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特集 北京の歴史

−悠久の都北京、北京五輪を考える−



戦国時代の中国  隋代の運河  燕雲十六州  元の大都  紫禁城  清の領域拡大  国共内戦

(これらの歴史地図は、『世界史地図・図解集』にも収録されています)


 北京で最大の繁華街、王府井。1996年にその地下から約2万5000年前〜2万4000年前の石器がみつかりました。動物の骨でつくった道具や火を使った跡、動物の化石なども発掘されたといいます。先史時代からこの地に人びとが暮らしていた証しです。北京は、北と西に山脈、東に渤海、南に湿地帯に囲まれた地にあります。古来から交通や商業の要所となり、この地にはしぜんと人が集まったと考えられます。
 およそ3000年前。北京の街はすでに今の地にありました。ただ、北京という名はずっとあとの時代につけられた名前であり、当時この街は「薊(ケイ)」とよばれていました。薊があったのは、古くから漢民族の暮らす「燕(えん)」という地方でした。戦国時代(前403〜前221)には燕は国となり、戦国の七雄に数えられ強国でした。薊はその首都となりました。

戦国時代の中国

 中国を代表する河川といえば、黄河と長江です。これらはいずれも西から東に流れており、南北を結ぶ大きな河川は存在しませんでした。湿潤な気候の南部でとれた穀物を、都のある乾燥した北部へ運ぶ手段は長年の夢でした。610年、ついに南北を結ぶ「大運河」が完成しました。それは、南の杭州から北の「たく郡(北京)」まで結びました。その結果、それまで東北辺境を守る地方都市にすぎなかったこの地に転機が訪れました。この大運河を開削したのが隋の第2代皇帝煬帝でした。煬帝はこの大運河を利用して武器や食糧を「たく郡」に集めました。その目的は、今の中国東北部(旧満州)から朝鮮半島北部を領有していた高句麗に攻め入ることでした。「たく郡」は侵略の拠点となりました。隋に続く唐の時代にも、歴代の皇帝はこの地を拠点として遠征を行いました。

隋代の運河

 約300年間栄えた唐が907年に滅びると、中国では覇権争いがくり広げられました(五代十国)。後晋(936〜946)が建国するにあたって、北方遊牧民の契丹族(遼)の援助を受けました。遼は、援助の見返りに、後晋から燕州(北京)を含む「燕雲十六州」を手に入れました。遼にとって燕州は国の南端に位置する地であったため、「南京」と名づけ、「冬のための都」としました。1125年、その遼を滅ぼした中国東北部の女真族(金)もこの地を首都とし「中都(燕京)」としました。金にとってはこの都市はおおよそ国の真ん中に位置したためです。北京の地は金代にはじめて一国の首都となりました。

燕雲十六州

 しかし、それも100年ほどしかつづかず、1200年代に入ると、中国北方のモンゴル族が勢力を増しました。モンゴル族は1234年に金を滅ぼし、1264年には北京の地に「大都」という都を築きました。大都は、遊牧民モンゴル族(元)の都でありながら、古代より中国に伝わる理想的な都市の形を実現しました。ほぼ真四角の敷地を城壁で囲み、中心に宮殿を置き、街路は碁盤の目のように整えられました。

元の大都

 約450年間、遼、金、元といった北方系諸民族の都だった北京の地に、ふたたび漢民族の都となるときがきました。1368年、漢民族の朱元璋は元をモンゴル高原に追い返し、明を建国しました。明は最初、首都を現在の南京に置き、元の大都は放置され「北平」の名に改められました。しかし、第3代皇帝永楽帝は首都を北平に移すことに決め、この都市を北京と名づけました。永楽帝は約20年かけて大都を改築し、都の中心に「紫禁城」を建造し、1421年、南京から北京に遷都しました。

紫禁城

 漢民族(明)が北京に都をおいて栄えていたころ、万里の長城をこえた東北地方では女真族(のちの満洲族)が勃興し始めました。1644年、内乱で明が崩壊したことに乗じて清は北京に入り、自分たちの都としました。明がつくった街はほとんどこわさず、そのまま利用したといいます。ただし、門や建物の名前は変えられました。紫禁城への出入り口であり、現代中国の象徴でもある「天安門」もその一つです。明代には「承天門」とよばれました。清の支配領域が最大になったのは第6代皇帝乾隆帝の時代で、それまで独自の政治や文化を築いてきた、モンゴル世界、チベット世界、ウイグル世界の一部などをまとめて、清に統合しました。現在の中国の広大な国土は、このときの支配領域を継承したものです。

清の領域拡大

 19世紀以降、巨大な支配領域を築いた清に新たな脅威が登場します。海をへだてた外国からの勢力です。1899〜1901年には、外国勢力の排除を目指した義和団が8カ国連合軍と戦いますが、北京の街はこのとき大きな被害を受けたといいます。1911年の辛亥革命により清は打倒され、約1000年におよぶ「皇帝の都」に幕が下ろされます。
 清にかわって成立した国民党の中華民国は、首都を現在の南京におき、北京は1928年に「北平」と改称されました。第二次世界大戦後、国民党との国共内戦に勝利した共産党は、1949年、中華人民共和国の建国を宣言し、ふたたび北京は首都となりました。このとき誕生した首都・北京こそが現在につづく北京の姿です。

国共内戦