最終更新日2020年6月4日

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日本史の学習室

−武士の成長−

次の文の( )に適する語句を入れ、図版の空欄に適語を答えよ。
 9世紀末から10世紀にかけて地方政治が変化していく中で、地方豪族や有力農民は、勢力を維持・拡大するために武装するようになり、各地で紛争が発生した。その鎮圧のために政府から(1)・追捕使(ついぶし)に任じられた中・下級貴族の中には、そのまま在庁官人などになって現地に残り、有力な武士((2)ともいう)となるものが現れた。彼らは、(3)などの一族や(4)(郎等・郎従)などの従者を率いて、たがいに闘争を繰り返し、ときには国司にも反抗した。
 東国に早くから根をおろした(5)平氏のうち、(6)は下総(しもうさ)を根拠地にして一族と争いを繰り返すうちに、国司とも対立するようになり、939(天慶(てんぎょう)2)年に反乱をおこした((6)の乱)。(6)は常陸(ひたち)・下野(しもつけ)・上野(こうずけ)の国府を攻め落とし、東国の大半を占領して(7)と自称したが、同じ東国の武士の(8)・(9)らによって討たれた。
 同じ頃、もと伊予(いよ)の国司であった(10)も、瀬戸内海の海賊を率いて反乱を起こし((10)の乱)、伊予の国府や大宰府を攻め落としたが、やがて(11)源氏の祖である(12)らによって討たれた。こうして東西の反乱はおさまったが、この乱を通じて朝廷の軍事力の低下が明らかになり、地方武士の組織はいっそう強化された。この二つの乱は、時の年号から(13)の乱とも呼ばれる。
 地方武士の実力を知った朝廷や貴族たちは、彼らを(14)として奉仕させ、9世紀末に設けられた(15)の武者(むしゃ)のように宮中の警備に用いたり、貴族の身辺や都の市中警固にあたらせたりした。なかでも摂津(せっつ)に土着していた(11)源氏の(16)と、その子の(17)・(18)兄弟は、摂関家への奉仕の見返りとしてその保護を受け、勢威を高めた。また地方でも、受領直属の武士としての(19)や、国衙の軍事力として国司のもとに組織した(20)を、(1)や追捕使に任命して、治安維持を分担させることがさかんになった。

武士の成長

答え
1(     )2(     )3(     )4(     )5(     )
6(     )7(     )8(     )9(     )10(     )
11(     )12(     )13(     )14(     )15(     )
16(     )17(     )18(     )19(     )20(     )
21(     )22(     )23(     )24(     )

解答
1(押領使(おうりょうし))2(兵(つわもの))3(家子(いえのこ))4(郎党)5(桓武)
6(平将門(まさかど))7(新皇)8(平貞盛(さだもり))9(藤原秀郷(ひでさと))
(8、9は順不同)10(藤原純友(すみとも))11(清和)12(源経基(つねもと))
13(承平(じょうへい)・天慶)14(侍(さむらい))15(滝口(たきぐち))16(源満仲(みつなか))
17(頼光(よりみつ))18(頼信(よりのぶ))(17、18は順不同)19(館侍(たちざむらい))
20(国侍(くにざむらい))21(経基)22(義家)23(高望王)24(貞盛)



(この問題は『日本史基本問題』に収録されています。また、問題で使われている地図・図版は『日本史地図・図解集』に収録されています。)