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特集 沖縄

−アジアの架け橋をめざして−

 サンゴ礁に囲まれた美しい亜熱帯の島じまからなる沖縄、独自の歴史と文化を持つこの島が、日本社会のなかに占める位置は決して小さくはありません。2012年に本土復帰40周年を迎えた沖縄の過去の繁栄をたどることにより、今なぜ沖縄なのかを考えてみたいと思います。
 沖縄(琉球)の那覇市を中心に円を描くと、半径1000km圏に、日本の九州、中国、フィリピンが入ります。14〜16世紀にかけて、琉球王国は、奄美大島から台湾に近い与那国島まで約1000kmを支配する一大海洋国家でした。
 中国で現在の沖縄県を琉球とよぶようになったのは、明の初めの洪武帝の時代からです。15世紀初めに中山王尚氏が琉球を統一し、明への朝貢を続けました。
 日明間の貿易が数年間に1度であったのに対し、琉球と明との貿易は1年に1度、多い年は1年に2、3度おこなわれました。明が琉球に朝貢を求めたのは、戦争にかかせない馬と、火薬の原料である硫黄が狙いだったといわれます。この有利な条件を利用して、琉球王朝は、朝貢船によって明や明に流れ込んだ世界各地の産物を大量に持ち帰り、日本や東南アジア諸国に輸出し、相手国から集めた物産を中国に輸出する、中継貿易の核になりました。こうして、明の統治がゆるみ貿易の国家独占が崩壊し中国商人やポルトガル商人が進出する16世紀後半まで、琉球王国は繁栄しました。
 主権をもつ国家にとって固有の領土の画定は欠かせません。1609年以来薩摩藩島津氏に服属していた琉球王国は、同時に中国の明さらに清にも朝貢していたため、帰属問題が起こりました。その結果明治時代の初め1879年に、明治政府による「琉球処分」によって日本に併合されて、日本が主権をもつ沖縄県となりました。そして日清戦争(1894〜95)に日本が勝利するにおよんで琉球の日本帰属が確定しました。
 時はすぎ、1945年太平洋戦争で、日本軍守備隊は全滅しアメリカ軍が沖縄を占領しました。1946年には北緯30度以南の領域を日本から分離し、1952年にアメリカ支配の琉球政府が発足しました。アメリカの施政下におかれた沖縄は、見る間に極東最大の基地の島と化しました。1972年沖縄は日本国に復帰しました。沖縄の祖国復帰は実現しましたが、「本土並み」とはほど遠く、アメリカ軍基地が残りました。日本の面積のたった0.6%の県に、在日アメリカ軍基地の75%が集中しています。
 現在、沖縄県は返還された基地の跡地を利用して、沖縄をアジアとの交流拠点にする「国際都市構想」を検討しています。かつて交易で栄えた琉球王国のように、いま沖縄はアジアの架け橋になることをめざしています。

琉球王国と中継貿易

(この歴史地図は、『世界史地図・図解集』にも収録されています)