最終更新日2019年5月10日

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詳解日本史歴史地図・図解


−律令国家の東北への進出−



(この画像と説明文は『日本史地図・図解集』に収録されています)


律令国家の東北への進出

律令国家の東北への進出
 蝦夷(えみし)は、古代の本州北部以北に住んでいた人々を指すことばで、史書では中華思想に基づいて、国家に服属しない異民族を指す「夷」や「狄」という文字を使って、「蝦夷」だけでなく「蝦狄」と表記されることもあります。その内実は多様な人々が含まれており、山間部で暮らす人々もいれば、海沿いで暮らす人々もおり、農耕に従事する人々もいました。
 唐の高句麗(668年滅亡)侵攻で東アジアの緊張が高まるなか、朝廷は支配区域の拡大に努めました。東北地方では、大化改新(645年)が始まったころ、日本海側に勢力をのばし、現在の新潟県域に渟足柵(647年)と磐舟柵(648年)を造って北方進出の足がかりとしました。ついで、 斉明天皇が阿倍比羅夫を派遣して、日本海沿岸を、水軍を率いて北進させ、蝦夷たちと交流を持ちました。このときには津軽の蝦夷と交流を持ち、さらに北方にいた粛慎(みしはせ)とも接触を持ちましたが、蝦夷とは言語も異なる粛慎とは戦闘になったと伝えられています。