最終更新日2020年6月5日

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大学入試日本史史料問題

−意見封事十二箇条−

意見封事十二箇条(法政大 改)
次の史料を読み、問に答えよ。

 (a 臣)、去にし寛平五年に(A)(B)に任ず。かの国の下道郡に、邇磨(にま)郷あり。ここにかの国の(b 風土記)を見るに、(c 皇極天皇)の六年に、大唐の将軍蘇定方、新羅の軍を率ゐ百済を伐つ。百済、使を遣はして救はむことを乞ふ。天皇(C)に行幸したまひて、将に救の兵を出さむとす。(中略)路に下道郡に宿したまふ。一郷を見るに戸邑甚だ盛なり。天皇詔を下し、試みにこの郷の軍士を徴したまふ。即ち勝兵二万人を得たり。天皇大に悦びて、この邑を名(なづ)けて二万郷と曰ふ。後に改めて邇磨郷と曰ふ。その後、天皇(C)の行宮にして崩じたまひ、ついにこの軍を遣らず。
 (中略)天平神護年中に、(D)(E)朝臣、大臣といふをもて本郡の大領を兼ねたり。試みにこの郷の戸口を計へしに、わづかに課丁千九百余人ありき。貞観の初めに、故(F)藤原保則朝臣、かの国の(B)たりし時に、(中略)大帳を計ふるの次に、その課丁を閲せしに、七十余人ありしのみ。(a 臣)任に到りて、またこの郷の戸口を閲せしに、(d 老丁)二人・正丁四人・中男三人ありしのみ。去にし(e 延喜十一年)に、かの国の(B)藤原公利、任満ちて都に帰りたりき。(a 臣)問ふ、「邇磨郷の戸口今幾何(いくばく)ぞ」と。公利答へて云く、「一人もあることなし」と。謹みて年紀を計ふるに、皇極天皇六年庚申より、延喜十一年辛未に至るまで、わづかに二百五十二年、衰弊の速かなること、またすでにかくのごとし。一郷をもてこれを推すに、天下の虚耗、掌(たなごころ)を指して知るべし。(「意見封事十二箇条」より)

問1 (a)の「臣」とはこの「意見封事十二箇条」の筆者であるが、その人名を答えよ(漢字4文字)。
問2 (A)にあてはまる国名を次から選び、その記号で答えよ。ちなみにこの国は、おおよそ現在の 岡山県西部にあたる。
 ア 備前 イ 備中 ウ 安芸 エ 周防 オ 備後
問3 (B)にあてはまる官職名を次から選び、その記号で答えよ。ちなみにこの官職は四等官の次官 にあたる。
 ア 佐 イ 輔 ウ 亮 エ 介 オ 助
問4 (b)についての次の説明のうち、正しいものを選び、その記号で答えよ。
 ア 元正天皇の和銅6年に編纂の官命が出された。
 イ この文章にみえる「かの国の風土記」は寛平5年に完成した。
 ウ 五風土記と呼ばれるのは、常陸・播磨・出雲・豊前・肥後の風土記である。
 エ 各国からは、官命に応じる形で「解」の書式で太政官に報告された。
 オ 最初に完成した『常陸国風土記』は、『万葉集』より後に成立した。
問5 (c)の天皇の名は誤認である。正しい天皇の名を次から選び、その記号で答えよ。
 ア 神功 イ 推古 ウ 元明 エ 元正 オ 斉明
問6 (C)にあてはまる地名を次から選び、その記号で答えよ。
 ア 筑紫 イ 薩摩 ウ 対馬 エ 壱岐 オ 長門
問7 (D)にあてはまる官職名を次から選び、その記号で答えよ。
 ア 左大臣 イ 太政大臣 ウ 内大臣 エ 准大臣 オ 右大臣
問8 (E)にあてはまる姓を次から選び、その記号で答えよ。ちなみにこの人物の旧姓は下道氏である。
 ア 大和 イ 巨勢 ウ 吉備 エ 大伴 オ 清原
問9 (F)にあてはまる官職名を答えよ(漢字3文字)。ちなみにこの官職は、諸国の戸籍や租税を担当した者の長官である。
問10 (d)について次の説明のうち、正しいものを次から選び、その記号を答えよ。
 ア 61歳から65歳までの男性 イ 66歳から70歳までの男性 ウ 61歳から70歳までの男女
 エ 正丁の三分の一の調庸を負担した オ 庸と雑徭が免除された
問11 (e)の年の事柄として正しいものを次から選び、その記号を答えよ。
 ア 延喜式が完成し奏上された。
 イ 勘解由使に新たな交替式の編纂を命じた。
 ウ 延喜荘園整理令が発令された。
 エ 菅原道真が大宰権帥に左遷された。
 オ 宇多天皇が醍醐天皇に譲位した。

答え
問1(     )問2(  )問3(  )問4(  )問5(  )問6(  )問7(  )
問8(  )問9(     )問10(  )問11(  )

解答
問1(三善清行)問2(イ)問3(エ)問4(エ)問5(オ)問6(ア)問7(オ)
問8(ウ)問9(民部卿)問10(ア)問11(イ)



(この史料問題は、『日本史地図図解問題』に収録されています。)