最終更新日2020年6月4日

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大学入試日本史地図図解問題

−寄進地系荘園−

寄進地系荘園(学習院大 改)
次の文章の( )に適語を入れ、問に答えよ。
 寄進地系荘園の設立認可は、国家的な租税の免除特権としての(1)を与えることによって行われた。この認可は最高官庁としての太政官と税務管轄官庁としての(2)省とが「符」と呼ばれる命令書を発行する形で行われた。現地で国司の実務を行う国衙では、中央政府からの指示をうけて、公田を登録してある国衙の土地台帳のうえで該当する田地に免税の旨を注記する。のちには、中央の貴族・寺社が国司に働きかけて国衙の台帳上だけで免税対象地を認めさせる(3)荘といった手続きも行われるようになった。寄進地系荘園の設立は、ほんらい国司の管轄していた土地の一部に税を負担しない土地がうまれることを意味したから、荘園の増加は国司たちの利害に反する意味をもっていた。荘園内部での開発の進展や、荘園と国衙領との境界領域での開発の展開のなかで、荘園領主と国衙との対立がしだいに深刻化してゆく。ただ、摂関政治の時代には、最大の荘園領主であった摂関家が国司の任免に決定的な影響力を持っていたので、このような対立は表面化しにくかった。しかし、1068年に即位した(4)天皇は摂関家との外戚関係がなく、積極的に荘園の整理に取り組んだため、荘園領主と国司との対立関係が鮮明になってゆく。(4)天皇は即位の翌年に(5)の荘園整理令を発し、荘園領主に設立の由来を証明する証拠書類を提出させ、みずからこれを審査するため(6)を設置した。さらに(4)天皇の子は、即位からまもなく退位して上皇として政務をみるようになったが、父天皇の政策を引き継いで荘園整理にとりくんだ。院政時代になると、荘園存廃の決定が院の意向によって左右される形勢となってきた。このため、地方において寄進地系荘園を造成する動きの担い手であった地方豪族たちは、上皇やその周辺の皇族・寺社に結びつき、これらの有力者に荘園を寄進するようになる。この結果、鳥羽上皇の時代から後鳥羽上皇の時代にかけて皇室領荘園が急激に増大し、のちに大覚寺統の手中に帰す(7)領など大規模な荘園群が造成され、その管理機構も整備されていった。他方、歴代の上皇たちが仏教崇敬に熱意を注いだことから、寺社勢力は国司に対抗しつつ荘園造成を推進した。これらの大荘園領主は自分の荘園に対して国司が税務・法務面で関与することを嫌って、朝廷から(8)を獲得するようになっていった。これは、最終的には荘園内部に対して国家の法的規制が及ばない状況をうみだし、国家的統合を危機に陥れることになっていった。荘園領主が統治に用いた法制を総称して(9)と呼んでいる。

寄進地系荘園

答え
1(     )2(     )3(     )4(     )5(     )
6(     )7(     )8(     )9(     )
A(     )B(     )C(     )

解答
1(不輸)2(民部)3(国免)4(後三条)5(延久)
6(記録荘園券契所(記録所))7(八条院)8(不入)9(本所法)
A(開発領主)B(領家)C(本家)



(この地図図解・史料問題は『日本史地図図解問題』に収録されています。また、問題で使われている地図・図版は『日本史地図・図解集』に収録されています。)