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日本史基本問題のねらい

● 平易な問題を繰り返し解答することにより、おのずから日本史の流れを理解できるようにしました。

● 難読な事項名・人名にはふりがなを、ルビではなくその語句うしろにいれ、文章の流れの中で、難読な語句を読めるようにしました。

● まとめや系図・地図など図版を多く取り入れ、問題文の要点を的確に理解できるようにしました。


『日本史基本問題(CD-ROM版)』の見本問題

朝鮮と琉球・蝦夷地

次の文の( )に適する語句を入れ、図版の空欄に適語を答えよ。
 徳川家康は朝鮮との講和を実現し、1609(慶長14)年、対馬藩主(1)氏は朝鮮とのあいだに(2)約条を結んだ。この条約は近世日本と朝鮮との関係の基本となり、釜山(プサン)に(3)が設置され、(1)氏は朝鮮外交上の特権的な地位を認められた。朝鮮からは前後12回の使節が来日し、4回目からは(4)と呼ばれた。来日の名目は新将軍就任の慶賀が過半をこえた。
 琉球王国は、1609(慶長14)年、薩摩の(5)の軍に征服され、薩摩藩の支配下に入った。薩摩藩は、琉球にも検地・刀狩をおこなって兵農分離をすすめて農村支配を確立したうえ、通商交易権も掌握した。さらに、琉球王国の(6)氏を石高8万9千石余りの王位につかせ、独立した王国として中国との朝貢貿易を継続させた。朝貢のための琉球使節は、福建(ふっけん)の港から陸路北京に向かった。また琉球は、国王の代がわりごとにその就任を感謝する(7)を、将軍の代がわりごとにそれを奉祝(ほうしゅく)する(8)を幕府に派遣した。このように琉球は、二重の外交体制を保つことになった。
 蝦夷ヶ島の和人地(道南部)に勢力をもっていた(9)氏は、近世になると松前(まつまえ)氏と改称して、1604(慶長9)年、徳川家康からアイヌとの交易独占権を保障され、藩制をしいた。和人地以外の蝦夷地の河川流域などに居住するアイヌ集団との交易対象地域は、(10)あるいは場所と呼ばれ、そこでの交易収入が家臣に与えられた。松前氏と家臣団との主従関係は、このアイヌとの交易権を知行(ちぎょう)として与えることで結ばれており、この制度を(11)と呼ぶ。アイヌ集団は1669(寛文(かんぶん)9)年、(12)を中心に松前藩と対立して戦闘をおこなったが、松前藩は津軽(つがる)藩の協力を得て勝利した。(12)の戦いでアイヌは全面的に松前藩に服従させられ、さらに18世紀前半頃までには、多くの(10)が和人商人の請負(うけおい)となった(これを場所請負制度という)。
 こうして幕府は四つの窓口(長崎・対馬・薩摩・松前)を通して異国・異民族との交流をもった。明清交替をきっかけに、東アジアにおいては、伝統的な中国を中心にした册封(さくほう)体制と日本を中心にした四つの窓口を通した外交秩序とが共存する状態となった。

朝鮮と琉球・蝦夷地

答え
1(    )2(    )3(    )4(    )5(    )6(    )
7(    )8(    )9(    )10(    )11(    )12(    )
13(    )14(    )

解答
1(宗(そう))2(己酉(きゆう))3(倭館(わかん))4(通信使)5(島津家久(いえひさ))
6(尚(しょう))7(謝恩使(しゃおんし))8(慶賀使(けいがし))9(蠣崎(かきざき))
10(商場(あきないば))11(商場知行制)12(シャクシャイン)13(黒砂糖)14(場所請負制度)



倒幕運動の展開

次の文の( )に適する語句を入れ、図版の空欄に適語を答えよ。
 (1)・桂小五郎(木戸孝允(たかよし))らの長州藩尊攘派も、下関で四国艦隊に惨敗し、ついに攘夷の不可能を悟った。いったんは幕府に屈服した長州藩だが、(1)らは先に組織した奇兵隊を率いて1864(元治(げんじ)元)年末に長府(ちょうふ)で兵をあげて藩の主導権を保守派から奪い返し、領内の豪農や村役人と結んで、藩論を恭順から倒幕へと転換させ、イギリスに接近して大村益次郎らの指導のもとに軍事力の強化につとめた。
 幕府は長州藩に対して、第1次征討の始末として領地の削減などを命じたが、藩論を一変させた長州藩は応じなかった。そこで幕府はふたたび長州征討(第2次)を宣言したが、すでに開国進取に転じていた薩摩藩は、ひそかに長州藩を支持する態度をとった。1866(慶応2)年には、土佐藩出身の(2)・中岡慎太郎らの仲介で薩摩藩は長州藩と軍事同盟の密約を結び((3)、または(4))、反幕府の態度を固めた。このため、第2次長州征討の戦況は幕府軍に不利に展開し、幕府はまもなく大坂城中に出陣中の将軍(5)の急死を理由に戦闘を中止した。またこの年末に公武合体論の立場をとってきた(6)が急死した。天皇の急死は幕府にとって痛手となった。
 開国にともなう物価上昇や政局をめぐる抗争は、社会不安を増大させた。国学の尊王思想は農村にも広まり、農民の一揆でも世直しが叫ばれ(世直し一揆)、長州征討の最中に大坂や江戸でおこった(7)には、政治権力への不信が示されていた。また、大和に中山みきが創始した(8)教、備前に黒住宗忠(くろずみむねただ)が創始した黒住教、備中に川手文治郎(かわてぶんじろう)が創始した(9)教など、のちに教派神道と呼ばれる民衆宗教がすでに生まれていたが、この頃急速に普及して、伊勢神宮への(10)の流行とともに、時代の転換期のゆきづまった世相から救われたいという民衆の願いにこたえていた。1867(慶応3)年、東海・畿内一帯の民衆のあいだでは、熱狂的な「(11)」の集団乱舞が発生し、この「世直し」を期待した民衆運動は幕府の支配秩序を一時混乱におとしいれた。

倒幕運動の展開

答え
1(    )2(    )3(    )4(    )5(    )6(    )
7(    )8(    )9(    )10(    )11(    )12(    )

解答
1(高杉晋作(しんさく))2(坂本龍馬)3(薩長連合)4(薩長同盟)(3、4は順不同)
5(徳川家茂)6(孝明天皇)7(打ちこわし)8(天理(てんり))9(金光(こんこう))
10(御蔭参(おかげまい)り)11(ええじゃないか)12(薩長連合(同盟))



『日本史基本問題(CD-ROM版)』はさらに
  ・「Word」「一太郎」を利用して、改作や、独自の問題文などを付け加えることが可能です。
  ・「地図」「図解」のみをコピーして貼り付け独自の問題を作成することが可能です。