最終更新日2019年7月18日

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大学入試世界史歴史地図問題

−イランのイスラーム王朝−

イランのイスラーム王朝(大阪学院大 改)
次の文の( )に適する語句を入れ、問に答えよ。
 正統カリフ時代に積極的に展開されたイスラーム教徒の征服活動、いわゆる聖戦(ジハード)によって(1)朝は滅亡し、イランの地はイスラーム教徒の支配下に入った。その後、イランではイスラーム勢力の支配がつづくが、アッバース朝が衰退期に入って各地に独立王朝が出現するようになると、9世紀後半にイラン系のサッファール朝が成立した。次いで同じくイラン系の(2)朝が成立したが、この王朝は900年以降に(3)を都とし、中央アジアから東部イランを支配して、東西貿易で繁栄した。
 アッバース朝の衰退が進むなか、10世紀半ばにはイラン系シーア派の軍事政権である(4)朝がバグダードに入城し、アッバース朝カリフより大アミールに任命され、イスラーム法を施行する権限を与えられた。この王朝が奉ずるシーア派は、第4代正統カリフである(5)とその子孫のみをイスラーム教の創始者ムハンマドの正統な後継者と認めるイスラーム教の少数派である。
 11世紀にはトルコ系の(6)朝がおこって広く西アジアを支配するが、12世紀後半には衰え、イランでは(7)朝がその支配を拡大する。しかし、13世紀に入ると(7)朝はモンゴルの攻撃を受けて滅亡し、さらに同世紀中頃にはバグダードがモンゴルにより攻略されてアッバース朝も滅亡し、イランを中心として(8)国が建国された。第7代ハンである(9)=ハンの時代にはイスラーム教が国教とされ、モンゴル人支配の(8)国において、イラン=イスラーム文化が成熟した。
 14世紀後半から15世紀初めにかけて積極的な征服活動をおこなってイランを含む大帝国を築き上げたのが、ティムールである。彼は中央アジアを制圧して、さらに各地への遠征を進め、オスマン帝国も破った。また、彼の王朝の都である(10)は商業・学芸の一大中心地として大いに栄えた。ティムール朝は(11)の時代に最盛期を迎えるが、彼によって王朝の首都は(12)に移された。
 ティムール朝の衰退したあと、イランでは神秘主義教団の指導者であった(13)がサファヴィー朝を建国した。サファヴィー朝はシーア派を国教とし、古来イランの王を意味するシャーの称号を用いた。サファヴィー朝の最盛期は、第5代の王である(14)の時代にもたらされた。彼はオスマン帝国から領土の一部を奪回し、ポルトガルからはペルシア湾口の重要拠点であるホルムズ島を奪った。また彼は、その繁栄ぶりを「世界の半分」だと称されることになる(15)に遷都したことでも有名である。
問 下図で(10)(12)(15)の位置を記号で答えよ。

イランのイスラーム王朝

答え
1(     )2(     )3(     )4(     )5(     )
6(     )7(     )8(     )9(     )10(     )
11(     )12(     )13(     )14(     )15(     )
問10(  )12(  )15(  )

解答
1(ササン)2(サーマーン)3(ブハラ)4(ブワイフ)5(アリー)6(セルジューク)
7(ホラズム)8(イル=ハン)9(ガザン)10(サマルカンド)11(シャー=ルフ)12(ヘラート)
13(イスマーイール1世)14(アッバース1世)15(イスファハーン)問10(D)12(C)15(B)



(この歴史地図問題は『世界史歴史地図問題』に収録されています)