最終更新日2021年1月20日

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日本史の学習室

−金解禁と世界恐慌−

次の文の( )に適する語句を入れ、図版の空欄に適語を答えよ。
 財界からは、大戦後まもなく金本位制に復帰した欧米にならって(1)(金解禁)を実施して為替相場を安定させ、貿易の振興をはかることをのぞむ声が高まってきた。1929(昭和4)年に成立した立憲民政党の(2)内閣は、蔵相に(3)前日銀総裁を起用し、財政を緊縮して物価の引き下げをはかり、産業の合理化を促進して国際競争力の強化をめざした。そして1930(昭和5)年1月には、旧平価による(1)をおこなって、外国為替相場の安定と経済界の抜本的整理とをはかった。為替相場の実勢は100円=46.5ドル前後であったが、100円=49.85ドルの旧平価で解禁したので、実質的には円の(4)となった。
 (1)を実施したちょうどその頃、1929年10月にニューヨークのウォール街で始まった株価暴落が世界恐慌に発展していたため、日本経済は(1)による不況とあわせて二重の打撃を受け、恐慌状態におちいった(これを(5)という)。輸出が大きく減少し、(6)は大量に海外に流出して、企業の操業短縮、倒産があいつぎ、産業合理化によって賃金引き下げ、人員整理がおこなわれて、失業者が増大した。政府は1931(昭和6)年、(7)を制定し、指定産業での不況カルテルの結成を容認したが、これが統制経済の先駆けとなった。
 米価は1920年代から植民地米移入の影響を受けて低迷していたが、(5)が発生すると米をはじめ各種農産物の価格が暴落した。恐慌で消費が縮小したアメリカへの(8)輸出は激減し、その影響で繭(まゆ)価は大きく下落した。1930(昭和5)年には豊作のためにさらに米価がおし下げられて「豊作貧乏」となり、翌1931(昭和6)年には一転して東北・北海道が大凶作に見舞われた。不況のために兼業の機会も少なくなったうえ、都市の失業者が帰農したため、東北地方を中心に農家の困窮は著しく(これを(9)という)、(10)や女子の身売りが続出した。
 このような状態のもとで、労働争議・小作争議が激増すると同時に、無策な政党や金輸出再禁止を予期して円売り・ドル買いを進めた(11)を攻撃する声が高まっていった。

金解禁と世界恐慌

答え
1(     )2(     )3(     )4(     )5(     )
6(     )7(     )8(     )9(     )10(     )
11(     )12(     )

解答
1(金輸出解禁)2(浜口雄幸(おさち))3(井上準之助)4(切り上げ)5(昭和恐慌)6(正貨)
7(重要産業統制法)8(生糸)9(農業恐慌)10(欠食児童)11(財閥)12(繭(まゆ))



(この問題は『日本史基本問題』に収録されています。また、問題で使われている地図・図版は『日本史地図・図解集』に収録されています。)