僕が君から取り上げた僕
ノックの音に、スネイプはおざなりに「どうぞ」と返事をした。失礼するね、と朗らかな声でルーピンがスネイプの研究室に入ってくる。机に向かったまま、振り返りもせずに、スネイプは棒読みで言った。 「御用は何ですかな」 「これから、ホグワーツを出るんだ。それで挨拶に」 「それはそれは」 くたびれたスーツケースを床に置いたルーピンに、半分はそのルーピンの退職の原因を作ったスネイプだが、やはり振り返りもせず、棒読みのままで答えた。 「御苦労様でしたな。せめて新しいローブが買えるような、まともな職につけることをお祈りしておりますよ」 「ありがとう、セブルス」 にっこりと礼を言い、ルーピンは何気なく部屋の中央へと進み、部屋の脇に置いてあった作業台に浅く腰掛けた。 「……出るのならさっさと出たらどうだ」 スネイプの、少し不機嫌な声が表に出た言葉に気を止める事も無く、ルーピンはスネイプの背中を見つめて言う。 「うん、迎えが来てるから、なるべく早く済ます」 その言葉に、漸くスネイプが椅子を引いて、振り返った。 「恨み言でも言いに来たのか」 「まさか。君に恨みなんて無いよ」 どちらかと言うと、恨みがあるのはスネイプの方だ。 「なら何の用だ」 目付きを険しくして、スネイプはルーピンを睨み付ける。ルーピンは、その視線を柔らかく受け流して、言った。 「今でも君は、ジェームズに捕らわれてるんだね」 ルーピンがまっすぐと、スネイプを見つめる。 さらりとその口から出た名前は、スネイプの心に重く大きく突き刺さる。その名前を発したのが、ルーピンならなおさら。 学生時代、ジェームズ・ポッターの良き友の一人であった彼は、ジェームズとスネイプの関係を知っていた。 忘れたい、捨てたい、二度と思い出したく無い過去に触れてくるルーピン。彼が発するその名前は、確実にスネイプの奥底を抉り出す。 ましてや――捕らわれているなどと。 「……それについて貴様と話す事など何も無い。私は、貴様のような狼男と、この1年間同僚だったというだけでも吐き気がする思いだったのだ。我ながら良く耐えたものだ。ご親切に、薬まで与えてやって」 「薬の事は本当にありがとう、感謝してるよ。でもそれを抜きにしても、私は君と同僚として、1年間も一緒に働けた事が嬉しかった。楽しかったよ」 ルーピンの言葉に、スネイプは視線を外して、自嘲するように笑った。 「面白かったか?教鞭を取る私と、学生時代、ジェームズの玩具だった私を比べて、陰で笑っていたか」 「誰も笑ってなんかいないよ、セブルス」 スネイプの言種に、ルーピンは、少し悲しげに眉を寄せた。 「君の事を笑ってなんかいない。ジェームズも、君をそんな風には……」 「何を今更。貴様は知っているのだろう。構わんよ、好きに言い触らしたらどうだ?」 「言い触らすだなんて、そんな」 「どうせもうヤツはいない。所詮もう随分と昔の事だ。貴様はさっき『捕らわれている』等と言ったが、私は、もうどうでも良いのだ。あんなヤツの事は忘れた。ペティグリューは死に、犯人は再び逃走、それを手助けした貴様はまた、貴様を受け入れてくれる場所の無い社会に戻る。私は平坦に生きていく。それだけだ。私にはもう関係無い」 「セブルス」 ルーピンに背を向け机の方を向いて、スネイプは投遣りに笑う。その笑いが収まるのを待って、ルーピンは続けた。 「セブルス。私も、勿論ジェームズも、君の事を笑ったりしていない。君に、いつか言いたいと思ってた。あの事件以来、ジェームズにも心を閉ざしてしまった君に」 その瞬間、再びスネイプが体をルーピンへと向けた。ひどく怒りを押し殺した声で、言った。 「あの事件以来?何をふざけた事を抜かしている。私は、以来も、それ以前も、ヤツに心を開いた事など無い。」 その言葉に、無言で数度頷き、しかしルーピンは続ける。 「シリウスの悪ふざけは確かに度が過ぎたけど、本当にジェームズは――勿論私も――あんな事、事前には知らなかった。知っていれば勿論止めた。だから、ジェームズは慌てて君を止めに走った。もし一歩間違えれば、ジェームズ自身も、私に襲われる可能性があったのに」 「そんな事にはならんさ。私が貴様に食われている隙に、逃げ足の速いヤツが逃げただけの事だ」 「セブルス、聞いてくれ」 なんとか落ちついて聞いてもらおうと懇願するが、逆にスネイプを苛立たせた。 「こんな狭い部屋では聞きたくなくても耳に入る!何が言いたい、さっさと言って、さっさと出て行け、ルーピン!」 ダン、と拳を机に叩きつけてスネイプは怒鳴り、ルーピンを睨み付けた。その怒りになんの動揺も見せず、ただルーピンは無表情に、スネイプを見据えた。 そして、言った。 「ジェームズは最後まで――君を手放そうとしなかった。そして君を守り通そうとした。私は気付いてしまったけど、そうでなければ誰にも君の事なんて言わなかっただろう。」 「そりゃあ、回りに言えば、男を強姦した変態にされるだけだからな」 「違うよ、セブルス」 自分を貶めるように笑うスネイプにまっすぐ視線を向けたまま、ルーピンは重ねて言った。 「ジェームズは君を一人占めしたかった。誰にも見せず想像もさせず、ジェームズは君を自分の手の中で守りたかった」 ジェームズとスネイプの関係に気付いたのは、ルーピンだけだった。思い切って問い詰めたルーピンに、ジェームズは最初、冷たい瞳と声で答えた。ただの嫌がらせだ、とスネイプを鼻で笑った。ルーピンにはそう思えなかった。当時既にジェームズにはリリーがいて、例えどれほどスネイプが嫌いだったとしても、露見したらどうなるか分からないジェームズじゃない。諸刃の剣になるような嫌がらせを、賢いジェームズがしたはずが無い。廊下ですれ違い様に交わす視線や、さりげない嫌味の交し合いも、馴れ合いと緊張の二つを含んで、まるで机の下で足を絡めるような、微妙な空気を持っていた。 「……何が守りたかった、だ。聞いて呆れる。」 スネイプはそう言って、ルーピンから視線を反らせた。 「本当にジェームズは」 「じゃあ今の私はなんだ?ふん、認めてやろう、確かに未だにヤツは私の前に立ち塞がり私に棲みつき、いつまでもあの冷ややかな目で私を見下している。そんなヤツに縛られ、貴様らに縛られ、たかだか子供のハリー・ポッターにすらヤツを思い出している。ヤツの『守る』とは嫌がらせと同義語か。人の人生をめちゃくちゃにして」 憤りを言葉にしながらも、スネイプはどこかどこか遠い目をする。 「今でも時々思う。あの時、本当に貴様に食われてしまえば良かった。そうすれば今頃私はヤツを思い出す事も無かったし、ヤツの人生も失わせてやれた。いっそせいせいして良かった。」 そんな言葉に、リーマスが表情を険しくした事に、スネイプは気付かなかった。 作業台から降りたリーマスは、押し殺したような声で、言った。 「……じゃあ、望み通り、私が君を食ってやろうか、セブルス?」 訝しげにスネイプがリーマスを振り返ると、すでにリーマスはスネイプの側に立っていて、スネイプの肩を掴んだ。危険を感じたスネイプが振りほどこうとしたが、リーマスの力は意外に強く、外れない。椅子に座ったままのスネイプを覆うようにリーマスはもう片方の手を机に、体を支えるように置いた。すぐ間近で、瞳を見開き、警戒をあらわにするスネイプに言ってやる。 「いいかげん君達の痴話喧嘩の理由に使われるのは私だって不愉快だよ。しかも私の意思などお構いなしに食われる食われないだの、君が決める事じゃないだろう。それならばいっそ、私が私の意思でそうしてやるさ」 「何を……」 肩に置いていた手でスネイプのローブを掴み上げる。これまで形にした事の無かった感情がリーマスに込み上げる。 独占欲でスネイプの人生を変えてしまったジェームズに対する憤り。 いつまでもジェームズしか見ずに、過去から動き出せないスネイプへの苛立ち。 終りしか見えなかった二人の関係を、ただ側で見ている事しかできなかった役立たずな自分のやるせなさ。 なのに終らずに続いている現在。 もうただ見ていられない。 「食われたかったんだろう?」 ローブを掴み上げる手に、さらに力が加わる。まさに狼のような鋭い瞳で、リーマスはスネイプを睨みつけた。 「簡単な事だよ、次の満月の番、薬を飲まない私と一緒に一晩過ごせば良い。朝には綺麗に片付いてるさ。ジェームズが散々触れたその体も、ジェームズを思い出して仕方の無いその心も全部。跡形も無く、全部私が食ってやるよ、セブルス!」 そんな事しかできない。 目を見開いていたスネイプの表情が、やがて、崩れた。 「は、は……」 もれた笑い声と共に見えたのは笑顔ではなく、不意にスネイプの目許に浮かんだ涙だった。 「……駄目だ、ルーピン。もう遅い」 「ご、ごめんセブルス、言い過ぎた。泣かせつるもりなんて、そんな……」 学生時代ですら見た事の無いスネイプに、慌ててルーピンが手を離して謝った。しかし、スネイプは聞いてはいなかった。泣きながら――笑いながら、目を押さえて、座ったまま項垂れた。 「もう遅い。もう、私は既に食われてしまっているから」 「……え?」 弱弱しい声は、普段の堂々としたふるまいなど感じさせず、ひどく心細げだった。 「もう私は食われてしまったよ。ジェームズに、全部。全部食われてしまった。貴様に食われる分など、もう何一つ残っていない」 声が遠い。 スネイプの心が、棲みついたジェームズに呼び寄せられるように奥へと沈んでしまう。 全部食われた。 体も心も、ジェームズに。 だから、一人では生きていられない。 ジェームズがいないと生きていけない。 だけど自分はジェームズのものだから。 他の誰にも食われるわけにはいかない。 ああ、なんて深くて切ない思いなのだろう。 リーマスは、哀しくて泣きたくなる。 スネイプ、君はなんて寂しいんだろう。 そんなにも想っているのに、ジェームズを信じる事ができなかった。 信じる事ができなかったのに、こんなにもジェームズばかり想っている。 なんて寂しいんだろう。 「食われたのに、私だけがここに残ってる。ジェームズはもういないのに。私の肉体だけが、無意味に、ここに生きている。ヤツは私から私の全部を取り上げた。ヤツのいないところでは、私は何もできない。いっそ私を殺して欲しかった。どうせなら私が殺されたかった。『あいつのせい』で、死んでやりたかった」 涙声が、感情を吐き出すように流れて行く。目を押さえ、口を押さえてスネイプは視線をあちこちにさ迷わせる。どこを見てもジェームズはいない。 スネイプはここに一人だ。 リーマスは哀しくて哀しくて、スネイプの肩にもう一度手を置いた。 「……ジェームズが君を殺さなかったのは、巻きこまなかったのは、君に生きていて欲しかったからだよ」 確信している事がある。 これを言うと、またジェームズはスネイプを縛り付けてしまうのかもしれないけど。 「どうして君に生きて欲しかったのだと思う?ただ大切だったからじゃない。君に、覚えていて欲しかったんだ。」 そう、独占欲の塊だったジェームズ。自分がいなくなった後も、誰かから守るのではなく、スネイプ自身が自分から離れないように。 「君の心にいつまでも存在して、君を縛り付けておきたかった。」 最後まで、自分を忘れないでいて欲しい。そんなささやかで、これ以上無い贅沢な欲望。 独占欲の塊だったジェームズ。 「スネイプ、ジェームズは君が好きで仕方なかったから。」 そう、それだけは間違いが無かった。 ジェームズは、スネイプが好きだったという事。 それだけは誰が否定しても、間違いの無い真実だった。 スネイプが俯いて、片手で顔を覆った。いっそう激しく震えた肩にリーマスは手を回し、そのまま両手でスネイプをあやすように抱きしめた。 「食われてしまった心はね、セブルス」 リーマスは、穏やかな声で、優しく告げる。 「再生可能なんだよ。1度失っても、また新しく作る事はできるんだ。ジェームズを踏まえていても構わない。だけど、新しい心には、新しい誰かを入れて良いんだ。新しい心は、君自身が作り出すんだから。ジェームズのものじゃないんだ。」 リーマスの手を振り払う事も無く、首を振りながらスネイプは呟く。 「今更……今更、どうやって、他人を入れろと……」 「1度誰かを招き入れる事ができたなら、これから何度でも誰かを招く事はできるよ。君がその気になりさえすれば。誰かが君を、ジェームズに負けないくらい大切にしてくれる。君を思ってくれる。君は信じれば良い。君の側にいてくれるのが、ジェームズだけではない事を。他にもたくさん、君の側にいたいと思う人がいる。」 そう。煙たがられやすいスネイプだが、スリザリンの生徒からはあんなにも慕われている。ダンブルドアも、スネイプの良き理解者だ。彼らは皆、スネイプの心を救える。 「……僕もその一人だけど」 リーマスは、ついでのように付け足したが、反応は冷たかった。 「……人狼になど、側に居られたく無い」 「そうだろうね」 気を悪くした風でもなく、ルーピンはクスリと笑った。 もう一度、スネイプの頭を抱えなおすように、抱きしめた。 「ジェームズは君が好きだったよ、セブルス」 震える体をもう一度抱きしめて、ルーピンはその震えが止まるまで側にいた。 そのルーピンの腕の中で、ジェームズを一生失ったあの日から流さないと誓った涙を流し続け、スネイプは何度も名を呼んだ。 ジェームズ、と、自分の全てであるその名前ばかりを。それだけが自分の全てであるから。 泣きながら、何度も呼び続けた。
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