ロマノフ)
6(立憲民主)7(社会革命)8(二月革命(三月革命))9(レーニン)10(四月テーゼ)
11(ケレンスキー)12(トロツキー)13(全ロシア=ソヴィエト)14(平和に関する布告)
15(土地に関する布告)16(十月革命(十一月革命))17(ブレスト=リトフスク)18(共産)
19(モスクワ)20(ペトログラード)21(モスクワ)22(ブレスト=リトフスク)



(この問題は『世界史基本問題』に収録されています。また、問題で使われている地図・図版は『世界史地図・図解集』に収録されています。)