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特集 世界史の紛らわしい人名・地名一覧

−大学入試直前まで使える−


 大学入試では1点の差が合否につながります。「あそこであんな間違いをしなければ・・・・・」などと思っても後の祭り。緊張しているときは、知っているはずのことが思い出せなくなったり、思いがけない間違い・勘違いをしやすいものです。ここでは、そういうことで貴重な1点を失うことのないように、間違いやすい・紛らわしい項目を列挙してみました。これまで学んだ知識を確実なものにするためにも、この特集をしっかりとマスターしてください。

(『世界史地図・図解集』・『世界史歴史地図問題』・『世界史白地図ワーク』には、語数を大幅に増やした改訂版を掲載しています)

●ア行

アントニウス
 前82〜前30年。ローマの将軍。カエサルの部下で、第2回三頭政治を実現したが、アクティウムの海戦でオクタウィアヌスに敗れ、自殺。
アントニヌス=ピウス
 ローマ皇帝(位138〜161)。五賢帝の一人で、その治世はローマ帝国史上最も平和な時代といわれる。
マルクス=アウレリウス=アントニヌス
 ローマ皇帝(位161〜180)。五賢帝の最後の皇帝。その治世、異民族の侵入が激化したが、その防戦に努め、東方陣中で没した。ストア派哲学者として知られ、「哲人皇帝」と呼ばれる。

アレクサンドル1世
 ロシア皇帝(位1801〜25)。ナポレオンのロシア遠征を失敗させ、その没落後に神聖同盟を提唱、反動政治を行った。
アレクサンドル2世
 ロシア皇帝(位1855〜81)。クリミア戦争の敗北後、農奴解放などの自由主義的改革を行ったが、ポーランドの反乱後反動化し、社会不安の高まるなかでテロリストに暗殺された。

アリスタルコス
 前310〜前230年ころ。ヘレニズム時代のギリシアの天文学者。地球は自転しながら太陽の周囲を公転すると説いた。地動説の先駆者。
アリストファネス
 前450〜前385年ころ。古代ギリシア最高の喜劇作家。主にペロポネソス戦争中に活躍し、政治諷刺と個人攻撃を特色とする。主著『女の平和』など。

アナトリア
 黒海・マルモラ海・エーゲ海・地中海にはさまれた半島部をさす。小アジアともいう。現在、トルコ共和国が成立している。
アルバニア
 バルカン半島西部のアドリア海に面する地域にある国。1912年、バルカン戦争でトルコからの独立を認められた。
アルメニア
 コーカサス南部の高原地帯をさす名称。現在はトルコ・イラン・ロシアに領土が分かれている。古くはウラルトウ王国が栄えた。

アナクサゴラス
 前500〜前428ころ。小アジアのイオニア自然哲学者。アテネでペリクレスの保護を受けた。万物は無数の種子より成るとの説を説く。
アナクシメネス
 前585〜前528ころ。小アジアのイオニア自然哲学者。空気を基本物質と考え、その濃厚化・希薄化によって万物が生ずると説いた。

アタナシウス
 アレクサンドリア出身の教父。ニケーア公会議でアリウス派を批判し、のちに正統教義とされる三位一体説を確立した。
アリウス
 アレクサンドリア教会の聖職者。ニケーア公会議でアタナシウス派との論争で異端宣告を受け、追放された。彼の追随者たちはローマ帝国外に追放され、ゲルマン人の間に布教。

アケメネス
 古代オリエントの全域を統一したイラン人(ペルシア人)王朝の始祖。したがって、この王朝をアケメネス朝という。
アルサケス
 パルニ族の族長で、前248年、パルティア王国を建てた。したがって、この王朝をアルサケス朝といい、中国名「安息」の語源をなす。

アヴァール人
 6世紀以降、中央ヨーロッパに侵入してきたモンゴル系遊牧民。7世紀ビザンツ帝国に大敗、8世紀末カール大帝に討たれて衰退し、スラヴ人やマジャール人に同化した。
マジャール人
 非インド=ヨーロッパ系の民族。のちのハンガリー人の祖。5世紀ころから西進し、中部ヨーロッパに入り、9世紀末、現在のハンガリーを中心に定住・建国した。

アウグスティヌス
 古代キリスト教最大の教父。『神の国』『告白』の著者として知られる。
アウグストゥス
 「尊厳者」の意味を持つラテン語で、前27年、この称号を受けたオクタウィアヌスを指す。なお皇帝の意を持つ名称として用いられる。
アウグストゥルス
 西ローマ帝国最後の皇帝(位475〜476)。オドアケルによって廃位された。

インノケンティウス3世
 教皇(位1198〜1216)。教皇権の最盛期を実現した教皇で、神聖ローマ皇帝オットー4世・イギリス王ジョン・フランス王フィリップ2世らをつぎつぎに破門・臣従させた。また第4回十字軍を提唱、「教皇権は太陽であり、皇帝権は月である」との言葉はインノケンティウス3世のものとされる。
インノケンティウス4世
 教皇(位1243〜54)。教皇至上権を唱えて神聖ローマ皇帝と争い、またプラノ=カルピニをモンゴルに派遣した。

イブン=バットゥータ
 1304〜68/69または77。モロッコの大旅行家。エジプト・西アジア・インド・スマトラ・中国・中央アジア・東ヨーロッパ・北および内陸アフリカを旅行し、『三大陸周遊記』を口述した。
イブン=ハルドゥーン
 1332〜1405。チュニス出身のイスラーム世界最高の歴史家。『実践の書』を著し、その第1部『世界史序説』では歴史発展の法則を述べている。

イブン=シーナー
 980〜1037。イスラーム世界の医学者・哲学者。ラテン名はアヴィケンナ。その著『医学典範』は中世西欧で最も権威ある医学書とされた。
イブン=ルシュド
 1126〜98。コルドバに生まれ、ムワッヒド朝に仕えた哲学者。ラテン名はアヴェロエス。アリストテレスの著作の注釈は、中世西欧のアリストテレス研究のおもな典拠とされ、スコラ学の形成に大きな影響をあたえた。

イヴァン3世
 モスクワ大公(位1462〜1505)。他の諸侯国を併合、国土をほぼ統一し、1480年にはモンゴル支配から完全に自立した。ビザンツ帝国最後の皇帝の姪と結婚、ツァーリの名称と帝国の紋章(双頭の鷲)を継承した。
イヴァン4世
 モスクワ大公兼全ロシアのツァーリ(位1533〜84)。恐怖政治で対立する諸侯を抑圧・集権化し、「雷帝」と呼ばれた。イェルマークがシビル=ハン国を征服、これを献上したのはその治世のこと。これからロシアのシベリア進出が始まる。

ヴィルヘルム1世
 プロイセン王(位1861〜88)。ビスマルクを登用して軍備拡張を強行した。ドイツ統一に成功し、初代皇帝(位1871〜88)。
ヴィルヘルム2世
 ドイツ皇帝(位1888〜1918)。1890年にビスマルクを引退させて親政を開始した。積極的な世界政策や軍備拡張を展開し、やがてイギリス・フランスとの対立を深め、第一次世界大戦をたたかうことになった。1918年、ドイツ革命の勃発によって退位し、オランダに亡命した。

ウィルソン
 アメリカ大統領(任1913〜21)。新自由主義の政治方針をたて、第一次世界大戦時には14カ条の原則を提唱した。その理想主義は国内での支持を得られず、アメリカはヴェルサイユ条約を批准しなかった。
ウィルソン
 イギリス労働党の指導者で、「科学と社会主義の協和」を主張し、1964〜70年の間、労働党内閣の首相として困難なイギリスの外交と経済の再建にあたった。

ウィリアム1世
 イギリス王(位1066〜87)。ノルマンディー公であったが、イングランドを征服、ノルマン朝を創始した。集権的封建制をイギリスに確立した。
ウィリアム3世
 イギリス王(位1689〜1702)。オラニエ公ウィレム。1672年以降、オランダ総督の地位にあったが、名誉革命でイギリス王となり、妻メアリと共同統治した。

ヴァンダル
 ゲルマン人の大移動時に北イタリア・ガリアを経てイベリアに入り、さらにアフリカに王国を建設した。そのローマ冦掠は有名である。
ヴェルダン
 北東フランスの都市で、843年のヴェルダン条約、第一次世界大戦中のヴェルダン要塞攻防戦で知られる。

エドワード懺悔王
 イギリス王(位1042〜66)。デーン朝の断絶後に即位したが、政治的には無能で、その死後、ノルマン=コンクェストを招いた。
エドワード1世
 プランタジネット朝のイギリス王(位1272〜1307)。諸制度を整えて王権の強化を図り、模範議会を招集して議会制度の発展にも貢献した。
エドワード3世
 イギリス王(位1327〜77)。母はフランスのフィリップ4世の娘。カペー朝の断絶に際して王位継承権を主張し、百年戦争をおこした。
エドワード6世
 イギリス王(位1547〜53)。この時代に一般祈祷書が制定され、国教会の新教としての協議・制度が整えられた。
エドワード黒太子
 1330〜76。エドワード3世の長子。勇猛で騎士道の鑑とされたが、民衆に対しては過酷であった。

エストニア
 バルト3国中の最北の国で、第一次世界大戦後、共和国として独立。第二次世界大戦後、ソ連のなかに取り込まれたが、現在は独立。
エトルリア
 イタリアのトスカナ地方を指し、古くこの地にあったエトルリア人の文化が古代ローマに強い影響を及ぼしたことで知られる。

エグベルト(エグバート)
 イングランド王(位829〜839)。七王国のなかのウェセックスの王。829年七王国を統一し、最初のイギリス王国を建てた。
エーベルト
 ドイツ社会民主党の指導者で、ドイツ革命時の最後の宰相。ヴァイマル(ワイマール)国民議会でドイツ共和国臨時大統領となり、1922年から25年の死まで、ドイツ共和国(初代)大統領として中道路線をとった。

エカチェリーナ1世
 ロシア最初の女帝(位1725〜27)。ピョートル1世(大帝)の妃となり、帝の死後、廷臣メンシコフの陰謀で即位したが、実権は彼に握られていた。
エカチェリーナ2世
 ロシア女帝(位1762〜96)。啓蒙専制君主を自認したが、プガチョフの反乱やフランス革命を経て反動化した。3回のポーランド分割では中心的な役割を果たした。

エウクレイデス
 前300年ころの人。アレクサンドリアで活躍した数学者でユークリッド幾何学の創始者。その主著『幾何学原本』は20世紀まで幾何学の標準的教本とされる。
エウリピデス
 前485〜前406ころ。アイスキュロス・ソフォクレスとならぶ三大悲劇詩人。『メディア』『アンドロマケ』などの作品がよく知られている。

欧陽脩
 北宋の政治家、学者、文章家。唐宋八大家の一人。古文復興をとなえ、中華思想を骨子として『新唐書』『新五代史』を編纂した。政治家としては、王安石の新法に反対して退官した。
欧陽詢
 隋末唐初の書家。楷書に秀で、初唐三大書家の一人とされる。

王仙之
 塩の密売商人。875年、反乱を起こし、黄巣とともに華北を冦掠。のちに黄巣と分かれ、唐朝の軍隊に敗れ殺された。
高仙之
 唐の将軍。751年のタラス河畔の戦いでアッバース朝イスラーム軍に敗れ、755年の安史の乱で殺された。

●カ行

韓非
 法家思想を大成し、『韓非子』を著した。のち秦に仕えたが、彼をねたんだ同門の李斯に謀られ毒殺された。
韓愈(韓退之)
 中唐の学者、文章家。唐宋八大家の一人。柳宗元とともに漢以前の古文の復興を提唱した。

カール4世
 神聖ローマ皇帝(位1347〜78)。金印勅書を発布し、アヴィニョン捕囚中の教皇の帰還を実現した(1377年)。ベーメン王カレル1世(位1346〜78)を兼ね、東欧最古のプラハ大学を建てるなど、チェコ文化の発展に貢献した。
カール5世
 神聖ローマ皇帝(位1519〜56)兼スペイン王(カルロス1世、位1516〜56)。フッガー家の財政援助で皇帝に選ばれ、フランス王フランソワ1世と対立した。ルター派の弾圧に努めたが、アウクスブルクの宗教和議の後、退位。
カール6世
 神聖ローマ皇帝(位1711〜40)。男子の相続者がいなかったので娘のマリア=テレジアにハプスブルク家の領土を受け継がせるため、王位継承法を残した。
カール12世
 スウェーデン国王(位1697〜1718)。北方戦争で連勝を続けたが、ポルタヴァで敗れ、のちノルウェー軍とたたかって戦死した。

カリカット
 インドのマラバル海岸の港市。綿織物の輸出港で、ヴァスコ=ダ=ガマのインド航路開拓の際の到着地として有名。
カルカッタ
 インド・ベンガル地方のガンジス川下流の大河港市。イギリスのインド経営の拠点として発展したが、一方インド民族運動の中心地ともなった。1912年までインド帝国の首都。

カラハン宣言
 1919年ソヴィエト=ロシア政権の外務人民委員代理カラハンが、帝政ロシア時代の対中国不平等条約の無償廃棄などを宣言したもの。五・四運動で民族主義にめざめはじめた中国各界に大きな反響を呼んだ。
カラ=ハン朝
 ベラサグンに都したウイグル人のイスラーム王朝(940〜1132)。サーマーン朝を倒し、東西トルキスタンを支配、トルコ人のイスラーム化を促した。カラキタイ(西遼)に滅ぼされる。

カシミール
 インド西北部のヒマラヤ西端から南に広がる地域。住民の大部分がイスラーム教徒で藩王がヒンドゥー教徒であったため、複雑なカシミール問題を惹起した。
カシュガル(疏勒)
 タリム盆地西部のオアシス都市。天山南路の交通の要地として栄えた。

徽宗
 北宋末期の皇帝(位1100〜25)。宋・金による遼の挟撃を策し、金の華北侵入を招いた。靖康の変で北方に連れ去られた。院体画の名手として知られる。
毅宗
 明朝最後の皇帝(位1627〜44)。崇禎帝とよばれる。国政改革を図ったが成功せず、李自成の反乱軍が北京に迫ると自殺した。

グレゴリウス1世
 教皇(位590〜604)。教皇権を確立し、ゲルマン人、とくにアングロ=サクソンへの布教に活躍した。
グレゴリウス7世
 教皇(位1073〜85)。教会の粛正、教皇権の確立に努め、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世を屈服させた(カノッサの屈辱)。その後、反撃されて逃亡先で死去した。

グラックス兄弟
 兄チベリウス(前162〜前132)、弟ガイウス(前153〜前121)。ローマ共和政末期、ともに護民官となって土地改革・自営農創設を企てたが失敗した。以後、ローマ社会は「内乱の1世紀」と呼ばれる、混乱の時代に突入した。
クラッスス
 騎士階級出身の政治家。スパルタクスの反乱を鎮圧、第1回三頭政治に参加。パルティア遠征中に戦死した。

建業
 現在の南京。三国時代の呉が都とした。
建康
 現在の南京。東晋・南朝の都として栄えた。

コッホ
 1843〜1910。ドイツの細菌学者。結核菌・コレラ菌などを発見。
ゴッホ
 1853〜90。オランダの画家。後期印象派の代表。フランスで活躍。

コシューシコ
 1746〜1817。ポーランドの愛国者。アメリカ独立戦争に参加、帰国後自由主義的改革運動に入り、第2次ポーランド分割後に武装蜂起したが失敗した。
コッシュート
 1802〜94。ハンガリーの愛国者。ドイツ3月革命のとき、独立運動で活躍したが失敗。アメリカに亡命して独立運動を続け、イタリア・トリノで死去。

ゴーゴリ
 1809〜52。ロシア写実主義(リアリズム)文学の創始者。主著『検察官』『死せる魂』など。『死せる魂』執筆中に狂死。
ゴーリキー
 1868〜1936。ロシア=プロレタリア文学の祖。主著『どん底』。

光武帝
 後漢の初代皇帝(位25〜57)。名は劉秀。王莽を倒し、洛陽を都に後漢を建国、儒学を奨励し、礼教主義的政治方針を確立した。
洪武帝
 明朝初代皇帝(位1368〜98)。名は朱元璋。紅巾の乱の賊徒から身をおこし、金陵(南京)で即位。元朝を滅ぼし、制度を整え、君主独裁体制を確立した。

高祖(漢)
 前漢初代皇帝(位前202〜前195)。名は劉邦。秦末の混乱に乗じて身をおこし、秦滅亡後、項羽に勝ち、長安を都に漢朝を建国、郡国制を採用。
高祖(唐)
 唐朝初代皇帝(位618〜626)。名は李淵。隋末、次子の李世民の勧めで挙兵、長安を攻略して唐朝を建国。

膠州湾
 山東半島南西の黄海に面した湾。1898年、ドイツが租借して青島を建設し、中国経営の拠点とした。1914年日本軍が占領、1922年中国に返還された。
広州湾
 広東省雷州半島の東岸の湾。1899年、フランスが租借、湾内の島々とともにインドシナ総督の管轄下においた。第二次世界大戦後、中国に返還された。

康居
 漢時代のシル川下流域のトルコ人の国。東西交通の要地として繁栄。
康国
 隋唐時代にサマルカンドを中国人は康国とよんだ。のちソグディアナ地方を指す言葉として使用された。

●サ行

サレルノ
 南イタリアの都市。中世最古の大学の一つがあり、大学は医学研究で有名であった。
サロニカ
 1908年の青年トルコの蜂起で知られる都市。現在はギリシア領に属する。

神宗(北宋)
 宋の第6代皇帝(位1067〜85)。王安石を登用して新法改革を行わせた。また科挙制・官制の改革を行った。
神宗(明)
 明の万暦帝(位1572〜1620)。初期には張居正の補佐により盛時を実現したが、後期には党争の激化や対外遠征で財政悪化をまねき、衰退の様相を深めた。

朱元璋
 明の太祖洪武帝(位1368〜98)。中書省を廃し、明律・明令を定め、里甲制を施行し、六諭を発布するなど、多方面にわたり明朝の基礎を確立。
朱全忠
 後梁の太祖(位907〜912)。黄巣の乱に参加、のち唐朝に降る。907年哀帝を廃して唐を滅ぼし、後梁を建国。これより五代十国時代が始まる。

司馬炎
 西晋の武帝(位265〜290)。魏の譲りを受け、呉を滅ぼして中国を統一。大土地所有の制限を図り、占田・課田制を施行した。
司馬光
 1019〜86。北宋中期の政治家・歴史家。王安石の新法に反対して旧法党の指導者となり、また編年体の歴史書『資治通鑑』を著した。
司馬遷
 前145〜前86。前漢武帝時代の歴史家。紀伝体の『史記』を著した。

ジェームズ1世
 イギリス国王(位1603〜25)。ステュアート朝の祖。王権神授説を唱え、議会と対立。国教会主義を強調してピューリタンを弾圧した。
ジェームズ2世
 イギリス国王(位1685〜88)。カトリックの復活と専制政治の実施により議会と対立し、名誉革命でフランスに亡命。再起を図ったが失敗した。

ストラボン
 前64〜後21ころ。ローマ時代のギリシア人歴史家・地理学者。その主著『地理誌』は古代地中海世界研究の貴重な史料とされる。
ストルイピン
 1862〜1911。ロシアの政治家。1906年、宰相となり、反動政治を強行する一方、土地改革を進めて自営農創設を図った。しかし、かえって社会不安が増大し暗殺された。

ゼノン(エレア)
 前400年ころのギリシアの哲学者。パルメニデスの弟子で「アキレスも亀に追いつけない」など独特の論法を展開。弁証法の祖とされる。
ゼノン(キプロス)
 前335〜前263。ストア哲学の祖。アテネで哲学を講義、魂の平静と美徳の生活を説いた。

●タ行

タレス
 前640〜前546。イオニア自然哲学者。イオニア学派の祖で、「哲学の父」とされる。万物の根元を水とした。ミレトス出身で前585年の日食を予言したとされる。
ダレス
 1888〜1959。アメリカの政治学者。対日講和を成立させ、対ソ強硬策を実施した。

チャンドラグプタ
 マウリヤ朝の創始者(位前317ころ〜前296ころ)。ナンダ朝を倒したのち、アレクサンドロス大王の死後インダス川流域にいたギリシア人勢力を一掃して西北インドを平定した。
チャンドラグプタ1世
 グプタ朝の創始者(位320〜335ころ)。旧マガタ国のあった現在のビハールで台頭し、ガンジス川中流域を征服した。
チャンドラグプタ2世
 グプタ朝第3代の王(位376〜415ころ)。グプタ朝の領域を最大にするとともに、文芸を奨励して、最盛期を現出した。

チャールズ1世
 イギリス国王(位1625〜49)。「権利の請願」を無視し、議会を解散。専制政治を強行し、ピューリタン革命をまねき、処刑された。
チャールズ2世
 イギリス国王(位1660〜85)。王政復古を実現したが、専制政治を強めて議会と対立し、審査法・人身保護法で王権を制約された。

チェンバレン(ジョゼフ)
 1836〜1914。イギリスの政治家。アイルランド問題で自由党を脱党、自由統一党を結成。帝国主義政策を唱え、南アフリカ戦争では植民地相だった。
チェンバレン(ネヴィル)
 1869〜1940。保守党。ジョゼフの息子。世界恐慌時に蔵相としてブロック経済策をとり、1937年より首相。対独宥和政策をとり、第二次世界大戦にひきこまれ、初戦の失敗から辞職してチャーチルに交代した。

デルフィ(デルフォイ)
 デルフィは中部ギリシアの地で、アポロン神殿がある。その神託は権威があった。
デロス
 エーゲ海の島。デロス同盟の金庫が置かれた。

デモクリトス
 前460ころ〜前370ころ。ギリシアのイオニア学派の自然哲学者。万物の根元を等質不変の原子(アトム)と主張し、原子論的唯物論哲学の祖とされる。
デモステネス
 前384〜前322。アテネの雄弁家。マケドニアに対してアテネ・テーベを連合させ、カイロネイアで戦ったが敗れた。

テーベ(エジプト)
 上エジプトのナイル河畔の都市。中・新王国時代の都として栄え、付近にカルナック・ルクソルの神殿、王家の谷などがある。
テーベ(ギリシア)
 ギリシア中部のアイオリス人のポリス。エパメイノンダスの指導のもと勢力を拡大した。スパルタの支配に反抗してレウクトラの戦い(前371)に勝利し、以後10年間ギリシアの支配権を握った。

テオドシウス
 ローマ皇帝(位379〜395)。392年にキリスト教を国教と定めた。ローマ帝国最後の統一を果たしたが、395年、死に際して帝国を東西に分け、帝国の東西分裂が決定的になった。
テオドリック(大王)
 東ゴート人の王(位473〜526)。オドアケルを倒してイタリアに建国。ラヴェンナを都とした。古典文化を尊重したが、宗教的にはアリウス派をローマ人に強制して反発をまねいた。

ティリンス
 ペロポネソス半島の地名。ミケーネ文明の代表的遺跡。シュリーマンにより発掘された。
ティルス
 シドンと並ぶ、フェニキア人の海港都市国家。前814年ころ北アフリカに植民市カルタゴを建設した。

トリエステ
 アドリア海北岸の地方。イタリア統一運動の目標とされ、第一次世界大戦後、イタリアに併合。第二次世界大戦後、イタリア・ユーゴ間で分割。
トリエント(トレント)
 北イタリアのチロル地方の都市。1545〜63年に開かれた公会議は有名。

トマス=マン
 1571〜1641。イギリス重商主義経済学者。イギリス東インド会社の理事。『外国貿易によるイギリスの財宝』は貿易差額説の典型的理論書。
トマス=マン
 1875〜1955。ドイツの作家。ナチス政権が成立するとアメリカに亡命。第二次世界大戦後はスイスに移る。主著『魔の山』など。

●ナ行

ナギブ
 1901〜84。エジプトの軍人政治家。1952年のクーデタで首相、翌年大統領となったが、1954年、ナセルの台頭で失脚。
ナセル
 1918〜70。エジプトの軍人政治家。1952年のクーデタを指導、1956年、大統領となり、スエズ運河の国有化などの民族主義運動を推進。

ナヴァリノの海戦
 ペロポネソス半島西南岸の湾。1827年、この湾で英・仏・露の艦隊とオスマン帝国(トルコ)艦隊の決戦が行われ、オスマン帝国側が敗れた。この結果、ギリシアの事実上の独立が確定した。
ナヴァール(ナバラ)王国
 イベリア半島北部の王国。10世紀建国。13〜14世紀はフランス領とされた。16世紀南北に分かれ、北半は1589年にアンリ4世がフランス王となるとフランスに合併。
ナルヴァの戦い
 フィンランド湾の都市。北方戦争の初期、ここでスウェーデン王カール12世がロシアのピョートル1世(大帝)軍を撃破した。

ニコライ1世
 ロシア皇帝(位1825〜55)。デカブリストの乱鎮圧から治世を始め、徹底的な反動政治を実施した。末期、クリミア戦争を惹起した。
ニコライ2世
 ロシアのロマノフ朝最後の皇帝(位1894〜1917)。日露戦争の敗北後、国会の開設を認めたが、第一次世界大戦中の二月革命で退位、のちに革命派に銃殺された。

ネルー(ネール)
 インド国民会議派の指導者として独立運動を指導、独立インド初代首相(任1947〜64)。
ネロ
 ローマ皇帝(位54〜68)。初期には哲学者セネカらの後見で善政を行ったが、のち暴虐の政治を行い、キリスト教徒を迫害、近衛軍に背かれ自殺した。

ネッケル
 1732〜1804。フランスの銀行家・政治家。フランス革命直前と革命初期の財務総監。彼による三部会招集が革命の契機となった。
ネルヴァ
 ローマ皇帝(位96〜98)。元老院と協調し、五賢帝時代をひらいた。

●ハ行

バルフォア
 1848〜1930。イギリスの政治家。1917年、外相としてパレスチナ問題でユダヤ人に戦後の建国を約束した宣言を出したことで知られる。
バルボア
 1475ころ〜1517。スペインの探検家。1513年、パナマ地峡を横断して、太平洋に到着、「南の海」と命名した。

ハインリヒ1世
 ザクセン朝初代のドイツ王(位919〜936)で初代の神聖ローマ帝国皇帝オットー1世の父。ノルマン・マジャール・スラヴの侵入を撃退し、他方では西フランクやブルグンドとの関係を強化した。
ハインリヒ4世
 神聖ローマ帝国皇帝(位1056〜1106)。叙任権闘争・カノッサの屈辱、諸侯の反乱など波乱の多い生涯を送ったザリエル朝3代目の皇帝。

ハイドン
 1732〜1809。オーストリアの古典派作曲家。「交響曲の父」と呼ばれる。「天地創造」「四季」などが有名。
バイロン
 1788〜1824。イギリスのロマン主義詩人。「チャイルド=ハロルドの巡礼」で詩名を得、のちギリシア独立戦争に参加しギリシアで病死した。

ピルニッツ宣言
 1791年8月27日、オーストリア皇帝レオポルド2世が、プロイセンのフリードリヒ=ヴィルヘルム2世を誘って共同で出した宣言。フランス王権の回復を求め、ルイ16世の救援を諸国の君主に呼びかけたもので、外国勢力のフランス革命に対する干渉戦争の一因となった。
ピアリッツの密約
 フランス・スペイン国境の温泉地ピアリッツで、プロイセンの宰相ビスマルクが、1865年、ナポレオン3世をしてプロイセン=オーストリア戦争開始の際の中立を約束させたことで知られる。

ピット(大)
 1708〜78。イギリスの政治家。七年戦争時に国務相として戦争指導にあたり、植民地におけるフランス勢力を打破、大英帝国の基礎を確立した。
ピット(小)
 1759〜1806。大ピットの次男。フランス革命・ナポレオン時代、首相としてイギリスを指導、第1回〜第3回の対仏大同盟を結成した。

フロイト
 1856〜1939。精神分析学を創始したオーストリアの精神医学者。
フロンドの乱
 1648〜53。フロンドは子どもの投石玩具の意。パリ高等法院を中心とした貴族の宰相マザランに対する反乱をこの名で呼ぶ。フランス最後の貴族反乱となった。この鎮定によってフランスの絶対主義が確立。

フィリップ2世
 フランス王(位1180〜1223)。イギリス王ジョンからフランス内のイギリス領を奪い、また諸改革を進めてカペー朝の王権の強大化に成功した。
フィリップ4世
 フランス王(位1285〜1314)。中央集権化に努め、三部会を初めて招集した。教皇と争い、アナーニ事件を惹起、「教皇のバビロン捕囚」を行った。

ヘンリ2世
 アンジュー伯でプランタジネット朝初代のイギリス王(位1154〜89)。イギリス封建王政の盛期を迎えた。カンタベリ大司教を暗殺させたことでも知られる。
ヘンリ3世
 ジョン王の長子でイギリス王(位1216〜72)。重税を課したことや大憲章(マグナ=カルタ)を無視して貴族の反抗をまねき、屈服した。
ヘンリ7世
 イギリス王(位1485〜1509)。バラ戦争を終わらせてテューダー朝を始め、イギリス絶対主義を確立、カボットをして北米海岸を探検させた。
ヘンリ8世
 イギリス王(位1509〜47)。首長法(国王至上法)を発布してイギリス国教会を樹立した。

ヘラクレイオス1世
 ビザンツ皇帝(位610〜641)。帝国の混乱を収めてヘラクレイオス朝を始めた。ササン朝の攻撃を撃退したが、イスラーム勢力により領土を奪われた。
ヘラクレイトス
 前544ころ〜?。イオニアの自然哲学者。「万物は流転する」の言葉を残し、火を変化の象徴とした。

ベーコン(ロジャー)
 1214ころ〜94。中世イギリスのフランシスコ派修道僧。オックスフォード大学の教授となり、経験論的手法により自然科学への道を開いた。
ベーコン(フランシス)
 1561〜1626。イギリスの科学者・哲学者。実験と観察を重視し、経験論(帰納法)の基礎を確立した。主著『新オルガヌム』。

ボンベイ
 インド西海岸の同名の島にある港市。1661年よりイギリス領となり、東インド会社の西インドにおける商業活動の中心として栄えた。
ポンペイ
 ナポリ東南のヴェスヴィウス火山の麓にあった古代ローマの都市。79年の火山爆発で埋没したが、18世紀以来発掘が進み、古代の姿を今に伝える。

●マ行

マザラン
 1602〜61。リシュリューのあとをついだ宰相(任1642〜61)。幼いルイ14世をたすけ、対外的には三十年戦争処理のウェストファリア条約でハプスブルク家を抑え、国内ではフロンドの乱を鎮圧して国王の反対勢力を一掃し、中央集権化を進めた。
マゼラン(マガリャンイス)
 1480ころ〜1521。ポルトガル人航海者。スペイン王カルロス1世の命を受けて西航。マゼラン海峡を通って太平洋に出、フィリピンで戦死。一行は世界周航達成。

ムラト1世
 オスマン帝国スルタン(位1362〜89)。バルカンに勢力を伸ばし、アドリアノープル(エディルネ)を獲得すると、小アジアのブルサからここに遷都した。1389年にコソヴォの戦いでセルビア・ボスニア・ワラキアの連合軍を破り、これらの地域へのトルコ人の移住を進めた。
ムラト2世
 オスマン帝国スルタン(位1421〜51)。バルカンに勢力を拡大してハンガリー軍を撃破、ビザンツ帝国にも圧力を加えた。

メアリ1世
 イギリス女王(位1553〜58)。熱烈なカトリックで、新教徒を弾圧したことから「血のメアリ」と呼ばれた。また、スペイン皇太子フェリペ(後のフェリペ2世)と結婚し、イギリスがスペインの支配下におかれる危機をまねいた。
メアリ2世
 イギリス女王(位1689〜94)。ジェームズ2世の娘。オラニエ公ウィレムの妻。名誉革命でイギリスに帰国して即位し、夫とともに共同統治した。

メディア
 前8世紀末〜前550。インド=ヨーロッパ系イラン人が建てた最初の国家。都はエクバタナ。前612年新バビロニアと同盟してアッシリアを滅ぼして強盛となったが、前550年アケメネス朝のキュロス2世に滅ぼされた。
メディナ
 アラビア半島ヒジャーズ地方のオアシス都市。622年。ムハンマドはメッカからここに逃れ、やがてアラビア半島を統一した。メッカに次ぐイスラームの聖地。

モンテスキュー
 1689〜1755。フランスの代表的啓蒙思想家。法官貴族に属し、ボルドー高等法院長となる。主著『ペルシア人の手紙』『法の精神』。
モンテーニュ
 1533〜92。フランスの代表的人文主義者。主著に、中庸を説いた『随想録』がある。

●ヤ行

耶律阿保機
 遼の初代皇帝(位916〜926)。華北に侵入し、漢人を登用して国力をたくわえ、契丹諸部族を統合し建国した。東北の渤海を滅ぼす。
耶律堯骨
 遼の第2代皇帝(位926〜947)。後晋の建国を援助し、燕雲十六州を獲得した。
耶律楚材
 1190〜1244。遼の王族出身で金に仕え、1215年、チンギス=ハンに降る。太宗オゴタイ=ハンのとき中書令となり、諸制度を整え帝国経済の基礎を確立。
耶律大石
 西遼の初代皇帝(徳宗、位1132〜43)。遼の王族で、1124年遼の滅亡直前、西走し、トルコ系イスラーム王朝のカラ=ハン朝を倒して西遼(カラ=キタイ)を建国した。

ヨハネ(使徒)
 イエスの12弟子の一人。イエスの死後各地に伝道。著作『ヨハネ福音書』。
ヨハネ(パプテスマ)
 イエスの先駆者とみられるユダヤの預言者。ヨルダン川で洗礼を施した。

ヨーゼフ1世
 神聖ローマ皇帝(位1705〜11)。スペイン継承戦争中に帝位につき、フランスと戦ったが、戦争の終結をまたずに急死。
ヨーゼフ2世
 神聖ローマ皇帝(位1765〜90)。マリア=テレジアの長子。啓蒙専制君主として理想主義的内政改革を推進したが、成功しなかった。

楊炎
 727〜781。唐の徳宗の初年、宰相となり、780年両税法を実施。
楊堅
 隋の文帝(位581〜604)。北周の外戚でその譲りを受け、さらに南朝の陳を討って中国を統一。中央集権の制度を整え、帝権を強化した。

●ラ行・ワ行

ライプチヒ
 東部ドイツの都市。エックとルターの討論やナポレオンが大敗した諸国民戦争で知られる。
ライプニッツ
 1646〜1716。ドイツの哲学者・数学者。政治・外交にも活躍した。微分・積分学を創始し、哲学では単子論を説いた。主著『単子論』など。

リープクネヒト(ヴィルヘルム)
 1826〜1900。ドイツの社会主義者。ドイツ三月革命でロンドンに亡命。1862年帰国し、マルクス主義の宣伝に努め、1869年、ドイツ社会民主労働党を設立。
リープクネヒト(カール)
 1871〜1919。前者の子。1916年、スパルタクス団を結成、第一次世界大戦末のドイツ革命の中心人物となったが、1919年の蜂起で逮捕、虐殺された。

リスト(フランツ)
 1811〜86。ハンガリーの作曲家。代表作「ハンガリー狂想曲」。
リスト(フリードリヒ)
 1789〜1846。ドイツの経済学者。保護貿易主義を主張して、歴史学派経済学の先駆者となった。主著『政治経済学の国民的体系』。

李自成
 1606〜45。陝西省に起こった農民暴動の指導者。1644年、北京を攻略して明を滅ぼしたが、清軍の攻撃を受けて、翌年、湖北で自殺した。
李時珍
 1523ころ〜96ころ。明の医薬家。『本草綱目』の著者。

李斯
 ?〜前208。法家。秦王の政(始皇帝)に仕え、法家思想に基づく政策を進言し、統一を完成させた。丞相として権力をふるったが、2世皇帝のとき刑死した。
李贄
 1527〜1602。明末の陽明学者。仏教を信じ童心を重んじ、儒学の礼教を偽善として非難し、商人の営利活動を弁護し、男女平等を説いた。そのため反逆者とされ、投獄され自殺した。

ル(ロ)ーズヴェルト(セオドア)
 アメリカ大統領(任1901〜09)。国内では革新主義的諸改革を推進したが、対外的にはカリブ海や東アジアで帝国主義政策をとる。日露戦争の調停者。
ル(ロ)ーズヴェルト(フランクリン)
 アメリカ大統領(任1933〜45)。世界恐慌にニューディール政策で対処し、第二次世界大戦中「4つの自由」を掲げて戦争指導に当たった。

ルイ16世
 フランス王(位1774〜92)。ルイ15世の孫。フランス革命前の危機を克服できず、革命開始後も事態の理解に欠け、1793年1月、処刑された。
ルイ18世
 ブルボン復古王朝の初代フランス王(位1814〜24)。ルイ16世の弟。革命中、亡命して反革命を組織、ナポレオン没落後王位につき反動政治を実施。

レオ(レオン)3世
 ビザンツ皇帝(位717〜741)。イスラーム勢力を撃退して小アジアを回復。聖像禁止令を出し、のちにキリスト教会東西分裂の契機となった。
レオ3世
 ローマ教皇(位795〜816)。800年、フランク王カール大帝に帝冠を加冠し、西ローマ帝国を復興させた。

ワグナー
 1813〜83。ドイツの作曲家・オペラ作家。音楽と演劇の融合を図る。代表作「タンホイザー」「ローエングリン」など。
ワグナー(法)
 アメリカ合衆国上院議員。1935年、労働者の団結権・団体交渉権を規定した全国労働関係法を提案、成立させた。

●その他

ペテロ
 ?〜64。ガリラヤの漁夫出身。最高位の使徒。ローマ伝道に力をつくしたが、ネロの迫害で殉教したと伝えられる。のちに初代ローマ教皇と位置づけられた。
パウロ
 ?〜60以後。最も重要な使徒とされる人物。東方各地を伝道して、「異邦人の使徒」と呼ばれるが、その後ローマに伝道中、ネロの迫害で殉教したと伝えられる。「信仰によってのみ義とされる」とするパウロの神学は、アウグスティヌスや宗教改革に影響を及ぼした。

蘇秦
 ?〜前317。戦国時代の縦横家。合従策を説き六国同盟を成立させた。
張儀
 ?〜前310。戦国時代の縦横家。秦の宰相となり、連衡策を説き、合従策を論破した。

シャンポリオン
 1790〜1832。フランスのエジプト学者。1822年、ロゼッタ=ストーンの碑文から神聖文字の解読に成功した。
ローリンソン
 1810〜95。イギリスの学者。ベヒストゥーン碑文を転写・研究し、楔形文字の解読に成功した。

サイモン(委員会)
 イギリス自由党政治家。彼を長としてイギリス人のみで組織されたインド行政改革勧告委員会(1928〜29)は、インド人の反英運動を刺激した。
リットン(調査団)
 イギリスの政治家。彼を長とする国際連盟の満州事変調査団は、1932年、調査報告書を発表した。日本はこの報告書に反対して、翌年、連盟を脱退した。

コルテス
 1485〜1547。スペイン人征服者。1519〜1521年、メキシコのアステカ王国を征服。
ピサロ
 1470ころ〜1541。スペイン人征服者。わずかの兵を率いて、1533年インカ帝国を滅ぼした。

黄埔(条約)
 広州郊外の町。1844年、ここで清とフランスとの最初の修好通商条約が結ばれた。また1924年、ここには軍官学校が設けられた。
望厦(条約)
 マカオ郊外の村。1844年、ここで清とアメリカとの最初の修好通商条約が締結された。内容は大体、英清間の南京条約に準じている。

エヴァンズ
 1851〜1941。イギリスの考古学者。1900年以降クノッソス宮殿跡を発掘し、クレタ文明を発見した。
シュリーマン
 1822〜90。ドイツの考古学者。1870年以降トロイア(トロヤ)・ミケーネ地方を発掘した。

アークライト
 1732〜92。イギリス産業革命期の紡績機改良者。1768年、最初の水力紡績機を発明、翌年、特許をとったが、やがてミュール紡績機に代わられた。
カートライト
 1743〜1823。イギリス産業革命期の織機発明者。1785年、蒸気機関を利用する力織機を完成した。