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特集 広告からみた占領下の日本

−広告からうかびあがる占領下の日本の姿−



原子爆弾を使った商業広告  引揚者に衣類の提供を  2・1ゼネストのポスター

マッカーサー元帥を讃える文  財閥解体による商号改称  統制解除自由販売

「12才ではありません」

(これらの図解と説明文は、『日本史地図・図解集』にも収録されています)


 広告はその時代の世相をよく示しています。なぜなら、その時代の人びとに受け入れられるように広告は制作されているからです。広告から占領時代の日本人のものの考え方をみていきます。


原子爆弾を使った商業広告(昭和21年)

原子爆弾を使った商業広告

 戦後の混乱もあって、原子爆弾投下による惨禍についての認識が1946(昭和21)年当時不足していたと思われます。商業広告に登場するほど、原子爆弾投下を肯定的にとらえる考え方が、当時あったことを示しています。
 原子爆弾投下による被害は、広島の場合、死亡・行方不明者約12万人(当時の広島市の人口約32万人)、5年以内に約20万人が死亡、長崎の場合、死亡者約7万4千人、5年以内に約14万人が死亡しました。


引揚者に衣類の提供を(昭和22年)

引揚者に衣類の提供を

 全産業が軍事産業化していた日本経済は、終戦とともに、生産停止に陥り多数の労働者が失業して町にあふれました。また、おもな都市は空襲によって焼け野原となっており、そこでは、防空壕などでの生活や、餓死しないための食糧確保と、人びとは生きるのに必死でした。
 そこへ、当時の日本の総人口の約9%にのぼった外地からの復員・引揚げが始められました。復員・引揚げ事業は、日本政府が船舶・食糧などを用意することが困難だったため、アメリカの援助で進められました。


2・1ゼネストのポスター(昭和22年)

2・1ゼネストのポスター

 1947(昭和22)年2月1日に予定された戦後最大のストライキです。激しいインフレーションと食糧難を背景に、全官公庁労組共同闘争委員会(伊井弥四郎議長)を中心に産別会議・総同盟系組合の約600万人の労働者が参加、賃上げなど10項目の共同要求を政府に提出しました。また、この年の年頭に吉田茂首相が労働運動を行う公務員を「不逞(ふてい)の輩(やから)」と非難したことで、内閣打倒の世論が高まったこともうけ、第1次吉田内閣の打倒もめざしました。しかしゼネスト決行直前の1月31日にマッカーサーの中止命令により、中止に追い込まれました。議長伊井弥四郎はラジオ放送で涙ながらにゼネスト中止を訴え、「一歩退却、二歩前進」だとし、労働者の団結を呼びかけました。


マッカーサー元帥を讃える文(昭和22年)

マッカーサー元帥を讃える文

 フレーベル館発行(昭和22年)の絵本『マッカーサー元帥』は無血革命を行った恩人として元帥を讃える内容です。『マッカーサー元帥』の裏表紙の文は絵本出版の意義をうたっています。
 この絵本が発行された1947(昭和22)年5月は、日本国憲法が施行された(5月3日)月です。日本は天皇主権から国民主権の国になりました。しかし、一方で全官公労共闘委員会が出した「二・一ゼネスト宣言」が連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の禁止指令で、余儀なく中止された年でもありました。


財閥解体による商号改称(昭和23年)

財閥解体による商号改称

 GHQは日本経済の民主化のため財閥解体を推進し、戦前来の財閥を中心とする独占的な経済支配体制の解体を押し進めました。しかし、その後、企業分割を免れた財閥系銀行を中心に企業集団が再編成されていきます。以後、銀行を中心とする企業集団が旧財閥系のグループごとにまとまりをつくって、新たな独占的経済支配の体制を構築していくことになります。
 なおその後、1952(昭和27)年5月7日のポツダム政令措置法の公布施行により、三菱銀行、住友銀行など旧財閥商号の使用が復活しました。


統制解除自由販売(昭和25年)

統制解除自由販売

 1940(昭和15)年以降、砂糖、マッチ、木炭、米などが切符制、配給制となり、翌年12月の太平洋戦争開戦後は、塩や味噌、醤油、衣類などあらゆる生活物資に点数切符による総合配給制が実施されました。
 1948(昭和23)年9月マッチが自由販売となり、10月には電球・歯磨きなど111種の品が自由販売となりました。
 1950(昭和25)年、味噌、醤油が統制から解除され、自由販売となりました。
 1952(昭和27)年4月、砂糖の統制が解除され、自由販売となりました。


「12才ではありません」(昭和27年)

「12才ではありません」

 マッカーサーに精神年齢12歳といわれていた日本も自信をもち始めました。この年の4月に対日講和条約が発効し、占領時代が終わりました。5月には、プロボクシング世界フライ級タイトルマッチで、白井義男が日本初の世界チャンピオンになりました。7月には、第15回オリンピックがヘルシンキで開催され、日本は戦後はじめて参加し、レスリングの石井庄八が金メダルを獲得しました。そして8月6日、原爆被害写真初公開の『アサヒグラフ』が即日完売となり、広島では広島平和記念式典で原爆慰霊碑が除幕されました。さらに、この年の流行語の一つに「ヤンキーゴーホーム」があげられます。