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世界史基本問題のねらい

● 平易な問題を繰り返し解答することにより、おのずから世界史の流れを理解できるようにしました。

● ほぼすべての問題に地図など図版を入れ、問題を的確に理解できるようにしました。



『世界史基本問題(CD-ROM版)』の見本問題

ティムール朝の興亡とオスマン帝国の成立

次の文の( )に適する語句を入れ、図版の空欄に適語を答えよ。
 14世紀中頃、中央アジアの(1)国は東西に分裂した。西(1)国の豪族出身のティムールは、1370年にティムール朝をおこし、東西トルキスタンを統一したのち、西進して(2)国滅亡後のイランからイラクにいたる地を支配下においた。その間、ティムールは北方の(3)国や南方の北インドに侵入し、のちにはアナトリア(小アジア)にも侵攻して1402年(4)の戦いでオスマン軍を撃破して、(5)を捕虜とした。さらに(6)を征討しようとして東方遠征を開始したが、その途中で病死した。ティムールの死後、ティムール朝は分裂と統合をくりかえすうち、やがてトルコ系の遊牧(7)人に滅ぼされた。
 ティムールがイラン人の世界とトルコ人の世界を統一したことにより、(2)国のもとで成熟をとげたイラン=イスラーム文化が中央アジアに伝えられ、トルコ=イスラーム文化として形成発展した。首都(8)には壮大なモスクや学院がつくられ、14〜15世紀には中央アジアの商業や学芸の中心として栄えた。ティムールや彼の子孫は学芸を保護し、宮廷ではイラン文学や細密画などの傑作がつくられたほか、すぐれたトルコ語の文学作品も登場した。また、第4代君主(9)が築いた天文台を中心に天文学や暦法も大いに発展した。
 13世紀末、西方に進出したトルコ人はアナトリア西北部にオスマン帝国をたて、アナトリア側のビザンツ帝国領を奪うと、やがてバルカン半島に進出して1366年(10)(現在のエディルネ)を首都にした。1396年、(5)は(11)の戦いでバルカン諸国とフランス・ドイツの連合軍を破ったが、その後、アナトリアに侵攻したティムールとたたかい大敗北をした。のち国力を回復させた(12)は、1453年(13)を陥落させ、ビザンツ帝国を滅ぼした。このとき(13)に首都が定められ、これ以後(14)という呼称が一般化した。

ティムール朝の興亡とオスマン帝国の成立

答え
1(    )2(    )3(    )4(    )5(    )6(    )
7(    )8(    )9(    )10(    )11(    )12(    )
13(    )14(    )15(    )16(    )17(    )18(    )

解答
1(チャガタイ=ハン)2(イル=ハン)3(キプチャク=ハン)4(アンカラ<アンゴラ>)
5(バヤジット1世)6(明)7(ウズベク)8(サマルカンド)9(ウルグ=ベク)
10(アドリアノープル)11(ニコポリス)12(メフメト2世)13(コンスタンティノープル)
14(イスタンブル)15(コンスタンティノープル)16(アンカラ)17(マムルーク)18(サマルカンド)



ドイツの統一

次の文の( )に適する語句を入れ、図版の空欄に適語を答えよ。
 (1)のもとで政治的分裂状態が続いていたドイツでは、1834年、ライン川中流域の工業地域を支配するプロイセンを中心に、オーストリアを除く大多数のドイツ諸領邦からなる(2)同盟が発足した。この(2)同盟により、商工業者が望む経済的統一はほぼ実現した。1848年の三月革命の時には(3)国民議会でドイツ統一がめざされたが、(4)主義と(5)主義が対立した。(4)主義はオーストリアのドイツ人地域とベーメンを含む統一方式、(5)主義は、プロイセンを中心にオーストリアを排除しておこなうドイツ統一方式を意味した。結局、(5)主義による自由主義的憲法がまとめられ、プロイセン王をドイツ皇帝に推戴したが、王の拒否にあい、失敗に終わった。
 その後、ドイツ統一の主導権は自由主義者から、プロイセンの政府・軍部をにぎる保守的な(6)層に移った。(6)出身のビスマルクは1862年に国王(7)により首相に登用されると、議会の反対を押し切って軍備の拡張を強行した。この拡張政策は、ビスマルクが1862年議会で「現下の大問題は演説や多数決によってではなく、鉄(武器)と血(兵士)によって決定される」と演説したことから、(8)政策とよばれている。64年、プロイセンはオーストリアとともに、シュレスヴイヒ・ホルシュタイン両州をめぐる対立から、デンマークとたたかって勝利した(これを(9)戦争という)。その後、両州の管理問題から、プロイセンは66年オーストリアと開戦となりこれを破った(これを(10)戦争という)。オーストリアが主導権をもっていた(1)は解体され、翌67年プロイセンを盟主とする(11)があらたに結成された。南ドイツの諸領邦もプロイセンと同盟を結んだのでドイツ統一はほぼ完成に近づいた。ドイツ統一から除外されたオーストリアは、同67年(12)人のハンガリーを王国と認めるアウスグライヒ(妥協)をおこない、同君連合国家としてのオーストリア=ハンガリー帝国に再編された。
 フランスのナポレオン3世はプロイセンの強国化をおそれ、(13)継承問題でプロイセンの影響力を阻止したが、ビスマルクの挑発に乗せられて1870年7月(14)戦争に突入した。軍事力にまさるプロイセン軍はフランス軍を圧倒し、9月にはフランス北部のスダンでナポレオン3世を捕虜にした。フランス(15)は崩壊し、翌71年ドイツはきびしい条件を含むフランクフルト講和条約を結ばせた。

ドイツの統一

答え
1(    )2(    )3(    )4(    )5(    )6(    )
7(    )8(    )9(    )10(    )11(    )12(    )
13(    )14(    )15(    )16(    )17(    )18(    )

解答
1(ドイツ連邦)2(ドイツ関税)3(フランクフルト)4(大ドイツ)5(小ドイツ)6(ユンカー)
7(ヴィルヘルム1世)8(鉄血)9(デンマーク)10(プロイセン=オーストリア<普墺>)
11(北ドイツ連邦)12(マジャール)13(スペイン王位)14(プロイセン=フランス)15(第二帝政)
16(ロレーヌ)17(アルザス)18(ドイツ)



『世界史基本問題(CD-ROM版)』はさらに
  ・「Word」「一太郎」を利用して、改作や、独自の問題文などを付け加えることが可能です。
  ・「地図」「図解」のみをコピーして貼り付け独自の問題を作成することが可能です。