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『世界史歴史地図問題(CD-ROM版)』の見本問題

−ヨーロッパ人による航海と探検  東方問題とロシア  中国異民族国家の興亡−



ヨーロッパ人による航海と探検(基本事項確認問題)

次の文の( )に適する語句を入れ、下図の空欄に適する語句をそれぞれのヒントを参考にして答えなさい。

 ヨーロッパ人が外にむかって進出を開始した背景には、(1)の遠征以来、イタリアの商人(2)のまとめた『(3)』などによって刺激されたアジアの富や文化に対する強い関心、それに食肉の調味に必要なコショウなどの(4)をアジアの生産地から直接入手したいという欲求であった。まず国土回復運動をつうじてイスラーム教徒を駆逐し、キリスト教世界の拡大の情熱がいまだ燃えているイベリア半島のポルトガル・スペイン両国が、アジアへの新しい航路発見の先頭に立った。
 ポルトガルでは、すでに15世紀に「航海王子」(5)がアフリカ西海岸の探検をおこなわせた。そののち、(6)が1488年アフリカ南端の(7)に到達し、ついで(8)が(9)年インド西岸の(10)に到着した。一方ポルトガルに一歩さきんじられたスペインでは、(11)年女王(12)の援助のもと(13)がパロス港を出航した。(13)は、大西洋を西航したほうが早くインドに達するというフィレンツェの天文学者(14)の説を信じ、困難な航海の末(15)島に到達した。1500年ポルトガル人(16)は、南アメリカの今日の(17)に漂着し、この地をポルトガル領とした。その後イタリア人の(18)が南アメリカ探検によって、アメリカ大陸がアジアとは別の未知の大陸であることをあきらかにした。1519年ポルトガル人(19)は、スペイン王室の命令で(4)の特産地(20)諸島をめざして西まわりの大航海に出発した。そして太平洋を横断して(21)に到達しそこをスペイン領と宣言した。(19)はその地の住民との戦いで戦死したが、彼の部下がインド洋から(7)をまわって1522年にスペインに帰国した。こうして、最初の世界一周がなしとげられ、地球球体説の正しさが証明された。


ヨーロッパ人による航海と探検

ヒント
23.セビリャ・カディスとともにスペインの新大陸貿易の中心港。
27.スペイン皇太子フェリペにちなんで命名された。
28.別名香料諸島。

解答欄
(1      )(2      )(3      )(4      )(5      )(6      )(7       )
(8      )(9      )(10     )(11     )(12     )(13      )(14      )
(15     )(16     )(17     )(18     )(19      )(20      )(21      )
(22     )(23     )(24     )(25     )(26      )(27      )(28      )
(29     )(30     )(31     )

解答
1十字軍 2マルコ=ポーロ 3世界の記述(東方見聞録) 4香辛料 5エンリケ 6バルトロメウ=ディアス 7喜望峰 8ヴァスコ=ダ=ガマ 9 1498 10カリカット 11 1492 12イサベル 13コロンブス 14トスカネリ 15サンサルバドル 16カブラル 17ブラジル 18アメリゴ=ヴェスプッチ 19マゼラン 20モルッカ 21フィリピン 22リスボン 23パロス 24オスマン 25サンサルバドル島 26カリカット 27フィリピン 28モルッカ 29マゼラン 30ヴァスコ=ダ=ガマ 31コロンブス



東方問題とロシア(基本問題)

次の文の( )に適語を入れ、問いに答えよ。
 ヨーロッパとアジア・アフリカに君臨したオスマン帝国は、第2次(1)包囲失敗を契機に弱体化が進んだ。1699年に締結された(2)条約は、オスマン帝国とヨーロッパとの軍事的バランスが逆転する分岐点になったことでよく知られている。その結果、オスマン帝国は、オーストリア、ロシアなどに広大な領土を割譲することになった。
 一方、オスマン帝国の支配下にあったアラビア半島やエジプトでも、アラブ民族の覚醒が起こった。アラビア半島では、18世紀中頃、アラブ民族の覚醒をうながすきっかけとなるイスラーム改革運動が(3)派によって起こされた。この運動はアラビア半島の豪族サウード家の支配拡大運動と結びつき、現在の(4)王国につながる王国が誕生した。
 (5)のもとで近代化を強くおしすすめたエジプトでは、オスマン帝国との間で、シリア地域の支配をめぐって軍事的対立が起き、両国の間で2度にわたって(6)戦争が起こった。この戦争でエジプトは勝利を収め、シリア地域の支配を要求した。しかし、1840年に開催された(7)会議では、エジプトのシリア地域の支配は認められなかった。以後エジプトは、イギリスとフランスの干渉を受けることになった。
 また、黒海の不凍港から(8)両海峡への通行を求め領土の拡大を画策していたロシアは、オスマン帝国に対して(9)保護権を求めて、1853年(10)戦争を開始した。しかし、イギリスやフランスなどがオスマン帝国を援助したこともあり、ロシアは戦争に敗れ、1856年に締結されたパリ条約で(8)両海峡と黒海の中立化が認められ、ロシアの(11)政策は阻止された。
 (10)戦争中に即位したロシアの皇帝(12)はこの戦争での敗北によって、自国の近代化の必要性を痛感することになり、そのために1861年(13)を発布し、人口の大部分を占める農奴に人格的自由と土地の所有を認めた。これは地主に有利で農民にとってさまざまな制限が加えられていたが、ロシアの資本主義の発達の出発点となった。(12)はその後、1863年の(14)の反乱や農民反乱の頻発の事態に直面すると反動化し、専制政治をいっそう強化した。
問.(10)戦争の激戦地セヴァストーポリの位置を下図のA〜Dから答えよ。

1(    )2(    )3(    )4(    )5(    )6(    )
7(    )8(    )9(    )10(    )11(    )12(    )
13(    )14(    )問(    )

東方問題とロシア


(解答)
1(ウィーン)2(カルロヴィッツ)3(ワッハーブ)4(サウジアラビア)5(ムハンマド=アリー)
6(エジプト=トルコ)7(ロンドン)8(ボスフォラス・ダーダネルス)9(ギリシア正教徒)
10(クリミア)11(南下)12(アレクサンドル2世)13(農奴解放令)14(ポーランド)問(A)



中国異民族国家の興亡(総合問題)

(1)下のA〜E5枚の地図は、(a清 b金 c西夏 d匈奴 e元)の五つの異民族の活動範囲、またはその国家(王朝)の版図を示している。地図A・B・C・D・Eは、各々a・b・c・d・eのうちのどれを示すものであるか。最も該当するものをa・b・c・d・eの記号で答えよ。
(2)地図A・B・C・Dに記されている●印の(あ・い・う・え)は、各々の国家の首都所在地を示している。各々の首都名は、下記のイ〜リのどれであるか。最も該当するもの選び、イ〜リの記号で答えよ。ただし、もし該当するものがない場合には、その名前を答えよ。
イ.臨安 ロ.南京 ハ.成都 ニ.興慶 ホ.サマルカンド ヘ.大都 ト.上海 チ.黒水城 リ.中都(燕京)
(3)地図A・B・C・Eに記せられている○印の(は・ひ・ふ・へ)は、各々の異民族が活躍していたころの有名な文化・商業貿易などの中心地の所在を示している。これらのうち、
(は)は、Aの異民族によって滅ぼされた前王朝の首都で、そのころの文化の中心地でもあった都市である。
(ひ)は、当時、明州・杭州などとともに栄えた貿易港で、その名は、マルコ=ポーロによって西方にも知られていた。
(ふ)は、当時の唯一の公認海外貿易港で、独占的特許商人が活躍していた所である。
(へ)は、1924年にソ連の探検隊によって発見された遺跡のある所で、当時の王族の墳墓の地であるとされている。
以上の(は・ひ・ふ・へ)の地名を答えよ。なお、このうちの一つはカタカナでよいが、他の三つは漢字で答えよ。
(4)地図Cに記された○印の(イ・ロ)は、この王朝の時代に結ばれた有名な対外条約の締結地として知られる所である。これらの地名を、カタカナで答えよ。(イ・ロは、いずれもこの王朝の領域外にあることに注意せよ。)

中国異民族国家の興亡


(1)A(  ) B(  ) C(  ) D(  ) E(  )
(2)あ.(  ) い.(  ) う.(  ) え.(  )
(3)は.(    ) ひ.(    ) ふ.(    ) へ.(    )
(4)イ.(    ) ロ.(    )

(解答)
(1)Ab Be Ca Dc Ed (2)あ.リ い.へ う.北京 え.ニ (3)は.開封 ひ.泉州 ふ.広州 へ.ノイン=ウラン (4)イ.ネルチンスク ロ.キャフタ



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