最終更新日2019年7月19日

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大学入試日本史地図図解問題

−執権政治の展開−

執権政治の展開(駒澤大・青山学院大 改)
次の文の( )に適語を入れ、問に答えよ。
 1199(正治元)年に源頼朝が死去すると、頼家が家督を継ぎ外戚としての比企(1)が権勢をふるったが、北条時政は仏事にことよせてこれを誘い出して殺し、翌年頼家をも滅ぼした。時政の後妻牧の方の娘婿である平賀朝雅と、畠山重保との対立によって、時政は(2)・重保父子を殺害し、この娘婿を将軍に擁立しようとして失敗し伊豆に引退した。執権は子の義時に譲られた。義時はまた侍所の別当である和田(3)を挑発して、1213(建保元)年に一族と共に敗死させた。将軍は頼朝の次子実朝が継いだ。しかし、実朝が頼家の遺子(4)によって暗殺されると、後鳥羽上皇は近国の兵を集めて義時追討の命令を出した。幕府開闢以来の危機に直面した義時は、弟(5)と子の泰時を上洛させて解決させた。京都に常駐させた幕府の出先機関は(6)探題といわれ、朝廷の監視と三河以西の御家人を統轄した。やがて泰時が執権となると補佐役の(7)がおかれ、さらに幕府の重臣からなる(8)がおかれ、合議制の中心的役割となった。将軍は京都から迎えた摂家将軍が嗣いだが、形式的存在で権力はなかった。時頼の時代になると名越光時らがこの将軍とはかって時頼を除こうとした陰謀が発覚し、将軍は鎌倉から追放された。1247(宝治元)年になると時頼の外祖父である安達景盛の勧めもあって、時頼は三浦(9)・光村と対立してこれを滅ぼし、北条氏の地位を不動のものとした。やがて時宗の子貞時の時代になると、安達泰盛の勢力を恐れた内管領の平(10)は、貞時に讒言して安達一族を滅亡させたが、自分もまた貞時に滅ぼされた。幕府の実権は貞時に集まり、得宗家の専制政治となって、北条一門が全国の守護の半ば以上をしめることになった。
問1.「得宗」の由来となったと考えられる人物を、次より選び、その番号で答えよ。
 1.義時  2.時政  3.時頼  4.時宗
問2.下の図は得宗専制政治を図示したものである。A・B・C・D・Eに適語を入れよ。

執権政治の展開

答え
1(     )2(     )3(     )4(     )5(     )
6(     )7(     )8(     )9(     )10(     )
問1(  )問2A(     )B(     )C(     )D(     )
E(     )

解答
1(能員)2(重忠)3(義盛)4(公暁)5(時房)
6(六波羅)7(連署)8(評定衆)9(泰村)10(頼綱)
問1(1)問2A(得宗)B(寄合)C(執権)D(評定)
E(引付衆)



(この地図図解・史料問題は『日本史地図図解問題』に収録されています。また、問題で使われている地図・図版は『日本史地図・図解集』に収録されています。)